ASローマ

イタリアのサッカークラブ

アッソチアツィオーネ・スポルティーバ・ローマ: Associazione Sportiva Romaイタリア語発音: [ˈroːma])は、イタリアローマを本拠地とするサッカークラブである。

ASローマ
原語表記 Associazione Sportiva Roma S.p.A.
愛称 i Giallorossi(黄と赤)
La Magica(魔術師)
i Lupi(狼)
クラブカラー    
    カーマイン
創設年 1927年
所属リーグ セリエA
所属ディビジョン 1部(2023-24
昨季リーグ順位 6位(2022-23
ホームタウン ラツィオ州 ローマ
ホームスタジアム
スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ
収容人数 72,698
代表者 アメリカ合衆国の旗 ダン・フリードキン英語版
監督 イタリアの旗 ダニエレ・デ・ロッシ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

概要

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1927年にファシスト政権によって取り決められた合併によって設立され、1951-52シーズンを除いた全シーズンでイタリアのトップディビジョンに参加している。また、セリエAを3回(1941-42、1982-83、2000-01)、コッパ・イタリアを9回、スーペルコッパ・イタリアーナを2回制している。欧州の舞台では、1960-61インターシティーズ・フェアーズカップで優勝した。また、1983-84のヨーロピアンカップと1990-91のUEFAカップ決勝に進出したものの、それぞれリヴァプールインテルに敗れ、準優勝に終わっている。2021-22シーズンより実施されたUEFAヨーロッパカンファレンスリーグでは、初代チャンピオンに輝いた。

2020年に『デロイト』が公表したデロイト・フットボール・マネー・リーグによると、2018-19シーズンのクラブ収入は2億3100万ユーロであり、ヨーロッパで第16位、イタリアではユヴェントスインテルに次ぐ第3位である[1]

エンブレムのオオカミのマークは古代ローマの建国神話におけるロームルスレムスの兄弟の逸話から取られたものである。サポーターはロマニスタと呼ばれる。

同じローマに本拠地を置くSSラツィオとはクラブ、サポーター共にライバル意識があり、2チームの対戦はデルビー・デッラ・カピターレと呼ばれるイタリアのダービーマッチとして知られている。

歴史

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1927年夏、ファシスト党イタロ・フォッシ[2]によりイタリアサッカー選手権に参加していたローマを本拠地とするローマンSSアルバ=アウダチェフォルティトゥード=プロ・ローマSGSの3クラブが合併し、ASローマが設立された[2]。合併の目的は、当時強豪であった北イタリアのクラブのライバルとなる首都の強豪クラブを作ることだった[2]SSラツィオは、クラブの会員でイタリアサッカー連盟幹部のヴァカロ将軍の介入により、ローマの主要クラブとして唯一合併から免れた。

黄金期

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1979-80シーズンにニルス・リードホルムが監督に就任し、コッパ・イタリアを制するとここから黄金期に突入する。1982-83シーズンファルカンブルーノ・コンティらを擁したチームはスクデットを獲得。1983-84シーズン、トニーニョ・セレーゾらを補強し、のチャンピオンズカップでは決勝に進出するものの、決勝戦でリヴァプールFCにPK戦で敗戦した。

リードホルムの後任にスヴェン・ゴラン・エリクソンが就任。エリクソン体制の2年目に、当時は絶頂期だったユヴェントスFCとの優勝争いを演じて、一時は首位を守ったが終盤に敗戦(暗黒の日曜日とも呼ばれた)して最終的にユヴェントスに優勝をさらわれることとなった。それから再び優勝争いに加わるのは2000-01シーズンになるまで待たなければならなかった。

低迷期

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それ以降は上位と中位をさまよい、監督交代も日常茶飯事であったが、1990-91シーズンはカップ戦が好調で、コッパ・イタリアを制し、UEFAカップでも決勝に進出したが、インテルに敗れタイトルを逃した。1992年にフランチェスコ・センシが買収し会長に就任(2008年まで)。1992-93シーズン、ヴヤディン・ボシュコヴが監督に就任。ルディ・フェラーを放出し、シニサ・ミハイロビッチクラウディオ・カニーヒアを獲得した。しかし、カニーヒャはあまり活躍出来ず、シーズン終盤には薬物使用により約13ヵ月間の出場停止処分となった[3]。このシーズンのリーグ戦は10位と低迷し、コッパ・イタリアでは決勝に進むもトリノに競り負けた。

