ASモナコ

モナコのサッカークラブ

アソシアシオン・スポルティヴ・ドゥ・モナコ・フトボル・クルブ: Association Sportive de Monaco Football Club、通称:ASモナコ (AS Monaco, フランス語発音: [ɑ.ɛs mɔnako])、またはモナコ (Monaco))は、モナコ本拠地とする、リーグ・アンに所属するプロサッカークラブ。ホームスタジアムはスタッド・ルイ・ドゥ

ASモナコFC
原語表記 Association Sportive
de Monaco Football Club
愛称 Les Rouge et Blanc(赤と白)
LES MONEGASQUES
クラブカラー    
   
創設年 1919年
所属リーグ フランスプロサッカーリーグ(LFP)
所属ディビジョン リーグ・アン(1部)(2024-25
昨季リーグ順位 リーグ・アン2位(2023-24
ホームタウン モナコ
ホームスタジアム
スタッド・ルイ・ドゥ
収容人数 18,524
代表者 ロシアの旗 ドミトリー・リボロフレフ英語版
監督 オーストリアの旗 アドルフ・ヒュッター
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

地中海に面したコート・ダジュール地方に拠点を置くニースとの試合は、コートダジュール・ダービーとして扱われる。ダービーでサポーターが相手チームをけなす事は欧米では珍しくないことであるが、モナコのサポーターはそのようなことはせず、自チームの応援のみを目的としている[1]

ホームタウンのモナコは人口が約3万8千人で、世界で最も裕福で安全な場所としても知られる。また、サッカーは数多くあるエンタメの内のひとつにすぎないため熱狂的なファンは少ない。ホームスタジアムは収容人数約1万9千人と中規模である。

キリアン・エムバペをはじめ世界屈指の選手がASモナコでプロキャリアを始めている。

概要

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1919年に創立し、1948年にプロのクラブチームとして認可された。1953年に1部昇格を果たして以来、レーニエ大公(当時)の打ち出した企業への税制優遇措置に乗る形で優秀な外国人選手を大量に加入させ、フランスリーグでも有数の強豪へとのし上がる。

通算リーグ優勝8回、カップ戦の優勝は5回を数える。さらにヨーロッパの舞台でも実績を残しており、UEFAカップウィナーズカップおよびUEFAチャンピオンズリーグで、それぞれ1992年大会2004年大会で準優勝を果たした。

また、欧州クラブ協会の会員でもある。2011年にはクラブの3分の2がロシアの大富豪(オリガルヒ)である、ドミトリー・リボロフレフ英語版が率いる投資グループによって買収された[2]

歴史

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1910年代 - 1950年代

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ASモナコFCは、1919年8月1日にフランスモナコ公国の5つのクラブ(Swimming Club、モナコ・スポール、ASボーソレイユ、エトワール・ドゥ・モナコ、ACリヴィエラ)が合併して公式に設立された[3]。合併したクラブの中の、モナコ・スポール(旧称エルクリス)は1904年に創設されたモナコの象徴的なクラブだった[3]。このASモナコFCは、1924年8月23日に総合スポーツ組織ASモナコへと吸収された[3]。1924-25シーズンに南東リーグにて最初の試合を行った[3]

1948年にプロ化された[3]。1952-53シーズンのディヴィジョン・ドゥで2位となり[4]1953-54シーズンにトップリーグであるディヴィジョン・アンに初めて昇格した[3]

1960年代 - 1970年代

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クラブの最多得点者(223得点)であるデリオ・オニス

1958年に監督に就任したリュシアン・ルデュク英語版の下でモナコは躍進を遂げ、1960年にフランスカップの決勝でASサンテティエンヌを4-2で破り、初めての主要タイトルを獲得した[3]。1961年より、モナコ公妃グレース・ケリーの提案によって、斜めに白と赤を分割した有名なシャツを着用するようになった[3]。1960-61シーズン、モナコは初めてのリーグタイトルを獲得した[3]。1962-63シーズンにはリーグとカップのダブルを達成した[3]。しかし、1963年にルデュクが退任、そして優勝に貢献した主力選手たちもモナコから離れていくにつれチーム力が衰え、1969年に降格した[3]

