IRTニューロッツ線 (IRTニューロッツせん、IRT New Lots Line)、またはリヴォニア・アベニュー線 (リヴォニア・アベニューせん、Livonia Avenue Line)[2]:129は、ニューヨーク市地下鉄Aディビジョンに属する地下鉄路線である。ニューヨーク市ブルックリン区に位置し、クラウン・ハイツ英語版クラウン・ハイツ-ユーティカ・アベニュー駅からイーストニューヨーク英語版ニューロッツ・アベニュー駅までを運行している[3][4][5]

IRTニューロッツ線
IRT New Lots Line
3系統が深夜帯以外、4系統がラッシュ時と深夜帯に運行される、ラッシュ時には2系統及び5系統も運行される
基本情報
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
所在地 ニューヨーク市ブルックリン区
種類 地下鉄高架鉄道
路線網 ニューヨーク市地下鉄
起点 サッター・アベニュー-ラトランド・ロード駅
終点 ニューロッツ・アベニュー駅
駅数 7
1日利用者数 73,760人[1]
開業 1920-1922年
所有者 ニューヨーク市
運営者 ニューヨークシティ・トランジット・オーソリティ
路線構造 高架
路線諸元
軌間 1,435 mm (標準軌)
線路数 複線、3線
電化方式 直流 600V 第三軌条方式
最高速度 89km/h
路線図
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歴史 編集

開業 編集

この路線は、デュアル・コントラクト英語版の一環として建設された[6]。この地域の土地は地下水位のすぐ上に位置しており、結果として地下に鉄道を建設することは不可能なくらい高くつくだろうとされたため、高架構造で建設された[7]

1919年末に、鋼製柱を建てる契約をしていた請負業者が倒産したため、リヴォニア・アベニュー線の建設工事は中断した。1919年中に、ニューヨーク市はヘゲマン・アベニュー、ローレンス・アベニュー、エルトン・ストリート、リンウッド・ストリートで囲まれる土地を買収した。1920年にここに車両基地を建設する契約が結ばれた[6]

ユーティカ・アベニュー駅とジュニアス・ストリート駅の間の最初の区間が1920年11月20日に開業し、シャトル列車の運行が始まった[8][9]。さらに1駅東へペンシルベニア・アベニュー駅まで1920年12月24日に開通した[9]。この時点では、南行きのプラットホームのみが使用されていた[2]:129。1921年にヴァン・シックレン・アベニュー駅ニューロッツ・アベニュー駅の駅の工事が実質的に完了したが、そこに至る線路、信号扱所、空気圧縮機室が使用可能になるまで列車が走れなかったため、駅は開業しなかった[10]:129-130。1922年6月19日から工事が開始され、1922年10月16日からペンシルバニア・アベニュー駅とニューロッツ・アベニュー駅の間でシャトル列車の運行が開始された[9]。北行の単線の上で2両編成の列車が運行されていた[11]

リヴォニア車両基地への軌道敷設契約の工事は1922年5月18日に開始され、7月18日に完了した。この車両基地は検修施設とともに建設され、250両分の収容能力があった。すべての工事は1922年12月31日に完成し、1923年7月28日から運用を開始した。1924年10月31日から、ニューロッツ線の通し運行が開始された[11]

拡張計画 編集

1951年3月1日にニューヨーク市交通委員会英語版は、高架構造上の中央で未使用となっている路盤を利用して、ユーティカ・アベニュー駅とニューロッツ・アベニュー駅の間に3番目の線路を敷設する技術的検討を行うと発表した[12]

1968年には、提案されていたプログラム・フォー・アクションの一環として、イーストニューヨークにあるIRTニューロッツ線を、南へリヴォニアヤードを経由しフラットランズ・アベニュー英語版へと伸ばし、フラットランズ・アベニューとリンウッド・ストリートの位置に建設する新しいターミナルまで延長することになっていた。この路線は地上を走る予定で、当時発展しつつあったスプリングクリーク英語版の交通事情を改善するはずであった。この延長計画は、1200万ドルを要する見込みであった[13][14]

運行系統変更 編集

2系統3系統の列車は南側の終点が何度か入れ替わってきたが、1983年7月10日から2系統はフラットブッシュ・アベニュー-ブルックリン・カレッジ駅、3系統はニューロッツ・アベニュー駅が終点となり、以降は現在まで維持されている。この運行系統の入替の目的は、3系統の列車が容易にリヴォニア車両基地に入場できるようにするためであった。4系統の列車は1946年12月20日から運行されており、5系統は1938年と1950年の2回に分けてニューロッツ線での運行が行われるようになった。

運行系統と範囲 編集

以下の系統がIRTニューロッツ線の一部または全部を走行している[15]

