M-TEC

日本の埼玉県朝霞市にあるホンダ車用アフターパーツの製造販売やレース用エンジンの開発製造を行う会社
EBBRO M-TEC NSXから転送)

株式会社M-TEC(エムテック、M-TEC Co., Ltd.)は、ホンダ車用アフターパーツの製造販売やレース用エンジンの開発製造を行う日本の企業。2003年平成15年)設立。

株式会社M-TEC
M-TEC Co.,Ltd.
M-TEC本社
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
351-8586
埼玉県朝霞市膝折町2-15-11
設立 2003年10月1日
業種 輸送用機器
法人番号 6030001047742 ウィキデータを編集
事業内容 二輪・四輪の競技用車両およびパーツの製作・販売 他
代表者 代表取締役 橋本朋幸
資本金 3,000万円
売上高 74億円(2019年12月現在)
従業員数 200名(2019年12月現在)
主要子会社 MUGEN America,Inc.
MUGEN EURO.,Limited
関係する人物 本田博俊(『無限』創業者)
外部リンク http://www.mugen-power.com/
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概要 編集

前身は株式会社無限(むげん)。2003年に株式会社M-TECが設立され、2004年(平成16年)に無限のほぼ全ての業務がM-TECに譲渡された。

現在も株式会社無限は存続しており、『無限』の商標は同社が保持している。そのため、M-TECは株式会社無限と『無限』ブランド独占使用契約を締結して『無限』ブランドによる事業を展開し、株式会社無限はM-TECからライセンス料を得るという関係性にある。

ここでは株式会社無限に関する記述も行う。

創業者の本田博俊本田宗一郎の息子という事情もあり、本田技研工業(ホンダ)とは直接の資本関係こそないが、後述するように関係が深い。無限(M-TEC)の本社社屋の近隣に本田技術研究所(和光・朝霞研究所)があることや、ホンダの労務管理上深夜残業が原則禁止されている関係から、ホンダのエンジニアが研究所を退勤後に無限(M-TEC)のオフィスに移動して開発作業を継続するといったことも多く行われていたという[1]

沿革 編集

無限 編集

M-TEC 編集

  • 2003年(平成15年)10月1日 - 株式会社M-TECを設立。代表は永長眞(ながおさ しん)。
  • 2004年(平成16年)4月1日 株式会社無限から『無限』の商標保持および管理以外の業務の譲渡を受け、同時に株式会社無限と『無限』ブランドの独占使用契約を締結する。

主な業務 編集

(2003年以前は株式会社無限、2004年以降は株式会社M-TECによるもの)

レース用エンジンの開発・製造及び供給
ホンダ車用アフターマーケットパーツの開発及び製造販売およびレース部品の供給とレースサポート
  • 現在は二輪・四輪共に行なっている。
 
VFR800X MUGEN
自社パーツによるセッティングを施した輸入車両の販売
  • 2011年(平成23年)、日本国内未発売のホンダ製オートバイを輸入し、自社製パーツを装着して無限ブランドで販売した。車両はVFR800X MUGENVFR1200X/XD MUGENで、その後両車のベースモデルがホンダから正規に国内販売された(800Xは2014年〈平成26年〉12月、1200Xは2014年〈平成26年〉3月発売)。
ホンダ車によるワンメイクレースにおいて、エントラントへのテクニカル及びホスピタリティのサーキットサービス
  • H.O.A.(ホンダ ワンメイク レースアソシエーション)メンバー