1993-94シーズン、カルロ・マッツォーネを監督に招聘した。このシーズン、アベル・バルボを獲得、フランチェスコ・トッティがデビューするなど明るい材料もあった。1994-95シーズン、ダニエル・フォンセカを獲得、バルボとのコンビは冴えを見せたが[4]、5位留まり、翌1995-96シーズンも5位であった。1995-96シーズン限りで長年在籍してキャプテンも務めたジュゼッペ・ジャンニーニが退団した。1996-97シーズン、アルゼンチンで大きな成功をおさめていた、カルロス・ビアンチを監督に招聘、リーグ戦27試合、合計31試合を指揮したが、チームは低迷し、シーズン終盤に解任された[5]。リードホルムが後任としてシーズン終了まで監督を務めたが、このシーズンはセリエB落を免れらたが、リーグ12位に終わった。

以降、持ち直すもタイトルを獲得出来ずに終わった。

ファビオ・カペッロ監督時代

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1999-2000シーズンには、ファビオ・カペッロを監督に招聘。カペッロの招聘は見事的中し、1年目から優勝争いに加わった。シーズン後半には攻撃力の高いトッティをFWとして起用するため中田英寿を新司令塔として獲得したが、中田がチームにフィットしなかった事と選手層の薄さを露呈し、チャンピオンズリーグ出場圏外まで順位を落とした(この年ライバルのラツィオは国内2冠を達成した)。

2000年にイタリア国内のクラブではラツィオに次いで株式を上場した。これにより補強資金を確保できたクラブは、2000-01シーズン開幕前にガブリエル・バティストゥータエメルソンワルテル・サムエルといった選手を補強した。バティストゥータ、マルコ・デルヴェッキオヴィンチェンツォ・モンテッラらを再び司令塔のポジションに戻ったトッティが操る攻撃陣、エメルソン、カフーアウダイール、サムエルの守備陣を擁したチームは序盤戦から首位を走り続け、失速することなく18シーズンぶり3回目のスクデットを獲得した。

以降のシーズンもアントニオ・カッサーノらを補強して優勝争いに加わり、2001-02シーズンと2003-04シーズンには2位に食い込みUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。

クラブレコード更新

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2004-05シーズンは、カペッロがユヴェントスへ移籍し、監督交代も相次ぎ、更にはカルチョ・スキャンダルの影響を受けて低迷した。UEFAチャンピオンズリーグではホームでのディナモ・キーウ戦が没収試合となり、以降ホームでのレアル・マドリード戦とバイエル・レバークーゼン戦を無観客で行わなければならなかった。終盤にはブルーノ・コンティが監督に就任し、コッパ・イタリアでは2年ぶりに決勝に進出した(それ以降のコッパ・イタリアでは6年で5回決勝に進出している)。

2005-06シーズンからルチアーノ・スパレッティが監督に就任すると、当時のリーグ新記録となる11連勝をローマ・ダービーにおいて達成したが、トッティの怪我が影響し中位に沈んだ。しかし、カルチョ・スキャンダルの影響を上位チームが受けたこともあり2位に浮上。

2006-07シーズン、2007-08シーズンも2位となり、特に2007-08シーズンは最終節まで首位インテルを追い詰めた。また、この2シーズン連続でUEFAチャンピオンズリーグでベスト8に食い込むなど好成績を残した。更に、2006-07シーズンには16年ぶりにコッパ・イタリアを制し、翌年に連覇も達成した。そして本来CFタイプではないトッティをそのポジションに置く「ゼロトップ(トップレス)」はサッカー戦術の新潮流となった。

2008-09シーズンはCLではベスト16だったが、リーグ戦では6位と、優勝争いはおろか、CL出場権まで逃していた。2008年にセンシ会長が死去し、娘のロゼッラが会長を務めた。

2009-10シーズンは開幕から2連敗し、その責任を取ってスパレッティが監督を辞任。後任のクラウディオ・ラニエリによってチームは巻き返し、公式戦20戦無敗、リーグ24戦無敗のクラブレコードをローマ・ダービーにおいて更新。UEFAヨーロッパリーグでは決勝トーナメント1回戦で敗退したものの、セリエAではインテルと激しい優勝争いを繰り広げ、33節で最大14あった勝ち点差をひっくり返し首位に浮上した。しかし35節で再び2位に沈むと、最終節まで優勝の可能性を残しながらも2位に終わった。また、コッパ・イタリアでは2年ぶりに決勝に進出したが、インテルに敗れ準優勝となった。