  時間帯
ラッシュ時 日中・夜間 深夜
  一部運行 運行なし
  運行 運行なし
  一部運行 運行なし 運行
  一部運行 運行なし

IRTニューロッツ線は、深夜以外の常時3系統が走っており、深夜は4系統が代わりに運行される。2系統5系統は、本来の終点であるIRTノストランド・アベニュー線フラットブッシュ・アベニュー-ブルックリン・カレッジ駅の容量の問題があるため、ラッシュ時の一部の列車がIRTニューロッツ線で運行される。

経路概要 編集

 
BMTカナーシー線の上を交差する区間

IRTニューロッツ線は、IRTのブルックリンにおける区間としては唯一高架構造になっている。路線は、クラウンハイツ英語版クラウン・ハイツ-ユーティカ・アベニュー駅のすぐ東で、IRTイースタン・パークウェイ線から分岐して始まる。リンカーン・テラス・パークの東側の端に沿って走って南東部でトンネルから顔を出し、イーストニューヨーク・アベニューに架かる橋を通って、東98丁目の上を走り、この区間には1駅のみがある。リヴォニア・アベニューとの交差点まで達すると、路線はリヴォニア・アベニューの上に入り、残りのほとんどをリヴォニア・アベニューに沿って走る。ジュニアス・ストリート駅を過ぎてすぐに、リヴォニア・アベニューはジュニアス・ストリートとヴァン・シンデリン・アベニューの間にあるロングアイランド鉄道ベイリッジ支線英語版リンデン工場で分断されている。ヴァン・シンデリン・アベニューの脇にはやはり高架線のBMTカナーシー線が通っているが、ニューロッツ線の下をくぐっている。この路線の終点はニューロッツ・アベニュー駅であるが、リヴォニア・アベニューの東端にあって駅名の由来となっているニューロッツ・アベニューより実際には2ブロック西にある。ニューロッツ線はニューロッツ・アベニュー、そしてエルトン・ストリートを渡り、南へ曲がってリヴォニア車両基地で終わる[16][3][4][5]。将来、ニューロッツ・アベニュー駅から高架でリンウッド・アベニューまで延長する構想がある[9]

ニューロッツ線には、中央部に将来3番目の線路を敷設する構想として建設された、未使用の路盤がある[17]:2389。各駅の改札階の上部には、枕木は敷設されているがレールは敷設されていない。一部の場所では、機械室や信号機器室として使われているところもある。中央の線路はジュニアス・ストリート駅にのみ存在しており、そのまま南行線と平面交差した上でリンデン工場へと通じている。この非電化の線路は、ニューヨーク市地下鉄がアメリカ合衆国の全国鉄道網に通じている2か所のうちの1か所で、もう1か所はBMTウェスト・エンド線ニューヨーク・コネクティング鉄道英語版が接続されている場所である。リンデン工場はロングアイランド鉄道につながっており、そこから全国鉄道網につながっている[16]

駅一覧 編集

凡例
  深夜を除き終日停車
  深夜のみ停車
  ラッシュ時のみ停車
時間帯詳細
所在地
(おおよその位置)
  停車列車 開業日 乗換・備考
IRTイースタン・パークウェイ線の緩行線から始まる (2   3   4   5  )
ブラウンズビル英語版 サッター・アベニュー-ラトランド・ロード駅 2   3   4   5   1920年11月22日[17]:2390 ジョン・F・ケネディ国際空港方面行きバスB15系統
サラトガ・アベニュー駅 2   3   4   5   1920年11月22日[17]:2390
ロッカウェイ・アベニュー駅 2   3   4   5   1920年11月22日[17]:2390
ジュニアス・ストリート駅 2   3   4   5   1920年11月22日[17]:2390
リンデン工場への接続線(非電化)
イーストニューヨーク英語版 ペンシルベニア・アベニュー駅 2   3   4   5   1920年12月24日[17]:2390
ヴァン・シックレン・アベニュー駅 2   3   4   5   1922年10月16日
ニューロッツ・アベニュー駅 2   3   4   5   1922年10月16日 ジョン・F・ケネディ国際空港方面行きバスB15系統
全系統終点
リヴォニア車両基地への接続線

