鷹野史寿

日本の元プロ野球選手

鷹野 史寿(たかの ふみとし、1973年8月10日 - )は、東京都東村山市出身の元プロ野球選手外野手)、コーチプロ野球解説者

鷹野 史寿
東北楽天ゴールデンイーグルス 育成コーチ #90
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都東村山市
生年月日 (1973-08-10) 1973年8月10日(50歳)
身長
体重
175 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1999年 ドラフト6位
初出場 2000年4月30日
最終出場 2007年10月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 東北楽天ゴールデンイーグルス (2024 - )

来歴 編集

プロ入り前 編集

浦和学院高校時代は清水隆行と同学年であった。高校卒業後は、東都大学野球リーグ国士舘大学に進学。3年秋、4年春は1部でリーグ通算26試合に出場、94打数26安打、打率.277、4本塁打、10打点、3盗塁の記録を残し、ベストナイン1回(1994年秋)、4年春の入替戦では1敗の2戦目で本塁打を放つも延長15回で亜大に惜敗、2部通算は69試合、306打数90安打、打率.294、13本塁打。卒業後は日産自動車に入団。1998年都市対抗野球で優勝に貢献[1]。持ち前のパンチ力で全日本メンバーに選ばれ、シドニーオリンピックの予選を兼ねたアジア選手権ではプロアマ混成チームながら外野の一角を担った。また、プロがいない全日本では4番を打つこともあった。

1999年度ドラフト会議にて大阪近鉄バファローズから6位指名を受け、入団した。

近鉄時代 編集

ルーキーイヤーの2000年から86試合に出場し、準レギュラーとして活躍。規定打席に届かなかったが、シーズン最多死球を記録した。また8月22日の対千葉ロッテマリーンズ戦の第2打席から、8月26日の対埼玉西武ライオンズ戦の第2打席まで、史上5人目の13打席連続出塁を記録した[2][3]中村紀洋がシドニーオリンピックに出場した際は、中村の抜けた3番を務めた。この年のパ・リーグ新人王は32年ぶりの該当者なしだったが、新人王対象選手の中では斉藤和巳に次いで票を得た[4]

チームがリーグ優勝した2001年は、プロ2年目にして打率.300・長打率.500・OPS0.900のラインをクリアするなど、いてまえ打線の一角としてチームに貢献した。

2002年は、2年連続.300以上となる自己ベストの打率.317をマーク。6本塁打と20打点を記録して、これらは2001年と全く同じ数値だった。

2003年は一転して不振に陥り、打撃三部門の成績はいずれもプロ入り以来最低の数字に終わった。ただ、7月14日の対日本ハムファイターズ戦で、一軍昇格後即スタメンで、第1打席から3打席連続本塁打を放ち、第4打席でもフェンス直撃のツーベースを放ち、試合後のお立ち台で涙を流した。

2004年には復調し、.300には届かなかったものの打率.293・5本塁打・24打点という打撃成績をマークした。一方、三振 (45) や併殺打 (8) でそれまでの自己ワースト記録を更新した。

楽天時代 編集

2004年の球団合併による分配ドラフトを経て、東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍。2005年は自己最多の90試合に出場し、自己最多の7本塁打を放ったものの、打率は.217と振るわなかった。2006年、春に手術した左膝のリハビリに1シーズンを費やした。2007年は打率.203、1本塁打に終わった。なお、この本塁打は、3月29日の対福岡ソフトバンクホークス戦で放ったものだが、プロ初登板初先発を務めたものの2回途中6失点でKOされた田中将大の黒星を消す同点本塁打だった。

2008年は再び一軍出場はなく、二軍でも147打数35安打の打率.238、3本塁打と不振に終わり、10月に球団から戦力外通告を受けた。現役続行を希望し、11月の12球団合同トライアウトに参加するも、他球団からのオファーはなく、そのまま現役を引退した。

現役引退後 編集

現役引退後は球団職員としてチームに留まり、2013年までは楽天イーグルスアカデミーコーチを担当[5]。その傍らに、楽天の主催試合で解説者を務めた。その後、2019年からはチーム統括本部のスカウト部・アマスカウトグループに異動となり、2021年までアマスカウトを担当[6][7]2022年からは再び楽天イーグルスアカデミーのコーチを務めた[5]

2023年11月13日、2024年は育成コーチとして現場に復帰することが発表された[8]

詳細情報 編集

年度別打撃成績 編集

















































O
P
S
2000 近鉄 86 225 186 30 55 10 2 6 87 31 2 2 0 0 27 3 12 40 4 .296 .418 .468 .886
2001 68 135 108 24 33 4 0 6 55 20 0 0 1 0 17 1 9 24 4 .306 .440 .509 .950
2002 77 180 161 20 51 7 1 6 78 20 0 2 0 1 12 0 6 33 5 .317 .383 .484 .868
2003 40 84 74 16 17 4 0 5 36 11 0 0 0 0 8 0 2 19 2 .230 .321 .486 .808
2004 72 214 191 24 56 13 1 5 86 24 0 1 0 3 18 0 2 45 8 .293 .355 .450 .805
2005 楽天 90 274 240 26 52 10 0 7 83 31 2 4 2 3 27 0 2 56 12 .217 .298 .346 .644
2007 44 81 69 7 14 3 1 1 22 7 1 0 0 0 9 0 3 20 2 .203 .321 .319 .640
通算:7年 477 1193 1029 147 278 51 5 36 447 144 5 9 3 7 118 4 36 237 37 .270 .363 .434 .797
  • 各年度の太字はリーグ最多

記録 編集

初記録
その他の記録
  • 13打席連続出塁:2000年8月22日、対千葉ロッテマリーンズ戦第2打席 - 8月26日、対西武ライオンズ戦第2打席(8安打5四死球) ※近鉄球団記録
  • 8打席連続安打:上記の連続打席出塁の期間内 ※近鉄球団タイ記録

背番号 編集

  • 9(2000年 - 2008年)
  • 90(2024年 - )

脚注 編集

  1. ^ 2000プロ野球プレイヤーズ名鑑 スポーツニッポン新聞社
  2. ^ 2001 ベースボール・レコード・ブック 101頁 2000年度主要記録集「史上5人目の13打席連続出塁」より。13打席連続出塁の内訳は、「安打8 四球3 死球2」であった
  3. ^ 13打席連続出塁は近鉄球団記録、8打数連続安打は近鉄球団タイ記録 個人打撃連続記録(3)パ・リーグ公式サイト
  4. ^ 難航した2015年のパ新人王レース…最後の「該当者なし」だった2000年ってどんな年?”. BASEBALL KING (2015年11月26日). 2017年8月29日閲覧。
  5. ^ a b 新任コーチに関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2023年11月13日). 2023年11月13日閲覧。
  6. ^ 2019シーズン チーム体制に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2019年1月8日). 2023年11月13日閲覧。
  7. ^ 12球団編成&スカウト布陣一覧&2021補強ポイント【パ・リーグ編】”. 週刊ベースボール (2021年1月23日). 2021年8月14日閲覧。
  8. ^ 楽天が来季のコーチ陣発表 現役引退の横尾、奥村が入閣…三木2軍監督は続投”. Full-Count (2023年11月13日). 2023年11月13日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集