2010-11シーズンは不振に陥り、クラウディオ・ラニエリ監督は2011年2月に解任。シーズン終了までヴィンチェンツォ・モンテッラが指揮を執った。

クラブの売却と新時代へ

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ローマのオーナーであるセンシ家は長年資金難に悩まされており、2010年7月には経営権がイタリア最大の銀行グループウニクレーディトの管理下におかれるほどであった。2011年3月、米国大リーグ、ボストン・レッドソックスのパートナーであるイタリア系アメリカ人トーマス・R・ディベネデト英語版がオーナーの地位に就いた。パレルモでディレクターを務めたワルテル・サバティーニをスポーツディレクターとして招聘し、FCバルセロナB監督であったルイス・エンリケを招聘した。そして、2011年の夏の市場では大量補強を行い、ボージャン・クルキッチミラレム・ピャニッチホセ・アンヘルフェルナンド・ガゴエリク・ラメラパブロ・オズヴァルドといった若手選手を中心としつつ、マールテン・ステケレンブルフガブリエル・エインセといった選手を獲得した。しかし、結果は7位という欧州カップ戦に出られない成績に終わり、2012年5月、ルイス・エンリケ監督、オーナーのディベネデト氏は辞意を表明した。

後任にオーナーは前任者と同じイタリア系アメリカ人のジェームズ・パロッタに、監督はズデネク・ゼーマンの就任を発表。しかしリーグ戦での不振が要因でゼーマンは2013年2月2日に解任された。後任には長くローマでテクニカルスタッフを担当しているアウレリオ・アンドレアッツォーリが暫定的に指揮を執ることになった。2013年6月12日、リールからリュディ・ガルシアの招聘。夏の移籍市場では、マイコンアデム・リャイッチジェルヴィーニョラジャ・ナインゴランケヴィン・ストロートマンメディ・ベナティアなど実力者を多数獲得。2013-14シーズンは、セリエA記録となる開幕10連勝を達成、その後もインテルなどのライバルチームに勝利を収め、17節カターニャ戦まで無敗を維持した。

2014-15シーズンは、ベナティアがバイエルン・ミュンヘンに移籍したものの、コスタス・マノラスアシュリー・コールウルビー・エマヌエルソンフアン・マヌエル・イトゥルベセイドゥ・ケイタダヴィデ・アストーリらを獲得し冬の移籍市場では、ビクトル・イバルボセイドゥ・ドゥンビアニコラス・スポッリを獲得。UEFAチャンピオンズリーグではバイエルン・ミュンヘンマンチェスター・シティに勝ちきれずグループステージ敗退となった。UEFAヨーロッパリーグではベスト16でACFフィオレンティーナに敗れた。リーグ戦ではSSラツィオ相手にトッティが2ゴールを挙げる活躍を見せた。

2015-16シーズンはエディン・ジェコモハメド・サラーヴォイチェフ・シュチェスニーアントニオ・リュディガーイアゴ・ファルケリュカ・ディニュらを獲得し、冬の移籍市場では、ディエゴ・ペロッティステファン・エル・シャーラウィらを獲得した。チャンピオンズリーグでは、決勝トーナメントに進んだものの、ベスト16でレアル・マドリードに2戦合計0-4で敗れた。リーグ戦では3位に終わった。

2016-17シーズンはミラレム・ピャニッチがライバルであるユヴェントスに移籍し他にもアントニオ・サナブリアやリャイッチ、ファルケらも売却した。一方でエル・シャーラウィ、リュディガー、サラーを完全移籍で獲得し、トーマス・フェルマーレンフアンブルーノ・ペレスフェデリコ・ファシオらも獲得し、冬にもクレマン・グルニエを獲得。チャンピオンズリーグではプレーオフで2戦合計1-4でFCポルトに敗れ、ヨーロッパリーグでは2戦合計4-5でオリンピック・リヨンに敗れた。リーグ戦では、優勝したユヴェントスFCと勝ち点差4の勝ち点87で2位となり、クラブ史上最高の勝ち点を記録した。シーズン終了後、ルチアーノ・スパレッティ監督が退任した。さらに、クラブのキャプテンを長年務めてきたフランチェスコ・トッティが現役引退した。

