1956年イタリアグランプリ
1956年イタリアグランプリ (1956 Italian Grand Prix) は、1956年のF1世界選手権第8戦(最終戦)として、1956年9月2日にモンツァ・サーキットで開催された。
レース詳細 | |||
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1956年F1世界選手権全8戦の第8戦 | |||
モンツァ・サーキット(バンク併用、1955–1961) | |||
日程 | 1956年9月2日 | ||
正式名称 | XXVII Gran Premio d'Italia | ||
開催地 |
モンツァ・サーキット イタリア モンツァ | ||
コース | 恒久的レース施設 | ||
コース長 | 10.000 km (6.214 mi) | ||
レース距離 | 50周 500.023 km (310.700 mi) | ||
決勝日天候 | 雨(ウエット) | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | フェラーリ | ||
タイム | 2:42:6 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー | スターリング・モス | マセラティ | |
タイム | 2:45.5 | ||
決勝順位 | |||
優勝 | マセラティ | ||
2位 | フェラーリ | ||
3位 | コンノート-アルタ |
当レースには「ヨーロッパグランプリ」の冠がかけられた[1]。
レース概要
編集最終戦の当レースを迎えた時点で、チャンピオン争いはフェラーリのファン・マヌエル・ファンジオ(30点)とピーター・コリンズ(22点)の2人に絞られた。コリンズがチャンピオンになるには優勝してかつファンジオが無得点の場合のみで、ファンジオが圧倒的に有利であった。なお、コリンズと同じ22点のジャン・ベーラ(マセラティ)は有効ポイント制(1956年はベスト5戦)によりチャンピオンの可能性はない[2]。
前年に引き続きロードコースとオーバルコースの複合コースで行われ、荒れた路面がシャシーやタイヤに大きな負担をかけることになった[3]。
予選はファンジオ、エウジェニオ・カステロッティ、ルイジ・ムッソのフェラーリ3台がフロントローを独占した[4]。
決勝はカステロッティとムッソが好スタートを切ったが、10周もしないうちにムッソはタイヤがボロボロになってしまいピットインを強いられ後退、カステロッティはタイヤがバーストしてしまい、オーバルの出口で派手なスピンを喫してリタイアとなった。その後はスターリング・モス、ファンジオ、ハリー・シェル、コリンズが順位を入れ替えながらトップ争いを繰り広げるが、ファンジオがステアリングの故障でピットインを強いられ脱落し、シェルもマシントラブルでリタイアとなった。モスはコリンズを引き離して独走態勢となる。ムッソがタイヤ交換と給油のため2度目のピットインを行う際にチームはファンジオとの交代を促すが、ムッソはこれを拒否してコースへ復帰した。その後コリンズもピットインするが、ピット内でうなだれているファンジオの姿を発見するとマシンを降りてファンジオに交代を申し出た。コリンズは逆転でチャンピオンを獲得するチャンスを捨ててエースを立てた。ファンジオは笑顔に戻り3位でコースへ復帰した。
トップを独走していたモスは45周目にガス欠に陥りスローダウンしてしまうが、後方から同じマセラティに乗るルイジ・ピオッティ(プライベート参戦)の機転によりマシンを押してもらい、ピットまで戻ることができた。モスの給油が終わるとムッソが首位に躍り出るが、残り3周でステアリングが壊れてコントロールを失い、スピンオフを喫してリタイアしてしまい、母国レースでの優勝の夢は潰えた。これでモスが再び首位に浮上してそのままチェッカーフラッグを受けた。コリンズからマシンを譲られたファンジオが5.7秒差の2位でフィニッシュし、3年連続4回目のチャンピオンが決定した。コリンズはなぜ自らチャンピオン獲得の可能性を捨てたのかと問われると、「僕はまだ(24歳と)若いし、これからもまだまだチャンスがある。ファンジオこそが今年の王者を奪うにふさわしい」と素直にファンジオのチャンピオン獲得を讃えた[5]。コンノートのロン・フロックハートが3位に入賞し、ドライバー及びチームにとって初の表彰台を獲得した。
エントリーリスト
編集- 追記
結果
編集予選
編集順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 |
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1 | 22 | ファン・マヌエル・ファンジオ | フェラーリ | 2:42.6 | — |
