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高野 忍(たかの しのぶ、1974年12月10日 - )は、和歌山県那智勝浦町出身の元プロ野球選手外野手)、プロレスラー。現役途中からの登録名は「髙野 忍」。

高野 忍
プロフィール
リングネーム 高野 忍
本名 同じ
誕生日 (1974-12-10) 1974年12月10日(44歳)
出身地 和歌山県那智勝浦町
所属 ZERO1
デビュー 2009年
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高野 忍
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町
生年月日 (1974-12-10) 1974年12月10日(44歳)
身長
体重
183 cm
92 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1998年 ドラフト8位
初出場 2000年4月1日
最終出場 2002年8月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

目次

来歴編集

箕島高校では、2年生時に控え外野手として1991年春の選抜に出場。2回戦で萩原誠のいた大阪桐蔭高に敗退[1]。1年上のチームメートに遊撃手林孝哉がいた。新チームとなり、エースとして1991年秋季近畿大会県予選準決勝まで進むが、南部高に延長13回裏サヨナラ負け。翌1992年夏も県予選で敗れ、甲子園出場はならなかった。

卒業後は中山製鋼所に入社し野手転向。1997年都市対抗に出場。三菱自動車川崎との1回戦で先制犠飛を放つが、先発の芝崎和広大和銀行から補強)が早々と打たれ敗退。

1998年に巨人が行った入団テストで特大の本塁打を放ち、その長打力を買われ合格した。同年のドラフト8位で読売ジャイアンツに入団。2000年に一軍に上がり、同年9月には初の先発出場を果たし3打数1安打を記録。しかし直球には強いが変化球に弱く、守備走塁にも難があったため、層の厚い外野手争いに加わることができず、5年目の2003年10月に戦力外通告を受ける。その後他球団の入団テストを受けるが不合格となり引退。

引退後は、ベンチャー企業「ウエストジャパン」取締役に就任し、愛知県の少年野球チーム「御岳ドリームジュニア」のコーチを一年間務めた。さらに、県内の「軟式野球チーム」に所属する傍ら、空手総合格闘技の練習も行っていた。

2009年2月14日、ZERO1大阪府立体育会館大会でプロレスラーとしてデビュー。小笠原和彦と対戦し、裸絞めによるレフェリーストップ勝ちを収めた。ZERO1リング・アナウンサーNaokiと懇意なことからプロレス参戦が決まったとのこと。

人物編集

高校時代は投手だったが、社会人時代に外野手へ転向。社会人野球は給料が少なく、電話を止められる等生活はかなり苦しかった。そのため家庭を持った事で将来に不安を覚え、野球を辞める決意をする。野球を辞める記念にと、たまたま近所でやっていた巨人の入団テストを受けたら合格してしまった。

家族は妻と一男一女。巨人への入団が決まった時、夫人から「ヨシノブのサインを貰って来て」と頼まれた。

清原和博の大ファン。

コンニャクがどうしても食べられないという。

詳細情報編集

年度別打撃成績編集

















































O
P
S
2000 巨人 13 15 15 1 3 1 0 1 7 1 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .200 .200 .467 .667
2001 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
2002 3 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
通算:3年 17 18 18 1 3 1 0 1 7 1 0 0 0 0 0 0 0 5 0 .167 .167 .389 .556

記録編集

背番号編集

  • 66 (1999年 - 2003年)

脚注編集

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  1. ^ 「選抜高等学校野球大会65年史」毎日新聞社 日本高等学校野球連盟 1994年

関連項目編集

外部リンク編集