エウゼビオ・ディ・フランチェスコが新監督に就任した2017-18シーズンはFFPの規制もあり、資金捻出のためリュディガーをチェルシーFCに、サラーをリヴァプールFCに、レアンドロ・パレデスゼニト・サンクトペテルブルクに売却した。一方でフェイエノールトからリック・カルスドルプUSサッスオーロ・カルチョからロレンツォ・ペレグリーニとグレゴワール・デフレルを、PSVアイントホーフェンからエクトル・モレノを、オリンピック・リヨンからマキシム・ゴナロンマンチェスター・シティからアレクサンダル・コラロヴイスタンブール・バシャクシェヒルFKからジェンギズ・ウンデルらを獲得した。2018年4月23日、カタール航空とメインスポンサー契約を締結した[6][7]。リーグ戦では、インテルやラツィオとの激しい3位争いを制し、来季のチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。チャンピオンズリーグでは、チェルシーFCアトレティコ・マドリードと同じグループとなったが、グループ首位で突破した。FCバルセロナとの準々決勝では、1stレグは2つのオウンゴールを献上し1-4で敗れたが、ホームでの2ndレグでは3-0で勝利し、アウェーゴール数で逆転で突破し34年ぶりに準決勝進出した。この逆転劇はオリンピコの奇跡と呼ばれている。準決勝ではリヴァプール相手に2戦合計6-7で僅かに及ばず決勝進出はならなかった。

2018-19シーズンは、アリソン・ベッカーをゴールキーパーとしては史上最高額(当時)でリヴァプールFCに売却したほか、ラジャ・ナインゴランインテル・ミラノに、ケヴィン・ストロートマンオリンピック・マルセイユに売却した。一方でパリ・サンジェルマンFCからハビエル・パストーレセビージャFCからスティーヴン・エンゾンジアヤックス・アムステルダムからジャスティン・クライファートアタランタBCからブライアン・クリスタンテFCコペンハーゲンからロビン・オルセンインテル・ミラノからニコロ・ザニオーロらを獲得した。主力選手が退団し、新加入の選手も期待に応えられず、不安定なシーズンとなり、3月7日にディ・フランチェスコ監督が解任され、同時にモンチSDとも契約を解除した。クラウディオ・ラニエリが後任の監督としてシーズン終了まで指揮を執った。リーグ戦では6位となり、来季のチャンピオンズリーグ出場権を逃した。シーズン終了後、ラニエリが退任し、FCシャフタール・ドネツクよりパウロ・フォンセカを招聘した。また、ローマで18年間プレーしてきたダニエレ・デ・ロッシが退団した。

2019-20シーズンは、コスタス・マノラスSSCナポリに、エル・シャーラウィ上海申花に、ルカ・ペッレグリーニユヴェントスに、パトリック・シックRBライプツィヒに、スティーヴン・エンゾンジガラタサライに、ロビン・オルセンカリアリに放出した。一方で、SSCナポリからアマドゥ・ディアワラ、ユヴェントスからレオナルド・スピナッツォーラ、レアル・ベティスからパウ・ロペス、アタランタBCからジャンルカ・マンチーニフィオレンティーナからジョルダン・ヴェレトゥマンチェスター・ユナイテッドからクリス・スモーリングアーセナルからヘンリク・ムヒタリアンらを獲得した。リーグ戦は5位で、チャンピオンズリーグの出場権を逃したものの、ヨーロッパリーグの出場権は獲得した。コッパ・イタリアでは準々決勝でユヴェントスに敗れた。UEFAヨーロッパリーグでは、グループステージを突破し決勝トーナメントに進出。ラウンド32でKAAヘントを2戦合計2-1で破ったが、新型コロナウイルスの影響で一発勝負となったラウンド16のセビージャFC戦に敗れて敗退した。

2019年秋ごろから、アメリカでトヨタ自動車の販売代理店を経営するダン・フリードキン英語版へのクラブの売却交渉が行われ[8][9]、セリエA史上最高額となる7億8000万ユーロでの売却されるとも報じられたが[10]、2020年に入り新型コロナウイルスの世界的流行もあり、交渉は難航した[11]。しかし、8月6日に総額5億9000万ユーロで売却され、2020年8月末までに取引が完了することが発表された[12]

