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P-38 ライトニング

飛行するP-38J-20-LO 44-23296号機 (撮影年不詳)

飛行するP-38J-20-LO 44-23296号機 (撮影年不詳)

P-38 ライトニングLockheed P-38 Lightning)は、ロッキード社が開発し、アメリカ陸軍などで運用された三胴設計の双発単座戦闘機

愛称の「ライトニング (Lightning)」は「稲妻」の意。ただし、これはアメリカではなく、イギリス空軍が採用した際の機体名として「ライトニング I」と命名された物の逆輸入である。日本軍側ではその形状から「メザシ」と呼んでいた他、戦争初期には低高度性能が低く格闘戦に持ち込みやすかった為「容易に撃墜できる = ペロリと食えるP-38(=Pろ8)」ということから「ペロハチ」と呼んでいた。しかし、改良を重ねたことと速度と武装と急降下性能を生かした一撃離脱戦法に切り替えてたことにより撃墜対被撃墜比率が逆転、運動性能以外でははるかに劣る日本機を寄せ付けない強さを発揮し、「双胴の悪魔」と称されるようになった[2]。一方で、イギリスに展開したP-38も一撃離脱でドイツ空軍戦闘機と戦ったが、ドイツ機に対して速度で同等、運動性能で大幅に劣るP-38は苦戦した。

目次

概要編集

アメリカ軍エース・パイロットを多数乗せており、その中でもそれぞれ第1位と第2位の記録を残した、リチャード・ボング少佐トーマス・マクガイア少佐の搭乗機も、共にP-38である。また、太平洋戦争における日本軍機の撃墜数は3,785機とされており、これはアメリカ軍機の中では海軍F6FF4Uに次ぐ第3位の撃墜数で、陸軍機では1位である。

1943年5月以降、それまで航続距離がスピットファイアと大して変わらなかったP-47ドロップタンクが取り付けられ爆撃機の護衛にもついていけるようになると、P-38は地中海戦線イタリア戦線へも送られ、主に戦闘爆撃機として地上攻撃に猛威を振るった。

開発経緯編集

 
XP-38A

1930年代後半、列強諸国で配備が進められていた高性能の単葉機であるBf 109やスピットファイアなどに対し、アメリカ陸軍航空隊(のちアメリカ陸軍航空軍)で配備されていたのは、あまり高性能とは言えないやP-35P-36などだった。しかし国際情勢の緊迫により、議会などから高性能戦闘機の配備を求める声が高まった。アメリカではボーイング排気タービン過給器を備え高高度性能が優れた戦略爆撃機(のちのB-17)開発も始まっており、敵国がこのような戦略爆撃機を開発した場合にこれを迎撃する戦闘機の必要を認識したと思われる。

1937年2月、アメリカ陸軍航空隊は各航空メーカーに対し単座・高々度防空用の迎撃戦闘機の開発を命じた。アメリカの飛行機は、当時ドイツや日本の飛行機のスピードに追いつけなかった為、それに対抗出来るものが必要だった。この時の要求は、最高速度は640km/h、当時考えていた速度(480km/h)より160km/h速く、上昇力は高度6500mまで6分以内で、20mm機関砲を装備する、とされた。この要求に対し、ベル・エアクラフト社のモデルB-4(後のP-39)と共に、1933年に入社し早くから才能を認められていたロッキード社のクラレンス・ケリー・ジョンソンが開発中のモデル22が選定され、モデル22は6月に名称XP-38として開発要求が出された。本機は高速旅客機専門のロッキードが本格的な軍用機として設計した初の機体で、当時は軍での実績は皆無な新参メーカーとして見られていた。

XP-38は高速力を出すために発動機を2基搭載した双発・双胴機となり、中央胴にパイロットが乗り込む設計となった。双胴機のため、機体後部にある方向舵は2つあり、昇降舵は2つある方向舵の間に1つある配置、降着装置は前脚式を採用している。爆撃機を迎撃するのが目的であるため、格闘戦向きに運動性をよくするよりも、一撃離脱戦法に向いた高速・重武装の重戦闘機として設計された。エンジンは離昇出力1,150馬力を発揮する液冷V型12気筒アリソンV-1710-29/17(それぞれ右/左)が搭載され、トルクを打ち消すためプロペラは互いに内方向に回るようにされていた。また高高度戦闘用に排気タービン過給機を搭載した。武装は中央胴にプロペラがないため当時の戦闘機としては特に強力にでき、25mm機関砲か23mm機関砲1門、12.7mm機関銃4挺が機首に装備される予定であった(実機は未装備)。XP-38は全備重量が6,200kgにも達し翼面荷重が高いため、離着陸用にファウラー・フラップも装着された。操縦装置は操縦桿(コントロールスティック)ではなく、戦闘機では珍しい操縦輪(コントロールホイール)を採用している。ジョンソンは設計を終え、試作機の契約が軍と交わされた。1937年6月、試作機XP-38の製造が始まった。奇抜なデザインではあったが、僅か1年半で完成した。また、トラックへの部品の積み込みから完成まで最高機密扱いだった。

