鷹番

日本の東京都目黒区の町名
日本 > 東京都 > 目黒区 > 鷹番

鷹番(たかばん)は、東京都目黒区の地名。現行行政地名は鷹番一丁目から鷹番三丁目。郵便番号は152-0004[3]

鷹番
鷹番の位置(東京都区部内)
鷹番
鷹番
鷹番の位置
北緯35度37分44.57秒 東経139度41分6.4秒 / 北緯35.6290472度 東経139.685111度 / 35.6290472; 139.685111
日本の旗 日本
都道府県 東京都
特別区 目黒区
面積
 • 合計 0.3955 km2
人口
2021年令和3年)4月1日現在)[2]
 • 合計 8,868人
 • 密度 22,000人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
152-0004[3]
市外局番 03[4]
ナンバープレート 品川

地理 編集

目黒区の中央部に位置する。北辺は駒沢通りに接し、これを境に目黒区五本木に接する。東部は目黒区中央町に接する。南部は目黒通りに接し、これを境に目黒区目黒本町に接する。南西部は目黒区碑文谷に接する。西部は世田谷区下馬に接する。町域内を南北に東急東横線線路が通っており、学芸大学駅が置かれている。町域内は駅周辺に商店などか見られるほかは、住宅地として利用される。鷹番一・二丁目のほとんどと中央町の一部で「鷹番1・2丁目町会」、鷹番三丁目は「三谷北町会」を構成する。

世帯数と人口 編集

2021年令和3年)4月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

丁目 世帯数 人口
鷹番一丁目 1,514世帯 2,577人
鷹番二丁目 1,993世帯 3,136人
鷹番三丁目 2,129世帯 3,155人
5,636世帯 8,868人

小・中学校の学区 編集

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]

丁目 番地 小学校 中学校
鷹番一丁目 全域 目黒区立鷹番小学校 目黒区立目黒中央中学校
鷹番二丁目
鷹番三丁目

歴史 編集

もと碑文谷村の字だった。1889年明治22年)碑衾村大字碑文谷字鷹番になり、1927年昭和2年)4月1日碑衾村が町制を施行して碑衾町大字碑文谷字鷹番になる。同年8月28日に東京横浜電鉄東横線(現:東京急行電鉄東横線)の碑文谷駅(現:学芸大学駅)が出来、以降市街化が進んだ。1932年(昭和7年)9月10日碑衾町の大字鷹番となり、同年10月1日東京市に編入されて目黒区鷹番町、1966年(昭和41年)三谷町などと合わせて鷹番一~三丁目が成立した。

地名の由来 編集

江戸時代、この地に鷹番屋敷が設置されていたことに由来するといわれる。「鷹場」あるいは「鷹場前」の転訛とする説もある。

経済 編集

産業 編集

企業
  • 東京三菱自動車販売本社
  • プラプラックス

地主 編集

鷹番の地主は、菅田慶治[6]、区会議員の菅田重太郎[6]などがいた。

交通 編集

町域内に東急東横線の急行停車駅、学芸大学駅があり利用されている。また、目黒駅から町域内南部の目黒通りを走る路線バスも利用されている。

地域 編集

公共機関 編集

教育機関 編集

公園 編集

鷹番児童遊園 編集

東京都目黒区鷹番2丁目9-6

三谷児童遊園 編集

東京都目黒区鷹番3丁目19-3

出身・ゆかりのある人物 編集

  • 小杉隆(衆議院議員、文部大臣)- 鷹番1丁目に居住していた[7]

脚注 編集

  1. ^ 区勢要覧 - 2.人口と世帯”. 目黒区 (2021年3月31日). 2021年4月14日閲覧。
  2. ^ a b 町丁別世帯数および人口表”. 目黒区 (2021年4月1日). 2021年4月14日閲覧。
  3. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2021年4月14日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2021年4月14日閲覧。
  5. ^ 区立学校学区域”. 目黒区 (2018年8月25日). 2021年4月14日閲覧。
  6. ^ a b 『日本紳士録 第40版』東京スの部294頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月1日閲覧。
  7. ^ 『政治家人名事典』206-207頁。

参考文献 編集

  • 交詢社編『日本紳士録 第40版』交詢社、1936年。
  • 『政治家人名事典』日外アソシエーツ、1990年。

外部リンク 編集