MCS・グッピー (MCS Guppy)は、ムーンクラフトが開発したグループCのC2規定に適合した耐久レース用のプロトタイプレーシングカー全日本耐久選手権(後のJSPC)や富士ロングディスタンスシリーズにて活躍した。

マシン概要 編集

ムーンクラフトが開発・製造したグループC2規定のプロトタイプレーシングマシン。富士グランチャンピオンレース(以降富士GCと表記する)の車両規定改訂で、使用されなくなった2座席レーシングマシンの部品を有効活用することでコスト低減を図った。当時の売り文句は、「世界で最も安いグループCマシン

開発の背景 編集

富士GCは、1979年からシングルシーターマシンの参加が認められた。ムーンクラフトは、いち早くムーンクラフトスペシャル(MCS)と命名したシングルシーターを公表した。このマシンは、今まで使用していた2座席マシン(主としてマーチ)の足回りを流用して、ムーンクラフトが独自作成したシングルシーターモノコックとカウルを組み合わせたものであった。

1982年WEC-JAPANが開催されたときに、2,000ccまでのエンジンを搭載した2座席オープン・レーシングカーの参戦が認められた。これを受けて、日本のチームは、富士GCで使用していた2座席レーシングカーでの参戦を行うところがあった。とあるチームは、マーチの2座席レーシングカーで参戦するにあたり、富士のストレートでの安定性を考え、MCSのフロントカウルを使用して好成績を上げることができた。

一方1982年にムーンクラフトは、マツダスピードと一緒にル・マン24時間レースにグループC(グループCJr)のマツダ・717Cにて参戦した。このマシンは、ル・マン(サルト・サーキット)のユーノディエールのストレートでの最高速重視のためドラッグ低減を最重視し、ダウンフォースが低いデザインになっていた。そのため車体の浮きが発生して、コーナーリング特性が悪く競争力が低かった。

国内の耐久選手権においては、国内メーカー(トヨタ日産マツダ)と関連の深いチームは、参戦においてエンジンやシャシに関して提供を受けていたが、完全なプライベートチーム(メーカーと関連をあまり持たないチーム)は、メーカー系からの援助が非常に少ない状況であった。そこでムーンクラフトは、富士GCと同じ手法で、2座席レーシングマシンのパーツを有効活用したオリジナルのグループCカーを開発した。

基本構成 編集

シャシ 編集

マーチの2座席レーシングカー(マーチ・73S、74S、75S)と同じシャーシ構成で、クローズドルーフの部分を追加している。(ツインチューブアルミモノコックと鋼管スペースフレームの構成)

モノコックは、基本はマーチの2座席スポーツカーのものを流用しているが、基本設計が1972年なので、グループC規定に対応するための改造が必要になった。そのため、チームによっては、モノコックを新規作成したところもあった。特にガソリンタンクの容量がグループC規定で制限を受けるので、マーチのオリジナルのサイドポンツーンに分割収納から、シートタンクの一体ものに改造したものもある。

クローズドルーフの部分は、ロールフープを大幅に強化して、ロールゲージを取り付けて形成している。

エンジンエンジンマウントも、マーチと同じスペースフレームによる方式であった。サスペンションはマーチの部品を流用しているので、サスペンション取付部の構造や形状は、マーチと同一で、スプリングを強化している。

トランスミッションは、チームが保有するヒューランドのFT200かFG400をそのまま使用している。

車重は、グループC2の最低重量700㎏を割る形になったので、バラスト搭載が必要であった。

カウル 編集

センターカウル部のウインドスクリーンは、マツダ・717Cのものを流用。その他のカウルは、ムーンクラフトのオリジナル。

マツダ・717の反省から、フロントカウルは、MCSに近い形状を採用してダウンフォースを強くして、ドラッグとのバランスを確保した。ラジエーターは、メインをフロント/オイルクーラーとサブラジエターをサイドに設置している。

エンジン 編集

エンジンは、チームが希望するエンジンを選択することができる。

富士GCに使用していたマーチのリアフレームおよびサスペンションを使用しているので、搭載可能なエンジンは富士GCに使用されていたエンジン(トヨタ18RG改マツダ13BBMW-M12/7)が使用された。これらのエンジンは、C2規定の3㎞/Lの燃費が、確保されるように各チームで調整された。

戦績 編集

デビュー戦は1983年富士1000km。3台がエントリー(トヨタ、マツダ、BMWエンジン搭載車)し、ポルシェ・956に次ぎBMWエンジン搭載車が2位、マツダエンジン搭載車が3位に入賞している。続く鈴鹿1000kmでも、マツダエンジン搭載車が3位に入賞している。WEC-JAPANではトヨタエンジン搭載車が8位で完走、Cジュニアクラス優勝を果たしている。

1984年、全日本耐久として唯一の開催となったRRC筑波4時間では、チームタクのマツダエンジン搭載車が総合優勝を遂げた(このラウンドにC1マシンは出場していない)。富士ロングディスタンスの富士1000kmでは、トラブルで遅れるポルシェ・956を尻目に、チームタクのマツダエンジン搭載車が総合優勝を遂げ、これは日本国内耐久シリーズで初めてのポルシェの黒星であった。同レースでは3位にもマツダエンジン搭載車が入賞している。

WEC-JAPANでも マツダエンジン搭載車が8位完走と健闘し、遠来の海外勢を抑えクラス2位であった。この年は最大時4台ものMCS・グッピーがエントリーした。

1985年シーズンも引き続き参加し、全日本耐久第2戦富士1000kmでは並み居るC1カーを抑え、アルファキュービックレーシングチームのBMWエンジン搭載車が3位に入賞している。この後C2のエントラントがC1へステップアップする事が多くなり、MCSグッピーも役目を終えた。最後の参戦は1988年第2戦の鈴鹿500kmであった。

参考文献 編集

  • 三栄書房 AUTOSPORT 1983年9/15号

関連項目 編集