Category‐ノート:かつて存在したアジアの国家

最新のコメント:12 年前 | トピック:ソートキーについて | 投稿者:EZO

カテゴリの有用性に疑問 編集

このカテゴリの有用性に強い疑問を感じます。「かつて存在したアジアの国家」というカテゴリではいったい総数がいくつになるのか見当もつきません。おそらくは万を超えることになるでしょう。地域・時代別に子・孫カテゴリを作るとすれば現時点で存在するCategory:魏晋南北朝Category:インドの王朝を使用すればすむ話であって、「かつて存在した」という枠組みを作る意味を見出せません。
つまり「かつて存在した」という枠組みを使用する意義は無いと思います。現代存在する国家も含めた「各地域の国家」には意義があるでしょうが(撤回--2008年9月20日 (土) 12:49 (UTC))。この後で1週間ほど待った上で異論が無い場合には削除依頼にかけたいと思います。--らりた 2008年6月18日 (水) 11:38 (UTC)返信

仕切りなおし 編集

改めて私からの意見を申し上げますと、

  1. 「かつて存在した国家」という枠組みでは総数がいくつになるのか見当も付かないので有用なカテゴリとはいえない。
  2. 細分化するとして。時代別・地域別に細分化していくことになるだろうが、その場合はCategory:魏晋南北朝Category:インドの王朝などが既に存在しており、これで代用可能。新しいカテゴリを作る必要がない。

以上の点から「かつて存在した国家」のカテゴリに存在意義がないと考えております。ご意見をよろしくお願いします。--らりた 2008年9月8日 (月) 08:48 (UTC)返信

地域毎・時代毎のカテゴリの区切りは不可欠だと思います。Category:魏晋南北朝では地域と時代の両方が限定されているため代用とはなりえません。en:Wikipedia:WikiProject Former countriesを日本語版にも導入して統一された議論の場を設けてはいかがでしょう。--István 2008年9月9日 (火) 04:13 (UTC)返信
私はらりたさんの提案に心情的には共感しており(「かつて存在した国家」というのを現役の国家と別にしてまとめる必要があるか、国家の定義がないが、ここでは王朝交代の場合も含むのか、そうなれば滅んだ王朝など恐ろしく増えるのではないか、というような疑問を感じ)、このカテゴリはいらないのではないかと感じていました。しかし、Istvánさんも触れているように、英語版ほか多くの言語版に同じようなカテゴリ(interlang)があることとのつじつまをどう合わせるかというところでひっかかっています。おそらく元のカテゴリは英語版からの翻訳でしょうから、今削除しても多くのinterlangを根拠にまた再作成する人がいるような気がします。ここでもいいですが、どこか(Wikipedia:ウィキプロジェクト カテゴリ関連またはWikipedia:ウィキプロジェクト 歴史)でガイドラインを決めてみてはいかがでしょうか。--Novo 2008年9月9日 (火) 16:01 (UTC)返信
(補記)議論の場はここでもいいと思いますが、ガイドライン化するならどこかに作った方がいいという趣旨です。新しいページをつくるのも大変なので、上記のほか、Wikipedia:ウィキプロジェクト 国に付け加えるということでもいいのかもしれません。--Novo 2008年9月9日 (火) 23:21 (UTC)返信
  1. カテゴリに含まれる総数がいくつになるか見当がつかないことは、カテゴリの有効性とは無関係だと考えます。たとえばCategory:小説には、Category:かつて存在した国家よりはるかに含まれる数が多いと思いますが、だからと言ってCategory:小説が不要とはお考えにならないでしょう。含まれる記事の数が多ければサブカテゴリを作れば良いだけの話であって、そのカテゴリが不要になるわけではありません。
  2. 地域別に細分化されると、そもそもどのカテゴリなのかがわかりにくくなります。例えば渤海をカテゴリで探そうとすると「:Category:かつて存在した中国の国家」を見れば良いのか、Category:かつて存在した朝鮮の国家を見れば良いのかわかりませんし、楼蘭などのシルクロードにかつて存在した国家を見ようとすると現時点では「Category:かつて存在したアジアの国家」しか適当なカテゴリが見当たりません。アジアに含まれるかどうか曖昧な場合を考えると、結局「:Category:かつて存在した国家」が必要になると考えます。
結論として「:Category:かつて存在した国家」には意義があると考えます。(これらのカテゴリの整備が必要なのはまた別の話で、ハワイ王国などこのカテゴリに含まれるべき記事が沢山ありますね)--Wikipedia:井戸端#「Category:かつて存在した国家」についてでのアルビレオさんの2008年9月3日 (水) 14:33 (UTC)のご意見です。らりたにより転記2008年9月10日 (水) 09:16 (UTC))返信

時代別に分ける場合にはCategory:10世紀というカテゴリもあります。これの子カテゴリとして10世紀の国などを作ることも出来ます。あと渤海のような国は両属にしておけば良いでしょう。現在のCategory:渤海史は満州・中国・朝鮮・ロシアの歴史の子カテゴリになっています。楼蘭に関してはそのものずばりのCategory:シルクロードが存在します。
他言語版にあるからという理由はあまり理由にならないと思うんですよね。英語版にも色々変なところはあるでしょう。強硬に削除を主張する気もありませんが、やはりこのカテゴリに意味が見出せません。--らりた 2008年9月10日 (水) 09:16 (UTC)返信

オセアニアに関しては国家数は少なく、大州単位での区分が回避できません。南北アメリカ大陸およびアフリカ大陸においても英語版では大州よりも細かい区分を採っていません。ヨーロッパは国境の変動が激しく、地域区分を考える事が難しいからか英語版では地域別で体系的な区分はありません。アジアのみen:Category:Former countries in Central Asia, en:Category:Former countries in East Asia, en:Category:Former countries in South Asia, en:Category:Former countries in Southeast Asia, en:Category:Former countries in the Middle Eastといった細分化された地域区分が見られます。他の地域との整合性を考えると、このカテゴリーをなくした場合、他の地域との整合性を失い、読者の混乱を招く虞があると考えます。--István 2008年9月10日 (水) 13:23 (UTC)返信
らりたさんと私が「かつて存在した」という分類そのものを問題にしているのに対し、Istvánさんはそれを「地域別・時代別に分ける」ことの必要性のみについてコメントされています。双方を分けて考えた方がいいのではないでしょうか。--Novo 2008年9月11日 (木) 00:40 (UTC)返信

かつて存在したアジアの国家のアジアの定義って何なんでしょう?同じトルコでもセルジューク朝ですとヨーロッパ、オスマン朝だとアジアに分類しますし、また近東地域に関してはどう扱うのという問題とリンクします。アジアの定義が多様性を有している現状、このカテゴリーは不要と考えます。--Yonoemon 2008年9月12日 (金) 05:30 (UTC)返信

すいません、当初は「かつて存在したアジアの国家」に疑問を呈していたのですが、その後で「かつて存在した国家」の方に気づき、現在は親カテゴリごとの存在意義を問うています。ですのでここは「かつて存在したアジアの国家」のノートですが「かつて存在した国家」についてのご意見をお願いいたします。説明不足で誤解を招いたことを陳謝します。--らりた 2008年9月12日 (金) 08:17 (UTC)返信
かつて存在した国家の地理区分についての意見でした。
かつて存在した国家という区分にも違和感を覚えます。たとえば満州国と渤海国を同一カテゴリーにするわけですよね…王朝と国民国家を混ぜた概念はどうかとも思います。東ドイツと邪馬台国とかになると激しく違和感を覚えるのが一般の感覚なのではないでしょうかねぇ…--Yonoemon 2008年9月12日 (金) 08:34 (UTC)返信
セルジューク朝はヨーロッパに領土を持ちません。オスマン帝国はアジアとヨーロッパに両属です。アジアはアジアの範囲はウラル山脈からスエズ運河までとはっきり決まっています。「かつて存在した国家」それ自体についてでしたらそちらのノートでお話しませんか?--István 2008年9月12日 (金) 08:38 (UTC)返信
上記のように現在のアジアの概念で区分する方が出てきますので、この区分は意味がないということです。現在の境界線は私も明確に理解していますが、東洋史におけるアジアとは難しい概念なのです。近東地域についてはどうするのかとか東洋史を学んだ身としては突っ込みどころ満載のカテゴリーであることだけは申し上げておきます。--Yonoemon 2008年9月12日 (金) 10:13 (UTC)返信
中東・近東という概念は近世以降になって作り上げられてきたヨーロッパ中心の世界観なので、全時代を通じて語る場合に客観性を欠きます。地理的にはっきり定義されているアジア・アフリカという区切りを使うのが宜しいかと思われます。このカテゴリが不要だとするとCategory:大陸別の国内のカテゴリまで改めなければなりません。Category:アジアの国との繋がりを確保するためにもこのカテゴリは必要です。--István 2008年9月12日 (金) 11:24 (UTC)返信

Category:かつて存在した国家にもここへ誘導するテンプレートが貼ってあるので、「かつて存在した」という分け方についても議論の場所は変えなくていいと思います。で、この「かつて存在した」に対する私の疑問は、Yonoemonさんが2008年9月12日 (金) 08:34 (UTC)に示されたコメントの内容と同じです。

このカテゴリは英語版が一番古いようで、2004年7月に作られています。これに先立って4月にウィキプロジェクトが立ち上がっていて、それに対応して作られたもののようです。その他の言語版の一部ではカテゴリが2004年から2005年にかけて作られています(全部は見ていません)が、ウィキプロジェクトの方はオランダ語版とポルトガル語版にしかなく、いずれも今年2008年になって、カテゴリよりも後に作られています。

上記の詮索をした理由は、多くの他言語版にあるカテゴリを日本語版で維持しなくてもだいじょうぶか、という自分で出した留保を検討するためです。以下は推測ですが、英語版でこのカテゴリが作られた理由は、記事を増やすためにウィキプロジェクトが先に立ち上げられ、それに対応するためではなかったかと思います。つまり「かつて存在した(former)」という区分は、ウィキプロジェクトに対応する多分に便宜的なものではないかということです。それなら英語版については理解できます。ほかの言語版が機械的に追随したことには疑問を感じますが、「日本語版が追随する必要はない」というらりたさんの意見に従ってさしつかえないだろう、と自分で納得しました。

分類というものはどう分けても究極的な客観性は確保できませんが、やはり「かつて存在した」という区分は恣意的なものであると思います。記事がないところでウィキプロジェクトを先に作ったというのならわかりますが、すでに十分記事がある状況でこのカテゴリを貼って回る理由はないと思います。手間がかかりますが、上位・下位カテゴリを含め削除に賛成します(すなわち、地域区分についてもはや議論する必要はないという立場です)。--Novo 2008年9月12日 (金) 11:52 (UTC)加筆--Novo 2008年9月12日 (金) 12:08 (UTC)返信

(訂正)すいません。どうでもいいことですが、オランダ語版のカテゴリは英語版より早く、2004年5月に作られています。なお上で「このカテゴリ」といっているのは「かつて存在した国家」のことです(「かつて存在したアジアの国家」ではありません)。--Novo 2008年9月12日 (金) 12:02 (UTC)返信

恣意性を以て消すのはむずかしいと思います。恣意的だから削除するというのがひとあしとびの議論であるのも一理由ですが、仰る恣意性というのがカテゴリの存続に関わるとも思えないからです。いまはないということが争われることはほぼない(あっても特定の国々です)ので、滅びた国家はどの範囲かという論争がカテゴリの意義を揺るがすことはありません。カテゴリに含めるものについても、たとえばNovoさんも引用なさっているYonoemonさんの「王朝と国民国家を混ぜた概念」で行ってどういう問題が生じるのか、みなさんの議論を見ていてもわかりません。このカテゴリは「国」というものを論じようというものではないのですし、一個の国だと考えられてきた地域存在の集合だと考えて問題があるとも思えないでいます。すくなくとも、istvánさんが意義を提示していらっしゃるのに、項目量産のためのカテゴリだから、と考えるのは、議論の不全に繋がりかねないように思います。よって、削除は行きすぎのように考えました。 Kzhr 2008年9月12日 (金) 12:46 (UTC)返信

王朝と国民国家をぐちゃぐちゃにした結果として東北工程などがあります。ご参考までに。--Yonoemon 2008年9月12日 (金) 13:18 (UTC)返信
それはこの問題に関わりませんよね。 Kzhr 2008年9月12日 (金) 13:23 (UTC)返信
そうですね。恣意的ということばがよくなかったかもしれません。わざわざカテゴリをつくるほどの特筆性のある分類だとは思えない、といえばいいでしょうか。
私がおかしいと思うのは、結局「国家」の定義です。「国家」のカテゴリなのだから、ここでいう「国家」とは何か、ということは、提起されれば論じなければならないと思います。「かつて存在した」という広い歴史的スパンをとることで、あまりにも異質な「国家」がひとくくりにされることが問題だと思います。もちろん定義は広くとっていいのだ、という合意が得られればそれまでですが、私はやはり晋 (春秋)東トルキスタン共和国が「かつて存在したから同じである」と言われても、「そう言われればそうだけれどもだから何なのか」という気がします。
すでに申し上げている通り、分類というものはどうやっても究極は恣意的なものです。恣意的な中で合意を得るとすれば、常識的で有用であるか、あるいは人の意表を突く面白さがあるかでしょう。このカテゴリはどちらも満たさない、と私は考えます。項目数が増えすぎることも問題ですが、それだけ多くの項目をひとつに(ないし複数の下位カテゴリに)まとめる意義、共通性がどこにあるのか、ということです。カテゴリでなくても、消滅した政権一覧があれば十分ではないかと思います。
それから、私の理解ではIstvánさんは「かつて存在した」という分類の意義についてまだ何もコメントされていません。つまり、「かつて存在した」という分類の必要性を積極的に擁護するユーザはKzhrさんも含め現在のところいらっしゃいません。--Novo 2008年9月12日 (金) 13:42 (UTC)返信

かつて存在した、といういい加減な時代区分をさらに地域で区分することに反対致します。時代的に広いからではなく、かつては一秒前までならかつてになり、普遍的なものではありません。それに今現在の地域名称をあわせたものが、なんの助けになるのかよくわかりません。理想的には時代と地域で明確に分け、それぞれ必要なカテゴリを整備し、全ての時代、地域にわたっての記事を整備するのが当面の目標だと思います。時代ごとに地域の区分(アジアなど)や名称も異なるはずですのでそれぞれ個別の対処になると思います。ただしそれは理想であって、個々の時代/地域のカテゴリを作る基盤ができるまでの間その他的役割のカテゴリが存在することには反対しません。このカテゴリの場合、その他に相当するのは例えばCategory:20世紀以前に消滅した国家で事が足りるように思います。20世紀になった時点で消滅した国家の記事が1万とか10万既にあるのであれば建設的な議論になると思いますが、今の時点では、とにかくカテゴリを貼りたい方もいらっしゃるようですし、逆の原理主義的意見も存在するでしょうから、まともな議論になるとは思えません。現になっていないと思います。いずれにせよ、よりどころにするのは普遍的なものから普遍的ではないものに順にしていかないと、恣意の入り込む余地が大きくなりすぎると思いますし、そうしなかったものは便利ではないカテゴリになると思われます。--Hiyragi 2008年9月13日 (土) 01:05 (UTC)返信

