1962年の南海ホークスでは、1962年の南海ホークスの動向をまとめる。

1962年の南海ホークス
成績
パシフィック・リーグ2位
73勝57敗3分 勝率.562[1]
本拠地
都市 大阪府大阪市
球場 大阪球場
球団組織
経営母体 南海電気鉄道
監督 鶴岡一人
蔭山和夫(5月26日 - 8月7日。代行)
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この年の南海ホークスは、鶴岡一人監督の17年目のシーズンである。

概要 編集

1961年の日本シリーズ巨人にリベンジを許したものの、前年パ・リーグ制覇のチームはこの年も開幕前から優勝候補にあげられた。しかし、前年までと違って開幕ダッシュに失敗。5月中旬まで最下位だったことから、「今年の南海はもう死んだ」の声が世間やマスコミから出始めた。悪いことは重なるもので、5月24日の阪急戦で足立光宏に17奪三振を喫し、チームもいいところなく敗戦。その試合を最後に鶴岡監督は休養に入り、蔭山和夫ヘッドコーチが監督代行に就任。蔭山監督代行のもと、チームは6月からようやく反撃を開始。大型連敗を繰り返した前半とは打って変わり大型連勝が続き、蔭山に代わって鶴岡が復帰した8月以降は東映とのゲーム差を大幅に詰めあわや大逆転優勝かと思われたが最後は力尽き、貯金も前年の36から16へと半減したが何とか2位を確保した。投手陣は杉浦忠ジョー・スタンカ皆川睦雄の先発3本柱に加えて、三浦清弘森中千香良が先発入りしチーム73勝のうち5人で69勝を稼いだが、スタンカがわずか8勝に終わったのが誤算だった。一方の打撃陣はリーグ1位の119本塁打に加え、盗塁数も東映の149個に次ぐ137個を記録した。

チーム成績 編集

レギュラーシーズン 編集

開幕オーダー
1 木村保
2 井上登
3 広瀬叔功
4 野村克也
5 ピート
6 穴吹義雄
7 福田昌久
8 小池兼司
9 スタンカ
1962年パシフィック・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 東映 -- 東映 -- 東映 -- 東映 -- 東映 -- 東映 --
2位 西鉄 4.5 大毎 6.0 大毎 9.5 阪急 15.0 南海 10.5 南海 5.0
3位 阪急 6.5 阪急 6.0 阪急 12.5 大毎 16.0 阪急 13.0 西鉄 16.0
4位 大毎 6.5 西鉄 9.0 近鉄 14.0 南海 17.0 西鉄 14.0 阪急 18.0
5位 近鉄 8.5 近鉄 11.5 西鉄 14.5 近鉄 19.5 大毎 17.5 大毎
6位 南海 10.0 南海 15.5 南海 18.5 西鉄 19.5 近鉄 20.0 近鉄 21.0


1962年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 東映フライヤーズ 78 52 3 .600 優勝
2位 南海ホークス 73 57 3 .562 5.0
3位 西鉄ライオンズ 62 68 6 .477 16.0
4位 毎日大映オリオンズ 60 70 2 .462 18.0
4位 阪急ブレーブス 60 70 1 .462 18.0
6位 近鉄バファローズ 57 73 1 .438 21.0

オールスターゲーム1962 編集

ファン投票 野村克也
監督推薦 皆川睦男 広瀬叔功 ピート

できごと 編集

選手・スタッフ 編集

[2]

表彰選手 編集

リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
野村克也 本塁打王 44本 2年連続3度目
打点王 104打点 初受賞
広瀬叔功 盗塁王 50個 2年連続2度目
皆川睦雄 最高勝率 .826 初受賞
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
野村克也 捕手 7年連続7度目

脚注 編集

注釈 編集

出典 編集

  1. ^ 年度別成績 1962年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年5月22日閲覧。
  2. ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7