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BIG HORNS BEE(ビッグ・ホーンズ・ビー)は、日本ブラスバンド。リーダー・主宰は金子隆博(Sax.)。略称BHB。1980~1990年代に米米CLUBのホーンセクションとしても活躍、同バンド解散後も多様なスタイルで幅広く音楽活動を展開している。また個々のメンバーはスタジオ・ミュージシャンとしても著名である。数度のメンバーチェンジや活動休止期間を経て、現在も活動している。

目次

メンバー編集

脱退編集

()内は各メンバーのアーティストネーム。これは基本的にBHBと米米CLUBでのみ使用されるが、河合はすべての音楽活動を「河合わかば」名義で行っている。また織田もシエナ・ウインド・オーケストラなどで演奏活動を行う場合に「オリタノボッタ」名義を使用している[1]。一方で2004年からBHBに参加した佐々木はそうしたネームを用いていない[注 1]

概要編集

1980年代初期、金子の呼びかけで前身となる「ストリートファイターズ」を結成。当時アマチュアバンドとして活動していた米米CLUBとのセッションにより活動を開始し、1985年、米米CLUBのメジャーデビュー以後は同バンドのホーンセクションとして勇名を馳せる。初期には数回のメンバーチェンジがあったが、1990年には米米のメンバーとなった金子と織田、河合、下神、小林によるスタジオ・ミュージシャンとしても豊富な実績を持つ5人編成のスタイルが固まる。また同年には世界的に著名なブルースギタリストB.B.キングの来日公演に参加、ライブアルバムとしても収録されるなど独自の評価を確立する。米米CLUB、BHBとしての活動に加え個々のセッションワークも積極的に行われ、多忙な時期を過ごす。1997年、米米CLUB解散以後は個々の活動と平行して、バンドとしても他アーティストのレコーディング、ライブサポートに専念していたが、1999年に自己のライブ活動を再開。「FUZZ JAZZ QUARTET feat. BIG HORNS BEE」名義でのリリースも展開する。2001年には世界的に著名なハードロックバンドディープ・パープル来日公演にも参加する。2002年に下神が脱退し再び個々の活動に専念していたが、2004年に新たに佐々木を迎え、本格的に活動を再開した。また2006年には再結成した米米CLUBにも参加している。

実績編集

既に述べたように各メンバーは個々の活動にも積極的に取り組んでおり、ここではBHB以外での各メンバーの活動について触れる。

プロジェクト編集

メンバーとして参加した主なアーティスト(五十音順)。既に解散したもの、脱退したものを含む。

セッション編集

作編曲、プロデュース、レコーディング、ツアー等で共演した主なアーティスト(五十音順)。BHB全体での参加を中心に著名なアーティストを列記する。非常に数が多いため、BHBを脱退したメンバーのセッションワークは除外する。

※共演者からの賛辞は枚挙に暇がないが、例えばDEENにおいてはメンバーから「DEENのトランペットは佐々木さんしか考えられない」と言わしめるほどの高い評価を得ている。

ディスコグラフィ編集

BIG HORNS BEE単独作品。米米CLUB作品は除く。

シングル編集

  1. COREGA(1988年1月21日・自主制作)
  2. DEAD OR ALIVE (1996年7月1日さんまのSUPERからくりTVテーマソング)

アルバム編集

  1. COREGA(1987年12月21日・自主制作)
  2. BHB1(1991年10月10日
  3. BHB2(1993年9月10日
  4. BHB3(1994年9月7日
  5. for you(1996年9月1日
  6. Why can't we be friends?(2004年11月21日
  7. BIG HORNS BEE BEST(2006年10月11日

映像作品編集

  1. BHB3 TOUR(1994年11月21日

関連項目編集

脚注編集

注釈編集

  1. ^ 佐々木は米米再結成時に「シロー・ブラッキー」と呼ばれるようになったが、この名称を今後のBHBでの活動でも用いるかは不明である。

出典編集

  1. ^ a b New Sounds in BRASS 2016”. シエナ・ウインド・オーケストラ公式サイト. 2017年10月20日閲覧。