国際難民機関

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国際難民機関 (こくさいなんみんきかん、International Refugee Organization, IRO) は、第二次世界大戦によって生じた大量難民の問題に対処するために、1946年4月20日に設立された。準備委員会は、その14ヶ月前に活動を開始した。国際連合の専門機関であり、初期の連合国救済復興機関の機能の多くを継承した。1951年に活動を終了し、国連難民高等弁務官事務所 (UNHCR) がこれに替わった。

国際難民機関憲章は1946年12月15日国連総会によって採択され、機関の活動分野について規定した[1]。同憲章は、母国から戦後ドイツへと追放された、あるいは追放予定である「ドイツ民族起源の人々」のことを、「当機関の関知しない」個人として定義したため、論争を呼んだ。同憲章は、欧州における他の強制追放者全体を総計で上回った集団を、対象範囲から除外した。また、西側同盟諸国とソ連との間に意見の相違があったため、IROは西側占領軍の管理地域でのみ活動した[2]

IROは18ヶ国の批准によって成立した。オーストラリアベルギーカナダ中華民国(台湾)、デンマークドミニカ共和国フランスグアテマラアイスランドイタリアルクセンブルクオランダニュージーランドノルウェースイスイギリスアメリカ合衆国ベネズエラである。米国は、IROの年間予算1億5500万ドルの約40%を負担した[3]。同機関の初代事務局長はウィリアム・ハラム・タック (William Hallam Tuck) で、1949年7月31日にJ・ドナルド・キングズリー (J. Donald Kingsley) が同職を継承した。

1951年9月30日まで存続し、その間に定住を斡旋した難民は1,046,000人、本国送還を行った難民は74,000人にのぼった[4]

フィルモグラフィ 編集

脚注 編集

  1. ^ Constitution of the International Refugee Organization, December 15, 1946, The Avaron Project.
  2. ^ ソ連は、難民の第三国への定住斡旋に反対し、本国送還のみを行うべきだと主張したが、認められなかった。田畑茂二郎「国際難民機関」(『世界大百科事典』第8巻、平凡社、1965年)、544頁。
  3. ^ IRO憲章の付属書IIによると、初年度の管理費は480万米ドル、運営費(大規模再定住費を除く)は151,060,500米ドル。このうち、米国はそれぞれ39.89%、45.75%を負担した。Constitution of the International Refugee Organization, December 15, 1946, The Avaron Project.
  4. ^ 田畑茂二郎「国際難民機関」(『世界大百科事典』第8巻、平凡社、1965年)、544頁。

外部リンク 編集