1944年の阪神軍・東京巨人軍・阪急軍・産業軍・朝日軍・近畿日本軍のユニフォーム

1944年の阪神軍・東京巨人軍・阪急軍・産業軍・朝日軍・近畿日本軍のユニフォーム(1944ねんのはんしんぐん・とうきょうきょじんぐん・はんきゅうぐん・さんぎょうぐん・あさひぐん・きんきにっぽんぐんのユニフォーム)では、1944年に日本野球報国会と名乗っていた日本野球連盟に加盟していた6球団が着用していた国防色ユニフォームについて述べる。

デザイン編集

共通しているのは帽子が帝国陸軍の帽子に準じたデザイン。ユニフォームが国民服のデザインに準じたもの。背番号は廃止されていた。の3点。

各球団の特徴は以下の通り。

阪神軍 帽子のマークは親会社・阪神電気鉄道の社章。左胸に阪神。左袖に猛虎マーク。
東京巨人軍 帽子のマークは親会社・読売報知新聞の社章。左胸に「巨」のマーク。
阪急軍 帽子のマークは親会社・京阪神急行電鉄の社章。左袖にも付けられた。
産業軍 帽子のマークは理研工業(親会社ではない)の社章。左袖にも付けられた。
朝日軍 帽子のマークは親会社・田村駒の社章。左胸に「朝」のマーク。
近畿日本軍 帽子のマークは近畿日本鉄道の社章。左袖にもつけられた。

なお、後年発刊された『プロ野球ユニフォーム物語』では、この年加盟していた6球団で、阪神・巨人・阪急・産業の4球団は戦時中に使用された帽子やユニフォームのイラストも掲載されているが、朝日・近畿日本の両球団についてはユニフォームの写真や資料が残っていないと言う。

概要編集

日本プロ野球1940年満州国遠征以降が受難の時代と言われているが戦局が悪化した1944年頃は選手は軍需工場で勤務しながら野球を続けるなど存亡の危機に立たされていた。そしてこの年の秋、連盟が一時休止を宣言。これによりリーグ戦が夏季(1939年以降リーグ戦は春季・夏季・秋季の3季に分けて行いトータルで優勝球団を決める1シーズン制だった。)でストップし1946年まで中断する事となった。この年加盟していた6球団が着用していたユニフォームだが、その中で阪神は球団創立以来ユニフォームに猛虎マークを左袖に採用しており、この年もそれは変わらなかったが、同マークは一時休止を経て現在まで生き続けている。