脚注 編集

  1. ^ MTA. “Average weekday subway ridership”. 2014年4月2日閲覧。
  2. ^ a b (英語) Annual Report. J.B. Lyon Company. (1922). https://books.google.com/books?id=T1tLAQAAMAAJ&pg=PA442&dq=pelham+line+subway&hl=en&sa=X&ved=0ahUKEwir_cPQhYvSAhVnw4MKHZSzBJU4WhDoAQg1MAQ#v=onepage&q=subway&f=false 
  3. ^ a b メトロポリタン・トランスポーテーション・オーソリティ, 2005 Adopted Budget - February Financial Plan 2005–2008, Section VII: MTA Capital Program Information”. 2018年3月21日閲覧。 (91.7 KiB): shows Utica Avenue on "EPK" and Sutter Avenue on "NLT"
  4. ^ a b メトロポリタン・トランスポーテーション・オーソリティ, 2005 Final Proposed Budget - November Financial Plan 2005–2008, Section VI: MTA Capital Program Information”. 2018年3月21日閲覧。 (1.02 MiB): "Sutter Avenue Portal to end"
  5. ^ a b 1981年の「もっとも荒廃した地下鉄駅」の一覧において、MTAはボロー・ホール/コート・ストリート駅をニューロッツ線の一部に含めている
    ニューヨーク・タイムズ, Agency Lists Its 69 Most Deteriorated Subway Stations, June 11, 1981, section B, page 5
  6. ^ a b “Nearly 70 Track Miles to Be Added To Rapid Transit Facilities in 1920”. Brooklyn Standard Union. (1919年12月28日). http://fultonhistory.com/highlighter/highlight-for-xml?altUrl=http%3A%2F%2Fwww.fultonhistory.com%2FNewspaper%252014%2FBrooklyn%2520NY%2520Standard%2520Union%2FBrooklyn%2520NY%2520Standard%2520Union%25201919%2FBrooklyn%2520NY%2520Standard%2520Union%25201919%2520-%25206045.pdf&highlightsFile=http%3A%2F%2Fwww.fultonhistory.com%2Fhighlighter%2Fhits%2F8a59f3a6ccf7f28377ff195369dafabf#page=1 2016年8月14日閲覧。 
  7. ^ “Differ Over Assessment Plans in Transit Projects: Eastern Parkway Subway and Livonia Avenue Extension the Cause of Bitter Dissension Among Property Owners Uptown”. The Daily Standard Union. (1910年3月13日). http://fultonhistory.com/highlighter/highlight-for-xml?altUrl=http%3A%2F%2Fwww.fultonhistory.com%2FNewspaper%252014%2FBrooklyn%2520NY%2520Standard%2520Union%2FBrooklyn%2520NY%2520Standard%2520Union%25201910%2FBrooklyn%2520NY%2520Standard%2520Union%25201910%2520-%25203587.pdf&highlightsFile=http%3A%2F%2Fwww.fultonhistory.com%2Fhighlighter%2Fhits%2F5317c0d167556c590ee9756b3462503c#page=1 2016年8月14日閲覧。 
  8. ^ Annual report. 1920-1921.”. HathiTrust. Interborough Rapid Transit. 2016年9月5日閲覧。
  9. ^ a b c d Cunningham, Joseph; DeHart, Leonard O. (1993) (英語). A History of the New York City Subway System. J. Schmidt, R. Giglio, and K. Lang. pp. 53. https://books.google.com/books?id=Fg4KAQAAMAAJ&dq=Pelham+line+shuttle+hunts+point+177+street&focus=searchwithinvolume&q=177 
  10. ^ Commission, New York (State) Transit (1922) (英語). Annual Report .... J.B. Lyon Company. https://books.google.com/books?id=iyM0AQAAMAAJ&pg=PA116&dq=canarsie+line+construction+elevated+evergreen+branch&hl=en&sa=X&ved=0ahUKEwiO9IPOj_bZAhVRdt8KHXTjDq0Q6AEIMzAC#v=onepage&q=canarsie%20line%20construction%20elevated%20evergreen%20branch&f=false 
  11. ^ a b “IRT Brooklyn Line Opened 90 Years Ago”. New York Division Bulletin (New York Division, Electric Railroaders' Association) 53 (9). (September 2010). https://issuu.com/erausa/docs/the_era_bulletin_2010-09 2016年8月31日閲覧。. 
  12. ^ Ingraham, Joseph C. (1951年3月2日). “Faster I.R.T. Service in the Bronx To Cut East Side Run 13 Minutes”. p. 1. http://query.nytimes.com/mem/archive-free/pdf?res=9A0CE5DB1F39E43BBC4A53DFB566838A649EDE 2016年10月7日閲覧。 
  13. ^ Full text of "Metropolitan transportation, a program for action. Report to Nelson A. Rockefeller, Governor of New York."”. Internet Archive (1967年11月7日). 2015年10月1日閲覧。
  14. ^ The New York Transit Authority in the 1970s”. nycsubway.org. 2015年4月23日閲覧。
  15. ^ Subway Service Guide, September 2014” (PDF). Metropolitan Transportation Authority (2014年9月). 2014年9月24日閲覧。
  16. ^ a b Tracks of the New York City Subway”. Tracks of the New York City Subway. 2015年10月9日閲覧。
  17. ^ a b c d e f (英語) Moodys Manual of Railroads and Corporation Securities. Moody Manual Company. (1922). https://books.google.com/books?id=plRNAAAAYAAJ&pg=PA2389&dq=pelham+line+subway&hl=en&sa=X&ved=0ahUKEwip7aT9gYvSAhUK5YMKHQqiA4EQ6AEIKDAD#v=onepage&q=pelham%20line%20subway&f=false 

外部リンク 編集

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