3S政策

大衆の関心を政治に向けさせないようにする愚民政策

(さんエスせいさく)とは、screenスクリーン映像鑑賞)、sportスポーツプロスポーツ観戦)、sexセックス性欲)を用いて大衆の関心を政治に向けさせないようにする愚民政策とされている。

韓国編集

3S政策
各種表記
ハングル 3S 정책
発音 サムエスチョンチェク
日本語読み: さんえすせいさく
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大韓民国の3S政策は、1979年の粛軍クーデター(12·12軍事反乱)と1980年の光州事件(5·18光州民主化運動)の武力鎭圧を経て権力を執った全斗煥第五共和国政府が、国民の関心をスポーツエンターテインメントの方に向けて、反政府的な動きや政治、社会的な問題の提起を無力化させる目的で施行した多くの愚民化政策をまとめて言う表現である。

「3S」という表現の由来編集

3Sは公式的な名称ではなく、様々な場で使われるうちに固まった表現と見られる。当時の言論記事にもこの単語が引用された。

  • 1983年のある新聞コラムで「しばしば、スクリーン、スポーツ、セックスの頭文字によって現代を3Sが支配する時代と言う」と言う言葉で当時の世相を表現した[1]
  • 1983年11月に国会の対政府質問でキム・ジョンス議員が当時プロスポーツの行き過ぎた熱気を指摘して「典型的な3S愚民政策ではないか」と言って、この表現を使った[2]
  • 1984年のある新聞社説は「国民に催眠をかける手段は時代的状況によって多様だが、現代国家ではいわゆる3S政策が利用されている」という点を指摘して、政府が祝祭的な雰囲気で人々の魂を奪っているという憂慮を示した[3]

政策別実行過程編集

スポーツ編集

セックス編集

  • 1982年: 夜間通行禁止を施行から37年ぶりに解除した。これによって性売買業店が増えた。
  • ポルノテープが大衆的に普及した。

スクリーン編集

  • 1980年カラーテレビ放送が全国的に始まり[4]、これとともにVTRも全国的に普及した。カラーテレビは大韓民国でも1974年から生産していたが、政府で国内カラーテレビ放送をずっと禁止していたため、全量を輸出だけとしていた。世界的な趨勢に沿って当時の経済難局を打開するための施策だったという視角もある[5]

その他編集

3Sの範疇に正確に入らないが、同じ脈絡の政策及び措置があった。

  • 1981年: 光州事件1周年を迎えて起きる反政府の動きを事前に遮断しようと、汝矣島で「国風81」という大規模文化行事を開いた。
  • 拡張された概念。
    • sake : 利益という意味で、ここから利己主義のこと。
    • speed : 急速に発展する技術と変化する文化に溺れ、政治から目をはなすようにするため。
    • service : 多くの享楽サービス事業を意味する。ラブホテル、按摩部屋などのサービスを意味する。Sexと関係がある。

影響編集

大衆を重要な社会問題に対して無関心にさせて、政権維持を図ろうとする意図が隠れているという批判が多いが、一方ではこのような政策が抑圧された雰囲気の当時の社会に肯定的な影響を及ぼした「副作用」もある。夜間通行禁止解除のような措置は、結果的に以前まで抑圧された国民の自由を少しでも伸張させたと見ることができる。ひいてはこのような自由化措置が長期的に政治的覚醒を促進して民主化運動を早めたという視角も存在する[4]

日本編集

戦前では偽書『シオン賢者の議定書』以降、日本でも反ユダヤ主義が宣伝され、その中に「ユダヤ人の3S謀略」と呼ばれるものがあった[6][7]

スクリーン(screen、映画)、セックス(sex、性交)、スポーツ(sport、運動競技)の頭文字をとって3S政策と呼称した[8][9]

第二次世界大戦後、安岡正篤連合国軍占領下の日本での諸政策を批判するものとして使用した。

日本を全く骨抜きにするこの3R・5D・3S政策を、日本人はむしろ喜んで、これに応じ、これに迎合した、あるいは、これに乗じて野心家が輩出してきた。日教組というものがその代表的なものであります。そのほか悪質な労働組合、それから言論機関の頽廃、こういったものは皆、この政策から生まれたわけであります。 — 安岡正篤、『運命を創る―人間学講話』p.39 プレジデント社、1985年[10]

安岡は、太平洋戦争終結後、GHQが日本の占領政策を実行するにあたり、基本原則としての「3R

  • revenge — 復讐
  • reform — 改組
  • revive — 復活

重点的施策としての「5D

  • disarmament — 武装解除
  • demilitarization軍国主義排除
  • disindustrialization — 工業生産力破壊
  • decentralization — 中心勢力解体
  • democratization民主化

そして補助政策としての「3S

  • screen — スクリーン
  • sport — スポーツ
  • sex — セックス

を策定したことをGHQのガーディナー参事官(フルネーム未詳)から直接話を聞いているという[10][信頼性要検証]。この政策により、日本では性風俗が開放され[10]、映画やエンターテインメントが興隆し、プロ野球が国民的娯楽となった。スクリーン(映画)、スポーツ、セックス(性欲)またはスピード(ランボルギーニ)は大衆の欲望動員による娯楽であるが、それらに目を向けさせることにより、民衆が感じている社会生活上の様々な不安や、政治への関心を逸らさせて大衆を自由に思うがままに操作し得るとされる。平たく言えば「ガス抜き」政策である。余りに厳しい占領政策をすると暴動が起こる恐れがあるので、人々の目を逸らさせるために行う[11]