2021年10月7日、ルノー・日産・三菱アライアンス全部品担当RVPピレリ北米部門CEOなどを歴任したピエトロ・ベラルディがクラブのCEOに就任した[13][14][15]。 2021-22シーズン、ジョゼ・モウリーニョが監督に就任、タミー・アブラハムを獲得した 。UEFAヨーロッパカンファレンスリーグでは決勝でフェイエノールトを破り優勝を果たし、この大会の初代王者となった[16]

サポーターとライバル関係

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スタディオ・オリンピコでのローマファン達

ローマはユヴェントスFCインテルナツィオナーレ・ミラノACミランSSCナポリに次いでイタリアで5番目にファンの多いサッカークラブであり、イタリアのサッカーファンの約7%がローマを応援している(2006年4月の調査)[17]。歴史的に、ローマ市のローマサポーターの大部分はインナーシティ、特にテスタッチョから来ている[18]

クラブの伝統的なウルトラス集団はCommando Ultrà Curva Sud(CUCSの略称で知られる)[19]であった。CUCSは多くの小さなグループの合併によって設立され、欧州サッカーの歴史において最も歴史あるグループの一つであると見なされていた[19]。しかしながら、1990年代中頃までに、CUCSはライバル派閥に取って代わられ、最後には解散した。この時以来、スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマクルヴァ・スッド(南スタンド)はより右翼的な集団[19]であるASローマ・ウルトラスやボーイズ、ジョヴィネッツァなどによって管理されている。しかしながら、最も古いグループであるFedayn政治に無関心であり、政治はローマの主要なアイデンティティではなく、全体のアイデンティティの単なる一部分である。

 
ローマの試合中のスタディオ・オリンピコ

最も知られているクラブアンセムは、アントネッロ・ベンディッティが歌った「Roma (non si discute, si ama)」(Roma Romaとしても知られている)である[20][21]。曲の題名は「ローマは議論の余地は無く、愛されるべき」といった意味であり、毎試合前に歌われる。同じ歌手による「Grazie Roma」はホームゲームで勝利した後に流れる。最近は、ザ・ホワイト・ストライプスの楽曲「セヴン・ネイション・アーミー」のリフも試合で広く親しまれるようになってきている[22]

ライバル関係

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イタリアサッカーにおいて、ローマには多くのライバルがいる。最初のライバルは、共にスタディオ・オリンピコを本拠地とするラツィオである。この2チームのダービーマッチは「デルビー・デッラ・カピターレ」(首都ダービー)呼ばれる。過去には、1979-80シーズンの試合においてクルヴァ・スッドから発射された緊急照明弾が原因で起こったラツィオファンVincenzo Paparelliの死亡事故[23]や、死亡者が出たという根拠のないうわさに端を発したスタジアム外での暴力を受けて試合放棄となった2004年3月の事例[24]など、時折暴力沙汰が起こっている。

近年では、ローマファンはユヴェントス(1980年代にライバル関係が生まれた)やミランインテル(近年上昇している)といったセリエAの強豪も(リーグタイトルを争うことから)ライバルと考えている[19]

SSCナポリとも、「デルビー・デル・ソーレ」(太陽のダービー)を闘うライバル関係にある[25]

近年一部のローマサポーターとイングランドのクラブのファンとの間で数多くの衝突事例やその後のスタジアム外での暴力が起こっており[26]、多くのリヴァプールファンが刺される事件も起こった(ヘイゼルの悲劇も参照)。

それ以来、一部のイングランド人サポーターがローマにおいて暴力を受けたり刺される事件がさらに起こっている。2001年にリヴァプールがローマを訪れた際や、2006年のミドルスブラファンとの衝突、2007年のマンチェスターユナイテッドファンとの衝突などである。2009年3月、アーセナルサポーターを乗せた長距離バスがスタディオ・オリンピコのすぐ外でローマの「ウルトラス」の集団によって攻撃された。バスの窓ガラスは割られ、少なくとも一人が車両に乗り込み、火を放ち、サポーターの膝を刺した[27]

タイトル

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コッパ・イタリア優勝杯を受け取る、トッティ(2007-08シーズン)
 