しばらくは昇格と降格を繰り返していたが[3]、1975年[5]に若くして会長に就任したジャン=ルイ・カンポラの下で、クラブの再構築が進んでいった[3]。1960年代に成功したリュシアン・ルデュクを再び監督に迎え、1977-78シーズンにディヴィジョン・アンに昇格すると、昇格1年目のシーズンに15年ぶりのリーグ優勝を果たした[6]。フランスサッカーの歴史において昇格1年目のクラブがリーグ優勝した例は、このシーズンのモナコのみである[7]。1973年から1980年まで7シーズン在籍したアルゼンチン人の点取り屋デリオ・オニスは223ゴールを挙げ、現在もクラブの最多得点記録者となっている[8]。GKジャン=リュック・エトリは、1975年からの17シーズンのキャリアのすべてをモナコで過ごし、クラブの最多出場記録(755試合)およびリーグ・アン全体での最多出場記録(602試合)を有する[8][9]

1980年代 - 1990年代

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1979年から1983年までのジェラール・バニド英語版の監督時代には、1979-80シーズンに17年ぶりのクープ・ドゥ・フランス優勝、1981-82シーズンに4度目のリーグ優勝を果たした。1985年1月25日、現在のスタッド・ルイ・ドゥが開場した[3]

1987年から7シーズンのあいだチームの指揮を執ったアーセン・ベンゲルの時代には、グレン・ホドルマーク・ヘイトリーイングランド代表コンビを中心に、堅守速攻の近代的なサッカーで毎年優勝争いを繰り広げた。ベンゲルの下では国内(1987-88シーズンにリーグ優勝、1990-91シーズンにカップ優勝)だけにとどまらず、欧州の舞台でも成功を収め、1991-92シーズンUEFAカップウィナーズカップで準優勝(ヴェルダー・ブレーメンが2-0で勝利)、1993-94シーズンUEFAチャンピオンズリーグの準決勝に進出(優勝するACミランに敗退)した。[3]また若い世代の選手のスカウト・育成にも力を入れ、この頃に見出された選手にリリアン・テュラムらがいた。

その後ベンゲルの後を継いだジャン・ティガナ、そしてモナコの生え抜き選手だったクロード・ピュエルの時代も好調を維持した。ティガナ時代の1996-97シーズンは9シーズンぶりのリーグ優勝を果たし、UEFAカップでは準決勝でイタリアのインテルに敗れた[3]1997-98シーズンのチャンピオンズリーグでは準決勝でユヴェントスFCに敗れた。この時代の主要な選手にはファビアン・バルテズエマニュエル・プティティエリ・アンリソニー・アンデルソンらがいた[3]。ピュエル時代の1999-2000シーズンには7つ目のリーグタイトルを獲得した。

2000年代

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UEFAチャンピオンズリーグ 2003-04 決勝FCポルト戦の先発出場選手

しかし1990年代末頃、それまでの放漫経営がたたって巨額の負債を抱え込み、好成績を収めながら2003-04シーズン開始直前には2部への強制降格を言い渡されるほど厳しい経営状況に追い込まれる(この時は各方面からの援助もあり、降格措置は免れた)。長年にわたってクラブの会長職にあったジャン=ルイ・カンポラは2003年6月に辞任した[10]。しかしこの2003-04シーズンはディディエ・デシャン監督の下、レアル・マドリードチェルシーFCを破ってUEFAチャンピオンズリーグ決勝まで進出し、初のCLのタイトルを手にしかけるが、FCポルトに3-0で敗れて準優勝に終わった[3]。当時の主なメンバーは、パトリス・エヴラリュドヴィク・ジュリジェローム・ロタンフェルナンド・モリエンテスダド・プルショなどがいた[3]

2003-04シーズン終了後、チームを支え続けてきたジュリら主力選手が他クラブへ次々に移籍。その代替要員として獲得した新戦力がなかなか戦術に馴染まず、徐々に弱体化した。

2005-06シーズンはチャンピオンズリーグ本戦出場権を賭けた試合でレアル・ベティスに苦杯を喫し、その後も上向かないチーム状態の責任を取る形でデシャン監督がシーズン途中に辞任した。後任のフランチェスコ・グイドリンも結果を残せず、僅か8ヶ月の在任に終わる。2006-07シーズンからはスタッド・レンヌの監督を務めていたルーマニア人、ラースロー・ベレニを招聘。全ポジションの積極的な補強も行ったが、10節を終えてわずか2勝と振るわずに在任5ヶ月で解任された。同年10月からはアシスタントコーチのローラン・バニド英語版が暫定的に指揮を執り、一時は最下位に沈んだクラブを9位にまで押し上げたものの、フロントとの不和もあってかシーズン終了後に解任された。

