メインメニューを開く

鷲澤 正一(わしざわ しょういち、1940年11月8日 - )は、日本政治家。前長野県長野市長(3期)。

鷲澤正一
わしざわ しょういち
生年月日 (1940-11-08) 1940年11月8日(78歳)
出生地 長野県長野市
出身校 早稲田大学第一商学部
前職 炭平鷲澤代表取締役社長
現職 長野県長野市長
所属政党 無所属
称号 商学士(早稲田大学)
旭日中綬章

Flag of Nagano, Nagano.svg 第16代 長野県長野市長
当選回数 3回
在任期間 2001年11月11日 - 2013年11月10日
テンプレートを表示

目次

来歴編集

長野県長野市生まれ。長野県長野高等学校早稲田大学商学部卒業。大学在学中から生家が経営する炭平鷲澤(現炭平製作所)に入社し、1963年から代表取締役社長を務める。大学を卒業後、1965年長野陸送、1966年炭平運輸、1968年三国コンクリートの各代表取締役に就任。会社経営の傍ら、長野市及び長野県のPTA連合会会長、長野市教育委員会委員、長野商工会議所副会頭、東北信生コン事業協同組合理事長、長野市青年会議所理事長、長野県経営者協会常任理事などを歴任した。

2001年11月、長野市長選挙に出馬し、初当選を果たした。2002年6月、信越放送取締役に就任[1]2003年田中康夫長野県知事住民票を長野市から南信地方泰阜村に移した際、これに反発して田中を相手に訴訟を起こす。裁判では田中知事が敗訴し、田中は両親の実家のある軽井沢町へ住民票を移した。2005年に再選。

2006年の長野県知事選挙では、反田中康夫陣営の先頭に立つ。候補者の選定においては、再三にわたり菅谷昭松本市長の名前を挙げたが、菅谷は出馬を固辞し、鷲澤はこれにより一層、田中知事の支持者からは反発を受けた。結局知事選には村井仁が擁立され、田中を破った。

2009年10月25日執行の長野市長選挙においては、元ホテル従業員の高野登、小林計正らを接戦の末に制し、3選を果たした。得票数は、鷲沢:58,379票、高野:57,728票、小林:31,184票。投票率は、48.82%。

2013年11月10日をもって、長野市長を退任。

2014年旭日中綬章受章。

人物編集

  • 2008年、中華人民共和国チベット騒乱受けて、世界各国で北京オリンピックの聖火リレーに対する抗議運動が行われた。過去に五輪開催経験がある長野県下でも、聖火リレーの出発地を予定していた善光寺がチベット問題への抗議と混乱回避を理由に出発地を返上した。しかし4月17日、鷲澤は経済団体の会合の挨拶で「抗議と混乱は迷惑千万」と発言した。この発言は当時のパリ市長であるベルトラン・ドラノエが「パリは世界中のどこの問題であっても人権を擁護する」と抗議したことと比較され、非難の対象となった。
  • 2010年12月の長野市議会定例議会において、就職が内定していない学生へのアドバイスを求められ、「就職活動をしたことがなく、私が答えるのは不適当」とした上で、「社会に文句を言っても何のプラスにもならない」「自ら反省することで、自分は何を求めているか、あらゆる手段を使ったか、いろんなコネを使ったかとか、そういうことがあると思う」と発言した。この発言に対し、日本共産党の市議らが反発し「傷ついた若者に追い討ちをかける言葉」であるとして発言の撤回を求めたが、鷲澤は「反省することは大事。コネを使うのが何が悪いのか」と反論し、発言の撤回を拒否した[2]

脚注編集

参考文献編集

外部リンク編集