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特集記事
簡単なルール「
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フスタート (アラビア語:الفسطاط )は、アラブ人 の統治下となったエジプト において、初めて首都 となった都市である。641年 に、アムル・イブン・アル=アース によって、建設された。アムルの手によって、アフリカ 最古のモスク であるアムル・イブン・アル=アース・モスク が同時期に建設された……続きを読む
イスラム経済 あるいはイスラム経済学 (Islamic economics )とはイスラム研究 のうち、シャリーア (イスラム法 )で禁じられているリバー (利潤 )の追求を目的としないイスラム銀行 をはじめ、経典 や伝統 に基づくイスラム世界 固有の経済 秩序を究明する学問 を指す。本分野は1940年代 末に端を発し、1960年代 半ば以降隆盛を見たのみならず、銀行制度については1970年代 に発展した……続きを読む
アブー・アル=カースィム・アッ=ザフラウィー (アラビア語 : أبو القاسم بن خلف بن العباس الزهراوي 、Abu al-Qasim al-Zahrawi、936年 - 1013年)はアンダルス のアラブ人 医師 、薬剤師 、科学者 である。西洋ではアブルカシス (Abulcasis) の名でも知られている。中世イスラム世界で最も偉大な外科医 の1人とされている……続きを読む
(2010/8/1紹介)
信仰・教義
アッラーフ ( اللّه Allāh )は、イスラーム における、アラビア語 での神 に対する呼称のひとつ。日本では一般に「アッラー 」あるいは「アラー 」と表記されることが多いが、「アッラーフ 」がよりアラビア語 発音に近い。イスラーム 以前のアラビア半島 においては多くの神々が信仰されていたが、ムハンマド 後のイスラームにおいては万物を創造し、かつ滅ぼすことのできる至高神こそが唯一の神とされ、その超越性が強調される。イスラームの聖典クルアーン (コーラン)にはアッラーフの絶対 性と全知全能 性が記されている……続きを読む
イスラーム史の人物
ムハンマド・アリー (アラビア語 : محمد علي Muhammad ‘Alī, 1769年 ?-1849年 8月2日 )は、オスマン帝国 の属州エジプト の支配者で、ムハンマド・アリー朝 の創始者。トルコ語 でメフメト・アリー(Mehmed Ali)ともいう。オスマン帝国のエジプト総督ながらエジプトに半独立政権を樹立し、専制支配のもとで富国強兵政策を強行して近代エジプトの基礎を築いた。
ムハンマド・アリーは、マケドニア 地方の東部の港町カヴァラ (現ギリシャ 領テッサロニキ 近郊)で下級軍人の家庭に生まれた。民族的な出自はアルバニア系 ともトルコ系 ともクルド系 とも言われるが、アルバニア系とする見解が多く見られる……続きを読む
イスラームの歴史
オスマン帝国の最大版図(1683年)
オスマン帝国 (オスマンていこく、オスマン語 : دولت عالیه عثمانیه Devlet-i Âliye-yi Osmâniyye )は、トルコ系 の王家オスマン家 を君主 に戴き、現在のトルコ の都市イスタンブール を首都 とし、西はモロッコ から東はアゼルバイジャン に至り、北はウクライナ から南はイエメン に至る広大な領域を支配した多民族帝国 (1299年 - 1922年 )。
アナトリア (小アジア)の片隅に生まれた小君侯国から発展したイスラム王朝 であるオスマン朝は、やがてビザンツ帝国 などの東ヨーロッパ のキリスト教 諸国、マムルーク朝 などの西アジア ・北アフリカ のイスラム教 諸国を征服して地中海 世界の過半を覆い尽くす世界帝国たるオスマン帝国へと発展するが、やがて衰亡してその領土は蚕食されて解体し、20世紀 初頭についに最後に残った領土アナトリアから新しく生まれ出たトルコ民族 の国民国家 、トルコ共和国 に取って代わられた……続きを読む
クルアーンと神学
クルアーン クルアーン (قرآن qur’ān)は、イスラーム (イスラム教 )の聖典 。イスラームの開祖であるムハンマド に対して神 (アッラーフ )が下した啓示 であり、ムハンマドの死後にまとめられた現在の形は全てで114章からなる。「朗唱されるもの」を原義とするアラビア語では定冠詞が伴い「アル=クルアーン」と呼ばれる)。
欧米では古くから Coran あるいは Koran と呼ばれており、日本でも長らくそのカタカナ化した形であるコーラン という名前で呼ばれてきた。しかし近年はアラビア語の原語の発音により近くして日本語ではクルアーン、英語ではQur'anと表記されることが多くなってきている。なお、宗教法人日本ムスリム協会は「聖クルアーン」と表記している……続きを読む
ファルサファ
アブー・ハーミド・ムハンマド・イブン・ムハンマド・アル=ガザーリー (Abū Hāmid Muhammad ibn Muhammad al-Ghazālī , 1058年 - 1111年 )はイスラーム の思想家 、神秘主義者(スーフィー )。ガッザーリー (Ghazzali )と表記する場合もある。