2007-08シーズンはFCジロンダン・ボルドーで堅守速攻のサッカーを展開して好成績を収めたリカルド・ゴメスが監督の座に就き、不振からの脱却を目指したが、またしても低迷。ミシェル・パストール英語版会長とジェラール・ブリアンティ副会長が成績不振の責任を取って辞任するまでに至った。

2009-10シーズンからは前レンヌ監督のギー・ラコンブが監督に就任。捲土重来を期するも、中位を彷徨うシーズンがまたしても再現された。2010-11シーズンもラコンブが引き続いて指揮を執るが、前シーズン活躍を見せたネネを放出したことにより攻撃力が低下。守備ユニットの構築にも誤算が相次ぎ、勝ちきれないゲームを積み重ねた結果、降格圏にまで落ち込んでしまう。フロントはウィンターブレイク中のフランスカップで5部リーグのチームに敗北を喫した責任を取らせる形でラコンブ監督を解任し、前回の緊急登板でチームを上昇気流に乗せたローラン・バニドを4年ぶりに招聘。レアル・マドリードで出番を失っていたマアマドゥ・ディアッラを始めとして大量補強に踏み切るも、低迷からは抜け出せず18位に終わりリーグ・ドゥへ降格となった。

2010年代

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2011-12シーズンは開幕から低迷し、シーズン途中まで最下位に沈んでいた。2011年12月、ロシアの実業家ドミトリー・リボロフレフ英語版が株式3分の2を取得し、筆頭株主となったことを発表。4年間で1億ユーロの投資をするとの宣言通り、冬の移籍市場では早速1500万ユーロを投じ、人員補強を行った。しかしリーグ・アン昇格圏内の3位以内には程遠く8位に終わった。

2012-13シーズンはリーグ・ドゥの首位で昇格した。シーズン終了後、ラダメル・ファルカオハメス・ロドリゲスジョアン・モウティーニョリカルド・カルバーリョジェレミー・トゥラランエリック・アビダルといった実力者を獲得している。2014-15シーズンは中心選手のラダメル・ファルカオ、ハメス・ロドリゲスがW杯後に移籍し、トマ・レマルティエムエ・バカヨコといった有望な若手選手を獲得して若手育成に力を入れた。2015-16シーズンはアントニー・マルシャルマンチェスター・ユナイテッドに移籍し、アイメン・アブデヌールバレンシアCFに移籍した。

2016-17シーズンはカミル・グリクらを獲得し、ファルカオが復帰した。チャンピオンズリーグで予選3回戦から決勝トーナメントに進出。準々決勝ではボルシア・ドルトムントと対戦して2戦合計6-3で勝利。これにより大会史上初めて予選から勝ち上がったチームが準決勝に進出した。リーグ戦では2017年5月17日のASサンテティエンヌ戦で2-0で勝利して、リーグ4連覇中のパリ・サンジェルマンFCを2位に抑えて17年ぶりの優勝を果たした。

2017-18シーズン、昨年までの主力であったナビル・ディラルベルナルド・シウババンジャマン・メンディティエムエ・バカヨコヴァレール・ジェルマンキリアン・エムバペが退団。一方でユーリ・ティーレマンスディエゴ・ベナリオラシド・ゲザルステファン・ヨヴェティッチケイタ・バルデ・ディアオらを獲得した。

2018-19シーズン、夏の移籍期間ではロシアW杯で活躍したアレクサンドル・ゴロビンCSKAモスクワから、そのほかにも、ウィレム・ジュベルベンヤミン・ヘンリヒスジャン=ユード・アフルベルギー代表MFナセル・シャドリらを獲得。リーグ戦では、初戦のFCナント戦では勝利を収めるも、その後は14節まで勝ち星なしという結果になり、この時点でリーグ順位は19位と降格圏内だった。10月には近年の躍進の立役者であるレオナルド・ジャルデム監督を解任。

後任には監督未経験の元フランス代表ティエリ・アンリが就任した。冬の移籍市場ではリザーブチームからブノワ・バジアシーレを昇格させ、レスターからアドリエン・シウバをレンタルで獲得、他にも、セスク・ファブレガスカルロス・ヴィニシウスジェルソン・マルティンスらを獲得したが、チームの調子は変わらず、アンリ体制は3ヶ月で終わった。また、その後、再度ジャルデム監督が就任し、17位で降格を免れた。

2020年代

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2021-22シーズン、チャンピオンズリーグでプレーオフまで進んだが敗退し、6シーズンぶりにUEFAヨーロッパリーグに出場したが、ベスト16で敗退した。