「かつて存在した」は全く「いい加減」ではありません。ユーゴスラビアの様な既にない国であっても「国家」である事には変わりはなく、もしこのカテゴリがなくなった場合そこに属していた記事は現存の国家と同じカテゴリに入れられる(かどうか議論になる)ことでしょう。それを避けるために「かつて存在した国家」及びその大州別のカテゴリが不可欠です(「20世紀以前に消滅した国家」ではセルビア・モンテネグロの立場がありませんし、何より20世紀という時代区分が余計に恣意的です)。大州別のカテゴリは地域史という観点でかつてその地にどのような国家があったのかを調べるために必要です。「時代ごとに地域の区分(アジアなど)や名称も異なるはず」というのも理由になりません。地域史の観点では現在用いられている地域区分を用います。例えばロシアの考古学者が沿海州の歴史を語る際にはロシア人の入植だけでなく、最初の国家として渤海の存在が欠かせません。現在の大州区分でかつて存在した国家を分類する際の不都合の具体例があるならば教えてください。(植民地・海外領土を除く領土が州を跨ぐ国家はトルコロシアのような現存の国と同じく両属にすることで解決します)--István 2008年9月13日 (土) 03:19 (UTC)返信
Istvánさんから「かつて存在した」は「いい加減」ではない、というコメントが付いたので、賛成・反対の双方がいちおうそろったと思いますが、議論が混乱しているのは、「下位カテゴリの時代区分・地域区分が必要かどうか、個別の線引きが可能かどうか」という論点と混線しているからではないかと思います。提起者のらりたさんからは「かつて存在した国家」という分類そのものの妥当性について議論をしてほしいとのお話ですので、「地域区分が可能だから」ということではなくて、「かつて存在した」という分類と「国家」の定義について、Istvánさんのお考えをお聞かせいただければと思います。よろしくお願いいたします。--Novo 2008年9月13日 (土) 04:08 (UTC)返信
今ひとつ説明不足だったような気がしましたので補足しておきます。なぜ「かつて存在した」という区分を私が意義の無いものであると感じるかについて。
  1. ある地域において、「かつて存在した国家」(国家という言葉の持つ意味についてはここでは不問とします)と「現在存在している国」では言うまでも無く「かつて」の方が圧倒的多数です。中国史で見た場合、「かつて」は細かいのを含めると90ほど(金とか元とかは除く)、「現存」は民国と人民共和国の2つだけです。このような集団の中の圧倒的多数をカテゴライズするのは意味が見出せません。「哺乳類」の子カテゴリとして「卵生でない哺乳類」のカテゴリを作るでしょうか?
  2. 「かつて存在した国家」といった場合、例えばチベットはどうしますか?現在チベットは占領されていますが、「かつて存在した」などといわれては猛烈に怒るでしょう。何をもって「かつて」にカテゴライズするのでしょうか?セルビア・モンテネグロにせよこれから先再び復活する可能性がゼロとはいえません。歴史については世紀のスパンで見ないと評価を定めるのが困難です。
  3. 中国のことで考えると満州も雲南も内モンゴルもかつては中国の領域ではありませんでした。清代ならば満州も雲南も内モンゴルも「中国」でくくってしまっても間違いではないのですが、例えば宋代だったら状況が違います。「契丹」(モンゴル系であるが現在の北京も支配していた)を中国とモンゴルとの両属にするのでしょうか。そんなことをしたら杉山正明先生に怒られそうな気がします。
私の方から述べたいことは以上です。このようなことから「かつて存在した」という区分に意義は無いと考えます。--らりた 2008年9月13日 (土) 12:28 (UTC)返信
私よりも明快に意を尽くしたご説明ですね。賛成します。削除した場合の処理法ですが、Category:地域史の下の「○○の歴史」「○○史」に適当に入れればいいのではないか(既に入っているものもあるでしょう)と思います。「歴史」カテゴリであれば、(現存するかどうか見解が分かれるもの以外は)違和感のない常識的なカテゴリ付与と見なせると思います。--Novo 2008年9月13日 (土) 12:44 (UTC)返信
>「哺乳類」の子カテゴリとして「卵生でない哺乳類」のカテゴリを作るでしょうか?
その例えは全く適切ではありません。この場合は「Category:哺乳類」に対して「Category:化石哺乳類」を作ることに相当し、全くもって有益です。
>例えばチベットはどうしますか?
チベットの記事は中華人民共和国に占領される以前のダライラマ政権だけを語る記事ですか?違いますよね。単なる地域としての記事であり、「かつて存在した国家」のカテゴリを付すならばその政権に関しての記事に行うべきです。
>これから先再び復活する可能性がゼロとはいえません
復活したとしても時代が違います。渤海渤海 (再興)のように別物とするか、唐のように連続したものとして扱われる場合でも再び現存の国家へ戻せばよいだけです。
>中国のことで考えると満州も雲南も内モンゴルもかつては中国の領域ではありませんでした。
しかし現在の中国を構成する民族が住まう中国の一地域として中国政府は扱っています。東トルキスタンが唐の支配下にあったことも事実です。中原の王朝と周辺異民族が混在するのが厭でしたらカテゴリを分ければ好いのです。
>そんなことをしたら杉山正明先生に怒られそうな気がします。
高句麗や渤海を中国の歴史でもあると言えば韓国人はきっと怒ることでしょう。その事とどれほどの違いがありましょうか。両論あれば双方を掲載するのが基本方針です。
>「○○の歴史」「○○史」に適当に入れればいいのではないか
国家であるという情報がすっぽりと抜け落ちてしまい、その地域の歴史に詳しくない読者に対してユーザーフレンドリーとは言い難いです。
このカテゴリも現存の国のカテゴリも分類基準については同じです。違いは今この世界にあるかないかの一点に尽きます。昨日まで領土・人民・権力のあった国家が消滅したとしましょう。そうなったら、その記事のカテゴリから「国家であること」の証を剥ぎ取って、他の歴史上の有象無象と同じカテゴリーにしたいという事ですよね。その様な操作でしたら反対です。「現存の国家であること」を示すCategory:国以下の諸カテゴリーには何も問題を示さずにおきながら、「かつてそのような国家があったこと」を示すカテゴリーの存在に反対する必然性を理解できません。消滅した政権一覧で事足りるというのであれば現存する国も国の一覧があれば充分ですよね。--István 2008年9月14日 (日) 04:03 (UTC)返信
ある程度は水掛け論になると思いますが、いま一度、個別ケースの対処案ではなく、Istvánさんの「国家の定義」についておうかがいします。現存する国家は主権国家、他国と平等な相互承認関係のある国家でよく、それをカバーするカテゴリは常識的に考えてもちろん有用かつ必要ですが、「かつて存在した国家」の国家とは何であるのかによって、同一カテゴリにカバーする必然性、「他の歴史上の有象無象」と区別することの必要度は変わってくると思います。--Novo 2008年9月14日 (日) 05:00 (UTC)返信
Novoさんのおっしゃるように水掛け論になると思うのであまり応酬はしたくありませんが、私の発言意図が明らかに理解されていないようなのでその点だけ。
  1. 集団の中の圧倒的多数をカテゴライズする意味は何なのかと問うています。『「Category:哺乳類」に対して「Category:化石哺乳類」』ならば十分意義があることでしょう。なぜなら両者の数にそんな偏りはありませんから。しかし「かつて存在した国」と「現存の国」では圧倒的に「かつて」の方が多く、現存は少数です。ですからカテゴライズするなら現存の方をするべきであり、それはCategory:国で成されており、これは有用であるということです。哺乳類の例では「卵生哺乳類」のカテゴリは有用でも「卵生でない哺乳類」のカテゴリは有用ではないということです。
  2. チベットのことはダライ・ラマ政権のことを言ったつもりだったのですが。ガンデンポタンはどうしますか?と言い換えておきましょう。これは単なる例示ですが、これから先、戦争がある限りいくらでもこういう事態は起き得ることです。
  3. >しかし現在の中国を構成する民族が住まう中国の一地域として中国政府は扱っています。東トルキスタンが唐の支配下にあったことも事実です。中原の王朝と周辺異民族が混在するのが厭でしたらカテゴリを分ければ好いのです。
    • そういうことを言っているわけではなく、時代によって領域は異なっているにも拘らずそれを「かつて存在した」という言葉で現在の観点から全てを同じ地域に放り込んでしまうことに問題があると述べているのです。
極端な話を言えば、中国が新たにどこかに侵攻してある国を滅ぼしたとします。その国は「かつて存在した」国になってしまい、しかもその国は「中国の領域」とされてしまうのでしょうか?「そうなったら、その記事のカテゴリから「国家であること」の証を剥ぎ取って、他の歴史上の有象無象と同じカテゴリーにしたいという事ですよね。」という言葉はそのままご自身に返ってきませんか?私としては歴史の評価が定まるまではある程度「保留」にしておけば良いと思いますが。
とこれ以上は私からは言わないでおきます。Novoさんと同じく「かつて存在した国家」というカテゴライズの必要性とは何か?に付いてIstvánさんのお考えをお聞きしたいです。--らりた 2008年9月14日 (日) 05:29 (UTC)返信
国家とは「領土と人民、それらの統治組織をもつ政治的共同体」の事で、それ以上でもそれ以下でもありません。それは私達の共通認識ではないのでしょうか?
>集団の中の圧倒的多数をカテゴライズする意味は何なのかと問うています
カテゴライズにそのような基準を設けるべきではありません。かつて存在した国を集団の中の圧倒的多数と呼ぶならば、らりたさんは国が現存か否かは関係ないとお考えなのですね。逆にお訊きしますが、過去の国家を体系的に集める必要がないならば、Category:国以下に現存の国家を集める必要もない筈ですよね。現存の国家のカテゴライズの必要性に関して過去の国家との違いに関するお考えを(地域区分の話は別にして)お聞かせ願いますか?
ガンデンポタンはどうしますか
それは領土を持たない亡命政権であり国家の要件を満たしません。国号でもありません。かつて存在した国としてのチベットというものは清の滅亡から共産党による侵略を受けるまでの間の時代のチベットです。カテゴライズの対象はそれに関する記事になります。
>時代によって領域は異なっているにも拘らず
ロシアは領土を東に広げましたがヨーロッパとアジアに跨る国となりました。アメリカ合衆国も北米とオセアニアに領土を持ちます。分割単位はあくまでも現行の国ではなく地理的な地域です。例えばナスル朝はイスラームの国ですがCategory:かつてイベリア半島に存在した国家であることには変わりありません。
>その国は「かつて存在した」国になってしまい、しかもその国は「中国の領域」とされてしまうのでしょうか?
それで何か問題でも?というのもなんですがその地域の歴史を中国史の一部だとする主張が生まれたらその時始めて問題となります。それに関する議論は我々ではなく専門家の仕事です。「東トルキスタン」を「中国」に含めるかどうかは別の場所で議論しましょう。タヒチやニューカレドニアは現在でもフランス領ですが、この地域の歴史はヨーロッパ史ではなくオセアニア史のままですよね。
>そのままご自身に返ってきませんか?
その国が国であった事は研究の結果はっきりさせる事ができますが、現存のどこの国のものかは決着をつけることはできません。あくまでも地域による区分です。ある程度現存の国に輪郭が似てくるのはナショナリズムの結果であって、研究者の責任ではありません。このカテゴリの必要性に対して、中国のカテゴリがあるという、このカテゴリありきの前提で反論をしているということはこのカテゴリの不要性については出尽くしたということですね?より細かいカテゴリの事はそれぞれで議論しましょう。--István 2008年9月14日 (日) 10:08 (UTC)返信

例として中国の事例を挙げているのは単に私の知識が中国に偏っているからに過ぎません。もう一度申し上げますが、「かつて存在した」というカテゴライズの有用性をIstvánさんご自身の言葉で説明していただきたく存じます。--らりた 2008年9月14日 (日) 11:40 (UTC)返信

Istvánさんの考える「国家」の定義を明示いただいたので、私なりに少しイメージがつかめました。その上でうかがいますが、「領土と人民、それらの統治組織をもつ政治的共同体」とか「領土・人民・権力」というのは政治学からみた近代主権国家の定義であって、歴史的に全部をカバーしきれるでしょうか(アジア・アフリカ関係は特に面倒かと思いますけれども)。「その国が国であった事は研究の結果はっきりさせる事ができ」るというほど簡単ではないと思います。いまおうかがいしているのは「かつて存在した国家」全体の定義ですから、アジアも含め全体を説明できないとカテゴリとしての維持はむずかしいんじゃないでしょうか。

ちょっと見てみたのですが、Category:かつて存在したヨーロッパの国家の下位カテゴリは割とよく整備されていて、アジアに比べそんなに違和感ない感じでした。発想が英語版発祥だからなのかもしれません。

あと、らりたさんあての質問に口をはさむのもなんなんですが、「現存の国家のカテゴライズの必要性に関して過去の国家との違いに関するお考えを(地域区分の話は別にして)お聞かせ願いますか?」というのは、私にとっては違うのが自明であって、「過去の国家を体系的に集める必要がないならば、Category:国以下に現存の国家を集める必要もない筈」ということは論理的にない(対偶を考えればわかります)と思います。どんな百科事典にも現存する国の一覧はありますが、消滅した政権一覧というのは私はWikipediaではじめて見ました。過去の国家の情報は、だいたい歴史の項にまとめてあるんじゃないかと思います。

自分の違和感をうまく表現できなくて苦心しているのですが、「否定命題(~でないもの)をそれとしてカテゴライズするのはおかしい」と言ったらいいでしょうか。そんな基準はおかしいといわれればそれまでなんですが。--Novo 2008年9月14日 (日) 12:17 (UTC)返信

まさかそれで納得できるとお考えではありませんよね?それではここまで出た意見をまとめましょうか。
  1. 「かつて存在した国家」という枠組みでは総数が非常に大きくなるため不要なカテゴリである。
  2. 時代別・地域別に細分化した場合既存で代用可能。
  3. 王朝と国民国家を混ぜた概念は問題が生じる。
  4. 消滅した政権一覧があれば十分。
  5. 集団の中の圧倒的多数をカテゴライズする意味はない。
  6. 否定命題をカテゴライズするのはおかしい。

カテゴリ反対の意見はこれだけ見つけることができました。 以下は各々への反論です。

  1. かつて存在した国家はそのカテゴリ単体では用を成しません。調べ物がしやすいようにより小さなカテゴリに分かれることにより必要な情報を手に入れやすくなります。細分化されたカテゴリもそれ単体では充分な効能を発揮できません。より大きなカテゴリに属することではじめてユーザーフレンドリーな構造となります。
  2. 既存のカテゴリは体系的な地域史の観点に対応していません。その地域史に疎い読者が各々の地域史カテゴリを見た際にそれが国であるということを理解できなければ意味がありません。時代を通したカテゴリに含まれることで地域史の観点からの情報収集が容易となります。なお、既存のカテゴリが未だに存在しない地域の方が現状では多数派です。地域の区分については別途議論が必要になる場合もありますが、その基準はあくまでも地理的に一定な伝統的な領域であって、国土のように世界情勢に合わせて変動するようなものは相応しくありません。その大きさは国よりも大きな場合(ベネルクス三国に対するネーデルラント)もあれば小さなもの(ロシアに対する北アジア)もあります。学術的にその国家がその地域史に属するものであるという主張があればそれに従うだけです。
  3. 近年消滅した国家は完全に現在の国家と同じ類型であることは明らかです。王朝と国民国家を混ぜた概念が具体的にどういう場合に不都合なのか例示を頂いておりませんので推論での話は控えますが、国家なのか定かではないものというものが現れた場合それぞれのケースで議論の上最終的に帰属カテゴリを決定するべきであり、一部の例外を持ってしてカテゴリ全てを不要とするというのは余りにも暴論です。
  4. 上述した通り、総数が非常に大きくなるため、ページに列挙する形だと余計に推奨できませんよね。未筆の国家や歴史書に名前だけある様な記事を作れない国家でも平等に扱うことができるという利点がありますが、カテゴリの存在を禁止させる程の絶対的なものではありません。
  5. 集団の中の圧倒的多数をカテゴライズするケースは少しも可笑しくはありません。いずれはCategory:雑誌の中のCategory:廃刊・休刊誌Category:企業の中のCategory:かつて存在した企業も大多数派となる日が来るでしょう。この場合も情報の手に入りやすさから来る、早いか遅いかの違いに過ぎません。
  6. 「かつて存在した」が否定命題かどうかの判断も恣意的とは言えませんか?かつて存在した国を「学術的価値がある」と判断してコレクションしている、そんな価値観は確かに存在しています。

--István 2008年9月19日 (金) 10:08 (UTC)返信

こんにちは。すべての人が有用だと思う記事とかカテゴリというのは、あまりないと思うのです。らりたさんには無意味に思われるカテゴリでも、他の人には存在価値が十分あるのかもしれません。だから、整備する熱意を持っている人がいるなら、もうしばらく見守っていきませんか。

私個人としては、英語版と共通カテゴリというのは、それなりに有用だと感じています。どのカテゴリに入れるか判断に困るケースがあったら、とりあえずenに合わせてみるのがいいかもしれません。今、enを見てきたのですが、それなりにうまく整理されていると思いませんか?