UEFAヨーロッパカンファレンスリーグトロフィー。2022年ジャパンツアーでの展示。

国内タイトル

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国際タイトル

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過去の成績

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シーズン リーグ戦 コッパ・イタリア
ディビジョン 順位
1979-80 セリエA 30 10 12 8 34 35 32 6位 優勝
1980-81 30 14 14 2 43 20 42 2位 優勝
1981-82 30 15 8 7 40 29 38 3位 準々決勝敗退
1982-83 30 16 11 3 47 24 43 1位 準々決勝敗退
1983-84 30 15 11 4 48 28 41 2位 優勝
1984-85 30 10 14 6 33 25 34 7位 ベスト16
1985-86 30 19 3 8 51 27 41 2位 優勝
1986-87 30 12 9 9 37 31 33 7位 ベスト16
1987-88 30 15 8 7 39 26 38 3位 ベスト16
1988-89 34 11 12 11 33 40 34 8位 2回戦敗退
1989-90 34 14 13 7 45 40 41 6位 準決勝敗退
1990-91 34 11 14 9 43 37 36 9位 優勝
1991-92 34 13 14 7 37 31 40 5位 準々決勝敗退
1992-93 34 8 17 9 42 39 33 10位 準優勝
1993-94 34 10 15 9 35 30 35 7位 ベスト16
1994-95 34 16 11 7 46 25 59 5位 準々決勝敗退
1995-96 34 16 10 8 51 34 58 5位 ベスト32
1996-97 34 10 11 13 46 47 41 12位 ベスト32
1997-98 34 16 11 7 67 42 59 4位 準々決勝敗退
1998-99 34 15 9 10 69 49 54 5位 ベスト16
1999-00 34 14 12 8 57 34 54 6位 準々決勝敗退
2000-01 34 22 9 3 68 33 75 1位 ベスト16
2001-02 34 19 13 2 58 24 70 2位 準々決勝敗退
2002-03 34 13 10 11 55 46 49 8位 準優勝
2003-04 34 21 8 5 68 19 71 2位 準々決勝敗退
2004-05 38 11 12 15 55 58 45 8位 準優勝
2005-06 38 19 12 7 70 42 69 2位 準優勝
2006-07 38 22 9 7 74 34 75 2位 優勝
2007-08 38 24 10 4 72 37 82 2位 優勝
2008-09 38 18 9 11 64 61 63 6位 準々決勝敗退
2009-10 38 24 8 6 68 41 80 2位 準優勝
2010-11 38 18 9 11 59 52 63 6位 準決勝敗退
2011-12 38 16 8 14 60 54 56 7位 準々決勝敗退
2012-13 38 18 8 12 71 56 62 6位 準優勝
2013-14 38 26 7 5 72 25 85 2位 準決勝敗退
2014-15 38 19 13 6 54 31 70 2位 準々決勝敗退
2015-16 38 23 11 4 83 41 80 3位 ベスト16
2016-17 38 28 3 7 90 38 87 2位 準決勝敗退
2017-18 38 23 8 7 61 28 77 3位 ベスト16
2018-19 38 18 12 8 66 48 66 6位 準々決勝敗退
2019-20 38 21 7 10 77 51 70 5位 準々決勝敗退
2020-21 38 18 8 12 68 58 62 7位 ベスト16
2021-22 38 18 9 11 59 43 63 6位 準々決勝敗退
2022-23 38 18 9 11 50 38 63 6位 準々決勝敗退
2023-24 38

記録

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欧州の成績

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UEFAチャンピオンズカップ / UEFAチャンピオンズリーグ

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UEFAカップウィナーズカップ

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UEFAカップ / UEFAヨーロッパリーグ

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UEFAヨーロッパカンファレンスリーグ

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インターシティーズ・フェアーズカップ

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欧州での記録

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2022年11月3日現在
大会 勝率
UEFAチャンピオンズカップ / UEFAチャンピオンズリーグ 111 41 27 43 148 160 −12 036.94
UEFAカップウィナーズカップ 29 12 9 8 34 24 +10 041.38
UEFAカップ / UEFAヨーロッパリーグ 151 81 29 41 268 152 +116 053.64
UEFAヨーロッパカンファレンスリーグ 15 10 3 2 33 16 +17 066.67
総通算 306 144 68 94 483 352 +131 047.06