2022-23シーズン、リバプールFCから加入ということもあり期待感の高かった南野拓実は、全く活躍できず各メディアから酷評されワースト選手にも選出された。

2023-24シーズン、9得点6アシストを記録し、チームの支柱へと這い上がった南野拓実の活躍もあり、リーグ戦を2位でフィニッシュし来季の6年振りのチャンピオンズリーグ本戦出場が決定した[11]。チーム歴代2位の得点数を記録していたウィサム・ベン・イェデルは来季の構想外となり契約満了で退団した。

2024-25シーズン、開幕戦では先発フル出場した南野の決勝点で1-0で勝利した。マグネス・アクリウシェエリース・ベン・セギルも台頭し、層の厚い攻撃陣となった。チャンピオンズリーグでは第1戦のFCバルセロナ戦で勝利した。

ライバル関係

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近郊チームとのダービーマッチとしては、コートダジュール地方にホームを構えるOGCニースとの「コートダジュール・ダービー」や、フランス南東沿岸にホームを構えるオリンピック・マルセイユとの「南仏ダービー」があるが、小国で観光立国でもあるモナコにはサッカーに対する熱心なファンが少ないため、ホームで開催するダービーであってもアウェイの熱狂的なサポーターに占拠される奇妙な光景を目にすることが出来る。

ユニフォーム

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ホームゲーム用シャツは、赤と白を基調に、赤白の境界が右肩から左腰へ斜めに入った特徴的なデザインとなっている。

創設当初はチームカラーがなく、他のクラブが使っていない色を中心に毎年替えていた。その後1950年代に赤白のストライプ模様を採用し、チームカラーがほぼ固定された。このストライプ時代の1960年にクラブ初のタイトルとなるフランスカップを獲得している。

現在も使用されている斜め模様は、モナコ公国妃(当時)グレース・ケリーによってデザインされたもの。採用された1960-61シーズンにクラブ初のリーグ制覇を成し遂げたという縁起の良いユニフォームである。