--miya 2008年9月19日 (金) 12:06 (UTC)返信

Istvánさん、どうも詳しくご説明いただきありがとうございます。
まあはじめから申し上げていますが、カテゴリ分類というのはWikipediaの出典主義原則(独自研究の禁止)がうまく適用できないので、どう作っても完全に恣意性をなくすことはできないし、作ったもの勝ちみたいなところもあります。だから私も(おそらくらりたさんも)「禁止」とか絶対否定とかではなく、それぞれの違和感を申し上げているわけです。そのうえでもう少し水掛け論をしてみましょう。
3は、すでに例示していますが、中国の古い王朝と20世紀になってからできた国家がならんでいるカテゴリはやはり変だ、ということです。特にアジア・アフリカでは主権国家システムは外来のものなので、もしこのカテゴリがその定義によるのなら、それ以前と以後とを同一平面に並べるのはどうかと思います。Istvánさんは時代別に分けるという考えをとらないようなので、なおさらそう思います。
「かつて存在した」という言い方は、歴史を対象にしているようで実はとても非歴史的なアプローチなのです。(今より一瞬前以前の)過去を全部均質のベタ一面にしかとらえられないし、それを現在の地理で使う区分だけで分けてしまうのだとすれば、境目の記事を両属させるだけではすまない問題をはらむと思います(らりたさんがすでに「時代によって領域は異なっているにも拘らずそれを「かつて存在した」という言葉で現在の観点から全てを同じ地域に放り込んでしまうことに問題がある」とおっしゃっています。それと同じです)。個人的にもCategory:かつて存在した中国の国家というのはかんべんしていただきたいという感じです(せめて「中国の王朝」とかであればまだいいのですが)。
そこで2にいきますが、「体系的な地域史」とか「地域の区分(中略)の基準はあくまでも地理的に一定な伝統的な領域であって、国土のように世界情勢に合わせて変動するようなものは相応しくありません」というふうに、地域区分を固定的にとらえていらっしゃるところがとても気になるのです。私の知る限り、現在の歴史学で考えられている「地域」概念は、「地理的に一定な伝統的な領域」という考え方への批判の上に立った、特定の時代においてしか有効ではない、可変的でダイナミックなものです。既存の歴史関係のカテゴリ(Category:大陸別の歴史以下のカテゴリ)はそういう可変性を考えて設定されているものだと思います。
それから、「その地域史に疎い読者が各々の地域史カテゴリを見た際にそれが国であるということを理解できなければ意味がありません」というお話も前から出ているのですがよくわからないのです。多くの記事は「~~国」という名前なのでだいたい想像がつくと思いますし、そもそもどうして「国」だけ特別扱いするのでしょうか。どういう状態が「ユーザーフレンドリー」と言えるかどうかからみんなで考えないと、それはそれで恣意的になってしまうんじゃないでしょうか。
4は、個人的には一覧記事の方もあってもなくてもいいと思っていますが、記事の方は数が増えるようならレイアウトを工夫できるので、レイアウトをシステムに依存するカテゴリよりも融通がきくと思います。
6はよく知らないので、何学で言われている価値観なのかご教示いただけませんか。
1と5はカテゴリとか分類をどう考えるか、という一般論になりますが、常識的に言って「集団の中の圧倒的多数をカテゴライズするケースは」「可笑しくは」ないでしょうか。ふつうは全体集合の中で特定の性質を共有する相対的に少数な部分集合をひとつの種に分類するのではないでしょうか。「廃刊・休刊誌」も「企業」もたぶんこれまで存在したすべてのものを記事化するわけではない(特筆性の限定がかかるでしょう)し、各々適切なサブカテゴリを作ればなんとかなると思いますが、ここの現状は(定義でもサブカテゴリの作り方でももめているので)そう簡単にはいかないと思います。
検索してみたところ、「かつて存在した○○」というカテゴリは結構多いようですが、歴史を古代から現代までカバーしてしまいかねないのはここと「企業」ぐらいで、ほかはそれほど論議を呼ぶものではないと思います。--Novo 2008年9月19日 (金) 14:04 (UTC)返信
(付記)上のコメントはMiyaさんのコメントを踏まえていませんが、英語版の分類はやっぱり機械的であると思いますね。それは英語で表現するから(アジアは遠いから)それでもニュートラルに見えるのでしょう。なお私は議論による合意形成(あるいは合意しあえないことの合意形成)でやっていけばいいと思いますので、そういう風に議論を見守っていただければ幸いです。--Novo 2008年9月19日 (金) 14:04 (UTC)返信
>「国」だけ特別扱いするのでしょうか
国があれば当然その元首に関する記事が必要になりその国のカテゴリが必要となります。その国の遺跡をカテゴライズする必要があります。国家に起因する様々な出来事はその国のカテゴリに属します。つまり情報収集の際のターミナル的役割を担うほど重要で特別なのです。
>記事の方は数が増えるようならレイアウトを工夫できるので
いえ、そういう問題ではなく転送量の問題です。世の中の全ての人が高速回線を使える訳ではありません。
>何学で言われている価値観なのかご教示いただけませんか
考古学です。例えば北アジア史と言えばシビル・ハン国も極東共和国も同じ本の中に書いてあって何の違和感もありません。日本史であっても縄文時代と大和政権樹立以降とで文化・民族的に同じとは言い切れませんから、あなたの感じている違和感はそれと大同小異です。価値がないとしたら朝鮮半島に成立した国家全てを網羅した朝鮮の君主一覧という記事が出来るはずもありません。いずれにせよ各国が学校教育で自国の歴史として自国領内に栄えた国々を教えている現実がある限り現行の国の枠に地域史の区分が類似するのはある程度は仕方ありません。
>個人的にもCategory:かつて存在した中国の国家というのはかんべんしていただきたいという感じです
支那や中原という言い方では相応しくないと判断したので中国としましたが、たしかに「中国の王朝」とした方が周辺異民族国家を区別することができますね。変更を考えましょう。同時に満州、チベット、東トルキスタン、モンゴル高原(モンゴルとするとモンゴル帝国の後継国家が入りかねないので地理的な範囲とする)、雲南、百越のカテゴリがある方がよいでしょう。--István 2008年9月20日 (土) 05:59 (UTC)返信
私は上の方で「現代存在する国家も含めた『各地域の国家』には意義があるでしょうが」と言っていますが、これを撤回します。今までの議論の中で問題があると思うようになりました。
(Miyaさんへ)私もNovoさんのおっしゃるように「禁止だ」とか「絶対に削除すべき」と強硬に主張するつもりはありません。しかしこのカテゴリの意義に対する疑問は消えていないどころか大きくなるばかりですので、Miyaさんのおっしゃるように「熱心な方がいるから」という理由で認める気にはなれません。このカテゴリにそれなりの存在価値があるということを示して欲しいのです。仲裁をして頂いたのに、無礼な物言いで申し訳ないのですが、しばらくはお許しください。
(Istvánさんへ)なぜNovoさんが「国家」という言葉を問題にしているか、ご理解されているでしょうか。
他の学問は良く知らないのですが、歴史学で「国家」といった場合は普通近代になって登場した「主権国家」を指します。「国家」という言葉自体は漢語であり、古くからある言葉ですが、「主権国家」と古くより存在する「国」とは明らかに異質なものです。
「主権国家」には「領土」があり、それを規定する「国境」がありますが、「国」においては「国境」は必ずしも確定的なものではありません。また「主権国家」には「国民」がいますが、「国」に属する「民」もまたある程度流動的なものです。
このような近代「主権国家」とそれ以前の「国」とを同じカテゴリにしてしまうことに歴史学に関心のある人ならば違和感を感じるでしょう。上でYonemonさんがおっしゃっている「王朝と国民国家を混ぜた概念はどうかとも思います」ということはそういうことです。
また地域のことに関しても現在の地域区分を過去に適用することの問題性は何度か申し上げましたね。Istvánさんが挙げられている方法ではが雲南・チベットの王朝にもなってしまいます。また前漢からまでベトナムを支配しており、前漢がベトナムの王朝にもなってしまいます。
そのような「現在の区分・概念」を過去に遡及適用することは慎重であるべきです。なぜなら過去の歴史学においてそれをやってしまったことで様々な誤謬を犯してしまったからです。「時代によって地域概念は変動していた。」「近代国家と王朝国家とは異質なもの」ということを誤解なく知らしめていくことの方が「その地域史に疎い読者が各々の地域史カテゴリを見た際にそれが国であるということを理解でき」るということよりも重要ではないかと思います。--らりた 2008年9月20日 (土) 12:49 (UTC)返信

少々ノートが荒れ気味だと思っていたので静観していましたが、製作に携わったものとして、以下の定義が絶対ではないものの、わたしなりの解釈をここで書いておきます。このカテゴリの分類は「過去の国」です。この分類は本質的に「国」であり、「地域史」のものではありません。「過去の国」という分類では、人類がかつてどのようなかたちの政体をつくり、それがどのように生まれ、また滅んでいったかという実例を見ることができます。「国家」の定義ですが、それはカテゴリ名を訳した際中国語版を参考にしたもので、「国」の方が相応しいということであればそのように改名がされるべきでしょう。また「中国の~」「朝鮮の~」と地域に特化した細分化がされている点は疑問符がつかないでもありません。まずは「かつて存在した王国(王朝)」を作るべきでしょう。そのサブカテゴリを整備するだけで、国民国家と専制国家はほぼ分けられると考えます。政体・国家制度別にサブカテゴリを作れば、その政体や制度にどのような失敗例があり、欠陥があるのかということについて知ることができます。削除か存続かということにこだわりはありませんが、削除を検討されるのでしたら、「過去の国」が分類として成り立たないということを論理的に説明していただければよいのではないでしょうか。--Clarin 2008年9月21日 (日) 02:55 (UTC)返信

Category:かつて存在した中国の国家の作成はフライング気味ですね。中国の定義もままならず、中共史観を振り回す政府も存在していましてとても中立性を保てるものでない上に、部族連合のような場合を国家とするのか?中国の冊封体制に組み込まれた場合は制度上では中国の藩属、となれば中国に区分するのか?そもそも中国における国家とはなんぞやという話になります。しかもそれに渤海をカテゴライズすることで中国と韓国の間だけで政治的に盛り上がっている東北工程を歴史問題に敷衍させる可能性もあります。それはCategory:中国史で十分に用が足りる話ではないでしょうか?いくら他言語版にカテゴリーが存在するからといって、日本語版で追従する必要はありませんし、そもそも「Former countries」を「過去の国家」と訳出することに対しても問題があると思います。「国家」にすべきか「国」にすべきか。そもそも明治維新まで「Country」という概念がなかった日本で、明治維新以前の「邪馬台国」なんぞに「国家」という用語を使用する問題点は間違いなく存在します。
「過去の国」という漠然曖昧なカテゴリを作成してこれだけ異議提出されている現状からも、問題の少ない「Category:○○史」としたほうが自然な区分であるような気がします。
Clarin氏が提案する国民国家と専制国家についても用語定義が不十分であり採用を検討するに値しないと判断します。存在する国家でも北朝鮮や中国は国民国家を建前にしていますが、実際は専制国家…存在する国家ですらこれですから過去の国家では分類しようがありません。これは歴史区分問題と同一でして唯物史観に依拠して農奴制国家、封建国家などに区分する論争がかつての歴史学会では盛んでしたが、現在はそのような分類を行うための議論は無意味という意見が大勢をしめており、学会でほとんど扱われいない現状を考えても行うべきではありません。
誰でも参加できるウィキペディアですが、このような問題に関しては歴史学の専門教育を受けている人間のリードを期待したいものです。--Yonoemon 2008年9月21日 (日) 03:57 (UTC)返信
Category:かつて存在した朝鮮の国家を只今見て参りました。Category:かつて存在した朝鮮の国家が、Category:朝鮮の歴史の下位になっていること自体はわかりますが、Category:朝鮮の歴史のサブカテゴリを下位に持ってきてしまうのはまずいです。Category:高句麗Category:高麗は、国そのものというよりも時代区分をあらわすカテゴリとして機能しているからです。István さんはCategory:かつて存在した国家Category:各国の歴史を一体化したものと見做しておられるようですが、おそらく、わたしを含めて誰もそのような考え方には同意できないでしょう。一旦、Category:かつて存在した朝鮮の国家に関しては解体され、前の状態に戻されるることを期待します。でないと、この議論はどう転んでも削除の方向にしか向かわないでしょう。--Clarin 2008年9月21日 (日) 07:22 (UTC)返信
  • (コメント)アフリカを見ていると「アフリカ人」は(アフリカ自体怪しい言葉ですが、)国家だと言うしヨーロッパ人等は部族と呼んできたとかいうのがありますよね。漢語の部族とトライブも完全には対応しませんよね。ビアフラだって国家ではなく分裂主義者だというのが英語版では強いようですが、過去の国カテゴリには入れられています。そういうのを見るとこのカテゴリは英語版では存命人物のカテゴリがあるのと同じ感覚だと思われます。地方政権や宗主の扱いも曖昧だし英語版で帝国という言葉が簡単に出て来るんで日本語に持ってくると何か違うと思うこともあるし、日本語版だとカテゴリの付け外しで揉めたりすることもあるんで、いっそ削除でもいいかなと思います。すっきりした整合性のあるカテゴリ構造は誰もが望むところだと思いますが、具体的にすると合意が採れないというのが悲しいところ、というか完全な階層構造は成立しない前提で整合性のあるカテゴリを造るしかなさそうです。johncapistrano 2008年9月21日 (日) 05:52 (UTC)返信

>「主権国家」には「領土」があり、それを規定する「国境」がありますが、「国」においては「国境」は必ずしも確定的なものではありません。また「主権国家」には「国民」がいますが、「国」に属する「民」もまたある程度流動的なものです。

それで問題が生じるとは思えませんね。チムー王国にも匈奴にも君主がいて流動的で曖昧だとしても勢力範囲としての領土と人民がありました。確定的ではない=存在しないではありません。またアジアという枠組みは古代ギリシャから連綿と続いてきた伝統であり、文句の付け様はありません。このカテゴリは必要とし、直下の地域区分から順番に決定していきませんか?--István 2008年9月21日 (日) 07:09 (UTC)返信

仕切りなおし2 編集

節が長くなりすぎたので切り替えます。
(Istvánさんへ)正直申し上げて「アジアという枠組みは古代ギリシャから連綿と続いてきた伝統であり、文句の付け様はありません。」という言葉には絶句しました。アジアという言葉こそ歴史的に最も変動してきた地域概念なのですが・・・。

>現在では一般的にヨーロッパを除くユーラシア大陸全般を指すが、政治的・経済的な立場の違いにより、異なった様々な定義がなされる場合がある。 (ウィキペディア・アジアの定義文より。)

(Clarinさんへ)「政体・国家制度別にサブカテゴリを作」ることが出来るならそれは確かに有用でしょう。しかしYonoemonさんがおっしゃっているように70年代以前には中国史で時代区分論争という物が盛んに行われ、宋代は唐は奴隷制か農奴制かなどといったことが話し合われました。しかし明確な結論が出ないままに曖昧なままで行われなくなっているのが現状です。ですので政体の形態によってカテゴライズする際に「唐を奴隷制か農奴制か、それとも全く別の言葉で表現しないといけないのか、そもそも区分自体が可能なのか」とカテゴライズする自体が不可能です。もしやってしまえばそれは独自の研究に他なりません。
(Yonoemonさんへ)各記事からカテゴリを削除されていますが、議論が決着するまではお待ちください。それもまたフライング気味です。--らりた 2008年9月21日 (日) 07:29 (UTC)返信

(らりたさんへ)
勝手ながらかつて存在した国家という区切り自体に関しては認めたと認識します。
>清が雲南・チベットの王朝にもなってしまいます。また前漢から唐までベトナムを支配しており、前漢がベトナムの王朝にもなってしまいます。
流石に現在の国家テンプレートでも大州よりも細かくはしていません。領域をまたがる様な覇権国家に関しては大州未満を適用しないまたは発祥地・首都により分類するといったようなローカルルールの制定が必要となるでしょう。
>ウィキペディア・アジアの定義文より
全ての国家が地域区分カテゴリに直属するべきとまでは考えておりません。大州を跨る体系的な区分がある場合、そのカテゴリを作り両属にするというやり方もあると思います。ところで具体的になんという過去の国がヨーロッパ・アジアという区分で問題があるとお考えですか?ウィキペディア丸写しではなくご自分の言葉でお願いします。:(Clarinさんへ)
>Category:かつて存在した朝鮮の国家に関しては解体され、前の状態に戻されるることを期待します
寧ろ韓国のような国が自国の歴史の中に過去に存在した国家を組み入れることを偏狭なナショナリズムと割り切って認めない立場の方が観点が偏ってはいないでしょうか?Category:朝鮮の歴史は現存の国家の歴史ではありません。ナショナリズムと地域史の重複はある程度は仕方ないことです。朝鮮という区分は鴨緑江と豆満江で区切られた範囲で、他国と較べると境界がはっきりしています。(その領域から外れた扶余が朝鮮の国というのは疑問ですが)--István 2008年9月21日 (日) 08:42 (UTC)返信
認めていません。どこをどう読んだらそういう認識になるのか理解不能です。--らりた 2008年9月21日 (日) 08:54 (UTC)返信
どうもIstván氏の強弁が目につきます。国家の定義もなければ、歴史的地理区分への明確な回答もないままに作業を進めることには反対です。「アジアという枠組みは古代ギリシャから連綿と続いてきた伝統であり、文句の付け様はありません。」と明言してしまった時点で既に議論の基礎知識不足が認められると言わざるを言えません。また「豆満江国境領域から外れた扶余が朝鮮の国というのは疑問ですが」と断言するあたりも歴史的な継承性を無視した、現在の国民国家のボーダーのみで捉えるあたり、失礼ですが歴史的知識の薄弱さを示すものとも言えます。
議論することは問題ありませんが、少なくとも関連記事にカテゴリを追加することは再度削除する可能性が高いのでお控え下さい。
(らりたさんへ)確かにフライング気味であることは承知していますが、現行方式が採用されない可能性が高いと判断し、むやみにカテゴリを貼られて後日削除する手間を考慮しての削除です。たかが5記事の段階で手を下せば白紙に戻りますが、大量の記事にこのカテゴリ分類をやられてしまうと後日修正がサーバー負担になることを考慮しての行為でした。ご理解下さい。--Yonoemon 2008年9月21日 (日) 09:05 (UTC)返信

