Follow the wind
『FOLLOW THE WIND』(フォロー・ザ・ウィンド)は、日本のシンガーソングライターである氷室京介の10枚目のオリジナル・アルバム。
『FOLLOW THE WIND』 | ||||
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氷室京介 の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 |
マッドドッグスタジオ マウンテンゲートスタジオ | |||
ジャンル | ロック | |||
時間 | ||||
レーベル | 東芝EMI/Capitol Music | |||
プロデュース | 氷室京介 | |||
チャート最高順位 | ||||
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氷室京介 アルバム 年表 | ||||
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EANコード | ||||
EAN一覧
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『FOLLOW THE WIND』収録のシングル | ||||
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2003年8月20日東芝EMIのCapitol Musicレーベルからリリースされた。ポリドール・レコードからの移籍第一弾となるオリジナル・アルバムであり、前作『Beat haze odyssey』(2000年)から3年ぶりのリリースとなった。作詞は森雪之丞、作曲およびプロデュースは氷室が担当している。
レコーディングはアメリカ合衆国にて行われ、前作に引き続きギタリストのスティーヴ・スティーヴンスやベーシストのトニー・フランクリンが参加している他、新たにパーカッショニストのルイス・コンテやドラマーの永井利光が参加している。レコーディング・エンジニアにはデヴィッド・ビアンコの他にアメリカの様々なミュージシャンのプロデュースを手掛けたジョー・チッカレリが参加している。
WOWOWヨーロッパサッカーイメージソングとして使用された「Claudia」が先行シングルとしてリリースされた。オリコンチャートでは最高位2位となった。
背景 編集
前作『Beat haze odyssey』(2000年)リリース後、氷室は「KYOSUKE HIMURO TOUR 2000 "BEAT HAZE ODYSSEY"」と題したコンサートツアーを同年10月18日の結城市民文化センターアクロからツアーファイナルとなった12月31日の国立代々木競技場 第二体育館公演まで、21都市全36公演を敢行[1]、約10万人を動員した[2]。本ツアーにて12月31日にライブを行って以降、氷室は定期的にカウントダウンライブを行うようになったが、その理由として本来であれば毎年アルバムをリリースしてツアーを行いたいが創作が追い付かず、アメリカに居住しているためファンと接する機会がない事から開催するようになったと述べている[3]。
2002年10月に氷室は「BeatNix」レーベルを擁していたポリドール・レコードから離脱し古巣の東芝EMIに移籍する事を発表[4]。その後東芝EMI所属のディレクターであった子安次郎に対し、氷室は移籍第一弾としてデビュー15周年という区切りで過去作品の集大成をリリースする事を要望し、4作目のベスト・アルバム『Case of HIMURO』(2003年)がリリースされる事となった[5]。リリース後の同年7月20日には同作を受けた1日限りのライブ「15th Anniversary Special LIVE Case of HIMURO」が開催され[6]、約3万5千人を動員した[7]。3万枚用意されたチケットは発売直後15分で完売し、2年半ぶりに行われたこのライブでは4時間に亘り全36曲が演奏された[7]。また、同ライブの模様を記録したライブ・ビデオ『CASE OF HIMURO 15th Anniversary Special LIVE』が同年11月25日にリリースされた[7]。
録音 編集
本作のレコーディングはアメリカ合衆国のマッドドッグスタジオおよびマウンテンゲートスタジオにて行われた。
