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龍泉寺 (富田林市)

大阪府富田林市の寺院

龍泉寺(りゅうせんじ)は、大阪府富田林市にある高野山真言宗の寺院。千数百年の歴史のある名刹である。

龍泉寺
Ryusenji-Temple01.JPG
本堂
(2007年4月15日撮影)
所在地 大阪府富田林市龍泉888
位置 北緯34度27分43.6秒
東経135度35分51.6秒
座標: 北緯34度27分43.6秒 東経135度35分51.6秒
山号 牛頭山
院号 醫王院(医王院)
宗旨 古義真言宗
宗派 高野山真言宗
本尊 薬師如来
創建年 (伝)推古天皇2年(594年
開基 (伝)蘇我馬子
正式名 牛頭山醫王院龍泉寺
札所等 河内飛鳥古寺霊場第11番
文化財 仁王門(重要文化財)
金剛力士像・聖徳太子立像(府指定文化財)
龍泉寺庭園(国の名勝)
法人番号 3120105004798
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歴史編集

伝説ではかつて、嶽山の中腹、この寺の境内にある池には悪龍が棲んでいたと伝えられている。

寺伝によれば推古天皇2年(594年)に蘇我馬子が勅命を受けて建立したとされる[1]。しばらくののち、悪龍の報復により境内の池と麓の水脈が枯れてしまったと伝えられる。

弘仁14年(823年)に空海(弘法大師)がこの地を訪れたと伝えられ、祈祷によって雨水を得て、境内の池には水が湛えられ、この時池の中に3つの小島ができたとされる。空海はこの島に小さな社を建て、聖天、弁才天、叱天を祀り、牛頭天王を鎮守としたという。

天長5年(828年)、淳和天皇により寺は再建され、勅願寺として龍泉寺医王院の寺号を賜った。東西両塔が建てられ、大小25の塔頭が立ち並ぶ大寺院となったという。

南北朝時代になると、楠木正成が嶽山の山頂に龍泉寺城嶽山城)を築いた。南北朝の争乱ではこの寺も巻き込まれ、仁王門を除き、多くの宝物とともに焼失している。その後再建され、江戸時代には地元白木藩主の寄進を受け度々の修理を経るもかつての規模を取り戻せないでいる。

境内編集

境内にいたる参道は狭いものの、脇にはツツジモミジなどが数多く植えられ、季節ごとに行楽客の目を楽しませる。参道奥に鎌倉時代中期に建てられた朱塗りの仁王門があり、重要文化財に指定されている。金剛力士像は建治元年(1275年)の作である。

境内北西には「龍泉寺庭園」として文化財保護法による名勝に指定されている浄土式庭園がある。南北朝時代以前の影響を伝える造りとなっている。庭園中央には前述の池があり、池の中に3つの小島がある。

池の奥の祠の中に「雨井戸」と呼ばれる井戸がある。空海がここで雨乞いをし、八大龍王を勧請して祀ったという。

隣接する咸古神社は、かつての鎮守社である。

文化財編集

重要文化財
  • 仁王門
大阪府指定文化財
  • 金剛力士像[2]
  • 木造聖徳太子立像[3]
国の名勝
  • 龍泉寺庭園[4]

交通編集

  • 自家用車
国道170号旧道・本町交差点(富田林駅前)から府道705号富田林五條線府道201号甘南備川向線を経る。
  • 公共交通機関
近鉄長野線 富田林駅から 金剛バス東條線「甘南備経由 東阪行き」「サバーファーム行き」「甘南備行き」「府立こんごう福祉センター前行き」のいずれかに乗車し、「龍泉」バス停下車徒歩約15分。

脚注編集

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  1. ^ 発掘調査で奈良時代前期に遡る瓦も出土したが、7世紀の日本で山岳寺院の存在は考えられず、平安時代蘇我氏の末裔である石川氏が建立した氏寺ではないかとする説がある。
    『蘇我氏-古代豪族の興亡』倉本一宏中公新書2353 p.85, 212参照
  2. ^ 龍泉寺木造金剛力士像二躰(大阪府指定文化財) | 富田林きらめきミュージアム”. 2019年8月15日閲覧。
  3. ^ 木造聖徳太子立像 | 富田林きらめきミュージアム”. 2019年8月15日閲覧。
  4. ^ 国指定文化財等データベース”. 文化庁. 2019年8月16日閲覧。

外部リンク編集