1996年の日本シリーズ
1996年の日本シリーズ(1996ねんのにっぽんシリーズ、1996ねんのにほんシリーズ)は、1996年10月19日から10月24日まで行われたセ・リーグ優勝チームの読売ジャイアンツとパ・リーグ優勝チームのオリックス・ブルーウェーブによる第47回プロ野球日本選手権シリーズである。
1996年の日本シリーズ | |
---|---|
ゲームデータ | |
日本一 オリックス・ブルーウェーブ 19年ぶり4回目 4勝1敗 | |
試合日程 | 1996年10月19日-10月24日 |
最高殊勲選手 | トロイ・ニール |
敢闘賞選手 | 仁志敏久 |
チームデータ | |
オリックス・ブルーウェーブ(パ) | |
監督 | 仰木彬 |
シーズン成績 | 74勝50敗6分(シーズン1位) |
読売ジャイアンツ(セ) | |
監督 | 長嶋茂雄 |
シーズン成績 | 77勝53敗(シーズン1位) |
« 1995 1997 » |
概要
編集仰木彬監督が率いるオリックスと、長嶋茂雄監督率いる巨人の対決となった本シリーズはオリックスが4勝1敗で勝利し、球団としては初、前身の阪急ブレーブスからは19年ぶり4度目となる日本一を達成した。
「阪急 - 巨人」は1970年代に何度か対戦したが、こういった「因縁ムード」は特に見られなかった。事前の予想はほぼ五分五分だった[1]。
仰木は、監督としての日本シリーズでは1989年に近鉄で巨人に、1995年にヤクルトスワローズにいずれも敗れており、監督として「三度目の正直」で日本一となった[2][3]。
一方の巨人は、監督の長嶋の他、堀内恒夫も投手コーチの立場でこのシリーズのベンチ入りを果たしている。
近畿地方のパ球団が、巨人との日本シリーズを本拠地で制するのは今回が初めてであった。チーム打率はオリックスが.221、対する巨人は.201と低調な中で、オリックスのリリーフ陣の万全の継投、トロイ・ニールの走者を還すことに徹した打撃などが結果を分けた[1]。
一方敗れた巨人は、長嶋茂雄のもとセリーグのメークドラマを演じ勢いに乗るかと思われたが、2年ぶりの日本一には届かなかった。また長嶋にとって、第一次政権も含め5度の日本シリーズ出場を果たしているが、そのうち3度のシリーズ敗退を経験しており、その相手は全てオリックス(阪急)であった。しかしながら、守備に関しては5試合を通じて失策が無く、これは日本シリーズ史上唯一の記録である。
試合結果
編集日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
---|---|---|---|---|---|
10月19日(土) | 第1戦 | オリックス・ブルーウェーブ | 4 - 3 | 読売ジャイアンツ | 東京ドーム |
10月20日(日) | 第2戦 | オリックス・ブルーウェーブ | 2 - 0 | 読売ジャイアンツ | |
10月21日(月) | 移動日 | ||||
10月22日(火) | 第3戦 | 読売ジャイアンツ | 2 - 5 | オリックス・ブルーウェーブ | グリーンスタジアム神戸 |
10月23日(水) | 第4戦 | 読売ジャイアンツ | 5 - 1 | オリックス・ブルーウェーブ | |
10月24日(木) | 第5戦 | 読売ジャイアンツ | 2 - 5 | オリックス・ブルーウェーブ | |
優勝:オリックス・ブルーウェーブ(19年ぶり4回目) |
第1戦
編集10月19日・東京ドーム(入場者数:45,121人) 始球式は女優の松たか子が務めた。
|
|
