A.J.バーネット

アメリカの野球選手 (1977 - )

アラン・ジェームズ・バーネットAllan James Burnett, 1977年1月3日 - )は、アメリカ合衆国アーカンソー州リトルロック出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

A.J.バーネット
A. J. Burnett
2017年6月6日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アーカンソー州リトルロック
生年月日 (1977-01-03) 1977年1月3日(47歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
225 lb =約102.1 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1995年 ドラフト8巡目(全体217位)でニューヨーク・メッツから指名
初出場 1999年8月17日
最終出場 2015年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴 編集

プロ入りとメッツ傘下時代 編集

1995年MLBドラフト8巡目(全体217位)でニューヨーク・メッツから指名を受け、プロ入り。

マーリンズ時代 編集

1998年2月にアル・ライタートレードで、フロリダ・マーリンズへ移籍。

1999年8月17日にロサンゼルス・ドジャース戦でメジャーデビューを果たし、初勝利を記録した。

2001年5月12日のサンディエゴ・パドレス戦でノーヒットノーランを達成。球団タイ記録となる9四死球を出しながらのノーヒッターとなった[1]。この時、バーネットは129球を投じたが、ストライクは半分の65球しかなかった[2]。この年初めて規定投球回を上回り、2桁勝利を達成した。

2002年は8月19日から9月13日までの間故障者リスト入りとなったが、12勝9敗、203奪三振(リーグ6位)、5完封(リーグ1位)の成績を残し、ホーム戦では全5完封を記録し、被安打率.190(リーグ3位)の好成績を残した[3]

2003年に4月29日の登板の後、トミー・ジョン手術を受けて全休した。

2004年6月3日の登板でメジャー復帰を果たし、7勝6敗・防御率3.68の成績を残した。

2005年は、12勝12敗、防御率3.44という成績で終えた。5月31日のピッツバーグで行なわれたピッツバーグ・パイレーツ戦で先発した際、PNCパークのスピードガンが時速104マイル(約167km/h)を記録[4]。これまで世界最速であった、サンフランシスコ・ジャイアンツの元守護神ロブ・ネンニューヨーク・ヤンキースランディ・ジョンソンの持つ時速102マイル(約164km/h)を更新したのか、と騒がれた。しかし、球場関係者がスピードガンを調整したところ、時速99マイル(約159km/h)程度に落ち着いたことや、バーネットが前回の先発予定試合を右ヒジの炎症で回避したことから、疑問の声が多く[要出典]、世界最速新記録には認定されていない。一方で対戦打者のフレディ・サンチェスは「ホントにあのボールの速さはこれまで体験したことのないすごいものだった。みんなは彼のスピードに懐疑的だったけど、僕はあの時、本当に104マイル出ていたと信じているよ」と語っている[5]

ブルージェイズ時代 編集

 
トロント・ブルージェイズ時代
(2008年5月22日)

2006年、5年総額5500万ドルという契約でトロント・ブルージェイズに移籍[6]。開幕を故障者リスト入りで迎え、4月15日に故障者リストから復帰を果たし、同日のシカゴ・ホワイトソックス戦で先発した[7]。シーズン2試合目の登板となった4月21日のボストン・レッドソックス戦で右肩痛により長期離脱を余儀なくされる(ただし、MRIや医師の診断によると、肩の異常は認められていない)[要出典]。2006年後半から復帰し10勝を挙げた。

2007年はDL入りを2回としたものの10勝し、マーリンズ時代から数えて3年連続2桁勝利。奪三振数は投球回数を初めて上回る176を記録した。

7年連続で故障者リスト入りをしていたが、2008年はリスト入りすることなくリーグ最多の34試合に先発。防御率は前年より悪化したが、自己最多の18勝を挙げ、231奪三振で最多奪三振を獲得。バーネットの5年契約には3年目終了時に契約を破棄してFAとなる権利があるため、シーズン途中にシカゴ・カブスフィラデルフィア・フィリーズへ移籍の噂もあったが、J・P・リッチアーディGMが移籍を否定[8]。結局、移籍せずシーズンを終えた。