2 | 24 | エウジェニオ・カステロッティ | フェラーリ | 2:43.4 | + 0.8 |
3 | 28 | ルイジ・ムッソ | フェラーリ | 2:43.7 | + 1.1 |
4 | 16 | ピエロ・タルッフィ | ヴァンウォール | 2:45.4 | + 2.8 |
5 | 32 | ジャン・ベーラ | マセラティ | 2:45.6 | + 3.0 |
6 | 36 | スターリング・モス | マセラティ | 2:45.9 | + 3.3 |
7 | 26 | ピーター・コリンズ | フェラーリ | 2:46.0 | + 3.4 |
8 | 34 | ルイジ・ヴィッロレージ | マセラティ | 2:47.7 | + 5.1 |
9 | 30 | アルフォンソ・デ・ポルターゴ | フェラーリ | 2:47.8 | + 5.2 |
10 | 18 | ハリー・シェル | ヴァンウォール | 2:50.1 | + 7.5 |
11 | 20 | モーリス・トランティニアン | ヴァンウォール | 2:51.6 | + 9.0 |
12 | 46 | ウンベルト・マグリオーリ | マセラティ | 2:52.7 | + 10.1 |
13 | 44 | ロイ・サルヴァドーリ | マセラティ | 2:54.6 | + 12.0 |
14 | 40 | ルイジ・ピオッティ | マセラティ | 2:58.4 | + 15.8 |
15 | 6 | ジャック・フェアーマン | コンノート-アルタ | 2:59.2 | + 16.6 |
16 | 42 | ジェリーノ・ジェリーニ | マセラティ | 3:02.6 | + 20.0 |
17 | 38 | パコ・ゴディア | マセラティ | 3:02.9 | + 20.3 |
18 | 14 | エマヌエル・ド・グラッフェンリード | マセラティ | 3:03.3 | + 20.7 |
19 | 2 | レス・レストン | コンノート-アルタ | 3:04.3 | + 21.7 |
20 | 8 | ヘルナンド・ダ・シルバ・ラモス | ゴルディーニ | 3:04.8 | + 22.2 |
21 | 48 | ブルース・ハルフォード | マセラティ | 3:05.0 | + 22.4 |
22 | 10 | ロベール・マンヅォン | ゴルディーニ | 3:06.6 | + 24.0 |
23 | 4 | ロン・フロックハート | コンノート-アルタ | 3:08.1 | + 25.5 |
24 | 12 | アンドレ・シモン | ゴルディーニ | 3:13.3 | + 30.7 |
25 | 50 | ヴォルフガング・フォン・トリップス | フェラーリ | No Time | |
ソース:[9] |
決勝
編集順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | グリッド | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 36 | スターリング・モス | マセラティ | 50 | 2:23:41.3 | 6 | 9 1 |
2 | 26 | ピーター・コリンズ ファン・マヌエル・ファンジオ |
フェラーリ | 50 | +5.7 | 7 | 3 3 |
3 | 4 | ロン・フロックハート | コンノート-アルタ | 49 | +1 Lap | 23 | 4 |
4 | 38 | パコ・ゴディア | マセラティ | 49 | +1 Lap | 17 | 3 |
5 | 6 | ジャック・フェアーマン | コンノート-アルタ | 47 | +3 Laps | 15 | 2 |
6 | 40 | ルイジ・ピオッティ | マセラティ | 47 | +3 Laps | 14 | |
7 | 14 | エマヌエル・ド・グラッフェンリード | マセラティ | 46 | +4 Laps | 18 | |
8 | 22 | ファン・マヌエル・ファンジオ エウジェニオ・カステロッティ |
フェラーリ | 46 | +4 Laps | 1 | |
9 | 12 | アンドレ・シモン | ゴルディーニ | 45 | +5 Laps | 24 | |
10 | 42 | ジェリーノ・ジェリーニ | マセラティ | 42 | +8 Laps | 16 | |
11 | 44 | ロイ・サルヴァドーリ | マセラティ | 41 | +9 Laps | 13 | |
Ret | 28 | ルイジ・ムッソ | フェラーリ | 47 | ステアリング | 3 | |
Ret | 46 | ウンベルト・マグリオーリ ジャン・ベーラ |
マセラティ | 42 | ステアリング | 12 | |