レース活動 編集

TEAM MUGEN
 
国籍   日本
活動期間 1985年 - 現在
カテゴリ FN/SF
JGTC/SUPER GT
JTC/JTCC
チームズ
タイトル
JTCC(1997年)
全日本GT選手権 GT500クラス(2000年、2002年)
全日本GT選手権 GT300クラス(2004年)
SUPER GT GT300クラス(2013年)
スーパーフォーミュラ(2022年、2023年)
ドライバーズ
タイトル
JTC クラス3(1987年、1988年、1991年、1992年)
JTCC(1997年)
全日本GT選手権 GT500クラス(2000年)
全日本GT選手権 GT300クラス(2004年)
SUPER GT GT300クラス(2013年)
スーパーフォーミュラ(2013年、2018年、2021年、2022年)
公式サイト http://www.mugen-power.com/motorsports
2024年のスーパーフォーミュラ
エントリー名 TEAM MUGEN
レーサー 15.   岩佐歩夢
16.   野尻智紀
マシン Red Bull MOTUL MUGEN SF23ホンダ
タイヤ 横浜ゴム
2024年のSUPER GT (GT500)
エントリー名 ARTA[2]
レーサー 8.
  野尻智紀
  松下信治
16.
  大津弘樹
  佐藤蓮
マシン 8. ARTA MUGEN CIVIC TYPE R-GT #8
16. ARTA MUGEN CIVIC TYPE R-GT #16
タイヤ ブリヂストン
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F1に関する活動については、#F1への挑戦 に別記している。

無限 編集

1985年(昭和60年)から1993年(平成5年)まで全日本ツーリングカー選手権 (JTC) にシビックで参戦し、1987年(昭和62年)、1988年(昭和63年)、および1991年(平成3年)から1992年(平成4年)にかけてディビジョン1/クラス3のシリーズチャンピオンを獲得した。

1994年(平成6年)、1995年(平成7年)の全日本ツーリングカー選手権 (JTCC) にシビックフェリオ1996年(平成8年)、1997年(平成9年)にアコードで参戦し、1997年(平成9年)にはシリーズチャンピオンを獲得した。

1998年(平成10年)から2003年(平成15年)まで全日本GT選手権 (SUPER GT) のGT500クラスにNSXで参戦し、2000年(平成12年)にはドライバー/チーム、2002年(平成14年)にはチーム/チューナー部門でシリーズチャンピオンを獲得した。

2輪では、1976年(昭和51年)から1992年(平成4年)までの16年間、全日本モトクロス選手権に無限オリジナルモトクロッサー・ME(無限・エルシノアの略)シリーズで参戦。他のワークス・チームに先駆けて、フロントサスペンションのロングストローク化やエンジンの水冷化、アルミフレームの採用など、数々の新機軸を盛り込んだ先鋭的なマシンを送り出した。また無現・MEは1980年(昭和55年)のモトクロス世界選手権アメリカGPの125ccクラスにおいて、ジョニー・オマラのライディングで優勝を飾っている。ロードレースにおいては、1984年と1985年に生沢徹率いるTeam Ikuzawaと由良拓也率いるムーンクラフトと手を組んで、鈴鹿8時間耐久ロードレースCBX750Fのエンジンをオリジナルフレームに搭載したオリジナルマシンの無限・ホワイトブルで参戦している。

M-TEC 編集

2004年(平成16年)は、前年のGT500クラスで使用していたNSXに若干の変更(エアリストリクター径の縮小、タイヤをブリヂストンからダンロップに変更など)を加え、GT300クラスに参戦した。開幕戦から常に上位争いに加わり、シリーズチャンピオンを獲得した(優勝は最終戦の1回)。シーズン当初は「ちょんまげ」(ルーフの上に設置されるエアインテークの通称。メーカーオプション)を封印していたが、同年最終戦以降に使用を再開。

2005年(平成17年)も常に上位の成績を上げ、シーズンランキング2位となる。同年からは、メンテナンスガレージ及び実質レース運営としてGT500クラスに参戦しているチーム国光の100号車を請け負った。

2006年(平成18年)より独自チームでの参戦は一旦なくなったが、2012年(平成24年)に第4戦(菅生)よりCR-ZでGT300クラスに参戦することが決まり、7月4日にツインリンクもてぎでのシェイクダウンと合わせて正式な体制が発表された。この年はシーズンランキング15位に終わったが、2013年(平成25年)はS-GTのシリーズポイントが付与される1戦となった、アジアン・ル・マン・シリーズ(AsLMS)第2戦(富士)で優勝したほか全戦で入賞した結果、ドライバー/チームのシリーズチャンピオンを獲得した。翌2014年(平成26年)まで参戦した。

2017年(平成29年)より「TEAM MUGEN」としてGT500クラスに復帰し、第6戦(鈴鹿1000km)では第3ドライバーとしてジェンソン・バトンをスポット起用した。

