数学では、複素変数 τ の函数であるフェリックス・クラインj-不変量 (j-invariant)(もしくはj-函数)とは、複素数の上半平面上に定義された SL(2, Z) のウェイト 0 のモジュラー函数である。j-不変量として、尖点で一位の極を持つ以外は正則な関数であり、次を満たすものが一意に定まる。

複素平面内のクラインの j-不変量

jの有理函数はモジュラーであり、実際にすべてのモジュラー函数を与える。古典的には、j-不変量は C 上の楕円曲線のパラメータ化として研究されていたが、驚くべきことに、モンスター群の対称性との関係を持っている(この関係はモンストラス・ムーンシャインと呼ばれる)。

定義編集

j-不変量はある無限和(下記の g2, g3 を参照)で純粋に定義することができるが、これらは楕円曲線の同型類を考えることが動機となる。C 上のすべての楕円曲線 E は複素トーラスであるので、ランク 2 の格子、つまり C の 2 次元格子と同一視できる。格子の互いに平行な反対側の辺を同一視することで、そのようにみなすことができる。複素数を格子に掛けることは格子の回転やスケーリングに対応し、これらは楕円曲線の同型類を保存することがわかり、このことから、格子を 1 と上半平面 H のある元 τ によって生成されると考えてよい。逆に、

 
 

と定義すると、この格子はヴァイエルシュトラスの楕円函数を通して、y2 = 4x3 − g2x - g3 で定義された C 上の楕円曲線に対応する。このとき、j-不変量は、

 

と定義される。ここにモジュラー判別式(modular discriminant) Δ は

 

である。

Δ はウェイト 12 のモジュラー形式であることと、g2 はウェイト 4 のモジュラー形式であるのでその3乗はウェイト 12 であることを示すことができる。したがって、 j がこれらの商であることから j はウェイト 0 のモジュラ函数であり、特に、SL(2, Z) の作用の下に不変な有理型函数 HC である。以下に説明するように j は全射であり、このことは C 上の楕円曲線の同型類と複素数の間の全単射を与えることを意味する。

基本領域編集

 
上半平面上に作用するモジュラ群の基本領域

2つの変換 τ → τ + 1 と τ → τ−1モジュラ群と呼ばれるを生成し、この群は射影特殊線型群 PSL(2, Z) と同一視できる。この群に属する適当な変換

 

を選択することにより、τ を j の基本領域英語版(fundamental region)内にあり j に対して同じ値をとる、ある値に帰着させることができる。基本領域は次の条件を満たす τ から構成されている。

 

函数 j (τ) をこの領域へ制限すると、複素数 C のすべての値をちょうど一度だけ取る。言い換えると、C すべての元 c に対し、c = j(τ) となる基本領域の元 τ が一意に存在する。このように、j は基本領域を全複素平面へ写像するという性質を持っている。

リーマン面として、基本領域の種数は 0 であり、すべての(レベル 1 の)モジュラー函数は j有理函数であり、逆に、j のすべての有理函数はモジュラー函数である。言い換えると、モジュラー函数全体のなす体は C(j) である。

類体論と j-不変量編集

j-不変量は、多くの注目すべき性質を有する。

  • τ が虚数乗法である、すなわち、虚数部が正である虚二次体の任意の元である(従って、j-不変量が定義される)ならば、j(τ) は代数的整数である[1]
  • 体の拡大 Q[j (τ), τ]/Q(τ) はアーベル的、すなわち、ガロア群がアーベル的になる。
  • Λ を {1, τ} で生成される C の中の格子とすると、乗法の下に Λ を固定する Q(τ) のすべての元が、整環英語版(order)と呼ばれる環の単位元(unit)を形成することが容易にわかる。同様に、同じ整環の生成子 {1, τ′} を持つ格子は、Q(τ) 上で j (τ) の代数的共役である j (τ') を定義する。包含関係に従い、Q(τ) の唯一の最大整環は、Q(τ) の代数的整数の環であり、その環を持つ τ の値は、Q(τ) の不分岐拡大を導く。