XP-38は1939年1月1日に地上滑走試験で溝に突っ込んで機体を破損。ようやく1月27日に初飛行し、15日後の試験飛行では要求を遥かに上回る最高速度675km/hを記録した。まだ尾部の振動や、フラップの不具合など解決すべき点は多かったものの、アメリカ陸軍航空隊はハワード・ヒューズの持つ北米横断飛行スピード記録に挑み、2月11日、ベンジャミン・S・ケルゼー中尉によって西海岸のマーチフィールドから東海岸のミッチェルフィールドまで2回の給油を挟み、飛行時間7時間5分で結んだが、ニューヨークにこの計画を知らせていなかったため、着陸許可を待っている間に燃料が切れてしまい、ゴルフ場に胴体着陸してケルゼーは助かったが機体は失われてしまった。しかし、この結果に満足した陸軍から、YP-38として13機が発注された。YP-38はプロペラの回転方向も外回りになるように変更され、空気吸入口が発動機上部に移され、武装も37mm機関砲1門、12.7mm機関銃2挺、7.62mm機関銃2挺へ変更された。欧州情勢の緊迫と共に、さらに66機が発注され、またその後に600機が発注された。9月、YP-38はP-38として制式採用された。武装は37mm機関砲はそのままだが、7.62mm機関銃が撤去され12.7mm機関銃4挺へ強化された。

1940年にはイギリス空軍からP-38購入の打診(1939年にもフランス空軍から打診はあったが、1940年にドイツにパリを占領され降伏したため、消滅)があり、英国仕様の機体を「ライトニング I」としてロッキードは納入したが、軍事機密として排気タービン(過給器)は外され、エンジンも同方向回転型のアリソンV-1710-C15R(離昇出力1,090馬力) と言った代物で、これはカタログデータとは似て非なる完全なモンキーモデルであった。ロッキード社のエンジニアは、これに対し『骨抜きされたP-38』と呼んで抗議を表明した。当然、実機テストは散々な結果に終わり、英本土にあった3機以外の受け取りは拒否されてしまった。この時生産ラインにあった「ライトニング I」140機はP-322のコードが付けられて、代わりにアメリカ陸軍が引き取る形となったが、無論、実戦に使える機体ではなく、米本土での訓練や雑用に使われただけに終っている。

こうしてP-38は、アメリカ軍専用の戦闘機となった。だがアメリカでも快調なスタートとはいえなかった。パイロットにより早くから問題点が指摘された。

戦歴編集

 
P-38J "Yippee"
 
共にP-38を乗機とし日本軍機相手に戦果を挙げた、アメリカ全軍第一位エースであるリチャード・ボング少佐(左)と、第二位エースであるトーマス・マクガイア少佐(右)。しかし、マクガイア少佐は日本陸軍航空部隊一式戦「隼」四式戦「疾風」との空戦で撃墜され戦死した
 
海中から引き上げられたサン=テグジュペリ機の前部降着装置ル・ブルジェ航空宇宙博物館

P-38は主にドイツ空軍を相手とする欧州戦線(西部戦線)では、1942年頃から実戦配備が進められ、主に大航続力を生かして英本土からドイツ本土空襲に向かう戦略爆撃機の主力掩護戦闘機として活躍した。また、速度性能を生かし偵察機としても活躍した。

日本陸軍日本海軍を相手とする太平洋戦線では、1942年末頃から順次投入されるようになった。日本軍機との空中戦では、P-38は持ち味である高速・重武装・急降下性能を生かした一撃離脱戦法に徹した。格闘戦を得意とする日本軍の零式艦上戦闘機一式戦闘機「隼」よりも旋回性能で極端に劣るP-38は、一撃離脱戦法による攻撃時からの離脱も(基本とされるシュートアウト前の旋回による離脱ではなく)急降下を続けたまま日本軍機の後方から下部を通過、シュートアウトし日本軍機の前方に出た後も、急降下による圧倒的な速度差により逃げ切る、という離脱方法がとられた。

