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8 1/2ハッカニブンノイチハッカとも)は、日本のパンクバンド

8 1/2(ハッカニブンノイチ)
出身地 日本の旗 日本千葉県
活動期間 1978年 - 1979年
メンバー 久保田慎吾ボーカル
上野耕路キーボード
中島一徳→谷嶋ちから(ベース
小森敏明→鈴木智文(ギター
泉水敏郎ドラムス

目次

概要編集

六本木のS-KENスタジオを中心に活躍した東京ロッカーズの一員でもあり、また渋谷のロック喫茶「ナイロン100%」でも看板バンドとして活動した、日本のニュー・ウェイヴ・バンドのひとつ。メンバーが後に日本のミュージックシーンに大きな足跡を残したことでも知られる。バンド名の由来はフェデリコ・フェリーニの映画8 1/2 より。

バンドメンバーの泉水敏郎と中嶋一徳らが結成した「WINK」が1978年に改名し、8 1/2となった[1]

「踊れない」などいくつかの曲は、このバンドの追っかけをしていた当時のアイドル戸川純がカバーしている[2]。そのため、戸川によるカバーでのみ知っている人間も多い。またそれらの曲はその後、ライブにおける戸川の持ち歌となっている。

略歴編集

1978年に千葉で結成。結成当初はボーカル、ギター、ベース、ドラムスの4人構成であったが、程なくギターが抜けてキーボードの上野耕路が加入。キーボードを前面に出した上野の音楽性によって、バンドのサウンドに独自性がもたらされた[1]

その後、中嶋の脱退(後に自殺に参加)やハルメンズへの参加のために上野、泉水が脱退するなど幾つかのメンバーチェンジを繰り返す[1]

1980年3月、解散[1]

メンバー編集

久保田慎吾
ボーカル担当。
バンド解散後、1980年に鈴木智文とバンド「PRICE」を結成。 1999年より上野耕路とのユニット捏造と贋作」として活動[1][3]
上野耕路
キーボード担当。
バンド解散後、泉水敏郎とともに、佐伯健三少年ホームランズのメンバーとハルメンズを結成。ハルメンズ解散後、8 1/2のファンであった戸川純、千葉時代から交流のあった太田蛍一の3人で「ゲルニカ」を結成[1][3]。1999年より久保田真吾とのユニット「捏造と贋作」でも活動[1][3]
中島一徳
ベース担当。
脱退後、バンド「自殺」に参加[1]
谷嶋ちから
ベース担当。
小森敏明
ギター担当。
鈴木智文
ギター 担当。
バンド解散後、1980年に久保田慎吾とバンド「PRICE」を結成。1982年、野宮真貴中原信雄と共に音楽ユニット「ポータブル・ロック」を結成。
泉水敏郎
ドラムス担当。同時期にヒカシューにも在籍していた。
バンド解散後、上野耕路とともにハルメンズを結成。ハルメンズ解散後、ゲルニカ活動休止中の戸川をボーカルとして結成された「YAPOOS」に参加。

ディスコグラフィー編集

  • 『東京ニュー・ウェイヴ79'』(ビクター 1979年。V.A.、3曲のみ収録。2002年に再発)
  • 『メモアール』(8 1/2の100%レコードから発売されたソノシート[注 1]。 1980年)
  • 『8 1/2』(VIVID 1985年)
    1. 少年たち
    2. ジュリーにお願い
    3. 踊れない
    4. 上海特急
    5. キネマの夜
    6. ナルシスティック
    7. その絵を踏むな
    8. ベッドルームクイーン
    9. 戒厳令
    10. メモアール

脚注編集

注釈編集

  1. ^ 発行枚数が少なくほとんど流通しなかった[4]

出典編集

  1. ^ a b c d e f g h <パンクロックの封印を解く>“東京ロッカーズ”の全貌に迫る『ROCKERS[完全版』]”. BARKS (2008年8月8日). 2018年10月27日閲覧。
  2. ^ カルト歌謡カルタ【れ】戸川純「レーダーマン」”. 全日本歌謡情報センター (2018年2月6日). 2018年11月5日閲覧。
  3. ^ a b c 沢尻エリカ主演『へルタースケルター』公開日にパーティー開催、ルバロンが蜷川実花ワールドに”. ファッションプレス (2012年7月10日). 2018年11月5日閲覧。
  4. ^ 「NYLON100% 80年代渋谷発ポップ・カルチャーの源流」より。

関連項目編集