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黒田 正宏(くろだ まさひろ、1947年12月21日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手捕手)・コーチ解説者評論家

黒田 正宏
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県姫路市
生年月日 (1947-12-21) 1947年12月21日(71歳)
身長
体重
176 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1970年 ドラフト6位
初出場 1972年4月28日
最終出場 1984年9月23日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

経歴編集

姫路南高校では1年次の1963年からベンチ入りし、同年の夏の甲子園兵庫大会市西宮に6-5で敗れて準優勝。ハワイ高校選抜チームが来日した際には兵庫県選抜の正捕手を務め、育英のエース・鈴木啓示とバッテリーを組んだ。3年次の1965年には第1回ドラフト阪急ブレーブスから10位で指名され、薬局を営んでいた父も「給料がいいぞ、いけいけ」と勧めたが、入団を拒否して法政大学に進学。1年次の1966年から3年次の1968年まで田淵幸一の控え捕手を務め、4年次の1969年から正捕手となる。同年の春季・秋季ともに3割を打ち、秋季では同期のエース・山中正竹とバッテリーを組んで優勝に貢献したほか、同年の第8回アジア選手権日本代表にも選出される。大学同期には山中の他に江本孟紀堀井和人がいる。大学卒業後は1970年本田技研へ入社し、同年の都市対抗に出場。1回戦の三菱自動車京都戦で本塁打を放ち、チームの本大会初勝利と準々決勝初進出に貢献して注目され、同年の社会人ベストナインにも選出された。

1970年のドラフト6位で南海ホークスに入団。2年目の1972年4月28日西鉄戦(大阪)で初出場を果たし、1974年には36試合に出場。野村克也の控え捕手として下積みを重ね、必ず一軍に帯同していた。打撃は非力であったがインサイドワークとキャッチングは優れており、野村退団後の1978年には、前年の2番手捕手であった松本芳之や打撃に定評のある和田徹を抑えて正捕手に抜擢され、自己最多の117試合に出場してリーグ最多の17死球を記録。1979年には伊藤勲との併用になり、1980年には香川伸行の加入で競争が激化。出場機会が減少する。その後は根本陸夫管理部長の要望により、1982年のキャンプイン直前、山下律夫山村善則との交換トレードで片平晋作と共に西武ライオンズへ移籍[1]大石友好伊東勤と併用され、1982年と1983年には2年連続リーグ優勝に貢献。中日との日本シリーズは4試合、巨人との日本シリーズでは3試合に先発マスクを被り、2年連続チーム日本一にも力を添えたが、1984年に伊東が定位置を獲得したこともあり、1985年には退団した森昌彦に替わる一軍バッテリーコーチに選手兼任で就任。選手としての出場がゼロとなる、同年限りで現役を引退。

引退後も西武に残り、監督に復帰した森の下で一軍バッテリーコーチ(1986年 - 1987年)、一軍作戦兼バッテリーコーチ(1988年 - 1989年)を務め、4年連続リーグ優勝と3年連続日本一に貢献。1990年からは田淵の招聘でダイエーのヘッドコーチに就任するが、仲違いして1991年に退団[2][3]1992年から1998年までラジオ大阪解説者サンケイスポーツ評論家を務めた後、阪神で一軍バッテリーコーチ(1999年 - 2000年)、球団本部付部長(2001年 - 2002年)、編成部長(2003年 - 2010年)、シニアアドバイザー[4]2011年 - 2012年)、ヘッドコーチ[5]2013年 - 2014年[6])を歴任。2015年からはTigers-ai解説者・サンケイスポーツ評論家。2016年からはサンテレビでも解説を務める。

人物編集

阪神タイガース球団関係者によると、黒田は黒田官兵衛の子孫であるという[7]

詳細情報編集

年度別打撃成績編集

















































O
P
S
1972 南海 4 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
1973 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
1974 36 13 13 0 1 0 0 0 1 1 0 0 0 0 0 0 0 3 1 .077 .077 .077 .154
1976 15 9 9 1 2 0 0 0 2 1 0 0 0 0 0 0 0 3 1 .222 .222 .222 .444
1977 8 6 5 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 1 1 0 .200 .333 .200 .533
1978 117 333 283 22 52 8 0 4 72 14 1 2 8 2 23 0 17 46 6 .184 .283 .254 .537
1979 63 164 142 9 27 4 0 3 40 12 1 2 7 1 6 0 8 20 2 .190 .261 .282 .543
1980 101 252 209 24 52 5 0 5 72 21 2 4 9 0 31 0 3 35 2 .249 .354 .344 .698
1981 79 180 160 12 33 7 0 2 46 7 1 0 4 0 9 0 7 25 4 .206 .278 .288 .566
1982 西武 70 141 127 5 27 3 0 0 30 3 0 1 6 0 6 0 2 20 3 .213 .259 .236 .495
1983 64 149 130 15 20 1 0 1 24 5 1 1 4 1 13 0 1 22 1 .154 .234 .185 .419
1984 25 56 47 8 7 2 0 1 12 5 0 0 3 0 5 0 1 8 2 .149 .245 .255 .501
通算:12年 586 1305 1127 96 222 30 0 16 300 69 6 10 41 4 93 0 40 183 22 .197 .281 .266 .547
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績編集


捕手
試合 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1972 4 0 0 0 -
1973 1 0 0 0 -
1974 31 11 7 4 .364
1976 8 2 2 0 .000
1977 8 2 2 0 .000
1978 116 126 81 45 .357
1979 63 61 42 19 .311
1980 101 106 75 31 .292
1981 79 75 51 24 .320
1982 68 48 32 16 .333
1983 64 51 41 10 .196
1984 25 26 17 9 .346
通算 568 508 350 158 .311

記録編集

背番号編集

  • 13 (1971年 - 1973年)
  • 33 (1974年)
  • 39 (1975年 - 1985年)
  • 91 (1986年)
  • 85 (1987年 - 1991年)
  • 75 (1999年 - 2000年)
  • 84 (2013年 - 2014年)

関連情報編集

脚注編集

  1. ^ 1981年まで南海は西武にシーズン通算対戦成績で勝ち越していたが、正捕手・黒田の移籍後は負け越しが続き、勝ち越したのは親会社がダイエーになった22年後の2003年シーズンであった。
  2. ^ 星野仙一著、夢 命を懸けたV達成への647日、2003年、角川書店、P122
  3. ^ たとえ嫌われ者であっても使いこなす星野さんのすごさ
  4. ^ 阪神・黒田編成部長退任→SAに” (2010年12月28日). 2012年4月10日閲覧。
  5. ^ 阪神、黒田ヘッドコーチが就任 打撃コーチに水谷氏 産経新聞 2012年10月12日閲覧
  6. ^ コーチの退団について阪神球団公式サイト2014年11月1日配信
  7. ^ “虎・黒田コーチは官兵衛の子孫だった”. 東スポWeb. (2014年1月15日). http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/223288/ 2014年7月4日閲覧。 

関連項目編集