1952年の相撲
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1952年の相撲(1952ねんのすもう)は、1952年の相撲関係のできごとについて述べる。
アマチュア
編集- 全日本相撲選手権大会が初開催。1947年度学生横綱の影山信雄(福岡市)が初代アマチュア横綱となり、史上初の二大タイトル覇者となる。
大相撲
編集できごと
編集- 1月、巣鴨拘置所でA級戦犯の慰問大相撲。春場所、蔵前仮設国技館で15日間。力士幟が復活し、弓取り式は連日となる。民間放送のラジオ相撲実況中継開始。元大関・佐賀ノ花引退、年寄二所ノ関専任に。
- オープンカーによる優勝パレードが公式行事となる(前年に東富士が私的な優勝パレードを実施したのがきっかけである)。
- 2月、ベースボール・マガジン社『相撲』復刊、第1号発行。
- 3月、名古屋準本場所15日間、横綱羽黒山優勝。
- 4月、両国国技館の接収解除。
- 5月、夏場所、蔵前仮設国技館で15日間。
- 9月、秋場所、蔵前仮設国技館で15日間。土俵の四本柱を撤廃し、吊り屋根に4色の房を下げる。栃錦、技能賞は連続5回、通算9回目。
- 10月、場所後の番付編成会議で栃錦の大関昇進決定。明治神宮奉納の全日本力士選手権大会が復活し、横綱千代ノ山優勝。
- 11月、東富士、朝潮一行の沖縄初巡業。立浪取締死去、横綱羽黒山が二枚鑑札となる。
- 12月、大阪で第1回王座決定戦を開催し、大関吉葉山優勝。
本場所
編集誕生
編集- 1月28日 - 若越英雄(最高位:十両12枚目、所属:二所ノ関部屋)
- 3月15日 - 琴立山兼滋(最高位:十両7枚目、所属:佐渡ヶ嶽部屋)
- 4月6日 - 松山佳弘(最高位:十両筆頭、所属:宮城野部屋、+ 2019年【令和元年】)[1]
- 4月16日 - 谷嵐久(最高位:前頭4枚目、所属:時津風部屋、+ 2010年【平成22年】)[2]
- 5月23日 - 大豪健嗣(最高位:前頭11枚目、所属:花籠部屋)[3]
- 6月12日 - 魁輝薫秀(最高位:関脇、所属:友綱部屋)[3]
- 9月3日 - 蔵玉錦敏正(最高位:前頭筆頭、所属:伊勢ノ海部屋→鏡山部屋、+ 2020年【令和2年】)[4]
- 9月24日 - 琴ヶ嶽綱一(最高位:前頭筆頭、所属:佐渡ヶ嶽部屋、+ 2024年【令和6年】)[5][6]
- 9月29日 - 隆の里俊英(第59代横綱、所属:二子山部屋、+ 2011年【平成23年】)[7]
- 10月16日 - 大飛進(最高位:前頭2枚目、所属:大山部屋)[8]
- 12月16日 - 蔵間竜也(最高位:関脇、所属:時津風部屋、+ 1995年【平成7年】)[5]
死去
編集出典
編集- ^ 「角界ニュース」『相撲』2020年5月号、ベースボール・マガジン社、127頁。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 198頁
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 192頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 194頁
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 193頁
- ^ 「元前頭琴ケ嶽の竹内孝一さんが心不全で死去 71歳 在位99場所 引退後は高校球児の息子を応援」『日刊スポーツ』2024年2月26日。2024年2月26日閲覧。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 191頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 195頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 31頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 47頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 8頁
参考文献
編集- 『大相撲戦後70年史』(ベースボールマガジン社、2015年)p44