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黒田 一利(くろだ かずとし)は、江戸時代中期の筑前福岡藩大老三奈木黒田家の第5代当主。

 
黒田一利
時代 江戸時代
生誕 寛文12年2月11日1672年3月10日
死没 寛延3年7月20日1750年8月21日
改名 源太郎(幼名)→一利
別名 通称:儀太夫、源左衛門、美作、暁雲(号)
主君 黒田綱政宣政継高
福岡藩大老
氏族 黒田氏三奈木黒田家
父母 父:黒田一貫、母:勝子(黒田長興の娘)
兄弟 一春、鶴子(野村祐春室)、一利
正室:加藤久左衛門成武の娘
一誠
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家系編集

三奈木黒田家は、荒木村重の家臣・加藤重徳の次男で、黒田孝高の養子となった黒田一成に始まる家。知行は1万6205余石で、福岡藩家老上席、大老を世襲する。6代一利の生母は秋月藩黒田長興の娘勝子で、以後の子孫は黒田長政の子孫となる。代々和歌漢詩などに秀でた当主が多い。

生涯編集

寛文12年(1672年)2月、福岡藩大老黒田一任の嫡子・一貫と正室・勝子(黒田長興の娘)の次男として福岡に生まれる。元禄12年(1699年)1月、父一貫の死去により兄一春が家督を相続した際に1165石を分知され、藩主黒田綱政からも40石を与えられて知行1205石で分家、「加藤儀太夫一利」と名乗る。

元禄13年(1700年)1月、兄一春が急死し、その家督を相続する。それまでの1200石に兄の1万5000石と合わせ、知行1万6205余石となり、名を「黒田源左衛門一利」と改め、筆頭家老(大老)となる。

享保2年(1717年)、漂流船を装い密貿易目的で出没する唐船(中国船)を、藩船を率いて若松沖で追い払った。唐船が福岡藩、小倉藩長府藩の藩域を利用して逃げ回ることから、幕府に伺いを立てた上で三藩合同で打ち払うことなり、享保3年(1718年)4月、幕府長崎目付渡辺永倫を迎え、三藩で船を出し、鉄砲を使って唐船を打ち払った。

享保19年(1734年)5月、隠居して家督を子の一誠に譲り、隠居領800石を与えられ「暁雲」と号した。寛延3年(1750年)死去。享年79。

安永年間(1772年から1781年)に、福岡藩士・加藤一純によって編集された和文集「抹桑残玉集」(宮内庁書陵部蔵)に、一利作の「平産玉記に添ふる詞・油山詣・四季枕・山家四季」が収録されている。

参考文献編集

参考サイト編集