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黄金の台子(複製、京都市埋蔵文化財研究所蔵)

黄金の茶室(おうごんのちゃしつ)は、豊臣秀吉が造らせた平三畳の随所に黄金が施された茶室である。

茶室の概要編集

黄金の茶室は容易に運搬可能な組み立て式の茶室であった。秀吉が関白に就任した翌年の天正14年(1586年)1月、年頭の参内で御所に運び込まれ、正親町天皇に披露された。北野大茶湯などでも披露され、文禄元年(1592年)には大坂城から名護屋城に運び込まれた。

図面は伝わっていないが、当時の記録から、天井障子の腰をすべて金張にし、畳表猩々皮、縁(へり)は萌黄地金襴小紋、障子には赤の紋紗が張られていたとされる。また使用にあたっては黄金の台子皆具が置かれたという。

評価編集

千利休が黄金の茶室の制作に関わったかどうか、明確な史料は見当たらない。従来、千利休のわび茶の精神とはまったく異質であり、秀吉の悪趣味が極まったものである、という見方がなされてきた。しかし、茶室の研究家である建築家堀口捨己は、豪奢、華やかさも利休の茶の一面であると論じたことがあり、MOA美術館で復元を担当した早川正夫も、千利休が制作に関与しなかったはずがないと述べている[1]

豪華絢爛な点、権力誇示に使用された点、組立て式である点など、あらゆる点において通常の茶室建築とは一線を画している。その評価には賛否両論あるものの、数ある茶室の中でも最も名の知られたものの一つと言える。

復元された黄金の茶室編集

 
長福寺黄金の茶室

脚注編集

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  1. ^ 「住宅建築」別冊38[1](1986年7月)
  2. ^ 『太閤秀吉の黄金の茶室』SGC信州ゴールデンキャッスル
  3. ^ 「日本の伝統文化の素晴らしさを、『黄金の茶室』を再現、横浜」(『神奈川新聞』2006年7月23日号)
  4. ^ 日本JC機関誌『We Believe』2007年9月号掲載

外部リンク編集