議論が白熱してきましたが、実は私はIstvánさんが考古学から考えているらしいことがわかって虚をつかれました。もし考古学だけから考えて文献史学や他の社会科学の観点をまるきり排除していらっしゃるのなら、話のつじつまは合います(賛成しませんけれど)。

水掛け論もあまり続けては何なので、やはりIstvánさんには出典を求めたいと思います。ひとつは「国家」の定義において「現存するもの」と「かつて存在したもの」との弁別がもっとも肝要だとしている(考古学の?)学術論文、もうひとつは極東共和国やセルビア・モンテネグロなど、20世紀以降に成立した新しい国について、考古学の立場から、考古史料だけに基づいた分析をおこなっている研究です。どちらも私は知らないので、ご教示ください。

「地域」概念を固定的に考えても何ら問題ない、というところもどうも水掛け論になっていますね(「アジア」についてのお答えには私も驚きました)。それから、領域と人民のあり方が異なっていても問題がない、というお答えは、「領土、人民、権力」というご自分の定義をご自分で否定するようなものだと思います。港市国家のように、そもそも領域と人民よりも交易ネットワークの方が存立に不可欠である例もあります。結局のところどういう定義をされるのでしょうか。

それから、「政体・国家制度別にサブカテゴリを作」ることについては私も否定的です(理由はらりたさん、Yonoemonさんに同じです)。--Novo 2008年9月21日 (日) 10:24 (UTC)返信

みなさまが先鋭化してきたのはよくよくわかりましたが、であるがゆえに、この議論は無意味に堕しつつあります。Novoさんは、ご自身の意見を水掛け論と仰って憚らないようでいらっしゃいますが、実を取るおつもりがおありでないのでしたら、ご自身は引いて、第三者に判断を下してもらうなどして、この議論をこのまま続けること以外の道を探っていただきたく存じます。 Kzhr 2008年9月21日 (日) 12:53 (UTC)返信

水掛け論と言っているのは、結果としてかみ合わない可能性があるという予想を(はじめから)申し上げているのであって、私は自説の正しさをもちろん信じており、議論は有意義に進行していると評価しております。「実を取るつもり」はありますので、必要と考える範囲で引き続きコメントはつけさせていただきます。第三者の「中身のある」コメントとご判断は、これまでもこれからも無論拒んではおりません。Istvánさんに出典を求めたのは、「この議論をこのまま続けること以外の道を探っ」たものです。--Novo 2008年9月21日 (日) 13:08 (UTC)返信
Novoさんのみに向けた意見ではなかったのでしたが、結果的にNovoさんの発言のみに意見もうしあげてしまいました。不備のある意見でありましたことをお詫び申し上げます。不毛な先鋭化の例示として申し上げたつもりでした。
さて、Novoさんは
Istvánさんに出典を求めたのは、「この議論をこのまま続けること以外の道を探っ」たものです。
と仰いましたが、私には「議論をこのまま続ける」こととしか思われないことを、議論打開策とお考えであるということは、とりもなおさず、Istvánさんに負けを認めさせたいということであります。これは非建設的ですので、お止めくださいますようお願いいたします。 Kzhr 2008年9月21日 (日) 13:41 (UTC)返信
私の振る舞いの是非についてここでつづけるのは本筋ではないので、お返事はkzhrさんの会話ページに書き込みます。みなさま本筋についてよろしくお願いいたします。--Novo 2008年9月21日 (日) 13:55 (UTC)返信
(らりたさんへ)
具体例を挙げた反論がないので誤解しておりました。申し訳ありません。しかし最初に挙げたあなたのカテゴリ不要論はすでに破綻していませんか。
(Novoさんへ)
>「現存するもの」と「かつて存在したもの」との弁別がもっとも肝要だとしている(考古学の?)学術論文
考古学の学術論文でなくとも歴史地図でない通常の世界地図には過去の国家は掲載できません。それで充分ではないですか。なぜそのような論文を書く必要があるのですか?書く必要のないものは存在しません。
文献史学や他の社会科学の観点があったとしても結果は排除ではなく共存です。他の学問の観点から見た分類を加えるだけです。
>20世紀以降に成立した新しい国について、考古学の立場から、考古史料だけに基づいた分析をおこなっている研究
逆にお聞きしますが、「20世紀以降に成立した新しい国について、考古学の立場から、考古史料だけに基づいた分析をおこなっている研究」における「考古史料」の範囲はいつまでになるのか具体的に答えられますか?
>「アジア」についてのお答えには私も驚きました
ヘロドトスが使用したアシア・エウロパ・リビアと今日の大州は確かに完全な同一という訳ではありませんが、最も伝統的な地域区分であり世界的に見解が一致していて、中近東のような曖昧なものよりも遥かに使用実績があります。今時欧亜の境をタナイスだと言う人はないでしょう。アジアという言葉が出来る以前の出来事であってもアジア史には含まれますから現行の区分で問題は感じません。
>領域と人民のあり方が異なっていても問題がない、というお答えは、「領土、人民、権力」というご自分の定義をご自分で否定するようなものだと思います。
そのような事は言っておりませんが。まさか、今はもう全ての国で戸籍が完備されていて全ての国境腺が確定されているとは考えておられませんよね。
私ばかりに答えさせては議論が平行線になるのも当たり前です。議論するつもりでしたら質問へお答え下さい。あなたの考える国家の定義の観点と地域の区分の観点からこのカテゴリに分類すると不都合な項目は何ですか?--István 2008年9月21日 (日) 14:47 (UTC)返信
(Istvánさん)私ばかりに答えさせては議論が平行線になるのも当たり前です。議論するつもりでしたら質問へお答え下さい。
Kzhrさんからご意見を頂いて考えましたが、確かにIstvánさんは複数の人と議論していますから、全部答えるのは大変だと思います。私の方からはすべてのご質問にお答えします(ただし、私はもともと個別の地域区分内部の議論はいらないという立場なので、Istvánさんが力を入れている細かい両属の問題やカテゴリ間の連携の処理については立ち入りません)が、私からIstvánさんにさせていただいた質問については、先にお願いした出典に絞ってお答えをお願いすることにし、その他についてはお任せします。また何かご不明の点があればいつでもお示しください。
それから、Clarinさんからも「ここは歴史カテゴリではない」というご意見をいただいています。もし何か出典をご存知でしたら、また何かご意見、ご異論ありましたら、どうぞご教示ください。
考古学の学術論文でなくとも歴史地図でない通常の世界地図には過去の国家は掲載できません。それで充分ではないですか。(後略)
ちょっとくどいですが、上の議論をもう一度たどります。
(Istvánさん)かつて存在した国を「学術的価値がある」と判断してコレクションしている、そんな価値観は確かに存在しています。
(Novo)何学で言われている価値観なのかご教示いただけませんか。
(Istvánさん)考古学です。
では考古学のどこで言われているのか具体的出典を挙げてください、ということです。論文になってないのならどういう媒体でもけっこうです。
前にも述べたとおり、私は「かつて存在した国家」という分類の仕方、森羅万象の切り取り方をここではじめて見たので、「考古学にそういう区分がある」というお話には単純な知的好奇心をそそられます。ご教示いただければと思います。
>20世紀以降に成立した新しい国について、考古学の立場から、考古史料だけに基づいた分析をおこなっている研究
逆にお聞きしますが、「20世紀以降に成立した新しい国について、考古学の立場から、考古史料だけに基づいた分析をおこなっている研究」における「考古史料」の範囲はいつまでになるのか具体的に答えられますか?
私は知らないからおたずねしているので、逆に聞かれても困りますけれど、かつて(今より一瞬前以前に)存在した国を「学術的価値がある」と判断してコレクションしている価値観は考古学にある、というお話なので、そういう価値観による「かつて存在した国」の研究は20世紀まで下りてやっているのですかとおたずねしたのです。範囲はお話の通り「今の一瞬前まで」ということで構いません。
>「アジア」についてのお答えには私も驚きました
ヘロドトスが使用したアシア・エウロパ・リビアと今日の大州は確かに完全な同一という訳ではありませんが、最も伝統的な地域区分であり世界的に見解が一致していて、中近東のような曖昧なものよりも遥かに使用実績があります。(後略)
ヨーロッパ史から出発されている方なのだなということは了解しました。「アジア史」と十把一絡げにされた側からの違和感を伝えるのは難しいかもしれませんね。出典を挙げますので、ひまがあったら読んでみてください。
>領域と人民のあり方が異なっていても問題がない、というお答えは、「領土、人民、権力」というご自分の定義をご自分で否定するようなものだと思います。
そのような事は言っておりませんが。まさか、今はもう全ての国で戸籍が完備されていて全ての国境腺が確定されているとは考えておられませんよね。
ちょっと言葉が足りなかったですね。
「領土、人民、権力」というのは、少なくとも政治学では、主権国家システムを定義するときの言い方です。そこでは、いかなる領土、人民ともにただひとつの国家に属し、境界が明確に区分されることは含意されています(概念の問題なので、世界中全部がそうなっているかどうかは別問題です)。そのうえIstvánさんは「今のダライ・ラマ政権は領土がないから国家でない」という趣旨のことをおっしゃいました。そこで私は主権国家システムをイメージしていらっしゃるのかと考えて、らりたさんにもお助けいただいて、かつての国家はそうではないんじゃないかとあれこれおたずねしてきました。
その結果として、主権国家システム外もどうやら含むらしいということがわかったので、矛盾するのではないかと申し上げたわけです。
はじめから何か広い定義でおっしゃっていたのであれば、「「かつて存在した国家」の国家とは何であるのかによって、同一カテゴリにカバーする必然性、「他の歴史上の有象無象」と区別することの必要度は変わってくると思います」ともう一度申し上げます。johncapistranoさんも指摘されているように、英語版から単純に訳すと訳語のニュアンスが異なるのでそのまま移植することが難しい、という問題もあると思います。
あなたの考える国家の定義の観点と地域の区分の観点からこのカテゴリに分類すると不都合な項目は何ですか?
個人的にですが、仮に「国家」の定義を主権国家システムとした場合、今あるものから抜き出せば、以下の通りです。ただし、厳密に「これが不都合」とひとつひとつ決められるわけではなく、全体を定義なしにまとめるところに違和感が生じるのです。(一部[]がっこでくくったのは主権国家システムとの接触があった国です。サブカテゴリは入れてません)
アユタヤ王朝 一支国 伊都国 殷 于山国 燕 (春秋) 漢 韓 魏 (三国) 魏 (戦国) 金 (王朝) 百済 狗奴国 クメール王朝 [阮朝] 呉 (三国) 呉 (春秋) 高句麗 高麗 コンバウン王朝 [シップソーンパンナー] シャンシュン王国 周 蜀 新羅 (清) 秦 新 晋 (春秋) 真臘 隋 スコータイ王朝 斉 (春秋) 西夏 西晋 楚 (春秋) 宋 (春秋) 大理国 タウングー王朝 耽羅 チャンパ王国 [中山王国] 中山国 趙 (戦国) 陳 (春秋) 鄭 テン (中国史) 田斉 吐蕃王朝 トンブリー王朝 奴国 南山王国 南詔 パガン王朝 パヤオ王国 ハリプンチャイ王国 扶南国 プレー王国 北山王国 渤海 (国) 莫朝 邪馬台国 夜郎 [李氏朝鮮] [琉球王国] 遼 梁王国
私は、国家の定義はこうでなければならないと主張しているのではなく、定義がないとカテゴライズを正当化できないと言っているだけです。ですから、どうしてもカテゴリを維持したいとお考えであれば、定義を導入部に明記し、どういう基準でカテゴライズしているのか、出典を踏まえてそれなりに注釈を加えていただきたいと思います。地域区分をされるなら、それについても同様です。
なお、私の主張について、私のほうから今出せる限りの出典を出します。十分ではないのでご支持いただける方に補充・訂正していただくとありがたいです。
  • 「主権国家システム」の定義
    • 篠原一・永井陽之助編『現代政治学入門〔第2版〕』(有斐閣双書、1984年、なおこのテキストは国際関係を含む4条件をとっています)235-240ページ。
  • 地域の可変性
    • 板垣雄三「n地域論」(すいません。有名な説ですが書誌情報忘れました)
  • 「アジア」の定義について
    • 石井米雄編『アジアのアイデンティティ』(シリーズ国際交流4、山川出版社、2000年。コンパクトでよいかと)
  • 「中国」の定義について
    • 岸本美緒「中国とは何か」(山川新版世界各国史『中国史』第3巻序章、1998年)
  • 地域概念としての「朝鮮」について(鴨緑江・豆満江以南という簡単なものではないです)
    • 田中俊明「朝鮮地域史の形成」(岩波講座世界歴史9、1999年。ちょっとうろおぼえで、違う論文だったかもしれません)
--Novo 2008年9月23日 (火) 09:52 (UTC)返信

議論終了の提案 編集

István氏による強弁が続いております。アジア区分絶対論を唱えながらキプロスを南欧と西アジアにの双方に区分するなどの矛盾を内包し、更に十分に各自各論による説明がなされながら、国家の定義の観点と地域区分の観点云々という話を持ち出すあたりで、既に議論は成立しない可能性が高いと判断します。ここに投票により議論を終了させることを提案いたします。--Yonoemon 2008年9月22日 (月) 00:43 (UTC)返信

  • 「かつて存在した国家」の必要性
  • 「かつて存在したアジアの国家」の必要性(ヨーロッパ、アフリカなども含む)
  • 「かつて存在した中国の国家」の必要性(朝鮮なども含む)
  • 「政治体制により区分した国家カテゴリー」の必要性

(コメント)暴言は品位を落としますよ。 Kzhr 2008年9月22日 (月) 02:06 (UTC)返信

らりたさんが引用してくださった私の発言で明言した通り、「かつて存在した国家」は必要と考えています。確認しておきたいのですが、らりたさん、Novoさん、Yonoemonさんは、「かつて存在した国家」を削除し、現存する国家とあわせて「Category:国」に統合するご提案なのですよね? なお、「かつて存在した国家」の下位の分類については別に議論した方が良いと思います。--アルビレオ 2008年9月22日 (月) 22:52 (UTC)返信

建設的な上記提案に賛成します。現在の論点は「かつて」、「国家」、「アジア」と多岐に亘った問題をごった煮で議論しているので問題が肥大化しているように感じています。ではそれ以外の問題について結論を出して、議論を「かつて存在した国家」に移行させたほうがいいでしょう。--Yonoemon 2008年9月23日 (火) 01:00 (UTC)返信
Yonoemonさんのご発言は、議論の蓄積を一切無視し、かつ、ご自身の発言に矛盾し責任を持たないものであるように思われ、不快の念を禁じ得ません。建設的な議論をお願いいたします。
さて、アルビレオさんのご質問ですが、私の理解では、「国」カテゴリのサブカテゴリ「現存国家」「かつて存在した国家」の体系は不要とし、単に現存するという属性を与えないようにすればよい、というふうにらりたさんやNovoさんはお考えなのだと考えています(国の定義を厳密にしていては、その研究をしているひとにしか有意義でないので、さすがにこの点はあらそいがないと考えます)。ご提案については、これまでの論点を整理し、Istvánさんが考古学の視点を取りあげたように、国の分類についてどのような利用が至便かということも視野に入れた、あたらしい議論を開始することには賛成いたします。 Kzhr 2008年9月23日 (火) 01:48 (UTC)返信
発言に矛盾がありますかね…István氏の発言に対し、まずはCategory:かつて存在した国家を確定させた後に、アジアだ中国だという細かいものを決めればいいというだけの話です。上位カテゴリーの結論が出ない状態で、やれ地域区分だ歴史区分だという話をしてもIstván氏から現状では有効な回答が得られているとはとても考えにくいものがあります。それともKzhr氏はこれまでの“議論の蓄積”なるものを重視してこの混沌とした現状を維持するべきとお考えなのでしょうか?
全く賛同を得られていない「アジア区分絶対論」を持ち出したあたりでもはや神学論争の域というものです。--Yonoemon 2008年9月23日 (火) 05:12 (UTC)返信

私は「かつて存在した国家」というカテゴリ自体を不要と考え、削除した後は各国の歴史カテゴリにて取り扱うべきであると考えています。国カテゴリは現存国家だけとした方が良いと想います。
私は地域区分とか歴史区分とかの話は「かつて存在した国家」が不要であるということの説明として述べていたつもりだったのですが、説明の仕方が悪くてあまり理解されなかったようです。もう一度説明しなおします。以下だである調で失礼します。