中高度域では圧倒的な性能を誇ったが、高高度では排気タービンを持ちながらもアリソンエンジンであることから性能が低下した。また、急降下に優れる印象を持たれる本機だが、高空でダイブするとすぐに主翼の一部から衝撃波が発生して激しい振動が起こった。そのため機首を起こすのが難しくなり、高度が高くなればなるほど急降下制限速度が低くなるなどの弱点もあった。振動の原因は厚い翼を用いていたのと、比較的低い速度域で空気の圧縮性の問題にあたってしまったため。しかし、20歳そこそこの兵士には「圧縮性」の意味すら理解できず、ただP-38は危険だ、という事がわかったに過ぎなかった。だが、それ以上に危険だったのは、片方のエンジンが故障した場合、機体が横転し墜落しやすいことだった。当時は、まだほとんどのパイロットが、320km/h以上のスピードに慣れておらず、しかも640km/hも出るのでエンジンが故障したらパニックに陥ってしまい、機体が制御出来なくなるのだ。

これを改善する為、アリソンエンジンを強化し、2つのプロペラの回転をそれぞれ外回りにすることでトルクへの影響を打ち消した。これにより、飛行中の安定性が増大した。また前述の通りP-38J以降からインタークーラーの大幅な「コア増し」を行った(従前の型に対して、大きく張り出したインタークーラー吸気口が特徴的なため、J型以降はChin-Lightningとも呼ばれる)。またJ型以降ダイブブレーキが取り付けられ、急降下速度は20mphほどの余裕ができた。

それでも、兵士たちの間では、未だ「P-38は危険」のイメージが強かったため、ロッキード社のテストパイロットであるトニー・レヴィールがデモンストレーションを行い、片方のエンジンだけで飛び、ゆっくり回転するなど、単発のエンジンと変わらない動きをすることで、P-38の優れていることを証明してみせた。1941年から機体の信頼性は徐々に回復していったが、戦争への実感はまだ程遠いものがあった。双発であるため操縦席からの前方視界が良好で、エンジンが離れていることから軍用機にしては騒音が小さいため居住性については評価が高い。

軽快な単発・単座戦闘機に対しては、旋回半径では劣る(旋回半径の値が大きい)が、前述の通り一撃離脱戦法に徹することで対抗可能とされた。特異な構造から被弾率も低かったといわれる。欧州戦線では、当時単発機としては最高水準にあったFw 190に対しても優位に戦闘を進めた例はあるが、苦戦した戦いが多く、優勢高度からの攻撃が難しい爆撃機護衛任務では損害が多発し護衛も十分に果たせず損害が多かった。最終的に一歩及ばなかったものの、この当時の双発戦闘機として単発機と直接比較ができるという点では、特記に値する。ただし爆撃機の護衛としてドイツの双発戦闘機(爆撃機改造機もあった)相手に活躍できたが、対単発戦闘機となると運動性はもちろん速度でも劣り、攻勢の護衛任務では上空からの一撃離脱戦法をかけにくく、高空での急降下に制限のあるP-38の能力が引き出せず苦戦を強いられた。

欧州戦線ではP-47、P-51などの新鋭戦闘機が配備されたこともあり、純粋な戦闘機として活躍する期間は長くはなかった。特にP-51は単発機ではあるが積載量以外では勝るため、多くの飛行隊が機種転換の対象とされた。しかし戦闘爆撃機、偵察機としての能力は評価され、配備数は減ったが廃止はされなかった。余った機体は自由フランス軍などに供与された。

太平洋戦線では、欧州戦線同様に爆撃機護衛任務では一撃離脱戦法は必ずしも生かせるものではなく、また低空や格闘戦に誘い込まれることもあった。しかし、対峙した日本機はドイツ機に比べれば速度面ではP-38に利があり零戦や一式戦は急降下特性が悪いという弱点があった。さらにそれまで主力戦闘機として使われていたP-40と比較して双発故に航続距離が長く、欧州と比べ洋上飛行が多い太平洋戦域ではP-47、P-51が配備され始めると縮小こそされたものの終戦まで第一線で活躍し続けた。アメリカ全軍において第一位のエース・パイロットであるリチャード・ボングと、同第二位のトーマス・マクガイアはともにP-38を搭乗機とし太平洋戦線で戦果をあげている。しかし1945年1月7日、フィリピンの戦い (1944-1945年)にて第431戦闘飛行隊長マクガイア少佐を長機とするP-38L 4機編隊が、日本陸軍航空部隊の一式戦「隼」1機・四式戦「疾風」1機とネグロス島上空で交戦するも、マクガイア少佐機および僚機ジャック・リットメイア少佐機を撃墜され両名が戦死している(P-38側の戦果は一式戦「隼」1機撃墜のみ)。超低空域下の不意遭遇の格闘戦であったものの、P-38は4機対2機と機数に勝り、長機・僚機で連携の取り易い優位にもかかわらずこの結果であった(日本陸軍側の一式戦は飛行第54戦隊機・四式戦は飛行第71戦隊機と別部隊であり、空戦前に両機は離別しており空戦自体はそれぞれが単機ごとにP-38編隊に挑んでいる。さらに、P-38 3機を相手に対進戦で撃ち合いマクガイア機とされる先頭の1機を撃墜、自身は被弾のみで生還している四式戦操縦者の福田瑞則軍曹はこれが最初の空戦らしい空戦であった)[3]