11月4日、契約に含まれていた破棄条項を行使し、フリーエージェントになることが決まった[6]

ヤンキース時代 編集

 
ヤンキース時代(2009年)

FAとなったバーネットを巡っては、アトランタ・ブレーブスが4年総額6000万から6500万ドル(5年目のオプションを含めると8000万ドル)の金額を提示したが、ヤンキースがそれを上回る金額を提示[9]。そして、バーネットは12月18日に5年8250万ドルでヤンキースと合意[10]

ヤンキース1年目は、一度も先発を飛ばすことなく33試合に先発し、207イニングを投げて13勝、防御率4.04を記録。6月20日のマーリンズ戦の3回に、MLB史上39人目となる「1イニング9球で3奪三振」(immaculate inning)を達成。正捕手のホルヘ・ポサダと相性が悪く、バッテリーを組むことを拒否した[11]。ポストシーズンでは5試合に登板、好不調の波が大きかったが、フィリーズとのワールドシリーズ第2戦で好投するなど、9年ぶりの優勝に貢献した。

2010年は10勝15敗、防御率5.26とフルに稼働したシーズンでは自己最悪の成績となった。9月には右目の周りに大きなを作って球場に現れ、様々な憶測を呼んだ[12]
シーズンの不調から地区シリーズでは先発を外れたが、テキサス・レンジャーズとのリーグ優勝決定戦の第4戦に登板、しかし6回5失点で負け投手となった。

2011年も先発ローテーションを守ったが、11勝11敗、防御率5.15と成績を伸ばすことはできなかった。地区シリーズの第4戦のデトロイト・タイガース戦では他の先発陣が軒並み乱調の中、6回途中1失点と勝利に貢献したが、結局チームは2勝3敗でシリーズを敗退した。

ヤンキースでの3年間は99試合に登板(うち98試合に先発)して34勝35敗、防御率4.79。3年間先発としてフル回転した点で、前後してヤンキースに所属しながら登板することすらままならなかったカール・パバーノ井川慶とは異なるが、後述のように結局年俸負担付きで放出に至ったこともあり、高額な契約には見合わないとの見方が強く、彼らと同様、近年のヤンキースが締結したFA契約の中では代表的な失敗例として挙げられることも多い[13]

パイレーツ時代 編集

 
ピッツバーグ・パイレーツ時代
(2012年6月14日)

ヤンキースとの契約期間は2年残っていたものの、チームはトレードによる放出を検討。ロサンゼルス・エンゼルスボビー・アブレイユとのトレードは東海岸への居住を望む家族の意向でバーネットが拒否したが、2012年2月19日、残りの契約2年3300万ドルのうち2000万ドルをヤンキース側が負担する条件のもと、マイナー2選手とのトレードで、パイレーツに移籍した。

2012年3月1日、打撃練習中にバントの自打球を頬に当てて骨折[14]。開幕を故障者リストで迎え、4月21日に復帰した。5月2日のセントルイス・カージナルス戦では2.2イニングを12失点と大炎上したが[15]、それ以外はフル回転し、2008年に次いで2番目に多い16勝を挙げた。

2013年4月17日のカージナルス戦で史上68人目、現役では4人目となる通算2000奪三振を達成。7月に故障者リスト入りしたものの30試合に先発し、防御率は自己最高の3.30、奪三振率(K/9)はリーグ1位の9.85を記録。チームの21年ぶりの勝ち越し・ポストシーズン進出に貢献した。オフの10月31日にFAとなった。

フィリーズ時代 編集

 
フィラデルフィア・フィリーズ時代
(2014年7月1日)

2014年2月16日にフィリーズと1600万ドルの1年契約(2015年のオプション1275万ドル・トレード拒否権付き)[16]で契約した[17]

