レッド・ホット・チリ・ペッパーズ

アメリカのロックバンド
RED HOT CHILI PEPPERSから転送)

レッド・ホット・チリ・ペッパーズ英語: Red Hot Chili Peppers)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身のロックバンド。全世界トータルセールスは8000万枚以上を記録している[9]

レッド・ホット・チリ・ペッパーズ
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス
ジャンル
活動期間 1983年 -
レーベル
共同作業者
公式サイト 公式サイト
メンバー

3つのグラミー賞を受賞している。(12回ノミネート)[10]主な略称は「RHCP」や「The Chili Peppers」、日本でのみ「レッチリ」など。2012年ロックの殿堂入り。2015年現在、オリジナル・アルバムを10枚、ベスト・アルバムを2枚発表している。ウォール・ストリート・ジャーナルの「史上最も人気のある100のロックバンド」にて13位[11]

代表曲として、「ギヴ・イット・アウェイ」、「アンダー・ザ・ブリッジ」、「アラウンド・ザ・ワールド」、「スカー・ティッシュ」、「カリフォルニケイション」、「バイ・ザ・ウェイ」、「キャント・ストップ」、「ダニー・カリフォルニア」などがある。

略歴 編集

メンバーがそれまでに所属していたバンドには、チェイン・リアクションやアンセムなどがある。

1983年 - アンソニー・キーディスフリーヒレル・スロヴァクジャック・アイアンズによりバンド結成。

1984年 - Capitol/EMIと契約し、デビューアルバム『レッド・ホット・チリ・ペッパーズ』をリリース。プロデューサーにギャング・オブ・フォーアンディ・ギルを迎えて作成されるが、この作品には、ヒレルとジャックは参加していない。

1985年 - ヒレルが復帰して、アルバム『フリーキー・スタイリー』をリリース。プロデューサーに、ジョージ・クリントンを迎えて作成された。

1987年 - アルバム『ジ・アップリフト・モフォ・パーティ・プラン』をリリース。前作で復帰したヒレルに続き、ジャックもバンド復帰して制作された作品で、最初で最後のオリジナルフルメンバーによるアルバムになった。このアルバムから、初めて日本盤が発売される。

1988年 - ヒレルが、ヘロインの摂取過多により死亡。これに伴い、ジャックもバンドから脱退してしまう。

1989年 - 新メンバーに、ジョン・フルシアンテチャド・スミスを迎え、アルバム『母乳』をリリース。このアルバムの裏ジャケットの絵画は、ヒレルが生前に描いたものである。初めてのチャートヒット作品となり、この頃から大会場規模でのツアーを行うようになる。

1991年 - Capitol/EMIからWarner Brothers Recordsに移籍し、アルバム『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』をリリース。全世界レベルでのブレイク作品となる。現在のプロデューサーであるリック・ルービンを迎えた作品。このアルバムに収録され、シングルカットされた「アンダー・ザ・ブリッジ」で、初の全米1位を獲得。また、同じくシングルカットされた「ギヴ・イット・アウェイ」は、グラミー賞のハードロック部門最優秀シングル賞を受賞している。

1992年 - 世界ツアーでの来日中、ジョンが突如帰国、脱退してしまう。

1995年 - ギタリストデイヴ・ナヴァロを迎え、アルバム『ワン・ホット・ミニット』をリリース。しかし、デイヴはこの作品のみで脱退してしまう。

1999年 - ジョン・フルシアンテが復帰し、アルバム『カリフォルニケイション』をリリース。「スカー・ティッシュ - Scar Tissue」で、2度目のグラミー賞を受賞。驚異的なセールスを記録し、現在までの最大のヒット作となる。

2002年 - アルバム『バイ・ザ・ウェイ』をリリース。チャドが「very John」と表現したように[12]、ジョン色が全面に押し出されたアルバムとなった。アルバムチャートでは、ついにイギリスで1位を獲得した。