  1. 「かつて存在した国家」というくくりでは数が多すぎ、このカテゴリだけでは利用できないので細分化が必須となる。
  2. しかし細分化するとしても問題が生ずる。
    1. 地域別に分けたとする。しかし地域別に分けかつ時代別に分けないとするならば、当時の概念でその地域に含まれていなかったにも拘らず、その地域に放り込んでしまうことには問題がある。具体例を挙げれば「西夏」を中国の王朝としてしまう誤謬を犯すことになる。なお西夏のカテゴリは中国史と中央ユーラシア史の歴史の下にあるが、これも修正が必要か。
    2. 時代別に分けたとする。同じ年代にどのような国があったかは需要がありそうだが、世界の半分を支配したような大国と十年も持たずに滅亡したような一地方政権とを並べることにこれも意義を見出せない。主要な国だけ抜き出すなら「世紀」のカテゴリの子カテゴリに各国の時代別カテゴリが入っていることで満たしている(まさか10年単位で分けることもないだろう)。
    3. 時代別かつ地域別に分けたとする。その場合は問題は生じないが、それは既に各国史にカテゴリがあり、新たに作る必然性が無い。(各国史のカテゴリが整備されていないとすれば、それは整備をする方向で解決すべきである。)
    4. 政体別にという案も出たが、それは不可能(理由は上述)。
  3. 以上から「かつて存在した国家」というカテゴリは単体では用を成さず、細分化するにも問題が生じ、適切と想われる分け方をした場合は既にカテゴリが存在している。故に「かつて存在した国家」には存在意義が薄く、削除すべきと考える。


以上が私の意見です。もしこのカテゴリがあることで起こるデメリットを上回るメリットがあるというならば意見は取り下げるつもりだったのですが、現在の所満足のいくお答えを頂けてないと思います。--らりた 2008年9月23日 (火) 09:23 (UTC)返信

(追記)なお、考古学が「現在の地域で同じところから出土したから同じ扱いにする」というのは本当でしょうか?発掘物には編年作業が不可欠であり、系統を重視する考え方は歴史学よりむしろ強いはずです。考古学は詳しくはないのですが、疑問です。--らりた 2008年9月23日 (火) 09:27 (UTC)返信
私のもともとの主張は、「かつて存在した国家」およびその下位カテゴリを廃止し、すべての記事を適切な歴史関係のカテゴリに入れる、というものです(らりたさんの上の見解に同じ)。「現存国家」(今現在そういうカテゴリはなく、「アジアの国」など大州別になっているようですが)は可能、必要だと思います。ただし、その後「かつて存在したヨーロッパの国家」には違和感がない、とも申し上げました。これを維持して「ヨーロッパ史」の下においてもかまいません。
また、「「禁止」とか絶対否定とかではなく、個人的な違和感を申し上げている」ので、冷静な議論による合意が形成されるならば、ひとりだけ異論をたてつづけることはしません。言いたいことは申し上げましたので、以後はなるべく静観します。--Novo 2008年9月23日 (火) 09:52 (UTC)返信

アジアに留まったセルジュークをヨーロッパ、アジアからヨーロッパへ遷都した名実ともに欧亜に跨る帝国たるオスマンをアジア、キプロスはアジアではないと言い、強弁と決め付けて私を呼び捨てにしたYonoemonさん。あなたのアジアに対する知識の程度とどういった人なのかという事はよく理解できました。先の非礼と誤った情報を流した事を謝罪してください。

Novoさんに挙げていただいた国名は全て王があり歴史地図にある程度の領域を持って描かれている(そして民がいる)という意味で充分に国家の要件を満たしていると考えます。これの子カテゴリに入れるべきです。議論が複雑化するために黙っておりましたが、それよりも「かつて存在した」というカテゴリ名の方が問題であると感じております。なぜなら夏王朝のような存在が定かではない伝説上の国を入れることができないからです。

らりたさんに対しては私のアプローチ方法が誤っていたせいで平行線を辿ってしまったと感じます。これまでの様に枝葉話にまで反論をしていてはキリがないので、らりたさんの提案した方法が失礼ながらなぜ非合理的非科学的かついい加減なのかについてご説明いたします。先にお断りしておきますが以下はらりたさんへの批判ではなくあくまでもやり方に対する批判です。

  1. 既存カテゴリのいい加減さについて
    らりたさんは既存のCategory:インドの王朝などを使用すればよいと言われました。しかしながらここでとても重大な事項が見落とされています。インドという区分はアジアと比べると非常に曖昧です。そもそもインドの前身とでも言う言葉Indiasは新大陸がアジアの東にぶら下がる半島だと信じられていた時代にはヨーロッパからみて地球の反対側の未知の世界を漠然と指しました。時代が下り新大陸の全貌が明らかになってもインドの範囲はインドネシア(東インド)に名を残す様に東南アジアを含んでいました。さらに近代になり大英帝国がインド帝国を領有した時、インドは南アジアの領域に近くなりました。そしてインドが独立し、パキスタンはインドではなくなりました。このようにインドという言葉の指す範囲は時を経る毎に狭くなっていきました。同じインド内でもアーリア系とドラヴィダ系、北にはチベット系もあるのに何を以ってインドの王朝とするのでしょうか?スリランカ王国は仲間外れですか?王朝という事は共和国である現在のインドが滅んでもそのカテゴリには入れられませんよね。王国だからと言ってネパールが滅んだときにそこに入れたら遺民は怒りますよ。そのカテゴリは非科学的で「百科事典として不適切」です。使用するなら「過去の南アジアの国」を使うべきでしょう。南アジアを定義する事は科学的に可能です。それは「地質学的に言うインド亜大陸とその付属島嶼」です。アジアも北からウラル分水嶺、カフカス山脈、スエズ地峡、オセアニアとの境界は旧サフル大陸を分かつライデッカー線という科学的な定義があります。この地質学的な境界は人類の歴史程度の短い期間では移り変わる事がありません。キプロスについてはこれがどちらなのかを論じるのはギリシャ・トルコ間の政治的な側面もあり、公的資料でも意見が分かれているので両方に属するとすべきです。
  2. 国史と過去の国家の関係について
    国のカテゴリをどうにかするという事はそこに属する物事が何の子カテゴリに属するのかという事にも問題が発展します。特に人物の場合はそれが何処の国の人かという事がそのまま民族主義に繋がるのです。これは国々がどんなカテゴリに入ったとしても付いて回るデリケートな問題です。これに対して「ややこしいので全部取り去る」とか「我々の専門範囲ではないので触れない」というのは無責任です。例えばポーランドは国がなくなりましたが、その当時の人物ニコラウス・コペルニクスCategory:ポーランドの天文学者にカテゴライズされています(しかも彼はポーランド人であったかが定かではない)。現在ポーランドが過去のポーランド国家と連続性があるものなのかという事を証明できるものがあるでしょうか?ポーランドはまだましな方で、現在のウイグル人やアヴァール人の様な過去の民族と同一かが不確かな例も多数あります。しかしながらコペルニクスはその生地からポーランドの人物と判断されてポーランド史上の人物とみなされています。人物と国の場合とで何が異なるのでしょうか?高麗は今日の朝鮮民族とは別系統であると言われている高句麗の後継国家として国号を受け継ぎ、今日でも高麗に由来するKoreaを朝鮮半島の国家の英称としていまだ用いています。高句麗を指してこれは韓国の歴史ではないと言ったら韓国人は怒ります。しかしながら直接「中国~」「朝鮮~」とやるのは早計でした。en:Category:Former countries in Chinese history, en:Category:Former countries in Korean historyに合わせて「○○史~」とした方が多少はナショナリズムの問題を解消できる事でしょう。事実en:Category:Former countries in Japanese historyには蒙古聯合自治政府満州国があります。時代と共に領域の変動する区分もありだと思います。
  3. 過去の国だけを集めることについて
    日本の過去の人物の記事の多くはCategory:日本史の人物にカテゴライズされていますが、これも過去の国と同じ様に大正以降がありません。何を以って歴史なのかの判断が恣意的です。現行の国と地域概念が一致している地域史のカテゴリなら過去の国々のカテゴリがあるにもかかわらず現行の国が子カテゴリではなく親カテゴリの状態で、現行の国での出来事をカテゴリに直接置くという形で歴史をまとめることも可能でしょう。しかしフランス・ドイツ・イタリアの領邦は非常に細かくて時代区分とも一致しないのでこれらをまとめるカテゴリを除去すれば大迷惑です。

--István 2008年9月26日 (金) 06:42 (UTC)返信

未だに「絶対アジア論」についての見解が示されていませんなぁ…トルコの分類についても私が大学で学んだ東洋学では受け入れられない見解を示されていますし、更に高句麗への見解を韓国人の民族感情で判断する…私も歴史学と地政学をごった煮にした見解に違和感を示しているだけなので冷静な議論による合意が形成されるならばその合意を遵守します。何を言っても私の知識の限界をご存知のIstván氏には意味を成さない意見になると思われますので、今後は静観いたします。--Yonoemon 2008年9月26日 (金) 13:35 (UTC)返信
「インドの王朝」のカテゴリを例に挙げたのは確かに私の間違いでした。撤回いたします。所でひとつお聞きしてよろしいでしょうか。Istvánさんが想定するこのカテゴリの最終形はどのような物なのでしょうか?正直解らなくなりました。
時代によって領域が変遷することは認めていただいたようですが、それであるならなおのこと時代を超えて全てを一緒にするような区分をすべきではないと思うのですが。(インドのように)国家領域は変動するから使うべきではないと思ってらっしゃるのか、それともイタリア・フランス・ドイツなど国家領域でカテゴリを作るおつもりなのか。どちらでしょうか?
また「既存カテゴリのいい加減さについて」ということなら「各国史のカテゴリが整備されていないとすれば、それは整備をする方向で解決すべきである」と前に言いました。これもインド史の専門家たちが行っているやり方を踏襲すべきでしょう。
それと山や海は変動しません、が「アジアという定義」を作ったのは人間ですよ。ヒマラヤが出来た時からヒマラヤと名前がついていたわけではありません。--らりた 2008年9月29日 (月) 09:23 (UTC)返信

(インデント戻します)私は未だ「かつて存在した国家」カテゴリが欲しいと思っていますが、大勢が廃止であればそれに従います。廃止したときに問題になると思う点を挙げておきますので、対案が出てくればうれしいです。

  • 国家が存在しなくなる時点は必ずしも明確ではありません。「国」カテゴリに属していた記事がいきなり「各国史のカテゴリ」に移るのは乱暴ではないでしょうか?そもそも存在しなくなった国についての「国の歴史」カテゴリは残るのでしょうか?
  • 過去の国が、現在のどの国の歴史に入るかは、必ずしもわかりやすくはありません。まあ、これについては関係する国全てに入れればよいのかもしれません。ただ、領土が広かった国は多数の国の歴史カテゴリに入りそうです。たとえばソ連やローマ帝国は数十の国の歴史カテゴリに入るのでしょうが、それはそれで問題になりそうです。

問題を投げるだけで申し訳ありませんが、良い対案を期待しています。--アルビレオ 2008年10月1日 (水) 11:09 (UTC)返信

これって例えばクリミア・ハン国はどうなるんでしょうか。現在のウクライナにあった国ですが。あと、台湾民主国や戊辰戦争期の函館政権など、巨大政権に対する反抗として生まれた(それゆえに短命に終わった)政権はどうするのですか。--ポコポコ 2008年10月8日 (水) 04:04 (UTC)返信

カテゴリの最終形として想定しているのは、少なくとも「民族」または「地域」のどちらかの視点から見た過去の国カテゴリに全入という形です。

印欧系などでは元々同一だった民族が居住地域によって(基層民族の影響や地理的分断によって)別の民族を名乗るようになったケースが多いので地域と民族が同一視される事もある程度は許容されて仕方がないと思います(その所為でサヴォイアがフランスとイタリアの間でどっちつかずになります)。ただ中国や朝鮮の場合は民族系統を無視して過去の国家を自国・自民族史の一部としてしまうことが政治的な理由からも認められてしまっているのが問題なのでしょう。

アルビレオさんの意見と同様に、過去の国カテゴリではなく各国の(または各地域の)歴史カテゴリに入れてしまう事は煩雑さを招く原因となると考えます。これを過去の国カテゴリで解決しようとすれば次のようになります。例えばプロイセン公国は現在のポーランドの領土内にありましたが、系統的にはドイツ系で、元々の多数派民族はそのどちらでもないバルト系でした。しかも神聖ローマ帝国外なのでCategory:ドイツの領邦も使用できません。もしカテゴライズするならばロレーヌからポーランドまでの領域(Mitteleuropa)を便宜的に「中欧」と区切って「過去の中欧の国家」の様な地理的なものとするしかありません。同様にクリミア汗国も現在のヨーロッパにおけるCIS諸国の領域を便宜的に「東欧」と定義しておいて「過去の東欧の国家」としたり、民族的出自から「モンゴル帝国の後継国家」の様なカテゴリを作る見方もあると思います。

このように便宜的に世界を区切る事に対して疑問を持たれるかも知れません。例えばキプロスは地理的に完全にアジアですが、ギリシャとの同一性もあってEUに加入しているためある意味ではヨーロッパという事が否めません。エーゲ海上のアジア・ヨーロッパの境界線が希土戦争とセーブル条約で決定された国境だというのも恒久的なことではありません。ローマ帝国の様な地理的に連続した覇権国家や大英帝国のような植民地帝国がアジアの国かというと、(現在の国と同様の基準で)それは否定されます。しかしロシア帝国はその主要民族がウラル山脈よりも東に移住して多数派を占めるようになった(ロシア人がアジアの民族の一つとなった)という考えから両地域に跨る国と考えられています。したがって大州での区切りや分類基準も絶対的なものという訳ではなく異論があれば境界線が多少移り変わったり曖昧なままであったりしますが、だからといって領土がある以上は「どこにも属さない」という国はないので使用できないという程の欠陥という訳ではないのです。

短命政権に関しては英語版では子カテゴリのen:Category:Short-lived statesに属す事となっています。その政権が短命だったかどうかは過去の国になるまで断定する事はできません。つまり大陸別の観点から以外にも過去の国カテゴリの親カテゴリとしての価値を補強する材料がある訳です。--István 2008年10月8日 (水) 23:42 (UTC)返信

