801(エイトオーワン)は、もともと1976年にフィル・マンザネラ(ギター、元ロキシー・ミュージッククワイエット・サン)、ブライアン・イーノ(キーボード、シンセサイザー、ギター、ボーカル、テープ、元ロキシー・ミュージック)、ビル・マコーミック(ベース、ボーカル、元クワイエット・サン、マッチング・モウル)、フランシス・モンクマン(フェンダー・ローズ・ピアノ、クラビネット、元カーヴド・エア)、サイモン・フィリップス(ドラム、リズムジェネレーター)、ロイド・ワトソン(スライドギター、ボーカル)によって、ライブ・コンサート3公演のために結成されたイングランドの実験的なロック・バンドである。

801
出身地 イングランドの旗 イングランド
ジャンル エクスペリメンタル・ロック
アート・ロック
プログレッシブ・ロック
活動期間 1976年 - 1977年
レーベル アイランド・レコード
ポリドール・レコード
Expression
共同作業者 クワイエット・サン
ロキシー・ミュージック
フィル・マンザネラ
ブライアン・イーノ
旧メンバー フィル・マンザネラ
ビル・マコーミック
ポール・トンプソン
アンディ・マッケイ
デヴィッド・スキナー
ブライアン・イーノ
フランシス・モンクマン
サイモン・フィリップス
ロイド・ワトソン

略歴編集

1976年、ロキシー・ミュージックが一時的に解散したが、「801(The 801とも呼ばれる)」という一時的なプロジェクトとしてそのメンバーを中心に結集し、最初のギグの約3週間前にハマースミスにあるアイランド・スタジオでリハーサルを開始した。バンドの名前は、1974年のイーノのソロ・アルバム『テイキング・タイガー・マウンテン』に登場する曲「ザ・トゥルー・ホイール (The True Wheel)」から取られたものだった。「私たちは801であり、私たちは中心軸です」という歌のリフレインは、夢の中で彼に示唆されたと伝えられている(「Eight Naught One」の頭文字をパズルのように綴ると彼の名前「ENO」となることも注目されている)。

801は、ノーフォークにて、また、レディング・フェスティバルにて、さらに、9月3日にロンドンのクイーン・エリザベス・ホールにて行われた最終コンサートという、かなり高評価された3公演を開催した。この最後のコンサートがライブ・レコーディングされ、アルバム『801 ライヴ』としてリリースされた。その音楽には、フィル・マンザネラ、イーノ、クワイエット・サンのアルバムから多かれ少なかれ突然変異を起こしたような楽曲のセレクションに加えて、レノン-マッカートニーの「トゥモロー・ネバー・ノウズ」の全面的な再構築版と、キンクスの1964年のヒット曲「ユー・リアリー・ガット・ミー」への壁を越えた旅のようなヴァージョンが含まれた。

英国のパンク・ロック革命が最盛期となる頃にリリースされたLPは大きな商業的成功を得るには至らなかったが、特にミュージシャンによる素晴らしいパフォーマンスとその画期的なサウンドのクオリティから、批評家による絶賛を獲得したため、世界中で売れた。

ライブ・アルバムは、ポータブル・マルチトラック・レコーダーとモバイルスタジオの出現により、その作成においてますます洗練されてきてはいたものの、ほとんどが比較すると悪い音質によって妨げられていた。これまで、フロント・オブ・ミキシングとライブ・レコーディングの標準的な手順は、アンプの前にマイクを置いて、ギターなどの増幅された楽器の音をキャプチャーすることであった。多くの優れたパフォーマンスがキャプチャーされたが、結果はまだスタジオ録音よりも著しく劣っていた。ライブ・レコーディングには、歪み、ノイズ、楽器間の音の「漏れ」、分離不良、観客音などのさまざまな問題がしばしば存在した。

アルバム『801 ライヴ』はライブ・レコーディングの新しい基準を設定した。なぜなら、ボーカルマイク、ギターアンプ、その他の楽器(ドラムを除く)からのすべての出力が録音されるのではなく、マイクや信号を介して、フロント・オブ・ハウスのPAミキサーから出力されているモバイルスタジオのミキシング・デスクに直接送られた音源でつくられた最初のライブLPの1つであったからだ。このいわゆる「ダイレクト・インジェクション」(DI・直接注入)メソッドはスタジオで長年使用されていたが、これはライブ・アルバムのレコーディングに使用された最初のメソッドの1つとなった。

アルバム『801 ライヴ』は、多くの国、特にオーストラリアで大きくカルト的な成功を収めた。オーストラリアでは、1975年1月に放送開始したABCの新しい24時間ロック・ステーション「Double Jay(2JJ)」(ラジオ局)によって大々的に宣伝された。ニューサウスウェールズ周辺で広く聴かれ、ABCのAMネットワークを通じて深夜0時以降に全国的に放送された。『801 ライヴ』が、商業的なラジオ放送が実質的にされておらず、宣伝するためのミュージック・ビデオもなかったこと、そしてもともとオーストラリアでローカルリリースされていなかったことは注目に値する。それにもかかわらず、このアルバムは1976年にオーストラリアで最も売れた輸入アルバムとなり、輸入品としての需要が最終的にオーストラリアのディストリビューターに現地でのリリースを余儀なくさせた。

1977年、アルバム『801 ライヴ』の成功を利用したいと考えられ、バンドの改編されたラインナップ(現在「フィル・マンザネラ / 801」が正式な名義となっている)が、アルバム『リッスン・ナウ』を録音してリリースした。これは、スプリット・エンズのティム・フィンを含む追加のコラボレーション・ミュージシャンとのスタジオ・アルバムだったが、ロイド・ワトソンはもういなかった。

1977年後半、801はマンザネラとマコーミックを中心とした最初とは別のライブ・グループとして再編し、アルバム『リッスン・ナウ』のプロモーション・ツアーに参加した。マンチェスター大学でのコンサートは、1997年にアルバム『ライヴ・アット・マンチェスター』としてリリースされた。

ディスコグラフィ編集

スタジオ・アルバム編集

  • 『リッスン・ナウ』 - Listen Now (1977年) ※フィル・マンザネラ / 801名義

ライブ・アルバム編集

  • 『801 ライヴ』 - 801 Live (1976年)
  • 『ライヴ・アット・マンチェスター』 - 801 Manchester (1997年) ※1977年録音
  • 『ラティーノ』 - 801 Latino (2001年) ※1999年録音
  • 『ライヴ・アット・ハル』 - Live at Hull (2001年) ※1977年録音

参照編集

  • Triple J」 - オーストラリア政府が提供するラジオ局。前身は「Double Jay(2JJ)」。

脚注編集

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外部リンク編集