ディレクターの子安によれば、本作は「Claudia」のシングルカットやタイアップの話が浮上している中で、断片的に出来上がりつつある状況であったという[8]。本作は一度完成したバージョンの大部分を破棄しており、氷室は歌唱時に言葉のノリに違和感を感じて歌入れを再度行うなど、時代に合ったサウンドになっているかという事を最も気にしていたと子安は述べている[8]。また氷室がアメリカにおいて現地の音楽を身近で聴ける環境であった事から、自らの音楽もそのような環境下でも自信をもってリリースできる完成度にしたいとの思いが強かったのではないかと子安は述べている[8]。
音楽性 編集
1997年に渡米して以降、氷室の音楽性は著しく変化する事となった。特にニルヴァーナに端を発したグランジムーブメントに大きく影響され、ビートに関する評価基準が180度異なるものになったと氷室は述べている[3]。具体的にはニルヴァーナ登場以前はニュー・ウェイヴからの影響によってクリックに対してビートがタイトにシンクロする事を美学としていたが、ニルヴァーナ登場以降はクリックに対してビートがいかにかっこよくよれているかに焦点が充てられるように変化したという[3]。この事は氷室自身の曲作りにも影響を及ぼし、コード進行に関してはそれまで循環コードに沿ってポップさを表現していたが、通常ではあり得ないコードに敢えていく事で新しいよじれた感覚を追求するように価値観が変化したと述べている[3]。
またシングルカットする楽曲に関して氷室は、マニアックではなく出来る限り万人に理解されやすいチューニングで制作する事が最も重要なファクターであると述べ、先行シングルとなった「Claudia」はそれらに則った比較的ポップなチューニングで制作された楽曲であると述べている[9]。
子安は本作に関して、「ものすごく尖っているというか。前向きに攻めている感じのアルバム」と述べている[8]。子安は収録曲の内「RAP ON TRAP」が最も印象に残っていると述べ、同曲が日本のマーケットでどうのように受容されるのかという氷室からの投げ掛けであったのではないかと推測した他、間奏中に作詞を担当した森雪之丞による詩の朗読が挿入されている事なども含めて当時の氷室としても実験的な楽曲であったと述べている[10]。また森が手掛けた歌詞に関して音楽評論家の田家秀樹は、他アーティストへ提供した歌詞とは質感が全く異なると述べた他、子安は森が多彩な語録を持っている事を指摘した上で氷室に合った言葉を見事に出していると述べている[10]。
リリース 編集
2003年8月20日に東芝EMIのCapitol MusicレーベルからコピーコントロールCDにてリリースされた。
ツアー 編集
本作を受けてのツアーは「KYOSUKE HIMURO TOUR 2003 "HIGHER THAN HEAVEN"」と題し、2003年8月29日の市原市市民会館を皮切りに30都市全38公演を敢行[11]、約12万人を動員した[7]。ツアーファイナルとなった11月23日の国立代々木競技場 第二体育館公演では、アンコールのMCにて「プロモーションもやらずにロサンゼルスで好き勝手にマイペースでやってるだけなのに、こんなに集まってくれて」と述べた後、「CLOUDY HEART」の演奏を始めたが途中で涙ぐみ歌えなくなるというアクシデントが発生した[10]。この件に関して子安は、渡米した事で忘れ去られてしまうと危惧していた氷室であったが、当日は満員御礼であった事からファンとの信頼関係を再認識したために起きた事ではないかと推測した[10]。
批評 編集
専門評論家によるレビュー | |
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レビュー・スコア | |
出典 | 評価 |
CDジャーナル | 肯定的[12] |
TOWER RECORDS ONLINE | 肯定的[13] |
- 音楽情報サイト『CDジャーナル』では、本作がソロ15周年記念で3年ぶりの新作である事に触れた上で、「ビート感あふれる曲調はまさに、ヒムロックならではの仕上がり」と評価した他、ラップ調でありハードなサウンドのミクスチャー・ロックに挑戦している事を指摘し、「パワフルなロック・ナンバーが彼には一番似合うことを再認識させてくれる」と肯定的に評価した[12]。
チャート成績 編集
オリコンチャートでは最高位2位、登場回数は9回となり、売り上げ枚数は10.5万枚となった。
タワーレコードの売り上げチャート「アルバム総合」部門において2003年8月18日付けで渋谷で12位、新宿で9位となった他、「ジャパニーズ ロック&ポップス アルバム」部門では8月18日付けで3位、8月25日付けで20位となった[12]。
