1956年の日本競馬
1956年の日本競馬(1956ねんのにほんけいば)では、1956年(昭和31年)の日本競馬界についてまとめる。馬齢は旧表記で統一する。
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概要 編集
前年12月に公布された日本中央競馬会の国庫納付金等の臨時特例に関する法律(有馬特例法)が施行され、この年から翌年まで臨時競馬が開催された。その収益金は老朽化していた競馬場施設の近代化に役立てられた[1]。
この年の競馬界のハイライトは、中山グランプリ競走(現在の有馬記念)の創設であろう。日本中央競馬会理事長:有馬頼寧が「競馬により親しんでもらうため、『ファン投票によるオールスターレース』開催を実現したい」と構想し、概要が発表されると、イギリスやフランスなど競馬先進国では例を見ない形式で出走馬を選ぶという新しい大レースの創設は競馬ファンの反響を呼び、多くの投票が寄せられた[注 1]。
できごと 編集
1月 - 3月 編集
- 1月1日 - 日本中央競馬会の国庫納付金等の臨時特例に関する法律(有馬特例法)が施行される[2]。
- 3月22日 - 有馬特例法に基づく第1回臨時競馬が開催され、8日間の開催で834,410,900円を売り上げる。この収益金により中山競馬場のスタンド改築工事が行われた[2]。
4月 - 6月 編集
- 4月1日 - 農林水産省畜産局競馬監督課が競馬官室となる[2]。
- 4月8日 - ラジオ東京テレビ(現TBS)による中央競馬の実況中継、および競馬案内放送が開始される[2][注 2]
- 4月24日 - 地方税法が改正され、競馬用資産に固定資産税が賦課されるようになる[2]。
- 5月9日 - 日本中央競馬会がアメリカ競馬科学者協会(AORC)に加入を承認される[2]。
- 6月7日 - 27頭立てで行われた東京優駿において、阿部正太郎が騎乗したエンメイが転倒、落馬。エンメイは競走能力喪失、阿部も重傷を負った。この事故がきっかけで6月9日に日本中央競馬会の役員と馬主6名、調教師4名、騎手4名、報道関係者4名により「東京優駿競走事故調査委員会」が組織され、出走馬の制限やパトロールフィルムの導入検討、騎手の道徳向上、人馬の救護体制確立などが話し合われ、後に実行に移された[2][3]。
7月 - 9月 編集
10月 - 12月 編集
- 10月20日 - 全長230メートルの中山競馬場スタンドが竣工する[3]。
- 10月27日 - 中山競馬場において11月18日まで、第2回臨時競馬が開催される。売上金は1,052,191,100円[3]。
- 10月27日 - 日本短波放送(現ラジオNIKKEI)による中央競馬の実況中継と放送が開始される[3]。
- 11月1日 - 『競馬資料』を日本中央競馬会会報別冊として創刊[3]。
- 11月16日 - 中津競馬組合設立[3]。
- 12月17日 - 中央競馬サービスセンター内に払戻所が設置される[3]。
- 12月23日 - 第1回中山グランプリ競走(中山競馬場 4歳上オープン、馬齢重量、芝外2,600m)が施行[3]。
その他 編集
競走成績 編集
中央競馬の主な競走 編集
- 第16回桜花賞(阪神競馬場・3月25日)優勝 : ミスリラ(騎手 : 柴田不二男)
- 第33回天皇賞(春)(京都競馬場・4月15日) 優勝 : メイヂヒカリ(騎手 : 蛯名武五郎)
- 第16回皐月賞(中山競馬場・4月22日)優勝 : ヘキラク(騎手 : 蛯名武五郎)
- 第17回優駿牝馬(オークス)(東京競馬場・5月27日) 優勝 : フエアマンナ(騎手 : 佐藤嘉秋)
- 第23回東京優駿競走(日本ダービー)(東京競馬場・6月3日) 優勝 : ハクチカラ(騎手 : 保田隆芳)
- 第17回菊花賞(京都競馬場・11月18日) 優勝 : キタノオー(騎手 : 勝尾竹男)
- 第34回天皇賞(秋)(東京競馬場・11月25日) 優勝 : ミツドフアーム(騎手 : 保田隆芳)
- 第1回中山グランプリ(中山競馬場・12月23日) 優勝 : メイヂヒカリ(騎手 : 蛯名武五郎)
中央競馬・障害 編集
表彰 編集
啓衆社賞 編集
誕生 編集
この年に生まれた競走馬は1959年のクラシック世代となる。
競走馬 編集
人物 編集
死去 編集
競走馬・種牡馬 編集
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人物 編集
脚注 編集
参考文献 編集
- 競馬歴史新聞編集委員会『新版競馬歴史新聞』日本文芸社、2004年。ISBN 4-537-25205-7。
- 一般社団法人 中央競馬振興会『日本近代競馬総合年表』中央競馬ピーアール・センター、2018年。