まず民族によって国を分けるというやり方は「有り得ない」と申し上げておきます。
「民族とは何か?」、この問いに答えられる人間はこの世にいないはずです。無論、辞書的な答えは私にだって出来ますが、これを一意的に確定的に出来る人間は存在しないはずです。
現在使われているような確固として厳然と他のものと区別可能な「民族」という概念は「国家」と同じように「近代ヨーロッパで発明された概念」であり、これを過去の国に適用するのは歴史学的な観点から見た場合、問題があります。
そういう問題を抜きにしても、「多民族国家はどうするのか?」(例:トルコ)、「支配民族と被支配民族とどちらで分類するのか?」(例:イギリス領インド)、混血が多い国ははどう扱うのか?(例:かつてではないですが現在のブラジル)、そもそも民族が不明ないし仮説の段階の国はどうするのか?(例:楚)など様々な問題が生じます。
各国の歴史カテゴリに入れてしまうことは煩雑さを生じるということですが。そもそもカテゴリとは煩雑さを生じさせるためのものであるはずです。それを簡単に単純なカテゴリに放り込んでしまうことは分類にならないと思います。
上記の記述では誤解を招くでありましょうから詳しく説明します。分類という行為は例えば「生物」という非常に大まかでざっくりとした区分けから「動物」「植物」と分け、更に「爬虫類」「両生類」「哺乳類」と細かくしていくことこそが分類であると思います。であるので、『「ある地域にかつて存在した国」というざっくりとした分類に意味は無い』と思っています。
また、そしてこれこそが更に重要なことですが。各国の歴史カテゴリに分類する時のやり方は「各国史の専門家のやり方に習う」べきです。分類という行為は何度か出たとおり、どうしても恣意的にならざるを得ません。しかし「専門家の恣意」と「ウィキペディアンの恣意」では「専門家の恣意」に従うべしというのがウィキペディアの方針です。各国史の専門家たちのやり方に習い、もし専門家たちが曖昧にしている事柄があるのなら曖昧にすべきであるということです。
ですので「ある地域にかつて存在した国」という分類を是とする専門家(が一定以上の勢力を持つ)というならばその区分に従うことには何ら異論はありません。--らりた 2008年10月11日 (土) 15:07 (UTC)返信
カテゴリは「生物」の分類と異なり、複数の下位カテゴリに属すことがあります。各国の歴史カテゴリに入れるということは、例えば「イギリス領インド」であれば「イギリスの歴史」にも「インドの歴史」にも入れることにするのではないでしょうか。
私は当初このように複数の「各国の歴史カテゴリ」にいれることをあまり考えずに、「各国の歴史カテゴリ」の上位カテゴリが欲しいという意見でしたが、関連する全ての「各国の歴史カテゴリ」に入れるのであればそれでもかまわないと思います。ただ、この方針は結局「各国の歴史カテゴリ」の上位カテゴリを作る方向になるのではないでしょうか?--アルビレオ 2008年10月11日 (土) 22:30 (UTC)返信
地域別に存在した国家を一元的に扱うのは地域史という学問では普通です。らりたさんは専門家のやり方の例示を求めているようなのでここで一つ例を出します。
各国の歴史教科書だけでなく、日本語の書籍にも地域別に国々を紹介するやり方が見られます。例えば『北アジア史 新版 (世界各国史 12)』(ISBN 978-4634411203 )の様にシビル汗国と極東共和国の両方について記述しているものがあるのです。もちろんこれはプロの歴史学者の編纂です。
「民族によって国を分けるというやり方は「有り得ない」」という事こそありえません。それは民族史の考えを根底から否定します。民族というものは人類集団の単位であり、主に血族関係により他と区別されます。文化・言語・宗教・行動様式・形質による同一性が規定される事もあります。「民族は何か答えられる人間はこの世にいないはず」などというのは民族学者に対して「君の専門は無意味だ」と言っているようなものです。「民族は近代ヨーロッパで発明された概念」というのも幻想です。古代ヨーロッパでのバルバロイ、古代中国での東夷・南蛮・西戎・北荻はもとい、言語の発明される以前の太古から人類には民族に相当する集団社会がありました。「民族」という言葉が生まれたから「民族」という概念ができたのではなく、元からあった人類集団の単位に対して「民族」という語を充てたにすぎないのです。複数の民族が対等な立場で連合して形成される国家の形は一部の近代的なものであって、人類史上においては基本的に主要民族が被征服民族を一方的に支配するという形が一般的です。そういえばトルコの歴史教科書では地域史的な観点(アナトリア史)と民族史的な観点(テュルク史)両方で自国の歴史について教えられていますよ。--István 2008年10月14日 (火) 12:02 (UTC)返信
誰も民族学を無意味などとは言いません。厳密に定義は不可能であるといっているのです。「民族という概念」自体が近代以前に存在しなかったとは言っていませんよ。しかし「一意的に確定的な民族」という概念は近代ヨーロッパで発明された概念です。マージナルマンと呼ばれる境界線上の人たちもいます。
また漢民族と呼ばれる民族は歴史的に匈奴や鮮卑や契丹などを吸収してきたわけです。何度か繰り返したとおり、西夏(タングート)を漢民族の国としてしまうのですか?これはイタリア人だってドイツ人だっていっしょのことです。どこからどこまでをドイツ人とするのか?という疑問があります。:ある人がある民族に属するかどうかを厳密に決定することは出来ません。国籍を持っていればその民族に属する、とはいえません。小泉八雲は結局日本人になれませんでした。
また「複数の民族が対等な立場で連合して形成される国家の形は一部の近代的なものであって、人類史上においては基本的に主要民族が被征服民族を一方的に支配するという形が一般的です」ということですが、例えば西遼は支配民族は契丹ですが、少数派でした。金も同じく。モンゴル帝国だって清だってそうです。南越国などは支配者一族だけが漢民族で、他は全てベトナム系でした(漢民族とかベトナム系とかの言葉が適切かどうかは別として)。一部の近代的などとはいえません。プラス「民族が不明ないし仮説の段階の国」は結局どうするのですか?
地域史にせよ民族史にせよその観点から流れを見ていくならば(当然そこには時代によって区切りを付けることになるでしょう)意味があります。しかしその中にあるものを時代を無視して全て放り込んだカテゴリに何の意味があるのか?と何度も問うています。なお親カテゴリならば北アジア史などのカテゴリで十分でしょう。
以上。私の良いたいことはもう全て述べたように思います。最近は同じことを繰り返していただけに思えるのですが、結局何の意味も無かったようです。もう私からは何も言いません。後のことはお任せします。自ら動議しておきながら失礼かとは存じますが、これ以上私から出来ることは何もありません。では失礼いたします。--らりた 2008年10月14日 (火) 13:01 (UTC)返信
「親カテゴリならば北アジア史などのカテゴリで十分」という考えについてだけ批判します。
「その中にあるものを時代を無視して全て放り込んだカテゴリに何の意味があるのか」という問題はそのまま「○○史」カテゴリにも通用します。それどころか項目数は増えるので余計煩雑になり、無意味さを増します。まずこれが欠点一つ。
そして国々の変遷と時代区分が一致しているのは中国のような極一部の地域に過ぎない(それすらも見かけ上に過ぎない)訳で、「○○史」カテゴリの下に直接国を置けば、自然とカテゴリの内容はカオスの様相を呈します。例えばその分野の歴史に明るくない人からすれば「ジョチ・ウルス」「キエフ・ルーシ」「吐谷渾」みたいな日本語からすると非国家然とした国名を言われても国の事だとは判らずに、記事を読み込むまでは人物や事件や制度みたいなものと勘違いする訳です。これで欠点二つ。
それかららりたさんの言う「北アジア史などのカテゴリ」は具体的に何にするのかという問題が生まれます。例えば今中国の各王朝は「中国の歴史」の下にありますが、らりたさんの考え方を適用すれば「親カテゴリならば東アジア史で十分」と言ってもおかしくなくなりますね。そのどちらよりも「中国史の国家」の方が需要ありますよ。
そもそも地域史も民族史もやはり各々の専門家の恣意によって範囲設定が変わる曖昧なもので、国だから問題になるという性質ではありません。したがってそういった方面から国カテゴリは邪魔だと言われる筋合いはないのです。
という訳です。過去の国カテゴリの廃止を考えるのはもうやめにしませんか。--István 2008年10月14日 (火) 15:24 (UTC)返信
双方過熱して疲れ果ててしまったようですが、そもそも一連の議論には前提に大きな齟齬があるようです。
初期に既に論じられているようですが、初めに「Category:Former countries」を作成した人は、このカテゴリを歴史学のカテゴリとして作成したものではないようです。
確かに、『国』(国家)もアジアのような大州も共に優れて現代的な区分であり、つまり全史に跨る歴史的区分に遡行して適用できると考えれば誤謬甚だしいものになります。しかしそれでもなお、現代から見た便宜上の区分、検索・教育用途には充分に有用であり、社会一般に使用されているという現実があって、Former countries in Asiaのような呼称はその一般的な通念に基づいて作成されたものでしょう。
にも拘らず歴史学系の編集を専らとする人々がこれに異を唱えたために、視点の相違から齟齬が起きたようです。「アジア地域にかつて存在した国」だったならば、多少は誤解も避け得たでしょうけれど。
このカテゴリをあくまで現代的視点からの区分と設定する場合、現代地理が定めるアジア州の領域について古代からの歴史的正当性を求めても意味がありませんし、「かつて」という語を使用する際に処々の政治勢力の主張や復興の可能性を考慮する必要は無いでしょう(国家の三要素を満たさなくなった時点で「かつて」とみなしてよいので)。
現存する国よりも滅んだ国の方が圧倒的に多いのに、後者をカテゴライズするのはおかしい、という意見は強弁が過ぎます。
それでは、「Category:アジアの国」に過去現在問わず全ての国を放り込んだ上で、「Category:現在存続するアジアの国」をサブに作るのは可ということになってしまいます。現代政治・社会方面からwikipediaを検索する人々が呆れることになるでしょう。
思うに、「Category:かつて存在した国家」とそのサブカテゴリの存廃を議論するならば、論点は一つだけでしょう。
「現代地理・社会的見地から過去の諸国の所在地を分類したCategoryの存続に、価値があるか」
まだ気力が残っている人がいらっしゃるなら、考慮を願います。--It-out 2008年10月16日 (木) 03:35 (UTC)返信

結局、It-outさんが述べられた、「現代地理・社会的見地から過去の諸国の所在地を分類したCategoryの存続に、価値があるか」という点が最大の問題かと思います。私自身、前のコメントから考えを続けていましたが、結局ここでの論争の焦点はここでしょう。ただ、私自身はこれに加えて、「国家」の定義があいまいであるという問題も残っていると考えます。

まず、「現代地理・社会的見地から過去の諸国の所在地を分類したCategoryの存続に、価値があるか」ですが、いわゆるウラル山脈-スエズ地峡をもって「アジア」とする見地から過去の諸国の所在地を分類するというやり方には未だに無理を感じます。前にクリミア・ハン国についてお尋ねしたのはそのためでしたが、もっと分かりやすい例をあげるとすればエジプトです。現代においてすら、「中東」というカテゴリに入れられることの多い地域であり、ヒッタイトと新王国を分断してカテゴリする、十字軍国家とアイユーブ朝を分断してカテゴリするというのであれば、余りに無理があるといわざるを得ません。ここはIstvánさんには再考していただきたいところです。せめて、かつての欧米の「東洋」学者がとったように、「ユーラシアとサハラ以北のアフリカにおける、ヨーロッパではない(ヨーロッパ的ではない)地域」などと「アジア」を定義されるのでしたら、まだ分かるのです。「地域」の自然科学的定義と、歴史的社会的定義の間の齟齬については、この件では楽観するべきではないと思います。Istvánさんは余りに前者に傾きすぎてると言わざるを得ません。

次の問題は「国家」の定義についてです。結局Istvánさんは「領土、人民、権力」をもって定義となさるのでしょうか?もしそうならば、例えば日本の中世近世の大名家全部をこのカテゴリにいれてもいいのでしょうか。 つまりここでは、より大きな権威権力に依拠する政権をどう見なすかが問題になります。他にも「領土、人民、権力」という定義方法には穴があるかもしれません。--ポコポコ 2008年10月16日 (木) 05:25 (UTC)返信

いや、そうではなく、私は、『大州で所在地を分類する方法を採るのであれば、個々の「国」の歴史的な所以を問うても意味が無い』と言ったのですが。これはただ、地球の白地図を用意してそのどの位置に諸国が所在したかを分類するための整理上の便法にすぎないのです。「クリミア・ハン国は、かつて欧州に存在した国家である」と説明するのが奇異でしょうか?(歴史叙述ではありません。説明に過ぎないのです)歴史から離れていただければ幸いです。
国の定義については…厄介ですが。--It-out 2008年10月16日 (木) 07:22 (UTC)返信
うーん、そもそも過去に存在した「国家」をなんらかの定義でカテゴライズする行為自体、一種の歴史叙述だと思うのですが。たとえ本人が自覚していなくてもです。そもそも歴史から離れるのでしたら、一体何のためにこのカテゴリを作るのかという話になります。
あと、クリミア・ハン国の話ですが、「クリミア・ハン国は、かつて欧州に存在した国家である」という表現は、テレビの紀行番組などではいいのかもしれません。ただ、この表現は必然的にミスリードを生みます。すなわち、「欧州」というカテゴリには自然地理的な意味と、政治社会文化的な意味が混在してしまっているのです。例えば、クリミア・ハン国についてなにも知らない人が「クリミア・ハン国は、かつて欧州に存在した国家である」と聞けば、クリミア・ハン国はキリスト教国だったのかと誤解しても無理はありません。「欧州」というカテゴリに入れることを全否定はしませんが、それだけでは明らかに不足でしょう。プロイセン公国の話が前にありましたが、この問題はプロイセン公国を歴史的に「ポーランド」とも「ドイツの領邦」ともカテゴライズしない事情と、通じていると思います。--ポコポコ 2008年10月16日 (木) 10:36 (UTC)返信
>テレビの紀行番組などではいいのかもしれません。
はい、全くその通りです。或いはニュース番組とか。「ヨーロッパ」の定義にしても「国家」のそれにしても、このカテゴリはそれ以上のものでは在り得ないでしょう。ですが、その区分は『検索・教育用途には充分に有用であり、社会一般に使用されているという現実がある』のです。
それを踏まえた上で、「(歴史)学術的に不正確で誤解を生むカテゴライズは一般に通用していてもwikipediaには相応しくない」とか「かつて存在したヨーロッパの国家>~東ヨーロッパに~>クリミア・ハン国 という順序で項目を探す利用者は少ない」だとかいう論が大勢を占めるならば、削除するべきだということになる、のではないでしょうか?
まあそれ以前に名前が悪いのはどうしようもないですが。「アジアにかつて存在した国」ならまだしも(で英語版にも忠実)だったのですけれど。--It-out 2008年10月16日 (木) 12:23 (UTC)返信
>「国家」のそれにしても、このカテゴリはそれ以上のものでは在り得ないでしょう。
二つ「それ」がありますが、最初のは「定義」、次は「紀行番組的なもの」と解釈していいのでしょうか。紀行番組なら雰囲気優先で「定義」をやかましく言う必要はないのかもしれませんが、今回の件は、日本語wikipediaにおける歴史系トピック全般に影響を及ぼす可能性があります。雰囲気優先とばかりはいかないでしょう。「東欧」うんぬんは私も全否定はしないと、上でも申し上げたとおりです。ただ「東欧」を適用するなら、非「東欧」・「欧米」のいわゆる「アジア」側地域カテゴリーでもフォローは入れるべきと考えますが。
ともかく、It-outさんも「国家」の定義には問題があると認めているようですし、ここをどうされるのかは気になります(「アジア」の方も問題ですが)。私は、古代オリエントから20世紀に至るまで、日本から遊牧民世界、中東に至るまでの全ての時代と地域を共通してカバー出来る「国家」の定義を作れと言われても正直自信がありません。--ポコポコ 2008年10月16日 (木) 13:35 (UTC)返信

いや、ですから、この「かつて存在した国家」というカテゴリは、「歴史系トピック」の範疇に入るものにはなれない、と何度も言っているのですが…。「全ての時代と地域をカバーできる国家の定義」など歴史学的に無意味だと、と初めに書きました。「国家」や「アジア」の歴史的定義について論争するつもりはありません。 それを、歴史系の編集者が後から流入して異議を呈したために混乱が起きたように見えます。 「wikipediaでは、(過去の)事物をカテゴライズする場合、必ず(歴史)学術的分類に従わなければならない」とするなら、このカテゴリは当然不当なものになるでしょう。--It-out 2008年10月16日 (木) 14:08 (UTC)返信

少し訂正追加

『「かつて存在した●●の国家」というカテゴリは、歴史系トピックに入るものではない。』

ですね。本カテゴリの親カテゴリは「Category‐地理」や「Category‐アジア」です。

「Category‐かつて存在した国家」は、諸地域を束ねるためのものであって、構成上、本カテゴリの親ではありません。歴史的分類をことにするカテゴリではないことは明白です。--It-out 2008年10月16日 (木) 14:34 (UTC)返信

