黒山県

中華人民共和国の遼寧省の県

黒山県(こくさん-けん)は中華人民共和国遼寧省錦州市に位置する

中華人民共和国 遼寧省 黒山県
大虎山駅構内
大虎山駅構内
大虎山駅構内
錦州市中の黒山県の位置
錦州市中の黒山県の位置
錦州市中の黒山県の位置
簡体字 黑山
繁体字 黑山
拼音 Hēishān
カタカナ転写 ヘイシャン
国家 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
遼寧
地級市 錦州市
行政級別
面積
総面積 2,436.01 km²
人口
総人口(2004) 63 万人
経済
電話番号 0416
郵便番号 121400
行政区画代碼 210726
公式ウェブサイト http://www.heishan.gov.cn/

地理 編集

黒山県は遼寧省西部に位置する。

歴史 編集

明代は鎮遠堡、清初は小河山、または小黒山と称された。黒山鎮の東北にある小黒山の山頂には上帝廟がある。この山はあまり高くないが、遠くの山河や県の街が一望できる。

戦国時代には遼東郡に属する。そして、の中国統一後も遼東郡に属する。前漢には幽州刺史部遼東郡に属する。後漢には遼東属国に属し、三国時代には幽州の昌黎郡に属する。西晋には平州の昌黎郡に属する。五胡十六国時代には前燕前秦後燕と国が移るが同じ平州の昌黎郡に属する。南北朝時代には営州の地となり、涿郡に属する。には安東都護府に属する。には東京道顕州奉先軍に属する。には北京路広寧府に属する。には広寧府路に属し、域内に望平県を設ける。には広寧衛に属し、鎮遠堡となった。

清代になると広寧県新民県に属した。1902年光緒28年)には両県の一部に鎮安県が設置され、これが黒山県の前身となる。中華民国が成立すると、1914年民国3年)1月、陝西省に同名の鎮安県が存在したため黒山県と改称、奉天省遼瀋道の管轄とされた。その後1929年(民国18年)に遼寧省に、満洲国が成立すると1932年大同元年に奉天省に、1935年康徳2年)には錦州省に移管された。中華人民共和国が成立すると1949年遼西省1954年より遼寧省錦州市の管轄となり現在に至る。

行政区画 編集

2街道弁事処、15、4を管轄する。

  • 街道弁事所:黒山街道、大虎山街道
  • 鎮:芳山鎮、白廠門鎮、常興鎮、姜屯鎮、励家鎮、繞陽河鎮、半拉門鎮、無梁殿鎮、胡家鎮、新立屯鎮、八道壕鎮、四家子鎮、新興鎮、太和鎮、鎮安鎮
  • 郷:英城子郷、段家郷、大興郷、薛屯郷

張作霖の母方の祖母の家がある二道溝郷は、2002年に繞陽河鎮に編入された。

観光地 編集

  • 蛇盤山観光区
  • 竜湾ダム観光区

出身者 編集

 

外部リンク 編集

中国地名の変遷
建置 1902年
使用状況 黒山県
鎮安県
中華民国鎮安県
黒山県(1914年)
満洲国黒山県
現代黒山県