2011年フローレス駅踏切事故

2011年フローレス駅踏切事故は、2011年9月13日午前6時23分頃にアルゼンチンブエノスアイレス特別区のフローレス地区にあるフローレス駅で発生した踏切事故バス事故及び列車衝突事故)である。

2011年フローレス駅踏切事故
普段のフローレス駅
普段のフローレス駅
発生日 2011年9月13日
発生時刻 午前6時23分頃(ART、UTC-3)
アルゼンチンの旗 アルゼンチン
場所 ブエノスアイレス特別区、フローレス地区、フローレス駅
路線 サルミエント線
運行者 TBA(トレネス・デ・ブエノスアイレス)
事故種類 衝突
原因 路線バス(コレクティーボ)の踏切警告灯無視
統計
列車数 2(に加えバス1台)
死者 11人
負傷者 228人
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詳細編集

この事故は朝のラッシュアワーに発生した。サエンス・ペーニャ・バス交通が所有する92番系統のバスは、ブエノスアイレス都心のレティーロ駅に向かって走行中だった。バスの運転手は事故で死亡したが、ビデオ映像によれば踏切の警告灯を無視し、部分的に下がった遮断機を押して踏切内に侵入していた。また、衝突の瞬間が駅備え付けの監視カメラによって捉えてられていた。

TBA(トレネス・デ・ブエノスアイレス)が運営していたサルミエント線を走行中のブエノスアイレス州モレーノ行きの下り電車("PUMA V.2")が同駅横の踏切で踏切内に侵入していたバスと衝突した。衝突されたバスは駅構内に押し込まれてプラットホームに激突。下り電車の先頭車両は脱線し、反対側のプラットフォームに停車中のブエノスアイレス都心のオンセ駅行きの上り電車("Toshiba")に衝突した。

電車の運転士を救出するのに2時間がかかり、100台の救急車と10台の消防車が出動し、一部の負傷者はヘリコプターで病院に搬送された。バスの乗客11人が死亡、バスと電車の乗客あわせて228人が負傷し、同市内での列車・バス事故としては1962年のビジャ・ソルダーティ踏切事故以来最悪の死者数を記録した[1][2][3]。電車の乗客の中には眠っていたところ、突然の大きな衝撃により床に叩きつけられ、負傷した者も複数いたという[4]

関連項目編集

  • 2012年ブエノスアイレス鉄道惨事 - 2012年2月22日に同じくサルミエント線のオンセ駅で電車("Toshiba")が車止めに衝突する事故が起こった。この事故では51人が死亡して703人が負傷し、このフローレス駅での事故を上回る惨事となった。これによりTBAは運営権を失い、TBAが運営していた路線はすべてUGOMSと呼ばれる特別緊急運営組織による管理となった。
  • カステラール列車衝突事故 - 2013年6月23日に同じくサルミエント線のカステラール駅付近で発生した電車同士の追突事故。信号待ちで停車していた"Toshiba"電車に時速約60kmで2階建て車両を連結した"PUMA V.2"電車が追突し両車両とも大半が脱線、乗員と乗客合わせて3人が死亡し315人が負傷した。
  • 2013年オンセ駅列車衝突事故 - 2013年10月19日に2012年と同じサルミエント線オンセ駅の車止めに"Toshiba"電車を大きくリニューアルした"PUMA V.2"が衝突し、先頭車両が衝撃でホームに乗り上げた、「オンセの悲劇2」とも呼ばれる事故。原因は運転室の制御装置から本来装備されているはずのデッドマン装置が不正に撤去され、運転士が制御装置から手を離し、居眠り運転をしていたことであることが運転室内の監視カメラに記録より判明した。運転士を含め死人は出なかったものの、寝ぼけた状態で運転室を出た運転士は2012年のこの事故による不信感でいっぱいの一部の利用者に囲められ、「人殺し、人殺し!」と言われながら病院へ搬送されたという。
    • フローレス駅での事故を含むこれらの悲惨な事故の原因は、当時運営していたTBAが長い間線路・踏切や電車の整備を怠っていたことや、一部の乗務員の不正行為(運転中に携帯電話を使用したり、運転室の監視カメラを布で覆ったり、制御装置に設置のデッドマン装置を外したりする等)が原因であった。
  • アルゼンチンの鉄道
  • ブエノスアイレスの鉄道
  • Toshiba (サルミエント線・ミトレ線用電車) - この事故に巻き込まれ破損した電車[5]。名前(愛称)の通り1956年から日本企業によって日本国内で製造・輸出された鉄道車両(1970年代に車体のみ現地で製造した車両も存在する)で、約60年にわたりサルミエント線の顔として親しまれた。同線には2004年よりこれを大幅にリニューアルした"PUMA"も登場し、その一部は2階建て車両であった。
  • 鉄道事故

脚注編集

外部リンク編集