同年は5月20日、マーリンズ戦に勝利し、MLB全30球団勝利を達成した。しかし、全体的に成績を落とし、負け数は、ナショナルリーグのワースト1位だった。オフに2015年の契約オプションを破棄し、FAとなった。

パイレーツ復帰 編集

2014年11月14日にパイレーツと850万ドルの1年契約を結んだ[18][19]。前述のように、フィリーズとの間ではより高額の契約オプション権を持っていたが、あえて年俸減で古巣を選んだ形になった。

2015年2月19日、2015年シーズン限りで現役を引退する意向を表明した[20]。7月6日に自身初のオールスターゲームに選出された[21]

選手としての特徴 編集

最多奪三振(2008年)、最高奪三振率[K/9](2008年、2013年)、最多与四球(2009年)、最多暴投(2009年、2011年)、最多与死球(2010年)を相次いで記録していることが示すように、制球難の課題を抱えつつも、空振りを奪える威力のある球種を投げ分ける。軸となる91-94マイルの速球(フォーシーム、高速シンカー)の他、ナックルカーブ、チェンジアップが主な持ち球である。スライダーのように大きく変化するカーブは44%と高い空振り率を誇り、チェンジアップで多くのゴロを奪っている[22]

クイックが非常に苦手で、盗塁を許しやすい[23]

詳細情報 編集

年度別投手成績 編集





















































W
H
I
P
1999 FLA 7 7 0 0 0 4 2 0 0 .667 182 41.1 37 3 25 2 0 33 0 0 23 16 3.48 1.50
2000 13 13 0 0 0 3 7 0 0 .300 364 82.2 80 8 44 3 2 57 2 0 46 44 4.79 1.50
2001 27 27 2 1 0 11 12 0 0 .478 733 173.1 145 20 83 3 7 128 7 1 82 78 4.05 1.32
2002 31 29 7 5 0 12 9 0 0 .571 844 204.1 153 12 90 5 9 203 14 0 84 75 3.30 1.19
2003 4 4 0 0 0 0 2 0 0 .000 106 23.0 18 2 18 2 2 21 2 0 13 12 4.70 1.57
2004 20 19 1 0 0 7 6 0 0 .538 490 120.0 102 9 38 0 4 113 7 0 50 49 3.68 1.17
2005 32 32 4 2 1 12 12 0 0 .500 873 209.0 184 12 79 1 7 198 12 0 97 80 3.44 1.26
2006 TOR 21 21 2 1 1 10 8 0 0 .556 577 135.2 138 14 39 3 8 118 6 1 67 60 3.98 1.31
2007 25 25 2 0 0 10 8 0 0 .556 691 165.2 131 23 66 2 12 176 5 0 74 69 3.75 1.19
2008 35 34 1 0 0 18 10 0 0 .643 957 221.1 211 19 86 2 9 231 11 2 109 100 4.07 1.34
2009 NYY 33 33 1 0 0 13 9 0 0 .591 896 207.0 193 25 97 0 10 195 17 1 99 93 4.04 1.40
2010 33 33 1 0 0 10 15 0 0 .400 829 186.2 204 25 78 2 19 145 16 0 118 109 5.26 1.51
2011 33 32 0 0 0 11 11 0 0 .500 837 190.1 190 31 83 2 9 173 25 0 115 109 5.15 1.43
2012 PIT 31 31 1 1 0 16 10 0 0 .615 851 202.1 189 18 62 1 9 180 10 0 86 79 3.51 1.24
2013 30 30 1 0 0 10 11 0 0 .476 801 191.0 165 11 67 3 9 209 12 0 79 70 3.30 1.21
2014 PHI 34 34 1 0 0 8 18 0 0 .308 935 213.2 205 20 96 2 16 190 9 0 122 109 4.59 1.41
2015 PIT 26 26 0 0 0 9 7 0 0 .563 699 164.0 174 11 49 2 11 143 6 1 64 58 3.18 1.36
MLB:17年 435 430 24 10 2 164 157 0 0 .511 11665 2731.1 2519 263 1100 35 143 2519 161 6 1328 1210 3.99 1.32
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル 編集