収録曲 編集
全作詞: 森雪之丞、全作曲・編曲: 氷室京介。 | ||
# | タイトル | 時間 |
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1. | 「VIRUS」 | |
2. | 「Weekend Shuffle」 | |
3. | 「FOLLOW THE WIND」 | |
4. | 「MONOCHROME RAINBOW」 | |
5. | 「LOVE SHAKER」 | |
6. | 「Claudia」 | |
7. | 「FOOL MEN'S PARADE」 | |
8. | 「SACRIFICE」 | |
9. | 「RAP ON TRAP」 | |
10. | 「ARROWS」 | |
合計時間: |
スタッフ・クレジット 編集
参加ミュージシャン 編集
- ジョッシュ・フリース - ドラムス
- ラミー・アントン - ドラムス
- マーク・シュルマン - ドラムス
- 永井利光 - ドラムス
- スティーヴ・スティーヴンス - ギター
- マイケル・ランドウ - ギター
- ティム・ピアス - ギター
- トニー・フランクリン - ベース
- ダニー・ダンラップ - ベース
- キム・ブラード - キーボード
- ルイス・コンテ - パーカッション
- 森雪之丞 - ポエトリーリーディング
スタッフ 編集
- デヴィッド・ビアンコ - レコーディング・エンジニア、ミキシング・エンジニア
- ジョー・チッカレリ - レコーディング・エンジニア
- エディ・シュライアー - マスタリング・エンジニア
- ラファエル・セラーノ - アシスタント・エンジニア
- NAO(ルイジアナプロダクション) - ビジュアル・プロデューサー
- 森谷統(ルイジアナプロダクション) - アートディレクター
- 飯森雅子(ルイジアナプロダクション) - デザイナー
- 半沢武志 - 写真撮影
- Moji Sangi - 衣装
- 橋本孝裕 (Shima) - ヘアー&メイク・アップ
- マイケル・ヒラバヤシ - コーディネーション(ロサンゼルス)
- 氷室京介 - エグゼクティブ・プロデューサー
- ヒロ鈴木 - エグゼクティブ・プロデューサー
- Tama - エグゼクティブ・ディレクター
- 後藤由多加 - スーパーバイザー
- クレア・テイラー - プロジェクト・ヒムロ (Algernon inc. (L.A.))
- レオーネ・ルーカス - プロジェクト・ヒムロ (Algernon inc. (L.A.))
- さとうしま - プロジェクト・ヒムロ (Algernon inc. (L.A.))
- 鈴木祥紀 - プロジェクト・ヒムロ (BeatNix)
- 北塚桂子 - プロジェクト・ヒムロ (BeatNix)
- 子安次郎 - プロジェクト・ヒムロ (東芝EMI)
- いけやりえ - プロジェクト・ヒムロ (東芝EMI)
- ながみとしひろ - プロジェクト・ヒムロ (東芝EMI)
- 斉藤正明(東芝EMI) - ゼネラルマネージャー
- 小林壮一(東芝EMI) - ゼネラルマネージャー
- 鈴木博一(東芝EMI) - ゼネラルマネージャー
ライブ映像作品 編集
シングル曲については各作品の項目を参照
- VIRUS
- KYOSUKE HIMURO TOUR2003 "HIGHER THAN HEAVEN"AT YOYOGI NATIONAL STADIUM
- 21st Century Boøwys vs HIMURO〜An Attempt to Discover New Truths〜
- SOUL STANDING BY〜
- FOLLOW THE WIND
- CASE OF HIMURO 15th Anniversary Special LIVE
- KYOSUKE HIMURO TOUR2003 "HIGHER THAN HEAVEN"AT YOYOGI NATIONAL STADIUM
- LOVE SHAKER
- CASE OF HIMURO 15th Anniversary Special LIVE
- KYOSUKE HIMURO TOUR2003 "HIGHER THAN HEAVEN"AT YOYOGI NATIONAL STADIUM
- SOUL STANDING BY〜
- KYOSUKE HIMURO COUNTDOWN LIVE CROSSOVER 05-06 1st STAGE/2nd STAGE