2006年 - アルバム『ステイディアム・アーケイディアム』をリリース。初のアメリカアルバムチャート1位をはじめとして、全世界24ヶ国で1位を獲得。日本のアルバムチャートでも、2枚組の洋楽アルバムとしては、史上初の初登場1位を獲得した。先行シングルとなった「Dani California」が、同年に日本で公開された『デスノート』の主題歌として採用。同アルバム収録の「Snow ((Hey Oh))」も『デスノート the Last name』の主題歌に採用された。また、このアルバムで3度目のグラミー賞を受賞している。

2006年 - 7月28日に、テレビ朝日系の音楽番組『ミュージックステーション』に出演。日本のテレビ番組で、生出演や演奏はデビュー23年目で初めて。

2007年 - 3月19日京セラドーム大阪、3月22日・23日の東京ドームの公演は、いずれもアンソニーが「急性肺炎、10日間の絶対安静」との医師の所見のため、3月17日の来日直前になって急遽延期された。

2009年 - ジョン・フルシアンテがソロキャリアで自分の志向を突き詰めたいとして脱退。2007年から2年間のレッド・ホット・チリ・ペッパーズの活動休止がきっかけであった[13]

2011年 - 新ギタリストとしてジョシュ・クリングホッファーが加入し、アルバム『アイム・ウィズ・ユー』を前作から5年ぶりにリリース。リリース間隔として5年のブランクは結成以来最長である。

2012年 - ロックの殿堂入り[14]

2016年 - プロデューサーとして5thアルバムからアイム・ウィズ・ユーまで長年起用してきたリック・ルービンの手を離れ、新たにナールズ・バークレイブロークン・ベルズデンジャー・マウス(ブライアン・バートン)を迎え制作されたアルバム『ザ・ゲッタウェイ』を、前作から再び5年ぶりにリリース。

2019年 - 12月、ジョシュ・クリングホッファーの脱退とジョン・フルシアンテの再々加入が発表される。

2022年 - 2月、プロデューサーに再びリック・ルービンを迎えて制作されたアルバム『アンリミテッド・ラヴ』を、4月1日にリリースすることが発表された。前作から6年ぶりのリリースとなる。これに先立ち、新曲『Black Summer』が公開された。ジョンは本作が『ステイディアム・アーケイディアム』以来、16年ぶりの復帰作となった。10月にもアルバム『リターン・オブ・ザ・ドリーム・カンティーン』を発表し、類を見ない短いスパンでのアルバム発表となった。

彼らの音楽的な影響 編集

チリ・ペッパーズの面々が少年期に大きく影響を受けたのは、キッスレッド・ツェッペリンジミ・ヘンドリックスなどのハードロックや、セックス・ピストルズザ・クラッシュギャング・オブ・フォーラモーンズザ・ストゥージズなどのパンク・ロックである(ヒレルとジャック、フリーの3人は、高校時代これらのカバーバンドをやっていた)。フリーの腕には、ジミ・ヘンドリックス刺青が彫られている。

チリ・ペッパーズの音楽性を形作る上で影響を受けた、と彼らが語るのは、ジョージ・クリントン(2ndではプロデューサーを務めた)、ファンカデリックスライ&ザ・ファミリー・ストーンなどのファンクや、パブリック・エナミーなど当時から台頭しつつあったヒップホップである。

ジョン・フルシアンテは、これら以外にキャプテン・ビーフハートジョン・マッギオーク(スージー・アンド・ザ・バンシーズ)[15]などの前衛アーティストや、 フガジなどのハードコアに影響を受ける一方、メロディ・ラインの美しいポップ・ミュージックも少年期に影響を受けたと語る。ライブの合間には、ビージーズの「愛はきらめきの中に」などのポップ・ミュージックを度々弾き語っていた。

アンソニーは、ブラッドシュガーのDVDなどで、パブリック・エナミーのキャップやTシャツを着用している。

その多くは音源化されていないが、ライブでこれらのアーティストの楽曲をカヴァー、または共演が多い。いくつかのカヴァー曲は2012年に「ロックン・ロール・ホール・オブ・フェイム・カバーズ EP」として音源化されている。

