1974年のオールスターゲーム (日本プロ野球)
PJ:BASE#NPBポストシーズンに準じた対応をとるべき記事であるため、ランニングスコアの記載等ご遠慮ください。(2022年5月) |
1974年のオールスターゲームは、1974年7月に行われた日本プロ野球のオールスターゲーム。
1974年のNPBオールスターゲーム | |||
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ゲームデータ | |||
セ監督 | 川上哲治 | ||
パ監督 | 野村克也 | ||
セ投票最多 | 長嶋茂雄 | ||
パ投票最多 | 太田幸司 | ||
第1戦 | |||
日程 | 7月21日 | ||
開催地 | 後楽園球場 | ||
スコア | セリーグ | 2-3 | パリーグ |
MVP | 高井保弘 | ||
第2戦 | |||
日程 | 7月22日 | ||
開催地 | 阪急西宮球場 | ||
スコア | セリーグ | 3-6 | パリーグ |
MVP | 福本豊 | ||
第3戦 | |||
日程 | 7月23日 | ||
開催地 | 広島市民球場 | ||
スコア | パリーグ | 1-0 | セリーグ |
MVP | 張本勲 | ||
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概要
編集前年、貫禄の日本シリーズ9連覇を達成した読売ジャイアンツの川上哲治監督が全セ(オールセントラル・リーグ)を率い、選手兼任監督としてパ・リーグを制覇した南海ホークスの野村克也監督が全パ(オールパシフィック・リーグ)を率いた。
前年秋の第4次中東戦争以降、原油価格の高騰により全世界に巻き起こったオイルショックの影響はプロ野球界も及んだ。そのひとつが電力使用制限で延長短縮などの措置に加え、19:00だったナイトゲーム試合開始時刻がこの年から18:00/18:30に早められた。オールスターも例外ではなく、18:30(場合によっては18:00)試合開始に改められた。
全セ監督・川上にとっては現役・監督として最後のオールスターゲームになった。対する全パ監督の野村は、選手兼任監督の球宴出場で20年ぶり2人目の快挙であった[注 1]。また、全パのコーチはロッテオリオンズからも選ばれてはいたが、同球団監督の金田正一ではなく同球団コーチの土屋弘光が出場した。
本シリーズは第1戦が7月20日、第2戦が7月21日の予定だったが、第1戦は雨天中止になり、2戦とも1日ずれての試合になった。
選出選手
編集セントラル・リーグ[1] | パシフィック・リーグ[1] | ||||||
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監督 | 川上哲治 | 巨人 | 監督 | 野村克也 | 南海 | ||
コーチ | 金田正泰 | 阪神 | コーチ | 上田利治 | 阪急 | ||
与那嶺要 | 中日 | 土屋弘光 | ロッテ | ||||
投手 | 堀内恒夫 | 巨人 | 8 | 投手 | 太田幸司 | 近鉄 | 5 |
関本四十四 | 巨人 | 初 | 江本孟紀 | 南海 | 2 | ||
江夏豊 | 阪神 | 8 | 山内新一 | 南海 | 2 | ||
古沢憲司 | 阪神 | 初 | 山田久志 | 阪急 | 3 | ||
星野仙一 | 中日 | 2 | 木樽正明 | ロッテ | 5 | ||
松本幸行 | 中日 | 2 | 村田兆治 | ロッテ | 2 | ||
松岡弘 | ヤクルト | 4 | 加藤初 | 太平洋 | 3 | ||
浅野啓司 | ヤクルト | 2 | 新美敏 | 日本ハム | 初 | ||
平松政次 | 大洋 | 6 | 神部年男 | 近鉄 | 2 | ||
外木場義郎 | 広島 | 5 | |||||
金城基泰 | 広島 | 初 | |||||
捕手 | 田淵幸一 | 阪神 | 6 | 捕手 | 野村克也 | 南海 | 18 |
木俣達彦 | 中日 | 4 | 中沢伸二 | 阪急 | 初 | ||
大矢明彦 | ヤクルト | 3 | 村上公康 | ロッテ | 2 | ||
一塁手 | 王貞治 | 巨人 | 15 | 一塁手 | 加藤秀司 | 阪急 | 3 |
二塁手 | 三村敏之 | 広島 | 3 | 二塁手 | 山崎裕之 | ロッテ | 5 |
三塁手 | 長嶋茂雄 | 巨人 | 17 | 三塁手 | 有藤通世 | ロッテ | 5 |
遊撃手 | 山下大輔 | 大洋 | 初 | 遊撃手 | 千田啓介 | ロッテ | 2 |
内野手 | 藤田平 | 阪神 | 6 | 内野手 | 大杉勝男 | 日本ハム | 6 |
シピン | 大洋 | 3 | 桜井輝秀 | 南海 | 2 | ||
松原誠 | 大洋 | 8 | 羽田耕一 | 近鉄 | 初 | ||
衣笠祥雄 | 広島 | 2 | 高井保弘 | 阪急 | 初 | ||
外野手 | 山本浩司 | 広島 | 2 | 外野手 | 福本豊 | 阪急 | 4 |