Ret | 18 | ハリー・シェル | ヴァンウォール | 32 | トランスミッション | 10 | |
Ret | 32 | ジャン・ベーラ | マセラティ | 23 | マグネット | 5 | |
Ret | 48 | ブルース・ハルフォード | マセラティ | 16 | エンジン | 21 | |
Ret | 20 | モーリス・トランティニアン | ヴァンウォール | 13 | トランスミッション | 11 | |
Ret | 16 | ピエロ・タルッフィ | ヴァンウォール | 12 | オイル漏れ | 4 | |
Ret | 24 | エウジェニオ・カステロッティ | フェラーリ | 9 | タイヤ | 2 | |
Ret | 34 | ルイジ・ヴィッロレージ ヨアキム・ボニエ |
マセラティ | 7 | エンジン | 8 | |
Ret | 10 | ロベール・マンヅォン | ゴルディーニ | 7 | シャシー | 22 | |
Ret | 30 | アルフォンソ・デ・ポルターゴ | フェラーリ | 6 | タイヤ | 9 | |
Ret | 2 | レス・レストン | コンノート-アルタ | 6 | サスペンション | 19 | |
Ret | 8 | ヘルナンド・ダ・シルバ・ラモス | ゴルディーニ | 3 | エンジン | 20 | |
DNS | 50 | ヴォルフガング・フォン・トリップス | フェラーリ | 予選でアクシデント | |||
ソース:[10]
|
- 追記
注記
編集- 車両共有:
- 26号車: ピーター・コリンズ(35周)、ファン・マヌエル・ファンジオ(15周)。2位に入賞したため、2人に3点が与えられた。
- 22号車: ファン・マヌエル・ファンジオ(30周)、エウジェニオ・カステロッティ(16周)
- 46号車: ウンベルト・マグリオーリ(31周)、ジャン・ベーラ(11周)
- 34号車: ルイジ・ヴィッロレージ(4周)、ヨアキム・ボニエ(3周)
- F1デビュー戦: ヨアキム・ボニエ、レス・レストン、ヴォルフガング・フォン・トリップス(フォン・トリップスは予選のみ)
- F1最終出走:
- ドライバー: ヘルナンド・ダ・シルバ・ラモス、エマヌエル・ド・グラッフェンリード、ロベール・マンヅォン、ピエロ・タルッフィ、ルイジ・ヴィッロレージ
- コンストラクター: ゴルディーニ
- F1キャリア初:
- ロン・フロックハート - 初入賞及び初表彰台(3位)。コンノートはF1で唯一の表彰台を記録した。
- ルイジ・ムッソ - 初ラップリーダー
ランキング
編集- ドライバーズ・チャンピオンシップ
順位 | ドライバー | ポイント | |
---|---|---|---|
1 | ファン・マヌエル・ファンジオ | 30 (33) | |
2 | 2 | スターリング・モス | 27 (28) |
1 | 3 | ピーター・コリンズ | 25 |
1 | 4 | ジャン・ベーラ | 22 |
5 | パット・フラハーティ | 8 |
- 注: トップ5のみ表示。ベスト5戦のみがカウントされる。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
脚注
編集- ^ 当時は毎年各国の持ち回りにより、その年の最も権威のあるレースに対して「ヨーロッパGP」の冠がかけられていた。
- ^ 当レースを迎えた時点で2位1回、3位4回であり、優勝しても3位の1回分(4点)が切り捨てられるため
- ^ (林信次 1999, p. 15)
- ^ 当レースは1列3台ずつのグリッド
- ^ (林信次 1999, p. 15-16,18,20-21)
- ^ (林信次 1999, p. 23)
- ^ “Italy 1956 - Race entrants”. statsf1.com. 2018年1月14日閲覧。
- ^ “Italy 1956 - Result”. statsf1.com. 2018年1月14日閲覧。
- ^ “Italy 1956 - Qualifications”. statsf1.com. 2018年1月14日閲覧。
- ^ “1956 Italian Grand Prix”. formula1.com. 3 January 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。9 August 2015閲覧。
参照文献
編集- 林信次『F1全史 1956-1960』ニューズ出版、1999年。ISBN 4-938495-27-9。
外部リンク
編集前戦 1956年ドイツグランプリ |
FIA F1世界選手権 1956年シーズン |
|
前回開催 1955年イタリアグランプリ |
イタリアグランプリ | 次回開催 1957年イタリアグランプリ |