P-38による著名な戦果として、ブーゲンビル島上空で当時の日本海軍連合艦隊司令長官山本五十六大将搭乗の一式陸上攻撃機の撃墜に成功している(海軍甲事件)。本作戦はP-38の航続距離の長さなくしてはなしえなかった作戦と言われるが、ブーゲンビル島上空で許された戦闘時間は15分間しかないなど危険性の高い任務であった。

アメリカ飛行史に輝くチャールズ・リンドバーグは、ニューギニアでのP-38の進撃に魅せられた。リンドバーグは、1927年大西洋単独無着陸横断に成功したが、アメリカが第二次世界大戦に参戦する前に参戦に反対して陸軍航空隊予備役の大佐を辞任していた。だが、飛ぶことへの願望を捨てきれず軍への復帰を希望したものの、アメリカ政府はこれを拒否していた。1944年6月、政府の許可なしにリンドバーグは第475戦闘航空軍を訪問。初めて見る双発エンジンの戦闘機に興味を示した。リンドバーグは、海軍用の双発エンジン戦闘機の設計に関わっており、第475戦闘航空軍の兵士に気に入った点や好みの武装、実戦での航続距離や戦闘能力などを聞き取り、性能が向上する可能性を発見した。

リンドバーグは、大西洋横断の経験から燃費の問題に詳しかった。指揮官チャールズ・マクドナルドの了承を得て、説明会が開かれた。そして、P-38の乗組員・整備員に対し、航続距離を伸ばす方法を話しだした。『エンジン回転数を1400に下げ、吸気圧を760に上げれば50〜100ガロンの燃料が節約できる』というものだった。参加していた整備員たちは「そんなことをしたらエンジンが壊れる」と思っていたが、リンドバーグにその事を面と向かって話すことなど誰もできなかった。しかし黙っているわけにはいかず、鋭い質問がリンドバーグに向けられたが、リンドバーグは、参加者たちを黙らせ、「実際に自分がその条件で飛んでみせる」と言った。そして、その通りに飛んでみせた。2週間後に整備員がエンジンを調べると、どこにも異常はなかった、という。それ以来、P-38のパイロット達は、リンドバーグの理論で飛び続け、結果、今までの航続距離が1400kmだったのがリンドバーグのたった数ヶ月の滞在で、なんと倍の2400kmに増大したのである。しかもリンドバーグは、それに飽き足らず、パトロールに同行して敵機の撃墜に成功している。

大戦後期、各国で双発戦闘機にレーダー搭載の夜間戦闘機化が行われ成果を挙げていたが、P-38の場合、外部搭載量は大きいものの機体内部にはほとんど余裕がなく、レーダーは機外搭載とならざるを得ず、複座化も武装の強化もままならないとあって夜間戦闘機として運用されたものは少数であった。このため、戦後にアメリカ陸軍のレシプロ戦闘機がP-51改めF-51に統一された後、他の用途に転用されることもなく、海外に展開していたP-38の多くは現地で廃棄処分となり消えていった。第1次インドシナ戦争インドネシア独立戦争朝鮮戦争などではアメリカの同盟国によって使われ第一線で使用されている。

星の王子さま』で知られるサン=テグジュペリは自由フランス空軍へ志願し偵察型のF-5で飛行中、マルセイユ沖で撃墜された。機体の残骸は後年に海中から引き上げられており、ル・ブルジェ航空宇宙博物館で展示されている。