柴田勲 | 巨人 | 10 | 長池徳二 | 阪急 | 8 | ||
末次利光 | 巨人 | 3 | アルトマン | ロッテ | 5 | ||
テーラー | 阪神 | 初 | 弘田澄男 | ロッテ | 初 | ||
若松勉 | ヤクルト | 3 | ビュフォード | 太平洋 | 2 | ||
中塚政幸 | 大洋 | 2 | 張本勲 | 日本ハム | 15 | ||
土井正博 | 近鉄 | 11 | |||||
小川亨 | 近鉄 | 初 |
- 太字はファン投票で選ばれた選手。
試合結果
編集第1戦
編集オーダー
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セが王貞治が挙げた2点でリードし、1点差で迎えた9回裏、パは土井正博(近鉄)が途中からサードを守っていたルーキーの山下大輔(大洋)を強襲する安打で出塁し、パの監督を務めた野村克也は代打にこの年6月28日に代打の日本新記録を更新した高井保弘(阪急)を送った。高井は、セの投手の松岡弘(ヤクルト)の2球目を左中間スタンドにオールスターゲーム史上初の代打逆転サヨナラホームランを放ち、パが勝利し高井がMVPに選ばれている[2]。
第2戦
編集オーダー
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第3戦
編集オーダー
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テレビ・ラジオ中継
編集テレビ中継
編集- 日本ハム主管ながら、NETテレビでなく日本テレビでの放送となったのは、この当時、NETが日本ハム主催ゲームの放映権をほとんど行使せず、日本テレビ・フジテレビ・東京12チャンネルに譲渡していたため。また当初予定されていた土曜日には、19:30に人気特撮番組『昭和仮面ライダーシリーズ』(毎日放送制作。当時は『仮面ライダーX』)が編成されていたため。
- 放送枠は7月20日の予定では19:00 - 20:55だったが、雨天中止により1日ずれ、更に日曜ニュース枠が18:00開始の『NNN日曜夕刊』になっているために、18:30 - 20:55に拡大、これにより、18:30の『NOWヒットパレード』、19:00の『全日本歌謡選手権』(よみうりテレビ制作)、19:30の『侍ジャイアンツ』(よみうりテレビ制作)、20:00の『われら青春!』の4本が休止になった。なお日曜18:30枠番組は、1972年まで『光子の窓』や『シャボン玉ホリデー』(因みに1973年はドキュメンタリー『ナブ号の世界動物探検』)といった人気番組が編成されており、開始時刻が早まったとはいえ、日曜18:30枠番組が休止になったのは初である。
- 通常、西宮球場からの中継は主管球団の阪急本体の資本が入った関西テレビ≪フジ系列≫に放映権が与えられるが、この試合に関しては当時TBS系列の朝日放送(と結果的に返上となったが日本テレビ系列のよみうりテレビも)が放映権を獲得した。これは、当初予定されていた前日である関西テレビの日曜には、19:00に『マジンガーZ』、19:30に『カルピスまんが劇場・アルプスの少女ハイジ』、20:00に『オールスター家族対抗歌合戦』といった、フジテレビ制作の人気番組がネットされていたため[注 2]。
- 朝日放送は、翌1975年3月31日付けでNETテレビ系列へネットチェンジしたため、TBS系列として最後のオールスター戦中継となった。
- 放送枠は19:00 - 20:55で、19:00の『YKKアワー キックボクシング中継』、19:30の『ブラザー劇場・若い!先生』、20:00の『ナショナル劇場・水戸黄門・第5部』の3本が休止。移動日である月曜放送の『キックボクシング中継』・『ブラザー劇場』・『ナショナル劇場』の休止は非常に珍しく、『水戸黄門』に至っては、1969年8月の開始以来5年目にして初の休止となった。
- 当初予定されていた21日には、TBS系列とよみうりテレビ(日本テレビ系列)の並列が予定されていた(実況:佐藤忠功 解説:村山実 ゲスト解説:谷沢健一(中日)、足立光宏(阪急))。こちらはTBS系列と異なり、雨天中止時の順延をせず放送権を返上し、『ほんものは誰だ!』『紅白歌のベストテン』など通常番組を優先した(出典:産経新聞・毎日新聞各岡山版、1974年7月21日、テレビ欄より。岡山版では同日の番組表で雨天順延が反映されていなかった)。
- 第3戦:7月23日(火曜日)
ラジオ中継
編集- 第1戦:7月21日
- 第2戦:7月22日
- 第3戦:7月23日
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b 『オールスターゲームの軌跡 DREAM GAMES HISTORY since 1951』(2001年、ベースボール・マガジン社)、P.139
- ^ 【7月21日】1974年(昭49) ブーちゃんひと振りでMVP ヒマがもたらした“世界記録” スポーツニッポン2008年7月18日