これらの古典的な結果は、虚数乗法論の出発点となっている。

超越的性質編集

1937年、テオドール・シュナイダー英語版(Theodor Schneider)は、前述の τ が上半平面で二次の無理数であれば j(τ) は代数的数であるということを証明した。加えて、 τ が代数的数だが虚二次体の数でないならば、j(τ) は超越数であることをも証明した。

j-函数は数多くの超越的性質を持つ。クルト・マーラー英語版(Kurt Mahler)はマーラー予想とも呼ばれる特別な超越性を予想し、1990年代にユーリ・ネステレンコ(Yu. V. Nesternko)とパトリス・フィリポン(Patrice Phillipon)の結果の系として証明された。マーラー予想とは、τ が上半平面にあればexp(2πiτ) と j(τ) は双方が同時に代数的にはならないであろうという予想である。現在はより強い結果が知られていて、例えば、exp(2πiτ) が代数的であれば次の 3つの数は代数的に独立で、超越数になる。

 

q-展開とムーンシャイン編集

j の注目すべき性質のいくつかは、q = exp(2πiτ) でのローラン級数として書かれるq-展開フーリエ級数展開)に関連している。q-展開は、

 

で始まっている。

なお、 j は尖点で一位の単純極を持つので、q-展開には q−1 以下の項がない。

このフーリエ係数はすべて整数であり、このことがいくつかの概整数、例えば有名なラマヌジャン定数英語版(Ramanujan's constant)の理由となる。

 

qn の係数の漸近公式英語版(asymptotic formula)は、ハーディ・リトルウッドの円の方法英語版(Hardy–Littlewood circle method)で示すことができたように、

 ,

により与えられる。[2][3]

ムーンシャイン編集

さらに注目すべきは、q の正のべき乗の項のフーリエ係数がムーンシャイン加群英語版(moonshine module)と呼ばれるモンスター群の無限次元次数付き代数表現の次数部の次元であることである。特に、qn の係数は、ムーシャイン加群の次数 n の次元となっている。第一の例はグライス代数英語版(Griess algebra)であり、この代数は次元 196,884 で、項196884q に対応している。この驚くべき観察がムーンシャイン理論の出発点であった。

ムーンシャイン予想の研究は、ジョン・ホートン・コンウェイシモン・ノートン英語版(Simon P. Norton)により種数 0 のモジュラ函数を見つけることに発展した。ジョン・G・トンプソンは、

 

という形式に正規化される種数 0 のモジュラ函数が、有限個しか存在しないことを証明した。

別の表現編集

λ をモジュララムダ函数英語版(modular lambda function)とし、x = λ(1−λ) と置くと

 

を得る。

 

は、ヤコビのテータ函数   の比率であり、楕円モジュラス   の二乗である。[4] λ が次の非調和比英語版(cross-ratio)の 6つの値で入れ替わるときは、j の値は不変である[5]

 

j の分岐点は {0, 1, ∞} であるので、ベリイ函数英語版(Belyi function)である[6]

テータ函数による表現編集

 ノーム)と定義し直すと、ヤコビのテータ函数

 

から指標付きテータ函数を導くことができる。次のように置くこととする。

 
 
 

ここに    は記法を変えたものとした。すると、ヴァイエルシュトラス定数 g2, g3デデキントのエータ函数 η(τ) に対して、

 
 
 

となる。このようにすると、j (τ) を早く計算できる形に書き換えることができる。

 

ただし、

 

であることに注意する。

代数的定義編集

今までは、j を複素変数の函数として考えてきたが、楕円曲線の同型類の不変量としては、j を純粋に代数的に定義することもできる。

 

を任意の体の上の平面楕円曲線とすると、

 
 
 

と定義することができ、

 

と表すと、これは楕円曲線の判別式を表している。

ここで、楕円曲線の j-不変量を

 

