鳥居 正(とりい ただし、1899年2月11日 - 没年不詳)は、日本の俳優である[1][2][3][4]。本名は鳥居 笑次(とりい しょうじ)[2]鳥井 正と表記に揺れがある[3]

とりい ただし
鳥居 正
本名 鳥居 笑次 (とりい しょうじ)
別名義 鳥井 正
生年月日 (1899-02-11) 1899年2月11日
没年月日 不詳年
出生地 日本の旗 日本 鹿児島県鹿児島市
職業 俳優
ジャンル 歌劇新国劇劇映画現代劇時代劇剣戟映画サイレント映画トーキー
活動期間 1916年 - 1936年
主な作品
月形半平太
国定忠治
初姿
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来歴・人物 編集

1899年(明治32年)2月11日鹿児島県鹿児島市に生まれる[2]1979年(昭和54年)に発行された『日本映画俳優全集 男優篇』では、生年月日は不詳、本名も不詳という旨が記されている[1][3][4]。幼少期から数本の歌劇に出演していたとされている[2]

専修大学を中退後、1917年(大正6年)に沢田正二郎(1892年 - 1929年)が創立して間も無い新国劇に入り、幹部俳優として活躍[2][1][3]。立ち回りの巧さで定評があった。1925年(大正14年)、聯合映画芸術家協会と連携して製作された衣笠貞之助監督映画『月形半平太』や、同じく東亜キネマと連携して製作されたマキノ青司(牧野省三)総指揮・監督映画『国定忠治』で沢田と共演[2][1][3]

1933年(昭和8年)、日活太秦撮影所に入社[1][3]。数本の作品に渋い芸を見せたが、1935年(昭和10年)、第一映画社に移籍[1][3]。ここでも数本の作品に脇役として出演するが、もはや十分に発揮する事が出来なかった。ところが、1936年(昭和11年)に公開された伊藤大輔監督映画『四十八人目』以降の出演作品が見当たらない。その後、時期は不明であるが、『日本映画俳優全集・男優編』(キネマ旬報社)が発行された1979年(昭和54年)10月23日の時点では、すでに死去したものとされている[1]没年不詳。鳥居の来歴について記載されている資料はほとんど存在しない。

出演作品 編集

新国劇 編集

現存する新国劇の関連資料から、上記の人物が実際に出演した演目を記載した[5]。ただし、劇団創立当初及び戦争末期の一部記録、並びに地方公演の記録は現存していない[5]

初期 編集

全てサイレント映画である。

日活京都撮影所 編集

特筆以外、全て製作は「日活京都撮影所」、配給は「日活」、特筆以外は全てサイレント映画、特筆以外は全て「鳥居正」名義である。

第一映画社 編集

特筆以外、全て製作は「第一映画社」、配給は「松竹」、特筆以外は全てトーキー、以降全て「鳥居正」名義である。

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g 『日本映画俳優全集 男優篇』キネマ旬報社、1979年、396頁。 
  2. ^ a b c d e f 『現代新劇俳優名鑑』明潮社出版部、1929年、9頁。 
  3. ^ a b c d e f g 『映画俳優事典 戦前日本篇』未来社、1994年。 
  4. ^ a b 『日本人物レファレンス事典 芸能篇1 (映画・演劇・タレント)』日外アソシエーツ、2014年。 
  5. ^ a b 『新国劇七十年栄光の記録』新国劇記録保存会、1988年、290-869頁。 

外部リンク 編集