派生型編集

機体性能や装備に変更がない場合は、記述を省略。

YP-38編集

  • 最高速度:630 km/h
  • 発動機:アリソンV-1710-17/29(それぞれ右/左エンジン、以下同じ)、離昇出力1,150馬力
  • 全備重量:6,900 kg
  • 武装:T-9 37 mm 機関砲×1(弾数15発)、AN/M2 12.7 mm 機関銃×2(弾数、各200発)、AN/M2 7.62mm機関銃×2(弾数、各500発)
  • 生産数:13機

武装を施した増加試作機。胴体ブームのラジエーターが外側のみであったのを、両側に装備して冷却能力を高めている。また発動機を左右入れ換えて、XP-38とはプロペラ回転方向が逆回りとなり、以後、標準となった。

P-38編集

  • 武装:T-9 37 mm 機関砲×1(弾数15発)、AN/M2 12.7 mm 機関銃×4(弾数、各200発)
  • 生産数:36機

初期生産型。武装が変更され、操縦席後方に防弾鋼板が装備された。本来は66機発注されたが、内30機はP-38Dに振り分けられ、完成したのは36機のみだった。後に1機が与圧キャビンを装備したXP-38Aとして改修されている。

P-38D編集

P-38に防弾燃料タンクを装着。水平尾翼の取り付け角度を変えて、XP-38以来続いていた尾部のバフェッテング(振動)を改善したモデル。なお、P-38BとC型は欠番である。

P-38E編集

  • 武装:M1 20 mm 機関砲×1(弾数、150発)、12.7 mm機関銃×4(弾数 各500発)

実戦投入を想定し、それまでの37mm級大口径砲の搭載を諦め、発射速度が高く装弾数も多い20mm機関砲へ武装を換装したタイプ。プロペラをハミルトン油圧式からカーチス電動式に変換。1941年10月に量産機がロールアウト。生産数は210機。生産された機のうち99機が武装をカメラ4台に置き換えた写真撮影偵察機に改造され、F-4と名づけられた。

P-38F編集

  • 最高速度:650 km/h
  • 航続距離:3,100 km
  • 発動機:アリソンV-1710-49/53、離昇出力1,225馬力

1942年4月より生産開始。エンジンを離昇出力1,225馬力にパワーアップ。合計900kg(2,000ポンド)の爆弾か燃料タンクを搭載するために爆弾倉を双胴に設置し、空戦フラップを装備。生産数は527機。内20機が、非武装の写真偵察機型F-4Aへ改造された。

P-38G編集

 
P-38G
  • 発動機:アリソンV-1710-51/55、離昇出力1,325馬力
  • 航続距離:3,800 km

1943年前期頃からP-38Fに続いて1,082機が生産された。1,325馬力に出力を向上したアリソンV-1710-51/55エンジンと性能向上した通信機を搭載。181機が非武装の写真偵察機F-5Aに改造されている。

P-38H編集

  • 発動機:アリソンV-1710-89/91、離昇出力1,425馬力
  • 航続距離:3,640 km
  • 爆装:1,450 kg(3,200ポンド)

G型のパワーアップタイプ。601機生産された。同じく写真偵察機仕様のF-5Cに128機が改造。

P-38J編集

I型は欠番。インタークーラー(中間冷却器)の位置を変更し、電動式ダイブブレーキを装備した。1943年8月に生産を開始。生産数は2,970機。また、本型を改修し、武装を全廃して機首に爆撃手席を設けたパスファインダー(爆撃先導機)型「ドループスヌート」や、爆撃照準レーダーを搭載した「ミッキー」が若干生産されている。他、写真偵察機F-5Eとして205機が改造。

P-38K編集

  • 発動機:V-1710-75/77エンジン、離昇出力1,425馬力

1機のみ作られた試作機。G型の機体にV-1710-75/77エンジンを搭載し、出力の向上を図った機体。

P-38L編集

  • 最高速度:667 km/h
  • 発動機:アリソンV-1710-111/113、離昇出力1,475馬力(水噴射時、1,600馬力)
  • 航続距離:4,180 km

P-38シリーズで最多の3,923機が生産された。113機はバルティ社で生産され、P-38L-VLと呼称された。エンジンは水噴射装置付きとなり、数分が限界であるものの、ブースト時は実に1,600馬力を発生した。P-38Lは900kgの爆弾か1,140リットルのドロップタンクを搭載するためのパイロンを備えた。また、油圧ダイブフラップと補助翼を装備し、それらは高速時に効果を発揮した。また翼下へ各5発ずつ、対地攻撃用の5インチロケット弾を搭載できるクリスマスツリー型のランチャーを装備可能になった。他、本型をベースに写真偵察型のF-5Eが500機。F-5F(機数不明)。F-5Gが64機改造されている。

