1950年の広島カープ1950年広島カープの動向についてまとめる。

1950年の広島カープ
成績
セントラル・リーグ8位
41勝96敗1分 勝率.299[1]
本拠地
都市 広島県広島市
球場 広島県総合野球場
球団組織
監督 石本秀一
1951 »

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この年の広島カープは、リーグ参入初年であり、石本秀一監督の1年目のシーズンである。シーズン終盤、球団記録タイ(2回目は1999年)の13連敗を喫した[2]

概要 編集

前年に正力松太郎コミッショナーによるリーグ拡張構想が明るみに出ると、プロ野球参入を画策していた企業による加盟申請が相次ぎ、プロ野球再編問題へと発展した。その中で広島では原爆の被害からの復興の象徴として球団を設立しようとする機運が高まり、「広島野球倶楽部」が設立された。チーム名の案として、様々な案が挙がったが、最終的に原爆で喪失した広島城の愛称である鯉城からチーム名を「カープ」とし、広島カープが誕生した。設立時に思うように資金が集まらず経営基盤が脆弱であったことから、選手に十分な給料を支払えない状態で戦いシーズンを最下位で終えた[3]

1月3日付の中国新聞3面では球団結成を記念して前年の暮れから懸賞募集していた球団旗のデザインと球団歌の発表が行われ、初段球団歌「我れらのカープ」(作詞・河西新太郎、作曲者不詳[注 1])が制定されたが、3シーズン後の1953年(昭和28年)より2代目の「広島カープの歌」(現「勝て勝てカープ」)へ代替わりしている。

チーム成績 編集

レギュラーシーズン 編集

開幕オーダー[4]
1 田中成豪
2 岩本章
3 白石勝巳
4 辻井弘
5 坂井豊司
6 樋笠一夫
7 荻本伊三武
8 山崎明男
9 内藤幸三
1950年セントラル・リーグ順位変動
順位 3月終了時 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 10月終了時 最終成績
1位 中日 -- 中日 -- 松竹 -- 松竹 -- 松竹 -- 松竹 -- 松竹 -- 松竹 -- 松竹 --
2位 松竹 1.0 松竹 0.0 中日 1.0 中日 5.0 中日 5.0 中日 7.5 中日 9.0 中日 8.5 中日 9.0
3位 巨人 2.0 巨人 2.5 巨人 8.0 巨人 6.5 巨人 11.5 巨人 10.5 巨人 10.5 巨人 14.0 巨人 17.5
4位 大洋 3.0 大阪 10.0 大阪 10.0 大阪 8.5 大阪 14.5 大洋 20.0 大阪 22.5 大阪 25.5 大阪 30.0
5位 大阪 5.5 大洋 10.0 大洋 12.0 大洋 11.5 大洋 15.0 大阪 22.5 大洋 24.0 大洋 27.0 大洋 31.0
6位 西日本 7.0 西日本 11.5 西日本 18.0 西日本 19.0 西日本 22.0 西日本 28.5 西日本 34.5 西日本 43.5 西日本 48.5
7位 広島 7.5 広島 18.0 広島 20.0 広島 20.0 広島 25.5 広島 36.5 広島 43.0 広島 49.5 国鉄 57.5
8位 国鉄 10.0 国鉄 20.0 国鉄 27.0 国鉄 29.5 国鉄 34.5 国鉄 42.5 国鉄 48.5 国鉄 54.0 広島 59.0


1950年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
優勝 松竹ロビンス 98 35 4 .737 ---
2位 中日ドラゴンズ 89 44 4 .669 9.0
3位 読売ジャイアンツ 82 54 4 .603 17.5
4位 大阪タイガース 70 67 3 .511 30.0
5位 大洋ホエールズ 69 68 3 .504 31.0
6位 西日本パイレーツ 50 83 3 .376 48.0
7位 国鉄スワローズ 42 94 2 .309 57.5
8位 広島カープ 41 96 1 .299 59.0

[1]

選手・スタッフ 編集

表彰選手 編集

リーグ・リーダー
受賞者なし
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
白石勝巳 遊撃手 初受賞

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 中国新聞1949年12月13日付1面掲載の社告では「服部良一氏に依頼する予定」とされているが、楽譜は確認されていない。

出典 編集

  1. ^ a b 年度別成績 1950年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2016年6月11日閲覧。
  2. ^ 巨人の連敗はストップするか?現存する12球団最多連敗は98年ロッテの18 デイリースポーツ 2017年6月7日
  3. ^ 【1月15日】1950年(昭25) 金ナシ、寮ナシの広島カープ、原っぱでお披露目式スポニチアネックス 日めくりプロ野球1月
  4. ^ 『読売新聞』1950年3月11日付朝刊、8版、3面