タイトル

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国内タイトル

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国際タイトル

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過去の成績

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シーズン リーグ戦 カップ戦 リーグ杯 スーパー杯 欧州カップ
ディビジョン 順位
1986-87 ディヴィジョン・アン 38 15 15 8 41 33 45 5位 ベスト16
1987-88 ディヴィジョン・アン 38 20 12 6 53 29 52 1位 ベスト32
1988-89 ディヴィジョン・アン 38 18 14 6 62 38 68 3位 準優勝 チャンピオンズカップ 準々決勝敗退
1989-90 ディヴィジョン・アン 38 15 16 7 38 24 46 3位 ベスト64 カップウィナーズカップ 準決勝敗退
1990-91 ディヴィジョン・アン 38 20 11 7 51 30 51 2位 優勝 UEFAカップ ベスト16
1991-92 ディヴィジョン・アン 38 22 8 8 55 33 52 2位 カップウィナーズカップ 準優勝
1992-93 ディヴィジョン・アン 38 21 9 8 56 29 51 3位 ベスト16 カップウィナーズカップ ベスト16
1993-94 ディヴィジョン・アン 38 14 13 11 52 36 41 9位 ベスト16 チャンピオンズリーグ 準決勝敗退
1994-95 ディヴィジョン・アン 38 15 12 11 60 39 57 6位 ベスト32 準々決勝敗退
1995-96 ディヴィジョン・アン 38 19 11 8 64 39 68 3位 ベスト16 準々決勝敗退 UEFAカップ 1回戦敗退
1996-97 ディヴィジョン・アン 38 23 10 5 69 30 79 1位 ベスト64 準決勝敗退 UEFAカップ 準決勝敗退
1997-98 ディヴィジョン・アン 34 18 5 11 51 33 59 3位 準々決勝敗退 ベスト32 優勝 チャンピオンズリーグ 準決勝敗退
1998-99 ディヴィジョン・アン 34 18 8 8 52 32 62 4位 ベスト64 ベスト16 UEFAカップ ベスト16
1999-00 ディヴィジョン・アン 34 20 5 9 69 38 65 1位 準決勝敗退 ベスト16 UEFAカップ ベスト16
2000-01 ディヴィジョン・アン 34 12 7 15 53 50 43 11位 ベスト64 準優勝 優勝 チャンピオンズリーグ GS敗退
2001-02 ディヴィジョン・アン 34 9 12 13 36 41 39 15位 準々決勝敗退 準々決勝敗退
2002-03 リーグ・アン 38 19 10 9 66 33 67 2位 ベスト64 優勝
2003-04 リーグ・アン 38 21 12 5 59 30 75 3位 準々決勝敗退 ベスト16 チャンピオンズリーグ 準優勝
2004-05 リーグ・アン 38 15 18 5 52 35 63 3位 準決勝敗退 準決勝敗退 チャンピオンズリーグ ベスト16
2005-06 リーグ・アン 38 13 13 12 42 36 52 10位 ベスト32 準決勝敗退 UEFAカップ ベスト32
2006-07 リーグ・アン 38 13 12 13 45 38 51 9位 ベスト16 ベスト16
2007-08 リーグ・アン 38 13 8 17 40 48 47 12位 ベスト32 ベスト16
2008-09 リーグ・アン 38 11 12 15 41 45 45 11位 準々決勝敗退 3回戦敗退
2009-10 リーグ・アン 38 15 10 13 39 45 55 8位 準優勝 3回戦敗退
2010-11 リーグ・アン 38 9 17 12 36 40 44 18位 ベスト64 準々決勝敗退
2011-12 リーグ・ドゥ 38 13 13 12 41 48 52 8位 ベスト64 1回戦敗退
2012-13 リーグ・ドゥ 38 21 13 4 64 33 76 1位 7回戦敗退 ベスト16
2013-14 リーグ・アン 38 23 11 4 64 31 80 2位 準決勝敗退 3回戦敗退
2014-15 リーグ・アン 38 20 11 7 51 26 71 3位 準々決勝敗退 準決勝敗退 チャンピオンズリーグ 準々決勝敗退
2015-16 リーグ・アン 38 17 14 7 57 50 65 3位 ベスト16 ベスト16 チャンピオンズリーグ プレーオフ敗退
ヨーロッパリーグ GS敗退
2016-17 リーグ・アン 38 30 5 3 107 31 95 1位 準決勝敗退 準優勝 チャンピオンズリーグ 準決勝敗退
2017-18 リーグ・アン 38 24 8 6 85 45 80 2位 ベスト32 準優勝 準優勝 チャンピオンズリーグ GS敗退
2018-19 リーグ・アン 38 8 12 18 38 57 36 17位 ベスト32 準決勝敗退 準優勝 チャンピオンズリーグ GS敗退
2019-20 リーグ・アン 28 11 7 10 44 44 40 9位 ベスト16 ベスト16
2020-21 リーグ・アン 38 24 6 8 76 42 78 3位 準優勝
2021-22 リーグ・アン 38 20 9 9 65 40 69 3位 準決勝敗退 チャンピオンズリーグ プレーオフ敗退
ヨーロッパリーグ ベスト16
2022-23 リーグ・アン 38 19 8 11 70 58 65 6位 3回戦敗退 チャンピオンズリーグ 予選3回戦敗退
ヨーロッパリーグ 決勝プレーオフ敗退

欧州の成績

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現所属メンバー

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2023-24シーズン フォーメーション(3-4-2-1)
2024年08月31日現在[12]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK   ラドスワフ・マイェツキ
2 DF   ヴァンデルソン
4 DF   ジョーダン・テゼ ( )
5 DF   ティロ・ケーラー
6 MF   デニス・ザカリア( )
7 MF   エリース・ベン・セギル ( )
8 MF   エリオット・マタゾ ( )
9 FW   フォラリン・バログン ( )
10 MF   アレクサンドル・ゴロヴィン
11 MF   マグネス・アクリウシェ ( )
12 DF   カイオ・エンヒキ( )
13 DF   クリスチャン・マウィッサ
No. Pos. 選手名
15 MF   ラミン・カマラ
16 GK   フィリップ・ケーン ( )
17 DF   ウィルフリード・シンゴ
18 MF   南野拓実
20 DF   カッソム・ワタラ
21 FW   ジョージ・イレニヘナ ( )
22 DF   モハメド・サリス
27 MF   クレパン・ディアタ
36 FW   ブレール・エンボロ ( )
37 MF   エダン・ディオプ ( )
50 GK   ヤン・リエナール
88 MF   スングトゥ・マガッサ( )

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印は外国人枠選手を示す。

監督

ローン移籍

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in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- FW   パリス・ブルナー (サークル・ブルッヘ)( )
-- DF   クリスラン・マツィマ (FCアウクスブルク)( )
No. Pos. 選手名
-- DF   イスマイル・ヤコブス (ガラタサライSK)
-- FW   マイロン・ボアドゥ (VfLボーフム)( )