P-38M編集

最終生産型の夜間戦闘機。機首下へレーダーポッドを装備し、機首武装を確保するために中央胴体後部へレーダー手席を設置。L型の生産ラインから74機が改造された。1945年2月5日に初飛行したため、活動時期は主に戦後となったが、間もなくより高性能な全天候双発戦闘機P-82「ツインムスタング」が戦力化されたために活躍期間は短かった。

XP-58編集

P-38をベースに開発された複座長距離戦闘機。1944年に試作機が初飛行したが、その後開発中止となった。

採用国編集

性能諸元(P-38L)編集

出典: Quest for Performance[4].

諸元

  • 乗員: 1名
  • 全長: 11.53 m (37 ft 10 in)
  • 全高: 3.00 m (9 ft 10 in)
  • 翼幅: 15.85 m(52 ft 0 in)
  • 翼面積: 30.43 m2 (327.5 ft2
  • 翼型: NACA エアフォイル 23016 / NACA 4412
  • 空虚重量: 5,800 kg (12,780 lb)
  • 運用時重量: 7,940 kg (17,500 lb)
  • 最大離陸重量: 9,798 kg (21,600 lb)
  • 動力: アリソン V-1710-111/113 液冷スーパーチャージャー V型12気筒 レシプロ、1,063kW(ブースト1,193 kW) (1,425hp(ブースト1,600 hp)) × 2
  • 零揚抗力係数(Zero-lift drag coefficient): 0.0268
  • 抗力面積: 0.82 m2(8.78 ft2
  • アスペクト比: 8.26(翼面)

性能

  • 最大速度: 高度 7,620 m 時 667 km/h (高度 25,000 ft 時 415 mph)
  • 失速速度: 170 km/h (105 mph)
  • フェリー飛行時航続距離: 3,640 km (2,600 海里
  • 航続距離: 1,770 km (1,100 海里)
  • 実用上昇限度: 13,400 m (44,000 ft)
  • 上昇率: 最大 1,448 m/min (4,750 ft/min)
  • 翼面荷重: 260.9 kg/m2 (53.4 lb/ft2
  • 馬力荷重(プロペラ): 0.27 kW/kg (0.16 hp/lb)
  • * 揚抗力比: 13.5