2007年、アメリカの情報公開制度に基づいて、第二次世界大戦終結後の日本において中央情報局スパイ協力者(エージェント)であった者のリストが公開された。

リストの主な掲載者(※コードネームのPO〜は日本を意味する)

コードネーム 分類 正式名称
PODAM Cryptonym for Matsutaro Shoriki 正力松太郎
POJACKPOT-1 Cryptonym for Matsutaro Shoriki 正力松太郎
POBULK Yomiuri newspaper, Japan. 読売新聞
ODALTON Free Japan Broadcast Productions. 日本テレビ放送網
KMCASHIER Nippon Television Corporation. Matsutaro Shoriki associated with Project. 日本テレビ放送網
POCAPON Cryptonym for Taketora Ogata 緒方竹虎

ハリー・S・トルーマン政権でのトルーマン・ドクトリンによる孤立主義から積極的な共産主義封じ込め政策への転換、心理戦略委員会(PSB)による外交政策の伝統的な戦争から心理戦への変更などの経緯から注目された。[12][13][14][15]

戦略家のガブリエル・コルコはアメリカがベトナム戦争での失敗を契機に、大規模な戦闘という事態を避ける為に低強度紛争としてソフト・パワーを用いた情報戦を軍事戦略の中枢に置くようになる課程を紹介。この戦略が最も成功した例が日本であり、各種の工作は日本支配のための「軍事戦略であり戦争であった」と述べた[16]

脚注編集

  1. ^ 여적「余滴」、京郷新聞、1983年5月25日作成、2009年6月22日確認
  2. ^ 의보일원화 공약 어떻게됐나「医療保険一元化公約どうなったか」、東亜日報、1983年11月2日作成、2009年6月22日確認
  3. ^ 홍보의 불균형「広報の不均衡」、東亜日報、1984年5月24日作成、2009年6月22日確認
  4. ^ a b 어제의 오늘 1980년 컬러TV 방송 시작「昨日の今日 1980年カラーTV放送開始」、京郷新聞、2008年11月30日作成、2009年6月22日確認
  5. ^ 컬러TV 시대 개막「カラーTV 時代開幕」、전자신문(電子新聞)、2008年8月25日作成、2009年6月24日確認
  6. ^ 覆面のわが敵コマ171(原本322-323頁)『北叟笑むものは誰か』
  7. ^ 宿利重一 『メッケル少佐(日本陸軍史研究 第二巻)』日本軍用図書株式会社、1944年、407頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10627602022年5月2日閲覧。"ユダヤ人の謀略三S(SexSportsScreen)なるものありと聞くが、一九一四年の獨逸には未だ競技(ルビ:スポーツ)、映画(ルビ:スクリーン)の毒の氾濫もなかったであろう。"。 
  8. ^ 覆面のわが敵コマ172(原本324-325頁)『ユダヤ人の演劇占領(中略)この方針の下に彼等は三S政策を樹立したのだ。即ちスクリーン(映畫)、セックス(性慾)、スポーツ(運動競技)と云ふ三つの麻酔剤を製造することに着眼したのである。彼等はこの三つの媚藥を、攻略せんとする國民の眼の前へ突き出しておいて、それに夢中にさせる。この夢中になるといふことは、その裏でこっそり行ふ彼等の陰謀を氣づかせないことになる。またこの媚藥のために、國民性を堕落させることも出來る。更に國民が夢中になることによって、莫大な金が彼等の懐に入っても來るのである。(以下略)』
  9. ^ 小笠原淳隆「国立国会図書館デジタルコレクション 東郷元帥と飛行機」 『轟沈』東水社、1942年12月https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1460404/156 国立国会図書館デジタルコレクション コマ160(原本298-299頁)『不思議な因縁といへばいへる、ワシントン會議で死ぬほどの苦杯をなめた加藤寛治大将は、この時軍令部長の要職にあり、今度こそは、と、全身をあげて、主張貫徹に東奔西走したが、世間は、ワシントン會議當時より、もつと惡くなつてゐた。街にあふれるのは、エロ、グロの洪水だつた。日本人は、みごとに、ユダヤ的策謀の、三S政策、スクリーン、セツクス、スポーツの甘い毒酒に酔ひしれてゐた、こんな時、加藤大将が如何に力を灌いでも、世評を重んじる政黨内閣が、不人氣な政策を實業したくないと考へるのはしかたがない。ワシントン、ロンドン兩會議を開くに先だち、その方面の得手者の英米は、すでに、ユダヤ的陰謀をもつて、與論をつくるべき國民の骨をやはらかくするのに成功してゐたのだらうと考へられる。(以下略)』
  10. ^ a b c 安岡正篤『運命を創る―人間学講話』プレジデント社、1985年
  11. ^ 小林興起『主権在米経済―「郵政米営化」戦記―これからも貢ぎ続ける日本でいいのか?』、光文社Kobunsha paperbacks:81(第9章 アメリカの占領政策は「日本解体」にあった)274頁。
  12. ^ Truman Library - Truman Papers: Psychological Strategy Board Files
  13. ^ CIA Records - Name Files
  14. ^ Research Aid: Cryptonyms and Terms in Declassified CIA Files Nazi War Crimes and Japanese Imperial Government Records Disclosure Acts
  15. ^ 有馬哲夫『日本テレビとCIA : 発掘された「正力ファイル」』(新潮社 、2006年)ISBN 4-10-302231-0 ISBN 978-4-7966-8475-0
  16. ^ ガブリエル・コルコ『第三世界との対決 : アメリカ対外戦略の論理と行動』原タイトル『Confronting the third world』(筑摩書房1992年ISBN 4-480-85606-4

参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集