2010年(平成22年)よりフォーミュラ・ニッポンへ独自チームでの参戦を開始し、シリーズ名称がスーパーフォーミュラに変わった2013年(平成25年)と2018年(平成30年)、2021年(令和3年)にはドライバーズチャンピオンを獲得。2022年はドライバー/チームのシリーズチャンピオンを獲得した。

2006年(平成18年)より始まった全日本スポーツカー耐久選手権 (JLMC) へ第2戦より参戦した。マシンはクラージュ・C70で、エンジンはMF458S (V8 4,500 cc NA)、タイヤはミシュランを使用。しかし、2007年(平成19年)シーズンをもってJLMCが消滅したため参戦を終了した。

エンジン・マニュファクチャラーとしては、SUPER GT(GT500のNSX及びGT300のVemac・RD408R)やフォーミュラ・ニッポンF3等でエンジン供給を行っている。2008年(平成10年)からは世界ツーリングカー選手権 (WTCC) に参戦するホンダ・アコードユーロRにもエンジン供給を開始した。2014年(平成26年)から、HRD Sakura からの受託業務としてGT500 NSX のパーツサポート業務を行っている。これは、同年よりこれまで同業務を受託した童夢が業務縮小に伴い撤退した為と言われている。

2012年(平成24年)には競技用の電動オートバイ『神電』(shinden) を開発し、マン島TTレースのTT-Zeroクラスに出走。2012年・2013年はクラス2位に終わるが、2014年から2019年まで6連覇を達成している[3]

F1への挑戦 編集

1987年(昭和62年)から1988年(昭和63年)にかけて、無限単独でF1用V8エンジンの製作に入り、ティレル・018全日本F3000で使用されたレイナード89D改を使用してのテスト走行を行った[4]。しかし、これと前後して後述する無限ホンダV10エンジン計画が動き出したため、結局このときに製作されたV8エンジンは実戦デビューすることはなかった。

1992年から1993年まで、ホンダが前年にティレルへ供給したV10エンジン「RA101E」の開発を無限が引継ぎ、「MF351H」と改称したエンジンをフットワークへ供給することを発表した。エンジンのブランド名は「無限-ホンダ("MUGEN-HONDA")」。ホンダは1992年限りでF1から撤退したが、その後も完全ではないものの、技術供与やエンジニアの派遣を行なっていた。

1994年ロータスへ供給を行った。新設計V10エンジンの「MF351HD」を投入した第12戦イタリアGPジョニー・ハーバートが、予選4位を得る速さを発揮するが、決勝ではスタート直後にジョーダンエディ・アーバインに追突されてスピン。赤旗再スタートとなったが、新エンジンがレースカーに搭載された1基しかなく、旧型エンジン (MF351HC) を積んだTカー(スペアカー)でのピットスタートとなってしまった。結局、この年1度も入賞することはできず、資金難に苦しんだチームはこの年をもって撤退した。

排気量が3,000 ccに縮小された1995年には、リジェに新エンジン「MF301H」を供給。1996年モナコGPでは、荒れたウェットレースをオリビエ・パニスが制し、無限-ホンダに初勝利をもたらした。しかし、翌1997年にリジェを買収したプロストはオールフレンチチームを目指していたため、当時プジョーエンジンを使用していたジョーダンと交渉の末、エンジンをスワップする形となった。

1998年からジョーダンにエンジンを供給することになり、同年のベルギーGPで、元ワールドチャンピオンのデイモン・ヒルが勝利し、このシーズンでチームはコンストラクターズランキングで4位となった。翌1999年ハインツ=ハラルド・フレンツェンが2勝を挙げ、終盤までドライバーズチャンピオン争いに絡む活躍を見せ、コンストラクターズランキングで3位にまで躍進した。

ジョーダンへのエンジン供給は2000年まで続いたが、その年よりホンダがエンジンコンストラクターとして復帰したこと、チーム代表のエディ・ジョーダンが、B・A・Rと同等のワークスエンジンをホンダに要求、2001年からの供給が決まったことで、無限のF1活動は2000年限りで終了した。

