GLUは、3人組のバンド。

バンド「GLU」のパブリシティ・ショット

概要 編集

1987年、サンフランシスコ・ベイエリア・バンド「グラス・カフェ」のキーボーディスト、ドラマーである、ガース・メイテリー・モローの二人と、バンド「ライフ・アンダーウォーター」のボーカリストであるジョー・リビーは「グラス・カフェ」のサニーベールガレージ・スタジオで集結した。この即興セッション(テープに記録済)を、彼らは実際に録音。ライブを実行するため楽曲を6曲ほど作った。
3人は「Glass Underwater」という名前を付けたが、後にGLUに短縮した。いくつかのライブにギターでケビン・ブラウンが参加。
1990年の夏、リビーは日本人女性と結婚。バンドのどちらかが継続の見通しが現れなければ、翌1991年の夏に日本に移住すると2つのグループに伝えた。しかしリビーは日本の結婚式の準備のため来日する必要がある。数週間不在にするため、メイやモローらは東京で自らの3つのバンドを宣伝できるよう一緒に来日することを決めた。渋谷で一週間路上ライブを行い、東京のレコード会社A&Rのオフィスで多くの人物とのミーティングを経て、テレビ番組「イカ天」のプロデューサーに迎え入れられた。「イカ天」はアマチュアバンドの戦いで、毎週10バンドが「イカ天キング」のタイトルのために互いに競う。その後、当週キングは前週キングと競い、5週連続でキング座につくことができれば「グランドイカ天キング」を戴冠、デビュー・アルバム契約を獲得することができた。GLUは初出場からキングの座につき、戴冠手前でバンド「エディションデラックス」に明け渡すまで4週間連続で勝利を収め続けた。翌朝、リビーは、GLUのデビューアルバムのレコーディングに関心を示すテイチクA&Rから電話を受けたが、録音とプロデュースのためのテイチクのタイムテーブルはわずか10日であり、バンドは最初のオファーを拒否。その後、更なる話し合いも決裂。GLUは、1992年に2月18日に最終ライヴを原宿のライヴハウス・ルイードで行った。

脚注 編集

出典 編集