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GIベビーとは、連合国軍占領下の日本に、GIアメリカ軍イギリス軍)を中心とした連合国軍の兵士と日本人女性との間に生まれた乳幼児子供である。

概要編集

日本が連合国軍占領下にあった1945年9月2日から1952年4月27日までの間、日本の占領にあたったアメリカ軍とイギリス軍(イギリス連邦占領軍)を中心とする連合国軍の占領軍兵士との間に生まれた混血児のこと。

戦後の落とし子、と呼ばれ、1953年に厚生省が行った調査によると、国内で4972人のGIベビーが確認されている[1][2]。一方当時エリザベス・サンダースホームの創立者澤田美喜はGIベビー20万人説を発表したが、パール・バック財団の調査によると、実数は非常に掴みにくいものの実際には少なくとも当時日本国内に2-3万人くらいのGIベビーが存在するだろうと言われていた。

なお、イギリス連邦占領軍は人種差別の観点から日本人女性との交際禁止策を取っていたため、将兵は恋愛感情があろうとも日本女性との結婚許可を取ることはできず、これに違反して子供が生まれたことが見つかってしまった場合は、強制的に家族から離される事になった。1952年にこの禁止令は解かれ、何百人もの戦争花嫁がオーストラリアやイギリスに向かったが、これによる悲劇が多数起きたと報告された[3]

その背景のひとつに基地周辺に出来た歓楽施設の存在がある。日本の内務省により連合国軍兵士向け特殊慰安施設(連合国軍(占領軍)兵士向けの売春婦がいる慰安所)の設置が指令され、運営団体として特殊慰安施設協会(RAA)が警視庁より設立と運営が許可された。施設ではジャズクラブ、ダンスホールが運営され、連合国軍の占領軍兵士向けの接客業務についた日本人女性もいた。

その他、建前上の恋愛や当時全国に15万人とも言われたパンパンと呼ばれた街娼による売春によるものだけではなく、占領軍兵士によるレイプ被害によって生まれたケースもあり、戦後混乱期には成育を望まれず死産として事態を収めるケースも多くあった。横浜にある根岸外国人墓地には、800-900体もの「GIベビー」が埋葬されており、慰霊碑も建立されている。両親の正式な結婚を経て生まれたものの、1950年6月に勃発した朝鮮戦争により兵士であった父親を失い、母子家庭で貧困を強いられて育った者も多い。

根岸外国人墓地にその存在を記していた墓地入り口の説明文を墓地管理者である横浜市役所が削除し、書き換えていた事が2015年にわかり、地域住民らの反発を受けた。この説明文は横浜山手ライオンズクラブ1988年に横浜市に寄贈したもので、文面は山手ライオンズクラブと横浜市が協議して作成したものであったが、2000年に書き換えられていた。書き換えの理由について横浜市環境施設課は明示していない。

GIベビーは、その定義から、2019年現在生存している者のうち、最年長で73歳、最年少で63歳ぐらいになっているはずである。外見が周囲と異なり、社会生活を営む上で不都合もあったというが、モデル芸能界に身を置いた者もあった。占領軍兵士の父親はおろか、日本人の母親からも見捨てられ、エリザベス・サンダースホーム等の児童養護施設で育ち、アメリカやイギリス、オーストラリアを始め、海外に国際養子縁組として海を渡った者もいた。

また、日本全国のアメリカ軍基地の存在する地域では占領下の時代だけに拘わらず、やはり在日米軍の数が多かったベトナム戦争時代、若しくは現在でも母子家庭に育つアメリカ軍兵士を父とする子供は決して少なくない。

GIベビーとして生まれた著名人編集

脚注編集

  1. ^ 「厚生省の混血児対策」『朝日新聞』1953年8月20日東京版夕刊
  2. ^ 調査結果によると総数4972人中、施設に収容された人数482人、白人の子が84%、実父が判明しているものは77%。
  3. ^ http://australia.or.jp/culture_old/articles/walter_hamilton 「占領の子供たち」ウォルター・ハミルトン オーストラリア大使館

関連書籍編集

関連項目編集