お言葉ですが初版から既に、このカテゴリは「Category‐アジア史」に組み込まれています。だからこそ歴史系の人たちが押し寄せてきたわけで・・。そもそも地理学的観点からなら、過去における「国家」や「アジア」の定義をあいまいにしていいというわけではないと思いますが。例えば歴史地理学的観点なら、過去全体における「アジア」の定義をウラル山脈-スエズと機械的に分けてしまっていいんでしょうか?「国家」についてはどうですか?--ポコポコ 2008年10月16日 (木) 15:19 (UTC)返信
分けてしまってよいでしょう。そのような区分が「検索・教育用途には充分に有用であり、社会一般に使用されているという現実があって、wikipediaにてカテゴライズする要件を満たす」と皆さんが判断するのならば。そうでないなら削除です。今の思いつきですが、何を以って「国」と見なすのかは、各項目で国・王朝・政体などと説明されているか否かで峻別すれば良いのでしょう。
また、本カテゴリの冒頭には「主要カテゴリ > 地理 > 地形 > 大陸 > アジア > アジアの地理 > アジアの国 > かつて存在したアジアの国家」と所属が明記されています。他の所属は利便上のリンクにすぎないと解釈するのは間違いでしょうか。複数の学術分野の分類条件を同時に満たすカテゴライズなどありえません。だから揉めているのです。当カテゴリの主は「地理」です。「Category‐アジア史」に組み込まれているのが相応しく無いならば、外せばよいだけなのです。そこまで厳密に拘っては利便性を損なうと思いますが。
念のため確認しますが、ポコポコさんは、私が、当カテゴリの存続に賛意を表明する予備段階としてこの議論を始めたと勘違いしておられませんか?
私は私なりに経緯を整理して、、「現代地理・社会的見地から過去の諸国の所在地を分類したCategoryの存続に、価値があるか」という論点に拠らなければ平行線は集束しないだろう、と言っているのです。存続派のIstvánさんの見解はまだ解りませんが、この論点に拠ることに双方の賛同が得られないならば退散するだけですし、この論点に拠って議論を始めたとしても当カテゴリを廃止する論拠は数多くあるのは私が幾通りも挙げた通りです。--It-out 2008年10月16日 (木) 15:46 (UTC)返信
そろそろ私とIt-outさんとの対立点が明らかになってきたようです。それだけに、議論が平行線になりつつありますが・・。
繰り返しますが、この件に対する私の主張は3つです。
  • ①「このカテゴリは歴史系トピックから免れることは出来ない。」
  • ②「歴史的カテゴリの定義に対して、自然科学的定義を無批判に当てはめることは、この件に関しては無理がある。」
  • ③「このカテゴリにおける「国家」の定義が殆ど検討されていない。」
それぞれの理由は今までも説明しました。①については「過去に存在した「国家」をカテゴライズする行為自体が歴史叙述である。」②については「「自然科学的定義」と「歴史的定義」との間に齟齬がある。」③については「「領土・人民・権力」という定義では、カテゴリ利用者が本来想定しなかったような対象もカテゴリに混入する可能性が高い。」です。
その上で、上記でIt-outさんが提起されました点にお答えしますと、
>分けてしまってよいでしょう。そのような区分が「検索・教育用途には充分に有用であり、社会一般に使用されているという現実があって
具体例を申し上げますと、山川出版社の高校世界史B教科書(2002年版)には、本文中に「ウラル山脈」や「スエズ地峡」という単語は載っていません。もちろん、この2つを以って歴史的な地域区分を行うといった記述もありません。他の教科書は見ていませんが、「教育用途には充分に有用」という具体例があるなら歴史以外の科目でも構いませんので挙げていただきたいところです。
>何を以って「国」と見なすのかは、各項目で国・王朝・政体などと説明されているか否かで峻別すれば良いのでしょう。
「政体などと」という定義では、結局私が上で指摘した問題をクリアできないと思います。例として私は日本の中世近世の大名を挙げました。
>また、本カテゴリの冒頭には「主要カテゴリ > 地理 > 地形 > 大陸 > アジア > アジアの地理 > アジアの国 > かつて存在したアジアの国家」と所属が明記されています。他の所属は利便上のリンクにすぎないと解釈するのは間違いでしょうか。
そうした観点をこの長い議論の中で提示されたのはIt-outさんが最初でしょう。はっきり申し上げますと、ページ冒頭でこういう風にレイアウトされている理由は、「単に2版を作成したKtrさんがそういう風にレイアウトしたから」以上のものではありません。2版作成の際に、このカテゴリの主カテゴリが果たして「地理」なのか「歴史」なのかの議論が為された形跡はありませんし、「地理」カテゴリが冒頭にきているのはそれこそ「利便」に過ぎず、「歴史」カテゴリ所属の意義が「地理」に比べて薄いなどという根拠にはなり得ないでしょう。
>私は私なりに経緯を整理して、、「現代地理・社会的見地から過去の諸国の所在地を分類したCategoryの存続に、価値があるか」という論点に拠らなければ平行線は集束しないだろう、と言っているのです。
この論点に寄ること自体は私も賛成しています。既に上述しています。ただし、「現代地理・社会的見地から過去の諸国の所在地を分類したCategoryの存続に、価値があるか」という命題について、私の答えは「この件については否」であることはお分かりかと思います。It-outさんと私とで違う点があるとすれば、私は「歴史的見地を導入するのなら、このカテゴリの存在意義があるいは浮上するかもしれない」と考えている点です。
結局、It-outさんと私との間では、「地理」か「歴史」かについて、埋めがたい溝があるように感じます。正直、私はそこまで「地理」に固執する理由が分からないのですが、今回の私のコメントも殆どが以前のものの繰り返しで、これ以上は議論が進まないのではないかと感じます。It-outさんと私との議論は一旦ここで打ち切った方がいいと考えます。他の方の意見を待ちませんか。--ポコポコ 2008年10月17日 (金) 12:56 (UTC)返信
繰り返しますが、私はポコポコさんと議論した覚えはありません。対立もしていません。経緯から判断して現行の本カテゴリの立場を解釈し、問いや誤解に対して説明しただけなんですが。私はそんなに難解なこと言っているのかなあ。--It-out 2008年10月17日 (金) 13:17 (UTC)返信
It-outさんの最初のコメントはもっとよく読むべきでした。私が誤解していた面がありました。ただ、結局It-outさんによる「本カテゴリの立場」の解釈は肯定できません。先ず英語版については、前の方で「とりあえず記事数を増やす為に作った」カテゴリではないかと説明がありました。そもそも英語版のほうの事情に日本版を合わせる必要はなく、それぞれで検討を行うべきだとNovoさんもおっしゃっていましたし、私も同感です。あと、「『国』(国家)もアジアのような大州も共に優れて現代的な区分であり、つまり全史に跨る歴史的区分に遡行して適用できると考えれば誤謬甚だしいものになります。しかしそれでもなお、現代から見た便宜上の区分、検索・教育用途には充分に有用であり、社会一般に使用されているという現実があって」という部分もよく分からないのです。少なくとも教育に関しては矛盾するのではないかと、私は具体例をあげました。「歴史学系の介入」が正当か不当かについては、もう私の見解を繰り返す必要はないでしょう。It-outさんと私の対立点が「地理」か「歴史」かという点に集約されることは変わらないようです。--ポコポコ 2008年10月17日 (金) 13:59 (UTC)返信
大州区分が全史に跨る歴史的区分に遡行できないという考えを肯定すると今度はCategory:アジア史などの地域史そのもののカテゴリに対して存在意義を問う羽目になりますね。それどころか、文献・口承からたどることができない先史時代に対して地理的なアプローチをかける事すらも不可能になりますよ。しかし現に地域史という学問では、他地域との結びつきが欠かせない事を理解していながらも一定の地域に限定して通時的な解説を行う事が認められています。この考え方については上述の『北アジア史 新版 (世界各国史 12)』(ISBN 978-4634411203 )をご覧ください。北アジアという地域は殊更、周囲の地域からの影響なしに語ることができない歴史を持ちますが、この書籍ではそれを断った上で、地域外の出来事を最小限触れつつ、全時代を通した今日のシベリア・モンゴル高原・満州に当たる地域を解説しています。現に学問として認められているものに対して「自分は知らないので認めない」というのは実にナンセンスだと思うのです。この考えが何か間違っていますか。--István 2008年10月18日 (土) 16:43 (UTC)返信

「大州区分が全史に跨る歴史的区分に遡行できないという考え」というのは私のことを指しているのでしょうか?私は「大州区分」の方法を問うているのであって、「大州区分」そのものを否定しているわけではありません。 せっかくIstvánさんが戻ってきたこともあるので、先ずは2つほど質問させていただきます。

  • ①「このカテゴリは歴史系トピックから免れることは出来ない。」という考えには同意しますか?
  • ②このカテゴリにおける「アジア」の定義において、「ウラル山脈-スエズ地峡」を西限とするべきと、未だにお考えですか?

北アジアの話題などについては、Istvánさんからのご返答を受けてからまた述べさせていただくつもりです。--ポコポコ 2008年10月19日 (日) 15:12 (UTC)返信

私への質問ですね。お答えします。まず①についてですがこれは私たちの共通認識、大前提ではないでしょうか。地域史は歴史研究の切り口の一つです。②については「アジア史」の範疇に従うべきであると考えます。国家の版図で見た場合には、時代によって範囲が多少変動したり曖昧になったりするものであるという事は前述しました。この事は地域史の手法自体に起因する事であって、国だからという訳ではないのです。--István 2008年10月20日 (月) 08:25 (UTC)返信

ご返答いただきありがとうございます。さて、①についてはIt-outさんがこのカテゴリにおいて「現代地理・社会的見地から過去の諸国の所在地を分類」すると規定しては、と提案したのに対し、私が異議を唱えたことと関わります。It-outさんの見解についてはIstvánさんも否定的ということでよろしいでしょうか?(It-outさんには申し訳ないですが)

次に②についてですが、問題は「「アジア史」の範疇」の解釈になります。残念ながら私は1981年版の『新版 世界各国史』にはすぐにはアクセスできません。ただ、1956年版の『北アジア史』と2000年版の『中央ユーラシア史』を見た上での推測ですが、1981年版でも、特に「シベリア」の地理的範囲の定義はあいまいな表記になっていないでしょうか。もっと分かりやすい例を挙げますと、2002年版の『新版世界各国史 西アジア史1』では、サハラ以北のアフリカの王朝や、果てにはイベリア半島におけるイスラム王朝まで対象にしています。こうした「「アジア史」の範疇」と、Istvánさんが想定する「「アジア史」の範疇」の間には、齟齬はないでしょうか。もし齟齬がないのでしたら、このカテゴリにおけるいわゆる「大州区分」については、Istvánさんと私との間では大きな食い違いはないと考えられます。--ポコポコ 2008年10月21日 (火) 13:45 (UTC)返信

なるほど、わかりました。結論から言うとお呼びではなかったようです。撤退しましょう。
しかしながら、当カテゴリは現在現実に、『主要カテゴリ > 地理 > 地形 > 大陸 > アジア > アジアの地理 > アジアの国 > かつて存在したアジアの国家』という位置づけにあります。
それに従う限り、この当カテゴリに於ける「アジア」とは『現代地理的な大州区分アジア』であり、「国家」とは現代社会的情勢から『「Category:アジアの国」に記載されることがもはや出来なくなった諸国家』のことと解釈されます。以上ように空間時間的に対象となる諸国を「Category:アジアの国」から除外して移動する便宜的下位避難所とも言うべきものが当カテゴリの現在の位置づけであるでしょう。
当カテゴリが歴史系トピックである事をめざすのならば、まず、「Category:地理」の下位から脱退し、「Category:歴史」下のどこに居場所を定め、wikipediaに於いてどのような役割を果たすカテゴリを目指すのか、目指し得るのか、ということが、最初の論点であるべきです。例えば「アジア史>代表的なアジア史の諸国家」とすれば摩擦は相当低減されるはずです。
にも拘らず「地理」の下位と現行のカテゴリ名のままで「アジア」や「国家」の定義を論じては議論が空転するばかりではないかといささかお節介ながら考える次第です。最後にご考慮をお願いします。(--It-out 2008年10月22日 (水) 22:57 (UTC)返信
すみません、撤回します。
ようやく一つ目の合意が得られたのに撤退してどうするんだ俺。
さて、『「Category:地理」の下位に属する以上、当カテゴリが歴史的トピックでは有り得ず、成り得ない、いわば「地理的トピック」である』こと、その現実を受容するか否かが第一の論点であるべきだということは繰り返してきました。
今一つ理解が得られていないようですが、ともあれ、最も保守的なIstvanさんの言葉から「当カテゴリは歴史系トピックである(べき)」との見解が得られましたので、それを以って合意と見做したいと思います。

: 合意点:当カテゴリは「歴史系トピック」であり、そうである以上、現状を維持して「Category:地理」の下位に属し続けることは出来ない。

(例えば、大州区分「Category:アジア」の下位に位置するのと、「Category:アジア史」の下位に位置するのとでは、用いられている「アジア」の定義も範囲も全く異なるわけです。前者は人文地理ですが、後者は時間的奥行きを持ち、分野史によって領域を変える柔軟性を持つのですから)
ここで最も保守的なIstvanさんに確認と質問をしたいと思います。ポコポコさんの質問に重ねてしまい失礼ですが。
1.当カテゴリを、「Category:地理」の下から外し、適切な歴史系カテゴリの下に移動することに賛同していただけますね?
2.その場合「Category:歴史」の下位の何処に、どのような定義と名称を以って当カテゴリを位置づけるか、Istvanさんにまず示して戴きたく思います。
それに対する是非を論じるのが次の論点になるでしょう。--It-out 2008年10月23日 (木) 13:16 (UTC)返信
>It-outさん
「Category:地理」の下が「Category:アジアの国」を指すのでしたら賛同しかねます(質問の意図が異なっているのなら御免なさい)。歴史と地理は混在できないという訳ではなく、寧ろ組み合わせて用いられる事の多い依存関係にある分野で、「Category:アジア史」もやはり「Category:地理」の下にあり、歴史的カテゴリでこれ以上最適な親カテゴリはありません。「国家であること」「アジアにあること」「現存しないこと」いずれも分類に欠かせないメルクマールですから、排他的にどちらかでなければならないというのは、実態から言ってどうかと思います。
>ポコポコさん
その文献の副題はアラブですね。内容も西アジア史というよりもアラブ史と言うべきもので、背表紙で挙げられている国名も北アフリカまでが含まれている訳です。本文中で「西アジア史の中のアラブ史」という言い方をされると恰も「アラブ史の中で西アジアの部分」と考えがちですが、この場合は「西アジア史に属しているアラブ史という分野」程度の意味なのが明白です。エジプト文明が含まれているのもアラブ化以前の基層文化がどうであったのかというのがアラブ史には欠かせないからでしょう。学術的なことに対して一つの情報で決め付けるのは大変危険です。アル=アンダルスを説明した文献の中には『イスラーム治下のヨーロッパ―衝突と共存の歴史』(ISBN 978-4894340664)の様なヨーロッパ史視点からのものもあります。地域史を語る際には周辺も含めた「大○○史」とせざるを得ないことがしばしばですがこれらが重なった部分ではどちらか一方でなければならないという事ではありません。カテゴリの仕様を大いに活用すべきです。
ところで同書の西アラブ世界を説明している章中で「マグリブ史」という言葉がどういう風に使われているのか確認しましたか?「マグリブ」とは北西アフリカがアラブ化して以降生まれた言葉であり、これをアラブ化以前に用いるのはおかしいけれども便宜上イスラムの到来前後の区別なく用いるとしています。歴史学者が現代の地域区分を遡って適用する作例がここにも見受けられましたね。--István 2008年10月24日 (金) 16:54 (UTC)返信
少し見ない間にずいぶん議論が進んでいて、話をむしかえすように思われたら申し訳ありません。さて、本カテゴリが「歴史系トピック」であることは否定しませんが、だからと言って「Category:地理」の下から外さなければならないのでしょうか?カテゴリ地理の下にあってはならない理由が無い限り「Category:地理」の下から外すことには反対します。--アルビレオ 2008年10月25日 (土) 00:35 (UTC)返信

先ずマグリブの件ですが、『西アジア史1』にもあるように何も現代になって出てきた概念ではなく、アラブ・イスラーム期になって登場した概念とあります。『西アジア史1』によれば、「マグリブ」という概念はアンダルシアまで含むこともあるようで、いわゆる現代の「マグリブ地域」とは必ずしも一致しないことは留意するべきでしょう。

それでアラブ史の件ですが、佐藤氏は『西アジア史1』序章にて、この本における「西アジア」を「8世紀なかばごろまでにイスラーム世界に組み込まれた地域」と定義したうえで、アラブの地理学者(このノートで地理学の話が出てくるのはここが初めてではないでしょうか。)の説として、西アジアのアラブ世界をマシュリク(イラクからエジプトにかけての東方地域)と、マグリブに二分する説を紹介しています。この本では、「イスラーム」「アラブ」という観点から、「西アジア」の一部をとらえているわけです。ここでは「アラブ」の概念はほぼ完全に「西アジア」という概念に包摂されているといっていいでしょう。

ここからが肝心なのですが、今までの私の書き方では誤解されていそうなのですが、私は何も『西アジア史1』による地域区分法が唯一無二だと考えているわけではないのです。サハラ以北のアフリカの歴史を「アフリカ史」とカテゴライズしたり、イスラム時代のイベリア史を「ヨーロッパ史」とカテゴライズする見方も当然あるでしょう。私は、歴史学的に大州区分を行えば、複数の大州に重なる部分が出てくると考えています。要するにベン図のようなものでして、例えばアグラブ朝は「アジア史」「アフリカ史」両方に所属してもいい、ナスル朝は「アジア史」「ヨーロッパ史」両方に所属してもいい、と考えているわけです。Istvánがおっしゃった、「地域史を語る際には周辺も含めた「大○○史」とせざるを得ないことがしばしばですがこれらが重なった部分ではどちらか一方でなければならないという事ではありません。」というのは要するに上記の私の考えと同じことをおっしゃっているのでしょうか。

次にIt-outさんの提案です。先ず、議論をまとめようとなさってることにつきましては感謝いたします。それで提案についてですが、先に答えから言いますと、反対はしませんが、正直どうコメントしていいか分からない点があります。それは何もIt-outさんのせいではなく、この長すぎるノートのなかで、このカテゴリについて地理学の観点から少しでも具体的研究例を挙げて説明した部分が全く見受けられないからです。(むしろ私が最初なのかもしれません。)Istvánさんや私も含めて、列挙される研究例は歴史学系のものばかりです。地理学系の人はこういう議論に興味がないのか、そもそも議論の存在すら知らないのかは分かりませんが・・・。個人的には、もっと地理学の方面から議論があっていいとは思うんですが、いかんせんそういう人が来ない以上、現時点では事実上既に、このカテゴリは歴史系カテゴリとしか扱われていないと思います。アルビレオさんの言葉を借りますと、「カテゴリ地理の下にあるべき理由」が具体的研究例を以ってもっと語られるべきではないかと・・。--ポコポコ 2008年10月25日 (土) 09:53 (UTC)返信

