龍 賈(りゅう か、生没年不詳)は、中国戦国時代の将軍。恵王に仕えた人物。

魏の恵王後元3年(紀元前332年)、が魏の上郡雕陰(現在の陝西省延安市甘泉県の南)を取るため公孫衍(公子卬)[1]率いる軍を派兵した。魏は龍賈を主将とする軍でこれに当たったが2年にわたる激戦の末、龍賈率いる魏軍は敗れ4万5千[2]または8万[1]の兵を討たれ龍賈は生捕りにされた。魏はこの戦役において河西郡と上郡を防衛する戦力全てを失い、魏は翌年河西郡全域を秦に割譲し、秦は魏に占領されていた河西地区一帯を取り返した。[3]これ以降、龍賈の記録は残っていない。

脚注 編集

  1. ^ a b 『史記』秦本紀:(秦恵文王)七年,公子卬(応為公孫衍)与魏戦,虜其将龍賈,斬首八万。
  2. ^ 『史記』魏世家
  3. ^ 『資治通鑑』巻第二

参考文献 編集