記録 編集

背番号 編集

  • 43(1999年 - 2001年)
  • 34(2002年 - 2015年)

脚注 編集

  1. ^ A.J. Burnett 2001 Career Highlights” (英語). 2008年5月4日閲覧。
  2. ^ May 12, 2001 Florida Marlins at San Diego Padres Box Score and Play by Play - Baseball-Reference.com” (英語). 2008年5月4日閲覧。
  3. ^ A.J. Burnett 2002 Career Highlights” (英語). 2008年5月4日閲覧。
  4. ^ 世界最速投球167キロの謎鉄矢多美子『Field of Dreams』、2005年08月16日。
  5. ^ 首位打者は無名戦士鉄矢多美子『Field of Dreams』、2006年06月30日。
  6. ^ a b Bastian, Jordan (2008年11月4日). “Burnett plans to opt out of Jays deal” (英語). MLB.com. 2008年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月16日閲覧。
  7. ^ Bastian, Jordan (2006年4月15日). “Burnett comes up short in Jays debut” (英語). MLB.com. 2010年3月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月16日閲覧。
  8. ^ 岡田弘太郎「MLB30球団レポート&全選手個人成績 トロント・ブルージェイズ/TOR この夏こそ一番の売り時だったという声も」『スラッガー』2008年10月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌15509-7、76頁
  9. ^ Crasnick, Jerry (2008年12月12日). “Source: Yanks offer Burnett 5-year deal” (英語). ESPN.com. 2010年1月9日閲覧。
  10. ^ Hoch, Bryan (2008年12月18日). “Burnett ready for Big Apple circus” (英語). MLB.com. 2010年1月9日閲覧。
  11. ^ 村上雅則監修 友成那智編著 『メジャー・リーグ完全データ選手名鑑2010』廣済堂出版、2010年、34ページ。
  12. ^ Wallace Matthews(2010-09-18), A-Rod backs up black-eyed Burnett, ESPN New York(英語), 2010年12月17日閲覧
  13. ^ (2012-02-18)A.J. Burnett and 10 of the Worst New York Yankee Free-Agent Signings[リンク切れ],International Business Times,2012年8月15日閲覧
  14. ^ A.J. Burnett’s fractured face would still be OK if National League used a DH | Big League Stew Yahoo! Sports
  15. ^ Pittsburgh Pirates vs. St. Louis Cardinals - Recap - May 02, 2012 ESPN
  16. ^ Todd Zolecki (2014年2月12日). “Source: Burnett agrees to one-year deal with Phils”. MLB.com. 2014年2月13日閲覧。
  17. ^ Phillies Sign Burnett”. MLB.com Phillies Press Release (2014年2月16日). 2014年2月17日閲覧。
  18. ^ Pirates and A.J. Burnett agree on one-year deal”. MLB.com Pirates Press Release (2014年11月14日). 2014年12月23日閲覧。
  19. ^ Tom Singer (2014年11月14日). “Burnett returns to Pirates on one-year contract”. MLB.com. 2014年11月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月23日閲覧。
  20. ^ Rosenthal, Ken (2015年2月19日). “Burnett returns to Pittsburgh for one final season”. FOX Sports. 2015年10月9日閲覧。
  21. ^ 2015 MLB All-Sar team reserves announcedl”. ESPN.com (2015年7月6日). 2015年10月9日閲覧。
  22. ^ Brooks Baseball · Home of the PitchFX Tool - Player Card: A.J. Burnett”. Brooks Baseball. 2012年8月15日閲覧。
  23. ^ Baseball Prospectus | Overthinking It: Why Nobody Gets Caught Stealing

関連項目 編集

外部リンク 編集