彼は1058年にホラーサーン のトゥース に生まれた。学者として名声を得ていた同名の叔父がおり、スーフィー として大成した弟アフマド・ガザーリー がいる。父は羊毛紡ぎの商家を営んでいたが、ガザーリーの幼少時に没したらしい……続きを読む
イスラーム文学
千夜一夜物語 (せんやいちやものがたり、ألف ليلة و ليلة、Alf Layla wa Layla 、The Book of One Thousand and One Nights)は、アラビア語 でまとめられた説話 物語集である。
中世イスラム世界 で形成されたアラビア語の説話集。中世ペルシア語であるパフラヴィー語 で記された(「ハザール・アフサーナ」(千物語))がアッバース朝 期に翻訳されたものとされる。いくつかの発展段階を経て、19世紀 に現在の1001夜分を含む形で出版された……続きを読む
シャリーアと法学
ジハード (アラビア語 :جهاد jihād)は、イスラーム教 において信徒(ムスリム )の義務とされている行為のひとつ。
ムスリムの主要な義務である五行 には含まれないが、五行にこれを加えて「第六番目の行」に加えようという主張もみられる。一般には「聖戦 」と訳されているが、単純にそうは訳し切れない面がある。
イスラーム教の教典 コーラン(クルアーン )には、例えば「神の道のために努力することに務めよ」というような句が散見される。この中の「努力する」に当たる動詞の語根 jahada (アラビア語:جهد)がジハードの語源 であり、ジハードの語はアラビア語 で「ある目標をめざした奮闘、努力」を意味する。この「努力」の語自体に「神聖」あるいは「戦争 」の意味はまったく含まれていない……続きを読む
イスラーム経済
イスラム銀行 (いすらむぎんこう。ただし記事内ではイスラーム銀行 と表記する)は、イスラーム (イスラム教 )の教義、慣行に基づいて運営される銀行 のこと。イスラーム教徒(ムスリム )は、シャリーア (イスラーム法)において利子 を取ることが禁止されているため、基本的に無利子の金融機関として運営される。
イスラームでは、利子(リバー と呼ばれる)を取って金銭を貸すことを禁止するクルアーン (コーラン)の言葉に従って、シャリーアにおいて利子の取得が禁止されている。したがって、理屈の上ではイスラーム共同体 の間で利子を取る銀行は存在不可能であるため……続きを読む
モスクとイスラーム建築
グラナダ市南東に連なる丘の上にそびえるアルハンブラ宮殿
アルハンブラ宮殿 は、イベリア半島 での最後のムスリム 政権であるナスル朝 時代に建設された壮麗な宮殿 都市である。スペイン のグラナダ にある。「アルハンブラ」とは、アラビア語 で「赤い 城塞」を意味する「アル=カルア・アル=ハムラー 」( القلعة الحمراء al-Qal‘a al-Ḥamrā')と呼ばれていたものが、スペイン語 において転訛したものである。この名称の由来については、城塞周辺の土地の土壌が赤いため、あるいは建築に使われた煉瓦 の色であるとか、宮殿が赤い漆喰 で覆われていたからなど色々と言われている。スペイン語表記ではAlhambraと綴り、「アランブラ」と発音する……続きを読む
マドラサと教育
サマルカンド のウルグ・ベグ・マドラサ
マドラサ (アラビア語 :مدرسة, madrasa)はイスラーム 世界における学院。元々は単純にアラビア語で「学ぶ場所、学校」を意味するだけだったが、11世紀 に制度的に確立し、イスラーム世界 の高等教育 機関として広く普及した。モスク と併設される場合も多く、一般に寄進財産 で運営。近代 の世俗教育 の普及によって、宗教 教育の専門機関となった。
マドラサ という語は、もともと「学校」「学ぶ場」という意味で、アラビア語 以外にも、ウルドゥー語 、ペルシア語 、トルコ語 、クルド語 、インドネシア語 、マレー語 、ボスニア語 などアラビア語の影響を受けた諸言語にも語彙として存在する……続きを読む
イスラーム科学
ヨーロッパで描かれた「ゲーベル」の像(15世紀)
アブー・ムーサー・ジャービル・イブン・ハイヤーン (Abu Musa Jabir ibn Hayyan, アラビア語 : جابر بن حيان الأزدي , ラテン名ゲベルス Geberus またはゲーベル Geber、ジーベル 721年 ? – 815年 ?)は、アッバース朝 時代のイスラム世界 の哲学者、学者。後に11世紀 にかけて続くイスラム科学 黄金期を築く元祖とされる。彼の業績は中世 ヨーロッパ の錬金術 に多大な影響を及ぼすとともに、近代 の化学 の基礎を与えた……続きを読む
イスラーム医学
イブン=スィーナー (Ibn Sīnā )、全名アブー=アリー・アル=フサイン・イブン=アブドゥッラーフ・イブン=スィーナー(Abū Alī al-Husain ibn Abdullāh ibn Sīnā、ラテン名:アウィケンナ (英語読みの、アヴィセンナも普及している)Avicenna、980年 - 1037年 )は、ペルシア を代表する知識人で、哲学者 ・医者 ・科学者 であった。中央アジア のブハラ 出身で、イラン の各地で活動した。当時の世界の大学者であると同時に、中世 ヨーロッパ のスコラ学 に多大な影響を与えた……続きを読む