1921年の相撲
できごと
編集- 日本大学相撲部創部。
本場所など
編集その他相撲披露
編集誕生
編集- 1月11日 - 宇佐ノ山英策(最高位:十両9枚目、所属:立浪部屋→双葉山道場→時津風部屋、+ 没年不明)
- 1月15日 - 九州海清(最高位:十両8枚目、所属:出羽海部屋)
- 2月1日 - 九州錦正男(最高位:前頭2枚目、所属:宮城野部屋、+ 1972年【昭和47年】)[5]
- 3月4日 - 甲斐ノ山福人(最高位:前頭10枚目、所属:錦島部屋)[6]
- 3月12日 - 竹旺山友久(最高位:前頭16枚目、所属:山分部屋、+ 1977年【昭和52年】)[7]
- 5月5日 - 大達信太郎(最高位:十両8枚目、所属:高砂部屋、+ 1981年【昭和56年】)
- 5月30日 - 小坂川健三郎(最高位:前頭17枚目、所属:春日山部屋→立浪部屋)[8]
- 8月7日 - 二瀬山勝語(最高位:前頭2枚目、所属:朝日山部屋、+ 1975年【昭和50年】)[9]
- 10月19日 - 神風正一(最高位:関脇、所属:二所ノ関部屋、+ 1990年【平成2年】)[10]
- 10月28日 - 東富士欽壹(第40代横綱、所属:富士ヶ根部屋→高砂部屋、+ 1973年【昭和48年】)[11]
- 12月10日 - 平ノ戸千代蔵(最高位:前頭17枚目、所属:出羽海部屋)[12]
死去
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b 酒井, p. 332.
- ^ 酒井, pp. 328–332.
- ^ 酒井, pp. 333–336.
- ^ a b c 酒井, p. 336.
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 109頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 128頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 118頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 123頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 120頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 101頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 104頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 130頁
参考文献
編集- 酒井忠正『日本相撲史 中巻』ベースボール・マガジン社、1964年6月1日。