1970年の中日ドラゴンズでは、1970年の中日ドラゴンズの動向をまとめる。

1970年の中日ドラゴンズ
成績
セントラル・リーグ5位
55勝70敗5分 勝率.440[1]
本拠地
都市 愛知県名古屋市
球場 中日スタヂアム
球団組織
オーナー 小山武夫
経営母体 中日新聞社
監督 水原茂
« 1969
1971 »

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この年の中日ドラゴンズは、水原茂監督の2年目のシーズンである。

概要 編集

前年限りで板東英二田中勉権藤博が現役引退、そして江藤慎一がトレードを拒否して引退するなど、多数の選手が引退した中日は、新たに谷沢健一が入団、そしてジム・バビエリ(バビー)とジョン・ミラーの2外国人を獲得した。だが、この時期球界や世間を騒がせた「黒い霧事件」は中日とて例外ではなかった。4月には前年引退の田中が逮捕され、5月には小川健太郎八百長オートで逮捕、6月に永久追放処分に課せられた。チームは黒い霧事件の影響をモロに受けた5月以降は2度と浮上せず、最終的にこの年の夏場に18連敗して貧打にあえいだヤクルトに22ゲームも離したが、終わってみれば借金は2ケタで前年より1位下がった5位、挙げ句の果てに10月22日には、巨人の6連覇を本拠地・中日スタヂアムで見せられるという屈辱を味わった。投手陣は田中の引退、小川の逮捕もあり頼れる投手が2年目の星野仙一、ルーキーの渋谷幸春近鉄から移籍の田辺修だけで、チーム防御率3.21は5位。打撃陣もロッテに移籍した江藤の穴を木俣達彦やミラーがカバーしてチーム本塁打はリーグ2位を記録するも、前年から20本以上も低下した。5位転落の一方で谷沢が低打率ながらもまずまずの成績で新人王を獲得するなど、明るい話題もあった。マッチレースの巨人や阪神には8勝17敗1分、9勝16敗1分で大きく負け越し両球団のアシスト役となったが、4位の広島に13勝12敗1分と勝ち越した。

チーム成績 編集

レギュラーシーズン 編集

開幕オーダー
1 バビー
2 中利夫
3 高木守道
4 ミラー
5 木俣達彦
6 一枝修平
7 谷沢健一
8 島谷金二
9 小川健太郎
1970年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 --
2位 広島 0.5 阪神 0.5 広島 5.5 大洋 5.5 阪神 3.5 阪神 3.0 阪神 2.0
3位 阪神 2.0 広島 2.0 大洋 6.0 阪神 6.0 大洋 6.0 大洋 4.5 大洋 10.0
4位 ヤクルト 3.0 大洋 5.5 阪神 7.0 広島 8.0 広島 10.0 広島 10.5 広島 15.0
5位 中日 3.0 中日 6.5 中日 11.5 中日 16.5 中日 14.5 中日 19.0 中日 23.5
6位 大洋 3.5 ヤクルト 9.5 ヤクルト 15.0 ヤクルト 21.0 ヤクルト 29.0 ヤクルト 35.0 ヤクルト 45.5


1970年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 読売ジャイアンツ 79 47 4 .627 優勝
2位 阪神タイガース 77 49 4 .611 2.0
3位 大洋ホエールズ 69 57 4 .548 10.0
4位 広島東洋カープ 62 60 8 .508 15.0
5位 中日ドラゴンズ 55 70 5 .440 23.5
6位 ヤクルトアトムズ 33 92 5 .264 45.5

オールスターゲーム1970 編集

ファン投票 谷沢健一
監督推薦 小野正一 木俣達彦 中暁生

できごと 編集

選手・スタッフ 編集

[2]

表彰選手 編集

リーグ・リーダー
選手名 タイトル
谷沢健一 新人王
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
木俣達彦 捕手 2年連続2度目
中暁生 外野手 3年ぶり5度目

ドラフト 編集

順位 選手名 ポジション 所属 結果
1位 氏家雅行 投手 大府高 入団
2位 稲葉光雄 投手 日本軽金属 入団
3位 三沢淳 投手 江津工業高 新日本製鐵広畑入社・翌年シーズン後に入団
4位 村上義則 投手 大倉工業 入団
5位 伊藤泰憲 外野手 三重高 入団
6位 堂上照 投手 電電北陸 入団
7位 盛田嘉哉 外野手 名城大学 入団

出典 編集

  1. ^ 年度別成績 1970年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年7月12日閲覧。
  2. ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7