歴代監督

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名前 期間 獲得タイトル
  ジャン・バトマル 1948-1950
  エレク・シュワルツ 1950-1952
  アンジェロ・グリゼッティ 1952-1953
  ルイ・デュパル 1953-1956
  トニー・マレク 1956-1957
  ルイ・ピローニ 1958
  リュシアン・ルデュク英語版 1958-1963 1961・1963リーグ、1960・1963カップ
1961ドラゴ、1961スーパーカップ
  クリストワ・ロジェ 1963-1965
  ルイ・ピローニ 1965-1966
  ピエール・シニバルディ 1966-1968
  ルイ・ピローニ 1969
  ロベール・ドメルグ 1969-1970
  ジャン・ルシアノ 1970-1972
  ルベン・ノルベルト・ブラボ 1972-1974
  アルベルト・ムロ 1974-1975
  アルマン・フォルシェリオ 1976
  リュシアン・ルデュク 1977-1979 1978リーグ
  ジェラール・バニド英語版 1979-1983 1980カップ、1982リーグ
  ステファン・コヴァチ 1986-1987
  ルシアン・ミュラー 1983-1986 1985カップ、1985スーパーカップ
  アーセン・ベンゲル 1987-1994 1988リーグ、1991カップ
  ジャン・プティ 1994
  ジャン=リュック・エトリ 1994-1995
  ジェラール・バニド 1995
  ジャン・ティガナ 1995-1999 1997リーグ、1997スーパーカップ
  クロード・ピュエル 1999-2001 2000リーグ、2000スーパーカップ
  ディディエ・デシャン 2001-2005 2003リーグカップ
  ジャン・プティ 2005
  フランチェスコ・グイドリン 2005-2006
  ラースロー・ベレニ 2006
  ローラン・バニド英語版 2006-2007
  リカルド・ゴメス 2007-2009
  ギー・ラコンブ 2009-2011
  ローラン・バニド 2011
  マルコ・シモーネ 2011-2012
  クラウディオ・ラニエリ 2012-2014 2012-13リーグ・ドゥ
  レオナルド・ジャルディム 2014-2018 2016-17リーグ・アン
  ティエリ・アンリ 2018-2019
  レオナルド・ジャルディム 2019
  ロベルト・モレノ・ゴンサレス 2019-2020
  ニコ・コヴァチ 2020-2021
  フィリップ・クレマン 2022-2023
  アドルフ・ヒュッター 2023-

[8]

歴代所属選手

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歴代記録

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出場数ランキング[8]
名前 試合数 在籍年
  ジャン=リュック・エトリ 755 1975-1994
  クロード・ピュエル 602 1978-1996
  ジャン・プティ 428 1969-1982
  マニュエル・アモロス 349 1980-1989
  クリスティアン・ダルジェ英語版 334 1971-1980
  マルセル・ディブ英語版 326 1985-1993
  フランソワ・リュド英語版 319 1953-1962
  リュック・ソノール英語版 315 1986-1995
  ミシェル・イダルゴ 304 1957-1966
  アルマン・フォルシェリオ英語版 303 1961-1972
得点数ランキング[8]
名前 得点数 在籍年
  デリオ・オニス 223 1973-1980
  リュシアン・コス英語版 115 1959-1965
  クリスティアン・ダルジェ英語版 89 1971-1980
  ヴィクトル・イクペバ 77 1993-1999
  ジャン・プティ 76 1969-1982
  イヴォン・ドゥイス 74 1961-1967
  ユーリ・ジョルカエフ 68 1990-1995
  シャバニ・ノンダ 67 2000-2005
  ソニー・アンデルソン 67 1994-1997
  ジョージ・ウェア 66 1988-1992

脚注

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  1. ^ 世界で最もセレブな街のサッカー事情。 ASモナコの躍進と、その国民の悲願。”. 2023年11月1日閲覧。
  2. ^ “Russian billionaire Dmitry Rybolovlev completes takeover of Monaco's soccer club”. Washington Post. (23 December 2011). http://www.washingtonpost.com/sports/dcunited/russian-billionaire-dmitry-rybolovlev-completes-takeover-of-monacos-soccer-club/2011/12/23/gIQADCG3DP_story.html 23 December 2011閲覧。 
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関連項目

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外部リンク

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