現所属メンバー

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セリエA 2023-24 主要フォーメーション(3-5-2
2024年1月22日現在[28]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK   ルイ・パトリシオ
2 DF   リック・カルスドルプ
3 DF   ディーン・ハイセン ( )
4 MF   ブライアン・クリスタンテ
5 DF   エヴァン・エンディカ ( )
6 DF   クリス・スモーリング ( )★
7 MF   ロレンツォ・ペッレグリーニ  
9 FW   タミー・エイブラハム ( ) ★
11 FW   アンドレア・ベロッティ
14 DF   ディエゴ・ジョレンテ
16 MF   レアンドロ・パレデス
17 FW   サルダル・アズムン
19 DF   ゼキ・チェリク
No. Pos. 選手名
20 MF   レナト・サンチェス ( )
21 FW   パウロ・ディバラ ( )
22 MF   フセム・アワール ( )
23 DF   ジャンルカ・マンチーニ
24 DF   マラシュ・クンブラ ( )
37 DF   レオナルド・スピナッツォーラ
43 DF   ラスムス・クリステンセン
52 MF   エドアルド・ボーヴェ
59 MF   ニコラ・ザレフスキ ( )
63 GK   ピエトロ・ボエール
90 FW   ロメル・ルカク ( )
92 FW   ステファン・エル・シャーラウィ ( )
99 GK   ミレ・スヴィラル ( )

括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

プリマヴェーラ

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注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
60 DF   ディミトリオス・メラミツィス
70 FW   クラウディオ・カッサーノ
72 FW   ルイージ・チェルビーニ
No. Pos. 選手名
77 FW   ヨルダン・マイチュジャク

登録外選手

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注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名

ローン移籍

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in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
3 DF   ディーン・ハイセン (ユヴェントス)
14 DF   ディエゴ・ジョレンテ (リーズ)
43 DF   ラスムス・クリステンセン (リーズ)
No. Pos. 選手名
20 MF   レナト・サンチェス (パリ・サンジェルマン) ( )
17 FW   サルダル・アズムン (バイエル・レバークーゼン)
90 FW   ロメル・ルカク (チェルシー)( )
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- GK   ダヴィデ・マストラントニオ (モンテロージ・トゥーシア)
-- DF   マティアス・ビーニャ (サッスオーロ) ( )
-- MF   エブリマ・ダルボー (LASKリンツ)
No. Pos. 選手名
-- FW   エルドル・ショムロドフ (カリアリ・カルチョ)
-- FW   オラ・ソルバッケン (浦和レッズ)

スタッフ

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役職 氏名
会長   ダン・フリードキン英語版
副会長   ライアン・フリードキン
チームマネージャー   ヴァレリオ・カルディーニ
アカデミーマネージャー   ブルーノ・コンティ
監督   ダニエレ・デ・ロッシ
アシスタントコーチ   サルヴァトーレ・フォティ英語版
GKコーチ   ヌーノ・サントス
フィジカルコーチ   カルロス・ラリン
テクニカルコーチ   ジョヴァンニ・セラ

出典: 公式ウェブサイト

歴代監督

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歴代所属選手

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ユニフォーム

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年度 メーカー スポンサー
1981–1983 Playground Barilla
1984-1986 Kappa
1987–1991 NR(ennerre)
1992–1994 adidas
1995 asics Nuova Tirrena
1996–1997 INA Assitalia
1998-2000 DIADORA
2001–2002 Kappa
2003 MAZDA
2004-2005 DIADORA
2006–2007 none
2008–2013 Kappa WIND
2014 none Roma Cares
2015-2017 Nike none
2018-2021 QATAR AIRWAYS(胸) / Hyundai(腰)
2021-2022 Newbalance digitalbits(胸) / Hyundai(腰)
2022-2023 digitalbits
2023- adidas