武装

  使用されている単位の解説はウィキプロジェクト 航空/物理単位をご覧ください。

現存する機体編集

現存P-38を参考にした。

型名         機体写真      所在地 所有者      公開状況 状態         機体番号           備考
P-38F-1-LO
Glacier Girl
  アメリカ合衆国テキサス州サンアントニオ ルイス・エア・レジェンズ 公開 飛行可能 製造番号 222-5757
機体番号 41-7630
飛行登録ナンバー N17630
[1] [2]
P-38F-5-LO
White 33
写真 アメリカ合衆国コロラド州コロラドスプリングス 国立第二次世界大戦航空博物館 公開 飛行可能 製造番号 7086
機体番号 42-12652
飛行登録ナンバー N12652
ホワイト33の名は第39戦闘隊所属の意。1942年に製造されてから
のちにP-38E-2-LO
のちP-38F-2-LO
へと型番が変わった後に、今の型番になった。[3][4][5][6][7][8]
P-38G-10-LO   アメリカ合衆国アラスカ州アンカレッジ ジョイントベースエルメンドルフ - リチャードソン
(旧米陸軍フォートリチャードソン
米空軍エルメンドルフ空軍基地)[9]
公開 静態展示 製造番号 222-7834
機体番号 42-13400
飛行登録ナンバー N55929
[10]
P-38H-5-LO
Scarlet Scourge
  オーストラリア連邦サウスオーストラリア州アデレード クラシックジェット戦闘機博物館[11] 公開 静態展示(飛行可能へと復元中) 製造番号 1352
機体番号 42-66841
[12][13][14]
P-38J-5-LO   イギリスリンカーンシャー東カークビー村 リンカーンシャー航空遺産センター[15] 公開 静態展示 機体番号 42-67211
P-38J-10-LO アメリカ合衆国ユタ州ヒル ヒル航空宇宙博物館[16] 公開 静態展示 製造番号 2149
機体番号 42-67638
[17]
P-38J-10-LO   アメリカ合衆国ワシントンD.C. 国立航空宇宙博物館別館
スティーヴン・F・ウドヴァーヘイジーセンター[18]
公開 静態展示 製造番号 422-2273
機体番号 42-67762
[19]
P-38J-15-LO
F-5G
Scatterbrain Kid II
アメリカ合衆国ワシントン州エバレット フライング・ヘリテージ・コレクション 公開 修復中 製造番号 2922
機体番号 42-104088
飛行登録ナンバー N38LL
1994年にブリッケンリッジ航空ショーで墜落した後、フライング・ヘリテージ・コレクションにて修復待ち。[20][21]
P-38J-20-LO
TP-38J
23 Skidoo
  アメリカ合衆国カリフォルニア州チノ プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館 [22] 公開 飛行可能 製造番号 4318
機体番号 44-23314
飛行登録ナンバー N138AM
Joltin' Josieという名から、
2003年にPorky 2
のち2006年には23 Skidooへと
名前が変えられた。[23][24][25]
P-38L-1-LO   アメリカ合衆国フロリダ州ポークシティ ファンタジー・オブ・フライト 公開 修復中 機体番号 44-23933
飛行登録ナンバー N6190C
P-38L-5-LO セルビア共和国ベオグラード ベオグラード航空博物館 公開 静態展示 製造番号 6790
機体番号 44-25786
[26][27]
P-38L-5-LO アメリカ合衆国フロリダ州ポークシティ ファンタジー・オブ・フライト 修復中 静態展示 製造番号 7765
機体番号 44-26761
飛行登録ナンバー N2897S
P-38L-5-LO
/F-5G
Honey Bunny
アメリカ合衆国アイダホ州サンバレー アライドファイタース[28] 公開 飛行可能 製造番号 7985
機体番号 44-26981
飛行登録ナンバー N7723C
P-38L-5-LO
/F-5G
Relampago
写真 アメリカ合衆国ニューメキシコ州サンタテレサ ウォー・イーグルス航空博物館 公開 静態展示(飛行性保持) 製造番号 8057
機体番号 44-27053
飛行登録ナンバー N577JB
製造番号8091、機体番号44-27087、飛行登録ナンバーN345 Relampagoの塗装を受け継いで、真っ黒に塗られている。
P-38L-5-LO
F-5G-6-LO
Tangerine
  アメリカ合衆国オレゴン州マドラス ティラムック航空博物館(エリクソン航空機コレクション)[29] 公開 飛行可能 製造番号 8087
機体番号 44-27083
飛行登録ナンバー N2114L
[30]
P-38L-5-LO
/F-5G
  アメリカ合衆国カリフォルニア州チノ ヤンクス航空博物館[31] 公開 静態展示(飛行性保持) 製造番号 8187
機体番号 44-27183
飛行登録ナンバー N718
P-38Lとして建造されたが、配備前に偵察機型のF-5Gに改造された。[32]
P-38L-5-LO
Scat III
  アメリカ合衆国ミネソタ州グラナイトフォールズ フェイゲン・ファイターズ第二次大戦博物館[33] 公開 飛行可能 製造番号 422-8235
機体番号 44-27231
飛行登録ナンバー N79123
2015年にRuff StuffからScat IIIへと名前が変えられた。[34]
P-38L-5-LO
/F-5G
Pudgy V
  アメリカ合衆国ニュージャージー州トレントン トーマス・B・マクガイア・Jr記念空軍基地[35] 公開 静態展示 製造番号 8270
機体番号 44-53015
(トーマス・マクガイアが最後に搭乗した44-24845の塗装)
飛行登録ナンバー N9957F
P-38L-5-LO
/P-38M-LO
Putt Putt Maru
  アメリカ合衆国テキサス州ヒューストン トム・フリードキン氏(Tom Friedkin) 非公開 修復中 製造番号 8350
機体番号 44-53095
飛行登録ナンバー N9005R
一度Thoughts of Midnightという名称となったが、ローンスター飛行博物館では戻された。しかし、再度修復が行われているようだ。
P-38L-5-LO
/P-38M-LO
Marge
  アメリカ合衆国ウィスコンシン州オシュコシュ 実験航空機協会[36] 公開 静態展示(飛行性保持) 製造番号 8342
機体番号 44-53087
飛行登録ナンバー N1107V
P-38L-5-LO
Marge
(オリジナル)
アメリカ合衆国ウィスコンシン州スペリアー リチャード・I・ボング退役軍人歴史センター[37] 公開 静態展示 製造番号 8491
機体番号 42-103993
のち44-53236
[38][39]
P-38L-5-LO
/P-38M-LO
/F-5G
Lizzie V
  アメリカ合衆国ワシントン州シアトル ミュージアム・オブ・フライト[40] 公開 静態展示 製造番号 8352
機体番号 44-53097
飛行登録ナンバー N3JB
[41]
P-38L-5-LO   アメリカ合衆国 エヴァーグリーン航空宇宙博物館 公開 静態展示(飛行性保持) 製造番号 8441
機体番号 44-53186
飛行登録ナンバー N505MH
[42]
P-38L-5-LO   アメリカ合衆国オハイオ州 国立アメリカ空軍博物館 公開 静態展示 製造番号 8487
機体番号 44-53232
飛行登録ナンバー NX66678
P-38J KI-W 機体番号42-67855
として展示されている。[43]
P-38L-5-LO アメリカ合衆国 トム・レイリー・ヴィンテージ・エアクラフト[44] 非公開 修復中 製造番号 8497
機体番号 44-53242
飛行登録ナンバー N54796
P-38L-5-LO
/F-5G
Red Bull
  オーストリア共和国 ディートリヒ・マテシッツ 公開 飛行可能 製造番号 8509
機体番号44-53254
飛行登録ナンバー N25Y
フライング・ブルズ所属機としてレッドブル主催のイベントでデモ飛行を行っている。マテシッツのコレクションと共にザルツブルク空港の「ハンガー7(英語版)で常設展示されている。
2007年ころまでは白を基調とし、各翼端とプロペラ部のみ赤い塗装だった。[45][46]
P-38L-5-LO 写真 アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル 真珠湾太平洋航空博物館[47] 公開 静態展示 機体番号 425-413 [48]

