INO hidefumi(猪野 秀史 いの ひでふみ)は、日本ミュージシャン[1]鍵盤奏者シンガーソングライター宮崎県延岡市生まれ[2]

INO hidefumi
出生名 猪野秀史
生誕 (1970-07-26) 1970年7月26日(53歳)
出身地 日本の旗 日本 宮崎県延岡市
ジャンル インディー・ロック
オルタナティヴ・ロック
エレクトロニカ
職業 鍵盤奏者
ミュージシャン
シンガーソングライター
担当楽器 フェンダー・ローズ
アナログシンセサイザー
ピアノピアニカボーカル
活動期間 2004年-
レーベル innocent record
公式サイト 公式サイト

略歴 編集

生い立ち 編集

1970年宮崎県延岡市に2人兄弟の次男として生まれる。5歳まで山深い辺境の地で過ごす。スーパーも無くお風呂は五右衛門風呂だった。 父親の仕事の関係で引っ越しが多く転校することもあり少年時代は一人で毎日音楽を聴いて過ごしていた。 初めて親に買ってもらったレコードはYMOライディーン』のシングル。初めて自分で買ったレコードは 『太陽にほえろ!』のサントラ。[3]。母親の勧めでピアノを習い始め5歳から高校3年まで複数のピアノ教室に通っていた。音大受験のため声楽も学ぶ。中学では吹奏楽部でチューバを担当。[4]。部長に推す声が多い中、同級生にその重荷を押し付け本人は副部長となる。 高校の時に友人に誘われて参加したYAMAHAティーンズ・ミュージック・フェスティバルにてベストキーボーディスト賞を受賞。高校卒業後、上京してミュージシャンになることを希望したが親の猛反対により断念。

福岡時代 編集

いくつかの音大を受験したが家庭の方針で国公立しか進学を許されず、福岡の予備校へ入学し2浪する。2年間はバンド活動、映画、レコード漬けの日々を送り大学へは進学していない。友人からの誘いでThe Lublitesというバンドを結成し60年代ロックなどのカバーを中心にオルガンとヴォーカルを担当していた。地元での活動が話題になる中、大阪や東京にもライブで呼ばれるようになり芝浦インクスティックなどの会場で、あいさとう率いるモッズバンドThe Hairと対バンを行ったりしていた。バンドでの上京を希望するがメンバーからの賛同を得られず断念。そのままバンドは自然消滅。バンド活動の終焉がきっかけとなり、一人で音楽制作を本格的に始めるようになった。

1996年A.P.C.に就職。ブランド内に音楽レーベルを持っていてレコードを制作したり音楽に力を入れているからと友人に強く勧められ、本人はA.P.C.を知らないまま面接へ行ったところ、アパレル未経験にもかかわらずいきなり店長として採用される。 当時福岡店に訪れたデザイナーJean Touitouに気に入られ、現在も親交は続いている。ミュージシャンになる夢を捨てきれず2000年に退社し上京。当時30歳だった。

上京後 編集

無職で上京しすぐにアルバイトを探すが、ベビーブーム世代の30歳男性を迎え入れるバイト先はほぼ無かった。東京での極貧生活の中、デモ音源を制作し複数のレコード会社へ持ち込むが全て断られ自分でレーベルを起こすことを決意。嫌いな言葉は「無理」と発言しているだけあってタフである。

「興行性よりも自分のつくりたいものをつくるインディペンデントなミュージシャンとして、自分が本当に納得できるものづくりがしたい」[5]。という想いから、九州から一緒に上京し後にマネージャーとなる妻と二人で借金をし、2002年に音楽レーベル事務所兼カフェ“テネメント“を恵比寿に開業。およそ3年間で借金を返済、会社を設立し“innocent record“を立ち上げた。

テネメント開店当初、たまたま店の前を通りかかりその後常連となる音楽家小西康陽氏による駄洒落からレーベル名“イノセントレコード“が命名される。自身のアルバム制作から著作権の管理、映像やレコードジャケットのアートワーク、ライヴ制作など全ての業務を独学で学び、妻と二人で運営している。当時このスタイルは類を見ずDIYインディペンデントレーベルの先駆けとなる。

フェンダー・ローズを偏愛するあまり、ローズをメインにしたインスト曲を数多く作っており、2005年に念願の初7inchシングルをリリース。「期待の超大型新人(身長)」というキャッチコピーでデビュー。 そのとおり長身である。

デビュー後 編集

全財産をつぎ込み、初めてリリースしたレコードが完売したので7inchシリーズとして第2弾、3弾をリリース。これらが国内外のクラブDJの間で評判となり、2006年にアルバム”Satisfaction”をリリース。ノンプロモーションにもかかわらず瞬く間に話題作となりオリコンへのランクインや大手CDショップのチャートなどを賑わせた。

当初はライヴ活動を行うつもりは無かったが、フジロックやライジングサンロックフェスティバルなど、様々なライブのオファーがきて驚いたと後に語っている。背中を押されるようにライブ活動をはじめ、2007年にはLIQUID ROOMで初のソロライブを行いチケットは即完売となった。その時の映像を“INO hidefumi LIVE SET”として2008年にDVD化している。 デビュー前からRolandのハードディスクレコーダー”VSシリーズ”を愛用。パソコンで行う音楽制作が不向きな性格と、直感的に操作ができるという理由から、現在も音楽制作は全てこの機材で行っており、自身を化石のようだと言っている。[6]

2007年来日していた友人のJean Touitouと夕食をしていた時に偶然同じレストランに藤原ヒロシ氏が居合わせそこで紹介され交流が始まる。その後、藤原氏とは“カフェツアー“など様々な地域や会場でライブを行っている。

