麓集落

薩摩藩の外城制度において郷士が居住した集落

麓集落(ふもとしゅうらく)とは、薩摩藩外城制度において郷士が居住し、城下町的機能を有していた集落である。単に(ふもと)とも言う。

1889年の町村制実施後も村役場[1]または小学校がおかれ、行政村の中心として機能し続けた。知覧麓(現南九州市)・入来麓(現薩摩川内市)・出水麓は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

以下に列挙したのは、大字単位の地名として現存している地域(いずれも鹿児島県)。

  • 鹿屋市吾平町麓(旧吾平町麓) - 鹿屋市吾平総合支所が所在。2006-2009年は鹿屋市の地域自治区「吾平町」内の大字「麓」、2010年以降は鹿屋市の大字「吾平町麓」扱いとなる。
  • 垂水市牛根麓(旧牛根村麓) - 1914年の桜島噴火により役場は二川に移転。
  • 霧島市溝辺町麓(旧溝辺町麓) - 麓集落は後に有川へ移転。
  • 錦江町田代麓(旧田代町麓) - 錦江町役場田代支所が所在。

以下に列挙したのは、大字として存在した後に改称された地域。

この他小字として現存している地域も存在する。

脚注 編集

  1. ^ 旧薩摩藩領(鹿児島県本土、宮崎県南西部)では鹿児島・都城を除き全て村として発足している。