登場作品編集

映画編集

エイセス/大空の誓い
チャールズ・シンクレア元大尉の搭乗機。なお、『エイセス・アイアンイーグル3』は本作のゲーム化作品だが、こちらにはP-38などのレシプロ機は登場しない。
永遠の0

アニメ・漫画編集

アニメンタリー決断
「ラバウル航空隊」や「山本五十六の最期」などに敵機として登場する。主にやられ役。
うる星やつら
第54話に登場。緑灰塗装のP-38が浦島太郎(温泉マーク)を銃撃しつつ、一航過する。顎が目立たないのでチン・ライトニング以前の初期型。12.7mm機銃が2丁しか装備されていない。
『昆虫国漂流記』
松本零士の父親である松本 強少佐二式複座戦闘機 屠龍F6F ヘルキャットの大群に追われながら、(F6Fの相手をするのは)「前の奴を片付けてからじゃ」と、前方のP-38へ発砲する。
紫電
ベン・クリスチャン・マッドウェー大尉が使用。
日の丸あげて
ヒロインであるアニーの初期搭乗機。他、モブ機としても登場シーンがある。
『ブラック0』
松本あきら(後の松本零士)の漫画。ブルー・ナイトマン中尉がM型もどき(単座のJ型にレーダーポッドを装着した改造夜間戦闘機型)を使用。F4型らしき偵察機も登場。

小説編集

紺碧の艦隊
物語冒頭、海軍甲事件のシーンで登場。また、OVA版ではパナマ運河防空部隊の所属機として登場。

ゲーム編集

『19シリーズ』
シリーズ初代となる『1942』からほぼ全ての作品で自機として登場。
War Thunder
P-38E・P-38G・P-38J・P-38L・XP-38Gがプレイヤーの操縦機体として登場。
World of Warplanes
アメリカツリーのTierVにP-38F・P-38Gが登場し、TierVIにP-38J・P-38Lが登場。
ロケット弾爆弾などが装備可能で、機関砲も多数存在する。
コール オブ デューティシリーズ
CoD2:BRO
CoD:WaW
アメリカ軍戦闘機として登場する。
ストライカーズ1945シリーズ』
『1945』『1945II』『1945PLUS』の自機のひとつとして登場。毎回「男ならこれを選べ!」というキャッチコピーが付けられており、スタンダードな性能の主人公機的な位置付けとなっている。

注釈編集

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  1. ^ Knaack MS (1978). Encyclopedia of US Air Force aircraft and missile systems. Office of Air Force History. 
  2. ^ 坂井三郎、『大空のサムライ上-死闘の果てに悔いなし』、講談社<講談社+α文庫>、2001年4月20日、187頁。
  3. ^ 秦郁彦 『太平洋戦争航空史話 (上)』 中央公論社、1995年、pp.43-46, 50-52
  4. ^ Loftin, LK, Jr.. “Quest for performance: The evolution of modern aircraft. NASA SP-468”. 2006年4月22日閲覧。

参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集