1963年の近鉄バファローズ

1963年の近鉄バファローズでは、1963年の近鉄バファローズの動向をまとめる。

1963年の近鉄バファローズ
成績
パシフィック・リーグ4位
74勝73敗3分 勝率.503[1]
本拠地
都市 大阪府大阪市
球場 日本生命球場
球団組織
オーナー 佐伯勇
経営母体 近畿日本鉄道
監督 別当薫
« 1962
1964 »

テンプレートを表示

この年の近鉄バファローズは、別当薫監督の2年目のシーズンである。

概要 編集

別当監督2年目のチームは最下位脱出が期待されたが、4月は開幕ダッシュに失敗して首位の南海と7ゲーム差の最下位で終了。5月以降はジャック・ブルームフィールド(ブルーム)や関根潤三小玉明利土井正博など打線の活躍で3位に浮上すると、前年優勝だが不調に陥っていた東映とのAクラス争いが終盤まで続いた。チームは9年ぶりのAクラス復帰を狙ったが、残り5試合を優勝を争う南海西鉄相手に全敗し4位に転落、力及ばず。東映とのAクラス争いには負けたものの貯金1でシーズンを終え、来年に期待を持たせる結果となった。

投手陣は前年最多勝の久保征弘が20勝こそ逃したものの19勝と2.36で防御率1位、徳久利明がチームトップの20勝、2年目の山本重政が9勝17敗と負け越しながらもチームトップの168奪三振を記録するなど好調で、この3人がチーム勝ち星の4割を稼いだが、救援陣の不調もありチーム防御率はリーグ5位。

打撃陣は前述のブルームが首位打者、シーズン途中から4番にも座った土井がリーグ最多二塁打、5番の山本八郎が自己最多の22本塁打を記録するなど、シーズン通して打線は好調だった。そのため、本塁打は98本のリーグ5位ながらも、チーム打率と二塁打がリーグ1位を記録。土井、ブルーム、小玉の3人が30二塁打以上、山本、関根、矢ノ浦も20二塁打以上を記録した中距離打線は「ピストル打線」の愛称で呼ばれるようになった。

チーム成績 編集

レギュラーシーズン 編集

開幕オーダー
1 矢ノ浦国満
2 関根潤三
3 小玉明利
4 ブルーム
5 山本八郎
6 島田光二
7 土井正博
8 吉沢岳男
9 徳久利明
1963年パシフィック・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 南海 -- 南海 -- 南海 -- 南海 -- 南海 -- 南海 -- 西鉄 --
2位 東映 2.0 東映 4.5 東映 8.0 東映 7.5 西鉄 7.5 西鉄 3.5 南海 1.0
3位 阪急 4.5 近鉄 8.5 近鉄 11.5 近鉄 11.0 近鉄 9.0 東映 11.0 東映 10.5
4位 西鉄 5.0 大毎 9.0 西鉄 13.5 西鉄 13.0 東映 10.0 近鉄 12.0 近鉄 12.5
5位 大毎 5.5 西鉄 10.0 大毎 19.5 大毎 16.5 大毎 16.5 大毎 17.5 大毎 23.5
6位 近鉄 7.0 阪急 13.0 阪急 19.5 阪急 21.0 阪急 23.0 阪急 25.0 阪急 30.5


1963年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 西鉄ライオンズ 86 60 4 .589 優勝
2位 南海ホークス 85 61 4 .582 1.0
3位 東映フライヤーズ 76 71 3 .517 10.5
4位 近鉄バファローズ 74 73 3 .503 12.5
5位 毎日大映オリオンズ 64 85 1 .430 23.5
6位 阪急ブレーブス 57 92 1 .383 30.5

[1]

オールスターゲーム1963 編集

コーチ 別当薫
ファン投票 久保征弘 小玉明利 矢ノ浦国満 山本八郎 関根潤三 土井正博
監督推薦 ブルーム


できごと 編集

選手・スタッフ 編集

[2][3]

表彰選手 編集

リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
ブルーム 首位打者 .335 2年連続2度目
久保征弘 最優秀防御率 2.36 初受賞
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
ブルーム 二塁手 2年連続2度目
小玉明利 三塁手 2年連続3度目

脚注 編集

注釈 編集

出典 編集

  1. ^ a b 年度別成績 1963年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年7月30日閲覧。
  2. ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 138 
  3. ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7