- SPECIAL GIGS THE BORDERLESS FROM BOØWY TO HIMURO
- FOOL MEN'S PARADE
- SOUL STANDING BY〜
- Sacrifice
- KYOSUKE HIMURO COUNTDOWN LIVE CROSSOVER 05-06 1st STAGE/2nd STAGE
- RAP ON TRAP
- KYOSUKE HIMURO COUNTDOWN LIVE CROSSOVER 05-06 1st STAGE/2nd STAGE
リリース履歴 編集
No. | 日付 | レーベル | 規格 | 規格品番 | 最高順位 | 備考 |
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1 | 2003年8月20日 | 東芝EMI/Capitol Music | CCCD | TOCT-25095 | 2位 | |
2 | 2008年6月11日 | 東芝EMI/Capitol Music | CD | TOCT-26564 | 210位[14] |
脚注 編集
- ^ “氷室京介 -KYOSUKE HIMURO TOUR 2000 "BEAT HAZE ODYSSEY"”. LiveFans. SKIYAKI APPS. 2021年1月22日閲覧。
- ^ ぴあMOOK 2013, p. 110- 松田義人 (deco) 「"Tabloid" Himuro Historic Clips 1988-2013」より
- ^ a b c d ぴあMOOK 2013, p. 27- ふくりゅう「LONG INTERVIEW 最新40,000字インタビュー 【第二章】1995~2002 渡米、新たなる表現の獲得へ」より
- ^ ぴあMOOK 2013, p. 111- 松田義人 (deco) 「"Tabloid" Himuro Historic Clips 1988-2013」より
- ^ 田家秀樹 (2020年12月11日). “氷室京介の2000年代から2016年「LAST GIGS」までを語る”. ローリング・ストーン ジャパン. CCCミュージックラボ. p. 2. 2021年1月23日閲覧。
- ^ “氷室京介 -KYOSUKE HIMURO "Case of HIMURO"15th Anniversary Special LIVE”. LiveFans. SKIYAKI APPS. 2021年1月23日閲覧。
- ^ a b c d ぴあMOOK 2013, p. 112- 松田義人 (deco) 「"Tabloid" Himuro Historic Clips 1988-2013」より
- ^ a b c d 田家秀樹 (2020年12月11日). “氷室京介の2000年代から2016年「LAST GIGS」までを語る”. ローリング・ストーン ジャパン. CCCミュージックラボ. p. 3. 2021年2月21日閲覧。
- ^ ぴあMOOK 2013, p. 28- ふくりゅう「LONG INTERVIEW 最新40,000字インタビュー 【第三章】2003~2013 音楽シーンの変革、そして挑戦を続ける現在へ」より
- ^ a b c d 田家秀樹 (2020年12月11日). “氷室京介の2000年代から2016年「LAST GIGS」までを語る”. ローリング・ストーン ジャパン. CCCミュージックラボ. p. 4. 2021年2月21日閲覧。
- ^ “氷室京介 -KYOSUKE HIMURO TOUR 2003 "HIGHER THAN HEAVEN"”. LiveFans. SKIYAKI APPS. 2021年2月21日閲覧。
- ^ a b c “氷室京介 / フォロー・ザ・ウィンド [CCCD] [廃盤]”. CDジャーナル. 音楽出版. 2021年2月21日閲覧。
- ^ a b JMD (2010年6月14日). “氷室京介/Follow the wind”. TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード. 2021年2月21日閲覧。
- ^ “FOLLOW THE WIND|氷室京介”. オリコンニュース. オリコン. 2021年2月21日閲覧。
参考文献 編集
- 『ぴあMOOK 氷室京介ぴあ 完全保存版! 25th Anniversary Special Book』、ぴあ、2013年9月20日、27 - 28, 110 - 111頁、ISBN 9784835622439。