1987年広島市長公用車への暴力団車両衝突事件

1987年広島市長公用車への暴力団車両衝突事件(1987ねんひろしましちょうこうようしゃへのぼうりょくだんしゃりょうしょうとつじけん)とは、広島県広島市西区正田守(元・正田病院長、元・広島県議会議員)が1987年2月に立候補した広島市長選で、対立候補(1987年当時現職の荒木武元・広島市長)に危害を加えよう[1]としたり、選挙運動員に現金を渡して票の取りまとめを依頼したりして公職選挙法違反で実刑判決を受けた[2][3]

事件後の動向 編集

犯罪や不正行為をした医師らの行政処分を決める厚生省医道審議会(井形昭弘会長)は、32人の医師・歯科医師に対する免許取り消しや業務停止処分を決め、津島雄二厚相に答申した。

この際に、医師に対する免許取り消し処分になった4人の1人となった[4]

関連項目 編集

参考文献 編集

  • 『ヒロシマを世界へ』(ぎょうせい、1986年10月1日)ISBN 4-324-00588-5

脚注 編集

  1. ^ 広島市長公用車追突 広島地方裁判所※(暴力団に大金が渡され)同一の土建系暴力団員による小型ダンプカーにより2度衝突された。
  2. ^ “中國新聞”. (1987年11月) 
  3. ^ “中國新聞”. (1987年12月25日) 
  4. ^ “不正行為などで32人の医師を処分 厚生省(asahi.com)”. (2000.11.15(19:29))