脚注

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  1. ^ Football Money League 2020 - deloitte
  2. ^ a b c La Storia” (Italian). AS Roma. 2007年12月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月6日閲覧。
  3. ^ Claudio Paul Caniggia, il 'Figlio del vento' che amava gli eccessi”. GOAL (2023年1月9日). 2023年9月6日閲覧。
  4. ^ Abel Balbo, 'El Killer' erede di Kempes: da bomber in Serie A a imprenditore agricolo”. GOAL (2023年1月1日). 2023年9月6日閲覧。
  5. ^ ¿Cómo le fue a Bianchi en la Roma?”. OLE. 2023年9月6日閲覧。
  6. ^ ASRoma Official Twitter. (2018年4月23日). https://twitter.com/OfficialASRoma/status/988394778747461637+2018年4月28日閲覧。 
  7. ^ “ローマ、カタール航空と契約締結…クラブ史上7社目の“胸スポンサー”に”. サッカーキング. (2018年4月23日). https://www.soccer-king.jp/news/world/ita/20180424/747503.html 2018年4月28日閲覧。 
  8. ^ Official AS Roma Statement, 20 November 2019” (英語). ASRoma. 2020年8月15日閲覧。
  9. ^ Official AS Roma Statement: 29 December 2019” (英語). ASRoma. 2020年8月15日閲覧。
  10. ^ ローマ、来年1月にもセリエA史上最高額950億円でクラブ売却か…デ・ロッシの復帰も?”. ゲキサカ. 2020年8月15日閲覧。
  11. ^ ローマ売却は成立するか? コロナウイルス禍により交渉も停滞中”. www.footballista.jp (2020年4月7日). 2020年8月15日閲覧。
  12. ^ Official statement regarding the ownership of AS Roma” (英語). ASRoma (2020年8月6日). 2020年8月15日閲覧。
  13. ^ CLUB TO APPOINT PIETRO BERARDI AS NEW CORPORATE CEO』(プレスリリース)ASローマ、2021年10月7日https://www.asroma.com/en/news/2021/10/club-to-appoint-pietro-berardi-as-new-corporate-ceo2021年10月7日閲覧 
  14. ^ アライアンス、新体制のもと、シナジー創出の加速化を目指す』(プレスリリース)日産自動車、2018年3月14日https://global.nissannews.com/ja-JP/releases/180314-02-j2021年10月7日閲覧 
  15. ^ Pietro Berardi to lead Pirelli's North American activities”. Rubber News (2020年2月18日). 2021年10月7日閲覧。
  16. ^ ローマがECL初代王者に輝く! モウリーニョ監督は史上初の欧州カップ戦3冠”. ゲキサカ (2022年5月26日). 2022年5月26日閲覧。
  17. ^ L'altra metà del pallone: Supporters of football clubs in Italy”. L'Expresso. オリジナルの2009年5月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090508122124/http://website.lineone.net/~view_from_the_terrace/italsce.html 2014年2月6日閲覧。 
  18. ^ “Campo Testaccio”. Viva la Roma. (2007年6月24日). http://www.asrtalenti.altervista.org/index.php?a=campo_testaccio.htm 
  19. ^ a b c d “Italian Ultras Scene”. View from the Terrace. (2007年6月29日). http://website.lineone.net/~view_from_the_terrace/italsce.html [リンク切れ]
  20. ^ Inno AS Roma”. Sonoromanista.it (AS Roma fans' social network). 2013年10月26日閲覧。
  21. ^ “Roma Profile”. Goal.com. (2006年4月). http://www.goal.com/en-US/Squadra.aspx?IdSquadra=7&SEOTeamName=AS+Roma [リンク切れ]
  22. ^ “'Seven Nation Army' coro dei tifosi romanisti”. Indie-Rock.it. (2007年6月29日). http://www.indie-rock.it/news_look.php?id=408 
  23. ^ “Vincenzo”. UltrasLazio.it. http://www.ultraslazio.it/public/?page_id=207 2014年2月6日閲覧。 
  24. ^ “22 March: Derby confusion”. FootballInRome.co.uk. (2007年6月29日). http://www.footballinrome.co.uk/news.html 2014年2月6日閲覧。 
  25. ^ “Football Derby matches in Italy”. FootballDerbies.com. (2007年6月29日). http://www.footballderbies.com/index.php?country=2 
  26. ^ “ローマでトッテナムサポーターが襲われる、ラツィオのファンの犯行か”. AFP. (2012年11月23日). https://www.afpbb.com/articles/-/2913002?pid=9880938 2014年2月6日閲覧。 
  27. ^ “Arsenal fan attacked in Rome”. London: BBC News. (2009年3月12日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/london/7938851.stm 2014年2月6日閲覧。 
  28. ^ ALL PLAYERS AND STAFF” (イタリア語). AS Roma. 2023年11月8日閲覧。

外部リンク

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公式