黒田 之勝(くろだ ゆきかつ)は、筑前東蓮寺藩の第2代藩主。福岡藩2代藩主黒田忠之の次男。

 
黒田之勝
時代 江戸時代前期
生誕 寛永11年(1634年
死没 寛文3年7月25日1663年8月27日
改名 万吉(幼名)→政之(初名)→之勝
別名 官兵衛(通称
戒名 乾徳院殿高峯宗堅大居士
墓所 東京都渋谷区広尾の祥雲寺
福岡県直方市山部の雲心寺
官位 従五位下、市正右馬頭
幕府 江戸幕府
筑前東蓮寺藩
氏族 黒田氏
父母 父:黒田忠之、母:養照院(坪坂十右衛門の娘)
養父:黒田高政
兄弟 光之之勝
正室:松平定頼の娘
継室:池田輝興の娘)
娘、養子:長寛
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略歴 編集

寛永16年(1639年)11月、叔父で東蓮寺藩主であった黒田高政が嗣子無くして死去したため、翌年に高政の養嗣子としてその跡を継いだ。しかし之勝も娘1人だけしか生まれず、寛文3年(1663年)7月25日に江戸麻布の藩邸にて死去した。享年30。

福岡藩3代藩主の兄光之の三男・長寛(後の福岡藩4代藩主黒田綱政)が養嗣子として跡を継いだ。