巨人が斎藤雅樹、オリックスが星野伸之の先発で開幕した。1回裏、巨人は落合博満の日本シリーズ初打点となるタイムリーヒットで先制する。オリックスも8回に大島公一のタイムリー安打で同点とし、斎藤に代わった川口和久からトロイ・ニールの2点適時安打で3-1と逆転に成功。巨人は9回裏、代打・大森剛がリリーフエース鈴木平から同点本塁打を放って同点。試合は延長戦に突入し、10回表にそれまで徹底マークされ4打席すべて内野ゴロに倒れていたイチローが河野博文からソロ本塁打を放った。10回裏、ダブルストッパーの一角平井正史が走者2人を出しながらも後続を断ち、オリックスが逃げ切った。巨人は、9回裏に河野に打順がまわったときにそのまま打席に送り、10回表も続投となったがそれが裏目に出てしまう形となった。
公式記録関係(日本野球機構ページ)
第2戦
編集10月20日・東京ドーム(入場者数:45,086人)
|
|
4回表、ニールの2点タイムリー安打でオリックスが先制した。守っては7回、無死二塁で打者落合という場面で小林宏がリリーフ、その小林が落合に四球を与え、巨人が先にシェーン・マックに代打・後藤孝志を送り、対するオリックスも野村貴仁を送った。結果、犠打を試みた後藤の打球が野村への小飛球となり二塁走者・松井は帰塁できず併殺、巨人は最大の得点チャンスを逸してしまった。9回裏、野村貴仁が松井を投直に打ち取り二死となったところで鈴木平が登板して、落合を内野ゴロに打ち取りゲームセット。第1戦同様に小刻みな継投が功を奏し、前年とは逆にオリックスが2連勝した。同時にオリックスにとって松井には野村貴仁、落合には鈴木平を当てる継投の方程式が確立した。 公式記録関係(日本野球機構ページ)
第3戦
編集10月22日・グリーンスタジアム神戸(入場者数:33,026人)
|
|
公式記録関係(日本野球機構ページ)
第4戦
編集10月23日・グリーンスタジアム神戸(入場者数:33,070人)
|
|
公式記録関係(日本野球機構ページ)
第5戦
編集10月24日・グリーンスタジアム神戸(入場者数:33,222人)
|
|
3回表、仁志のホームランで巨人が先制したがその裏オリックスがニールの2点タイムリーで逆転、さらに高橋智の押し出し四球、小川の2点タイムリー二塁打で一挙5点を奪った。
4回表、本西厚博が好捕した井上真二のライナーを安打と判定されたことに抗議した仰木監督が一時的に自軍ナインをベンチ裏に引き上げさせる場面もあった。このシーンは、仰木監督が近鉄監督時代の1989年に巨人相手に3連勝の後の4連敗で日本一を逃した時にあった「流れが変わってしまう恐ろしさ」と関連付けられる。再開後は伊藤、野村、鈴木の継投で巨人の反撃をシャットアウト[2]。最後の打者は敢闘賞を獲得した仁志で左フライだった。
表彰選手
編集テレビ・ラジオ中継
編集テレビ中継
編集- 第1戦:10月19日
- 第2戦:10月20日(※)
- 第3戦:10月22日
- 第4戦:10月23日
- 第5戦:10月24日
※第6・7戦は日本テレビで中継される予定だった。
※関東地区での視聴率は(ビデオリサーチ調べ)、第1戦(日本テレビ系)の第2部は43.1%。第2戦(日本テレビ系)の第2部&NNN総選挙スペシャルは43.3%。第3戦(フジテレビ系)は 29%。第4戦(フジテレビ系)は33.8%。第5戦(TBS系)は36.3%だった。
ラジオ中継
編集- 第1戦:10月19日
- 第2戦:10月20日(※)
- 第3戦:10月22日
- 第4戦:10月23日
- 第5戦:10月24日
脚注
編集参考文献
編集- ベースボール・マガジン社『プロ野球70年史』ベースボール・マガジン社、2004年。ISBN 978-4583038087。
外部リンク
編集- NPB公式記録 - NPB.jp 日本野球機構
- 毎日新聞「AUROS」関連記事