なお、F1公式サイトでは"MUGEN HONDA"表記(2000年コンストラクターズランキング)となっており、テレビ中継時表記は"HONDA"と記載していた。

これらの一連のF1参戦は、当初「(ホンダF1の)第2期で得た経験を、いつかF1に復帰した際にそのプロジェクトに引き継ぐ」ことを目的としてスタートしたが、実際には第3期の活動は無限とは全く関係のないところでスタートし、無限ホンダに関わっていた人間には(ホンダの人間ですら)全く声がかからなかったという[5]。背景にはホンダ社内の派閥争いがあったと目されており、実際には2002年頃から無限ホンダの関係者も第3期活動に参加するようになるものの、結果として苦戦を強いられることになった[5]

変遷および成績 編集

(key) (太字ポールポジション

エンジン チーム シャーシ タイヤ No. ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 ポイント 順位
1992年 MF-351H
V10, 3.5
フットワーク
グランプリ
インターナショナル
FA13 G RSA
 
MEX
 
BRA
 
ESP
 
SMR
 
MON
 
CAN
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
HUN
 
BEL
 
ITA
 
POR
 
JPN
 
AUS
 
6 7位
9   ミケーレ・アルボレート 10 13 6 5 5 7 7 7 7 9 7 Ret 7 6 15 Ret
10   鈴木亜久里 8 DNQ Ret 7 10 11 DNQ Ret 12 Ret Ret 9 Ret 10 8 8
1993年 MF-351HB
V10, 3.5
フットワーク
無限ホンダ
FA13B
FA14
G RSA
 
BRA
 
EUR
 
SMR
 
ESP
 
MON
 
CAN
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
HUN
 
BEL
 
ITA
 
POR
 
JPN
 
AUS
 
4 9位
9   デレック・ワーウィック 7 9 Ret Ret 13 Ret 16 13 6 17 4 Ret Ret 15 14 10
10   鈴木亜久里 Ret Ret Ret 9 10 Ret 13 12 Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret 7
1994年 MF-351HC
MF-351HD
V10, 3.5
チーム・ロータス 107C
109
G BRA
 
PAC
 
SMR
 
MON
 
ESP
 
CAN
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
HUN
 
BEL
 
ITA
 
POR
 
EUR
 
JPN
 
AUS
 
0 -
11   ペドロ・ラミー
  アレッサンドロ・ザナルディ
  フィリップ・アダムス
  エリック・ベルナール
  ミカ・サロ
10 8 Ret 11 9 15 Ret Ret Ret 13 Ret Ret 16 18 10 Ret
12   ジョニー・ハーバート
  アレッサンドロ・ザナルディ
7 7 10 Ret Ret 8 7 11 Ret Ret 12 Ret 13 16 13 Ret
1995年 MF-301H
V10, 3.0
リジェ
ジタン ブロンド
JS41 G BRA
 
ARG
 
SMR
 
ESP
 
MON
 
CAN
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
HUN
 
BEL
 
ITA
 
POR
 
EUR
 
PAC
 
JPN
 
AUS
 
24 5位
25   鈴木亜久里
  マーティン・ブランドル
8 Ret 11 9 Ret 10* 4 Ret 6 Ret 3 Ret 8 7 Ret DNS Ret
26   オリビエ・パニス Ret 7 9 6 Ret 4 8 4 Ret 6 9 Ret Ret Ret 8 5 2
1996年 MF-301HA
V10, 3.0
リジェ
ゴロワーズ ブロンド
JS43 G AUS
 
BRA
 
ARG
 
EUR
 
SMR
 
MON
 
ESP
 
CAN
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
HUN
 
BEL
 
ITA
 
POR
 
JPN
 
15 6位
9   オリビエ・パニス 7 6 8 Ret Ret 1 Ret Ret 7 Ret 7 5 Ret Ret 10 7
10   ペドロ・ディニス 10 8 Ret 10 7 Ret 6 Ret Ret Ret Ret Ret Ret 6 Ret Ret
1997年 MF-301HA
MF-301HB
V10, 3.0
プロスト
ゴロワーズ ブロンド
JS45 B AUS
 