と定義する。

楕円曲線が定義されている体の標数が 2 もしくは 3 でない場合に、この定義は

 

と書き直すことができる。

逆函数編集

j-不変量の逆函数は、超幾何函数 2F1 で表すこともできる(ピカール・フックス方程式英語版(Picard–Fuchs equation)も参照)。与えられた数値 N に対して 式 j(τ) = N を τ について解くためには、少なくとも 4つの方法が知られている。

方法 1: モジュララムダ函数英語版(modular lambda function) λ の6次式を解く方法。

 

x = λ(1−λ) とすると 6次式は x の 3次式となる。すると、λ の 6つの値のどれに対しても、

 

となる。

方法 2: γ の 4次式を解く方法。

 

任意の 4つのに対して、

 

となる。

方法 3: β の 3次式を解く方法。

 

すると、任意の 3つの根に対し、

 

となる。

方法 4: α の 2次式を解く方法。

 

すると、

 

となる。

2つの根は τ と 1/τ であるが、j (τ) = j (1/τ) であるために、どの α を選んでも差異はない。後半 3つの方法は、ラマヌジャンの交代基底についての楕円函数論で発見された。

逆函数は、これらの根の比率が有界でないにもかかわらず、楕円函数の周期の高精度な計算を通して、うまく適用することが可能である。また、関連する帰結として、2 のべきの大きさをもつ虚数軸上の点で j の値が二次の根となることを通して(逆関数を)表すことができる(このようにして、定規とコンパスによる作図が可能となる)。レベルが 2 のモジュラ函数は 3次式であるので、この結果は自明ではない。

π公式編集

チュダノフスキー兄弟英語版(Chudnovsky brothers)は、1987年に、

 

を発見し、  という事実を示すことに使用した。同様な公式は、ラマヌジャン・佐藤級数英語版(Ramanujan-Sato series)を参照。

特殊値編集

j-不変量は、基本領域英語版(fundamental domain)の「角」

 

では 0 となる。

以下に、いくつかの特殊値を示す(J = j/1728 を使って表示している)[疑問点]

 

2014年にはいくつかの特殊値が計算された[7]


 

これ以前に示したすべての値は実数である。複素共役のペアは、   に対し、参考文献のように値に沿って、上記のように対称的になっていると推察される。

 

4つの特殊値は、2つの複素共役のペアにより与えられる[8]

 

参考文献編集

  1. ^ Silverman, Joseph H. (1986). The Arithmetic of Elliptic Curves. Graduate Texts in Mathematics. 106. Springer-Verlag. p. 339. ISBN 0-387-96203-4. Zbl 0585.14026 
  2. ^ Petersson, Hans (1932). Über die Entwicklungskoeffizienten der automorphen Formen. 58. 169–215. doi:10.1007/BF02547776. MR1555346 
  3. ^ Rademacher, Hans (1938). The Fourier coefficients of the modular invariant j(τ). 60. The Johns Hopkins University Press. 501–512. doi:10.2307/2371313. JSTOR 2371313. MR1507331 
  4. ^ Chandrasekharan (1985) p.108
  5. ^ Chandrasekharan, K. (1985), Elliptic Functions, Grundlehren der mathematischen Wissenschaften, 281, Springer-Verlag, p. 110, ISBN 3-540-15295-4, Zbl 0575.33001 
  6. ^ Girondo, Ernesto; González-Diez, Gabino (2012), Introduction to compact Riemann surfaces and dessins d'enfants, London Mathematical Society Student Texts, 79, Cambridge: Cambridge University Press, p. 267, ISBN 978-0-521-74022-7, Zbl 1253.30001 
  7. ^ Adlaj, Semjon. “Multiplication and division on elliptic curves, torsion points and roots of modular equations”. 2014年10月17日閲覧。
  8. ^ Adlaj, Semjon (2014年). “Torsion points on elliptic curves and modular polynomial symmetries”. 2014年10月15日閲覧。