またもや繰り返しになりますが、私はこのカテゴリの「あるべき姿」を語ったことは一度もありません。
このカテゴリが、現在、「地理」の下にあることによってそのような役割を果たしている、という解釈を示しているだけです。意見を述べているのではありません。私はこのカテゴリの将来像について自分の意見を述べたことはまだ一度もありません。--It-out 2008年10月25日 (土) 10:58 (UTC)返信
マグリブの歴史にカルタゴとアンダルスが登場するのはロシアの歴史にキエフ公国とアラスカが登場するのと同じ原理です。あくまでも○○史を説明する上で欠かせない最小範囲かつ全時代的に説明する必要があるのが○○という地域であり、詳細を語るために別地域の物事を共時的に含めていくのが地域史の手法です。マグリブ史で通時的に語る必要がある地域にイベリアが含まれていない事に着目してください。
国家が変遷したからと言って過去の地理研究が無意味になるという訳ではありません。人文地理的な意味での古地理や地理史といった学問もありますし、地球科学的な観点で現在のヨーロッパの植生を説明するためにローマ帝国を登場させることもできます。分野ごとの重複があるというのは別に地域史に限った事ではなく全ての学問に汎る事です。また、考古学は文献学と並ぶ歴史研究の欠かすことのできない手段であり尊重するべきです。アジアの歴史や国といったカテゴリから過去の国を外せというのは、数学から数学史を外せと言うのと同じで不適当なものです。
アジアと関係のない事をここで議論するのはいい加減に止めにしませんか。少なくともアジアの過去の国を束ねるカテゴリが不要という意見で論理的学術的に利に適ったものはありません。このカテゴリを廃止しようとするのもやめにしませんか。--István 2008年11月1日 (土) 08:09 (UTC)返信
私はこのカテゴリをどう定義するべきなのかについて、今まで問題提起をしてきたつもりです。私がこの議論に参加する以前にも延々と議論が存在し、にもかかわらずこのカテゴリの定義についてすら共通の認識が形成されていないと見受けられました。私の議論は、定義を先ず定めることが出来れば、このカテゴリの存在意義や運用についても見えてくるかもしれないと考えた上でのことです。Istvánさんに対して何度か質問させていただいたのも、定義について合意点が得られるかどうかを確かめるためでした。Istvánさんがお考えになる「地域史」の概念についてはある程度分かってきましたが、もう一度お聞きします。先週の私からの質問にはいかがお考えでしょうか。「私(ポコポコ)は、歴史学的に大州区分を行えば、複数の大州に重なる部分が出てくると考えています。」という見解に対して、是か否かだけでも構いませんのでお答えいただけませんか。--ポコポコ 2008年11月1日 (土) 09:39 (UTC)返信
遅れてしまってすみません。Istvánさんへの返答です。結論から言うと私の質問の意味を誤解されています。
>「Category:アジア史」もやはり「Category:地理」の下にあり、
これは事実誤認です。ありません。Pathnavによって作成される現在のwikipdiaのツリー構造では、
「アジア史」は、主要カテゴリ > 歴史 > 地域史 > 大陸別の歴史 > アジア史 と「歴史」の下にあります。一方当カテゴリは、
主要カテゴリ > 地理 > 地形 > 大陸 > アジア > アジアの地理 > アジアの国 > かつて存在したアジアの国家
と「地理」の下にあります。これまで議論に参加したほとんど全ての人々がこのカテゴリを歴史的観点から述べ、単純な地理的区分で見ることを否定しているのに、この矛盾点(そして我々の間での合意点であり出発点)を放置しているのはおかしいのではありませんか、と言いたいのです。ポコポコさんの言う通り、私たちがまず為すべきことはこのカテゴリの定義を議論すること、そしてwikipdiaでの役割を設定しその必要性を見極めることであって、「アジア」や「国家」の区々たる定義を捏ね回すことではありません。このカテゴリが「大州区分:アジア」の下にあるか、「アジア史」の下にあるかでは、想定される定義もwikipdiaに於いて果たす役割もまったく異なるのです。
問いを畳み掛けるようで申し訳ありませんが、もう一度確認します。
1.当カテゴリを、「Category:地理」の下から外し、適切な歴史系カテゴリの下に移動することに賛同していただけますね?
2.その場合「Category:歴史」の下位の何処に、どのような定義と名称を以って当カテゴリを位置づけるか、Istvanさんにまず示して戴きたく思います。
それに対する是非を論じるのが次の論点になるでしょう。--It-out 2008年11月1日 (土) 14:59 (UTC)返信
>ポコポコさん
それに関してはYesです。しかし重複したり分属したりして大州の形にきっちりと区分しきれないというのは現在の国でも同様であって、決して歴史上の国だから問題だというわけじゃないことも認識して頂けますか。
>It-outさん
それはもしかしてPathnavテンプレートの事ですか。道理で何か変だと思いました。テンプレートの事でしたら別問題ですので、あなたの方針には反対しません。寧ろ賛成です。--István 2008年11月3日 (月) 06:17 (UTC)返信

このカテゴリの定義についての議論継続中ということで、このノートに新項目を立てていいでしょうか。今の項目は長くなりすぎている感がありますので。--ポコポコ 2008年11月5日 (水) 14:35 (UTC)返信

ちょっとした提案なのですが、「かつて存在した国家」カテゴリだけだとカテゴリが巨大化しすぎるのでなんらかの方法で区分したい、しかし地域区分はあいまいで問題が生ずる、のなら、区分としてあいうえお順などで分割するという案はいかがでしょうか。Kurz 2008年11月7日 (金) 06:51 (UTC)返信

仕切りなおし3 編集

とりあえず、新項目を立てさせていただきます。 まず、このカテゴリにおける「アジア」の定義についてですが、仮案を提示してみます。

「基本的にユーラシア大陸における、ウラル山脈からスエズ地峡以東の部分及びこの地域に付属する島嶼部とする。但し、先行研究においてこれ以外の地域も「アジア」として区分されている場合は、そうした地域を排除しない。他の「かつて存在した○○(アフリカ、ヨーロッパなど)の地域」カテゴリとの、カテゴリ項目における重複を認める。」

これでどうでしょうか。

It-outさんの「当カテゴリを、「Category:地理」の下から外す」提案につきましては、現時点では私からは積極的な是非は申し上げません。ただ、「Category:地理」の下から外すことによって、このカテゴリが現代の自然科学的な大州区分法とは必ずしも一致しないことを強調できるのでしたら、意義はあるかも知れません。もし私以外の参加者間で合意が出来ましたら、それに従います。

Kurzさんの提案につきましては、もしこのカテゴリが本格的に運用されれば、自然とそうならざるを得ないと思います。失礼しました。問題は地域区分があいまいかどうかではなく、あいまいさを許容するかどうかであると考えます。

最後に、勝手ながら、私自身年末にかけて多忙となってきます。他の方への返事が遅れることが予想されますので、どうかご容赦下さい。--ポコポコ 2008年11月7日 (金) 11:56 (UTC)返信

端的に言って、人によって視点が異なり曖昧で論争を招くような表現は避けたほうが無難です。地域区分を採用してもかまいませんが、いままでの議論の流れからすると合意に至るのは難しいでしょう。論争で疲れきってしまうより、無難にまとめて記事を書くほうに集中したほうがいいかと思います。Kurz 2008年11月7日 (金) 13:53 (UTC)返信

先ず、Istvánさんが残念ながらこのような結果[1]になってしまったことを申し上げます。

さて、「アジア」という言葉自体が「人によって視点が異なり曖昧で論争を招くような表現」であることは今までの議論を追った方にはよく分かると思います。私にはどうすれば「無難にまとめられる」のか分かりませんが、私一人だけで議論してもしょうがないですし、どうしたものでしょうね。ここで議論をしていた間にも、少しずつカテゴリには項目が追加されています。「カテゴリで何かまずい問題が発生するまで放置」というのも選択肢なのでしょうけど・・。ただそうなった際に、後始末をやらされる人には申し訳ないかな、という気はするんですね。(将来的に私が面倒みれる保証は全くありませんし。)--ポコポコ 2008年11月15日 (土) 12:18 (UTC)返信

改名の提案 編集

「Category:かつて存在したアジアの国家」を「Category:かつて存在したアジアの国名」に変更することを提案します。国家とした場合、どうしても国家の定義という難問に踏み込まざるを得ませんので、現代からの論点や、当時の「国家としての」対外的な認知・承認といったむつかしい論点を回避するために(自称・他称をとわない)国名、とするのはどうでしょうか?この場合、王朝名であっても包含できますし、ある視点において承認しがたい国号(満州国など)であってもカテゴリ化するに問題がなさそうに思います。このばあい使い勝手や読者の便宜(期待)を前提に「アジアの国名」と限定し、日本の令制国の名は除く方向でどうでしょうか。--大和屋敷 2011年1月4日 (火) 10:31 (UTC)改名提案のテンプレートを塗布しWikipedia:改名提案で告知しました。--大和屋敷 2011年1月4日 (火) 20:50 (UTC)返信

このカテゴリ単独での改名は不適切で、Category:かつて存在した国家やそのサブカテゴリについても同時に議論すべきかと思います。--WRIPPER 2011年1月5日 (水) 16:18 (UTC)返信
  • ありがとうございます。ご説ごもっとも。しかしですが。まず私(大和屋敷)は「Category:かつて存在したアジアの国家」の改名提案にしか興味がありませんので、他の上位カテゴリやその下位カテゴリがどのような名称になっていようが当面興味がないのです。ですので、そういった上位カテゴリの改名提案などする気や情熱がなく、上位カテゴリの改名をしなければ当カテゴリ(Category:かつて存在したアジアの国家)を改名してはならない、という道理も見出せません。要は、このカテゴリの改名にともなう膨大な作業はするつもりですが、他のカテゴリが抱える本質的な問題には興味や情熱がもてませんしメンドウなのです。ここは申し訳ないのですが、上位カテゴリがどうであるとか、その関連カテゴリがどうであるかといった論点は抜きでご検討いただきたいです(上位カテゴリとの整合性についてどうしても気になるようでしたら、わたくし(大和屋敷)とは別の方が別途議論し、改名して頂くことも出来ますし、放置して頂くことも出来ます)。わたくし自身も他の方同様に無名のボランティアの1編集者にすぎない、という立場をご考量いただいた上で、提案させて頂いた範囲でのみご検討下さいますようお願い申し上げます。たとえば「Category:かつて存在した国家」の下位カテゴリに「Category:かつて存在したアジアの国名」があったとして看過できない瑕疵とは見えない、という楽天的な観測があります。--大和屋敷 2011年1月5日 (水) 17:30 (UTC)というより、カテゴリの改名提案というものが、いまいち技術的によく差配できる自信がないものでして、あまり膨大な修正作業が発生するのが怖い(手に負えなくなる可能性)のです><、--大和屋敷 2011年1月5日 (水) 17:36 (UTC)返信
  コメント Ashtrayと申します。私もWRIPPERさんと同じ疑念を持ち、どのようなご返事があるものかと期待しておりましたが…。
カテゴリの編集は、記事の編集よりも高度なスキルが要求されます。そのカテゴリの適切な名称・定義はもちろん、上位カテゴリやサブカテゴリとの関連、全体のツリー構造内での位置づけ、etc.etc.、そういった「全体を見渡す眼」が必要かと。
上記のコメントが、どこまで本気なのか分かりませんが、これを読む限り、今現在の段階で大和屋敷さんがこのカテゴリの改名に手を出すのは、正直やめた方がよいでしょう。
改名はせず「国家」のままとし、定義部分に関する議論をしては如何でょうか?--Ashtray 2011年1月5日 (水) 18:24 (UTC)返信
あーなるほどそのほうが楽ですね。いちどカテゴリーの移動というのをやったことがあったんですが、ことのほか作業量が多くてウンザリしたことがあったもので。文字一文字変えるだけで何十ページもさわったり、保護ページの変更依頼を出したりと管理者でない一ユーザーには相当大変だと思ってたものですから。もし他の方のご異存がなければ移動依頼は取り下げたいと思います。--大和屋敷 2011年1月5日 (水) 22:37 (UTC)返信
移動取り下げの件、了解いたしました。
さて、定義の文案ですが、 「歴史上かつてアジアに存在した国家王朝、および事実上独立した政権に関するカテゴリー。」 とでも記しておけば、満洲国もスンナリ入るのではないでしょうか。--Ashtray 2011年1月6日 (木) 03:49 (UTC)返信

カテゴリ定義について 編集

  • 当カテゴリについての定義つけを改めて提案いたします。過去のノートでの議論も含め【①当カテゴリでは、かつてアジアに存在した国名や国号について、Wikipedia読者の興味と便宜に資するためのラベルを提供する。②このカテゴリの提供するラベルは「国家」や「アジア」の定義に踏み込むものではない。アジアの範囲については歴史家の分類による揺れがあることを了解したうえで、過渡的なものとして集約する。黒海・トルコ・アラビアなど東欧、中東とすべきものを含むことがある。③王朝名が単独記事としてあつかわれているもの(など)、「国家」として成立したと呼べるかどうか反論のあるもの(、あるいは満州国など)、あるいは連続した一体の民族(ないしは地理的)集団が政体国号のみ変更しているもの(大日本帝国大韓帝国など)も過渡的なラベルとしてこのカテゴリに含む。国号の呼称に着目したものであり、国家の連続性や断絶性について踏み込んだものではない。】といったものにしたいと考えますが。まずはご提案致します。--大和屋敷 2011年1月6日 (木) 12:28 (UTC)返信

踏み込まないなら過渡的に入れない方がいいと思われます。--122.24.118.157 2011年1月12日 (水) 19:54 (UTC)返信

カテゴライズ論争のある国であっても実用を考え結論が出るまでの過渡的なものとして一つのカテゴリに集約するのではなく、矛盾するカテゴリの出典が確認される国の場合、対立カテゴリすべてに分散することを認め一方のカテゴリに意図的に集約させないことをカテゴリ定義として明示する(つまり検証可能性を持つカテゴリ出典を必要根拠として一つのカテゴリに束縛させず両論併記として認める)ことでカテゴライズ論争に対し中立性を確保すれば良いのではないでしょうか?--St.Patrick 2011年1月13日 (木) 16:31 (UTC)返信

  • たとえば「Category:中国史に現れる周辺民族」[2]などのラベルの併用ですね。それはもう全くそのとおりで構わないと思います。【④他の分類カテゴリのラベルが併用されていることがあります。ラベルの付け方については検証可能性を軸に、読者の便宜や関心に役立つよう工夫してください。ラベルの改善提案についてはノート[3]で提案してみて下さい。】--大和屋敷 2011年1月13日 (木) 22:22 (UTC)返信
  • とりあえず反映しました。--大和屋敷 2011年1月16日 (日) 20:18 (UTC)返信
    • IPアドレスさん(122.24.118.157)の投稿を見落としていまして申し訳ありませんでした。ご提案の「過渡的に入れないほうが良い」という趣旨は「国家やアジアの定義に踏み込む」ことになります。つまり「アジア」の「国家」である可能性があるかぎり、すべて「過渡的に入れないほうが良い」ことになるためです。それを回避するためには「アジア」の「国家」であることを立証することが必要であり、論証的にはそのような定義付けはラベリングの不能性を強調するだけになってしまうと考えます。--大和屋敷 2011年1月16日 (日) 20:32 (UTC)返信
  • カテゴリのタイトルがタイトルなだけに「国号の呼称に着目したものであり、国家の連続性や断絶性について踏み込んだものではない。」とは言えないと思います。このタイトルのもとでは「あるいは連続した一体の民族(ないしは地理的)集団が政体国号のみ変更しているもの(大日本帝国大韓帝国など)も過渡的なラベルとしてこのカテゴリに含む。」ことには賛成できません。そもそもこの手のカテゴリ自体に存在意義があるのかどうか自体疑わしいと思っていますが。とりあえず議論がほとんど煮詰まってないのに定義を決めてしまうのは早計と思いますので定義部分は一度コメントアウトしました。--122.26.146.251 2011年4月24日 (日) 15:27 (UTC)返信
  • 論点を整理してから問題提起してください。現状ではおっしゃってる趣旨がまったくハッキリしません。IPアドレス投稿者さんの個人的な不勉強による(勘違いの)可能性があります。国家の連続性の論点はIPアドレスさんが安直に考えていらっしゃるように簡単な論題ではないですよ。--大和屋敷 2011年4月24日 (日) 16:01 (UTC)返信
  • 「アジアとは何か」、「国家とは何か」という学者ですら未だに討論を行っている大問題に対してウィキペディアが特定の説を支持した立場を取るのは中立性の観点から望ましくないですし、便宜上、含まれるという説があるものは全て載せるくらいが雑多になると思いますが現実的だと私も思います。本当にアジアといえるのか、国家といえるのか疑問が言われているものは記事ごとでそうした項を設ければいいのではないでしょうか。極端なことを言えば、不当に他国に占拠されているだけで未だに存在していると亡命政府が主張する国家などもありますし、怪しいものを除去していてはキリがなくなります。--パンダ三郎 2011年4月27日 (水) 08:01 (UTC)返信

ソートキーについて 編集

見やすくするために

中国

  • 「[[Category:かつて存在したアジアの国家|中/{{PAGENAME}}]]

中東は

  • 「[[Category:かつて存在したアジアの国家|M/{{PAGENAME}}]]

ロシア

  • 「[[Category:かつて存在したアジアの国家|ロ/{{PAGENAME}}]]

ベトナム以南は

  • 「[[Category:かつて存在したアジアの国家|南/{{PAGENAME}}]]

その他は

  • 「[[Category:かつて存在したアジアの国家|他/{{PAGENAME}}]]

としたほうがいいと思いますが…。--(EZO) from 涿 2012年1月21日 (土) 10:42 (UTC)返信

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