BRA
 
ARG
 
SMR
 
MON
 
ESP
 
CAN
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
HUN
 
BEL
 
ITA
 
AUT
 
LUX
 
JPN
 
EUR
 
21 6位
14   オリビエ・パニス
  ヤルノ・トゥルーリ
5 3 Ret 8 4 2 11 10 8 4 7 15 10 Ret 6 Ret 7
15   中野信治 7 14 Ret Ret Ret Ret 6 Ret 11 7 6 Ret 11 Ret Ret Ret 10
1998年 MF-301HC
V10, 3.0
ベンソン&ヘッジス
ジョーダン
無限ホンダ
198 G AUS
 
BRA
 
ARG
 
SMR
 
ESP
 
MON
 
CAN
 
FRA
 
GBR
 
AUT
 
GER
 
HUN
 
BEL
 
ITA
 
LUX
 
JPN
 
34 4位
9   デイモン・ヒル 8 DSQ 8 10 Ret 8 Ret Ret Ret 7 4 4 1 6 9 4
10   ラルフ・シューマッハ Ret Ret Ret 7 11 Ret Ret 16 6 5 6 9 2 3 Ret Ret
1999年 MF-301HD
V10, 3.0
199 B AUS
 
BRA
 
SMR
 
MON
 
ESP
 
CAN
 
FRA
 
GBR
 
AUT
 
GER
 
HUN
 
BEL
 
ITA
 
EUR
 
MAL
 
JPN
 
61 3位
7   デイモン・ヒル Ret Ret 4 Ret 7 Ret Ret 5 8 Ret 6 6 10 Ret Ret Ret
8   ハインツ=ハラルド・フレンツェン 2 3 Ret 4 Ret 11 1 4 4 3 4 3 1 Ret 6 4
2000年 MF-301HE
V10, 3.0
EJ10 B AUS
 
BRA
 
SMR
 
GBR
 
EUR
 
ESP
 
MON
 
CAN
 
FRA
 
AUT
 
GER
 
HUN
 
BEL
 
ITA
 
USA
 
JPN
 
MAL
 
17 6位
5   ハインツ=ハラルド・フレンツェン Ret 3 Ret 17 6 Ret 10 Ret 7 Ret Ret 6 6 Ret 3 Ret Ret
6   ヤルノ・トゥルーリ Ret 4 15 6 12 Ret Ret 6 6 Ret 9 7 Ret Ret Ret 13 12

ギャラリー 編集

  • サプライヤー 1992年 - 2000年

コンプリートカー 編集

シビックMUGEN RR 編集

 
MUGEN RR

3代目(FD2型)シビックタイプRをベースに開発された[6]無限初のコンプリートカー[7]。300台限定で販売されたが、発売から10分で完売した[8]

CR-Z MUGEN RZ 編集

2012年にマイナーチェンジを行ったCR-Zをベースに、「誰もが熱い走りを楽しめる車」というコンセプトで発表された無限のコンプリートカー第2弾。過給機装備によるネガティブな要素を抑えるために選択された遠心式スーパーチャージャーにより、エンジンパワーは30%引き上げられ、足回りなども強化されている[6]

注釈 編集


脚注 編集

  1. ^ 『GP Car Story Special Edition MUGEN-HONDA』(三栄、2021年10月)pp.6 - 7
  2. ^ 2023年 M-TECモータースポーツ活動概要”. 無限 MUGEN. 2023年4月7日閲覧。
  3. ^ 神電は、年度毎に漢数字でモデル名が名づけられている。例えば2017年モデルは神電六、2018年モデルは神電七といった具合である。
  4. ^ 『Racing On 2009年4月号』三栄書房、2009年、P.40-P45頁。JANコード 4910096810499。 
  5. ^ a b 『GP Car Story Vol.31 Jordan 199』(三栄、2020年4月)pp.34 - 39
  6. ^ a b 「無限」のかっこよすぎるチューニングカー5選”. car-me.jp. 2022年2月12日閲覧。
  7. ^ 無限 | MUGEN RR | MUGEN RR プレスリリース”. www.mugen-power.com. 2022年2月12日閲覧。
  8. ^ 10分で完売! シビックMUGEN RR

関連項目 編集

  • 本田技研工業(創業者同士は親子ではあるが株式会社無限、株式会社M-TECともに資本関係はなく、契約上のパートナーという形を取っている)
  • イルモア(2006年から2008年までフォーミュラ・ニッポン用エンジンを共同開発した)
  • F FINAL

外部リンク 編集