2009年ロイ・エアーズ来日ツアー(東京・大阪・名古屋)にて対バンを務めた際に、ロイ・エアーズ・バンドの強烈なグルーヴとそれを織りなす身体能力の高さ、民族性の違いなどを目の当たりにし、日本人としてのリズムやグルーヴ、音楽との向き合い方を追求するようになる。

2012年からは元はっぴいえんど鈴木茂氏と2人名義でのライブを行うようになり、後にドラマーの林立夫氏、ベーシストのハマ・オカモト氏を迎えて4人でのライブツアーも行っている。 2018年リリースの自身初となる歌もののアルバム”SONG ALBUM”には細野晴臣小西康陽鈴木茂林立夫常盤響沖祐一(東京スカパラダイスオーケストラ)、ハマ・オカモト(OKAMOTOS)、馬場正道がコメントを寄稿。 2021年の東京オリンピックでは閉会式に自身の楽曲「思えば世界はあまりにも美しい」が使用された。

ディスコグラフィ 編集

7インチシリーズ 編集

  • Billie Jean / Never Can Say Goodbye(2005年)
  • Spartacus / Blood is Thicker Than Water(2005年)
  • Just the Tow of Us / Pillow Talk(2005年)
  • What are you doing the rest of your life / Solid Foundation(2006年)
  • Hymne a Lamour / +2℃(2007年)
  • Serendipity / Sentimental Promnade(2008年)
  • Love Theme from Spartacus #piano / Suicide Is Painless(2008年)
  • ありあまる自由のなかで / Green Tea(2012年)
  • CRY ME A RIVER(2013年)featuring 鈴木茂 / CRY ME A RIVER -version-
  • CAN'T SLEEP / GOOD NIGHT(2017年)
  • SKYTREE / 魔法(2018年)
  • Squall / 永遠的スローモーション(2020年)
  • IN DREAMS / MAGNETIC DANCE(2021年)

LP 編集

  • INOCOLOGY(2009年)
  • SATISFACTION(2016年)
  • SONG ALBUM(2018年)
  • IN DREAMS(2021年)

アルバム 編集

  • Satisfaction(2006年)
  • Living Message(2008年)
  • INOCOLOGY(2009年)
  • KALEIDOSCOPIC -LIVE盤-(2010年)
  • NEW MORNING -新しい夜明け-(2013年)[7]
  • NO SATISFACTION(2016年)
  • SONG ALBUM(2018年)
  • IN DREAMS(2021年)

ミニ・アルバム 編集

  • The Force of Exotic(2007年)/ TOWER RECORDS × innocent record

DVD 編集

  • INO hidefumi LIVE SET(2008年)

参加作品 編集

主なライヴ出演 編集

脚注 編集

出典 編集

  1. ^ 朝日新聞: 朝刊33面(福岡). (2013年10月18日) 
  2. ^ PROFILE”. INO official. 2023年6月6日閲覧。
  3. ^ DE DE MOUSEとINO hidefumiのディープな音楽談義”. CINRA.NET. 2019年1月3日閲覧。
  4. ^ わたしを作ったレコードたち第2回[1]
  5. ^ interview[2]
  6. ^ e-onkyo music interview[3]
  7. ^ ファッション&カルチャー情報|HONEYEE.COM(ハニカム)”. www.honeyee.com. 2020年1月1日閲覧。
  8. ^ DJ 440/Readymade Digs Classics”. tower.jp. 2023年6月6日閲覧。
  9. ^ 曽我部恵一/ジョビニアーナ -愛と微笑みと花-”. tower.jp. 2023年6月6日閲覧。
  10. ^ GUNDAM World Dance Track 0079”. tower.jp. 2023年6月6日閲覧。
  11. ^ OKAMOTO'S 6th ALBUM「OPERA」SPECIAL SITE”. OKAMOTO'S 6th ALBUM「OPERA」SPECIAL SITE. 2020年1月1日閲覧。
  12. ^ 7th ALBUM「NO MORE MUSIC」SPECIAL SITE”. 7th ALBUM「NO MORE MUSIC」SPECIAL SITE. 2020年1月1日閲覧。
  13. ^ Inc, avex management. “MONDO GROSSO”. MONDO GROSSO. 2020年1月1日閲覧。
  14. ^ 森口博子 GUNDAM SONG COVERS 特設サイト”. 森口博子 GUNDAM SONG COVERS 特設サイト. 2020年1月1日閲覧。
  15. ^ 森口博子、「機動戦士ガンダム」シリーズの楽曲を歌うアルバム『GUNDAM SONG COVERS』8月7日発売 - TOWER RECORDS ONLINE”. tower.jp. 2020年1月1日閲覧。
  16. ^ keyboard magazine 公式ホームページ[4]
  17. ^ 鈴木 茂 × INO hidefumi|イベント詳細|ビルボードライブ東京|Billboard Live(ビルボードライブ)”. Billboard-LIVE | ビルボードライブ. 2023年6月6日閲覧。
  18. ^ keyboard magazine 公式ホームページ[5]
  19. ^ Rittor Music公式ホームページ [6]
  20. ^ ファッション&カルチャー情報|HONEYEE.COM(ハニカム)”. www.honeyee.com. 2020年1月1日閲覧。
  21. ^ 堀江博久presents ”Lounge Bohemia” | RSR2015 ARTISTS LINE UP”. RISING SUN ROCK FESTIVAL 2015 in EZO. 2020年1月1日閲覧。

外部リンク 編集