評価 編集

音楽性 編集

チリ・ペッパーズは、ファンクパンクロックを混ぜ合わせたバンドの一つとして有名である[7]。初期は、フィッシュボーンジェーンズ・アディクションなどと共に、これらのパイオニアとして活躍し、その評価向上に大いに貢献した。3rd『ジ・アップリフト・モフォ・パーティ・プラン』までは、アンダーグラウンドの活動がメインであったが、4th『母乳』で知名度を上げ、5th『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』で世界的人気を誇り、バンドと共に一躍ラップロックやファンクロックといったジャンル自体をメインストリームへと急浮上させた。

その後は、度々音楽性を細かく変えながらも、ファンク・パンク色は薄れ、メロディー路線が顕著となり、会心の復帰作7th『カリフォルニケイション』は、『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』を凌ぐセールスを記録し、現在までの最大のヒット作となった。

音楽面で初期のバンドをリードしていたのはフリーであり、そもそもバンドの結成理由が、フリーのベースラインとアンソニー・キーディスのライミングのマッチングが思いのほか良かったから、というものだったことも含め、まさにバンドの核と言える存在だった。中期以降は、ジョン・フルシアンテの活躍が目覚ましいが、フリーやチャド・スミスらもライブと音源双方において、依然として大きく貢献している。 2002年6月、「Graind House magazine」にてフリーが、「同じことを繰り返して、成長しないというのは絶対にイヤだね。人間として成長すれば、音楽も成長し、そして変化する。オレたちは成長したい、変化したいっていつでも思ってる。それが最も重要なことさ」と語っている。

歌詞 編集

これまでの歌詞は、ほとんどヴォーカリストであるアンソニーによるもの。初期から中期にかけての主な題材は、ドラッグ性的倒錯アルコール、パンク的アナキズム、ファンク的快楽主義などであり、その音楽自体ともよくマッチングしていると言える。キャリアの中期以降は、ヒレル・スロヴァクの死などの様々な影響で、詩的で叙情的な歌詞も多く見られるようになった。

ライブパフォーマンス 編集

彼らの最大の特徴は、ライブでのパフォーマンスにあるとも言える。

初期の頃は、アンコールなどでペニスソックス(Sox on Cox、靴下で局部を隠した以外は全裸)の格好で登場。ある意味、この姿がトレードマークにもなっており、その破天荒な振る舞いが話題を呼んで、彼らは結成後それほど間を置かずに、すぐレコード会社との契約に漕ぎ付けることが出来たが、とあるストリップバーで毛を露出しながら演奏した際は、店長から大目玉を食らったという。

これをはじめとし、ロラパルーザ'92では、アンコール時に火吹きヘルメットを着用して、さらにウッドストック'94では、オープニングで巨大な電球の被り物を付けて登場し、「Give It Away」を演奏した。また、カリフォルニケイション期以降も、メンバーのノリによっては、数多くのライブで前述のペニスソックス姿を披露することもある(最近はめっきり減っている)。さらに、ウッドストック'99では、フリーが終始全裸でベースを弾き通した。パフォーマンス中に暴徒化した一部の観客が放火騒ぎを起こし、アンコールではメラメラ燃える炎を遠方に眺め、「Fire」を演奏した。

1997年の第1回フジロックフェスティバルでは、アンソニーが腕を骨折したまま、台風の中でライブを敢行。このライブでは、ステージ破損のため30分でライブを強制終了した。

また、ステージ上で繰り広げられる即興演奏やジャムセッションも、彼らの評価と人気に繋がっている。同じ曲でも毎回ニュアンスを変えており、同じように演奏することはまずない。フルシアンテ在籍時には、ライブ冒頭と終了時に長いジャムセッションが繰り広げられていた。

政治姿勢 編集

2016年アメリカ合衆国大統領選挙では、バンドとして民主党バーニー・サンダースへの支持を表明。これに関連し、2016年2月5日にロサンゼルスエースホテルのザ・シアターで、バーニー・サンダースの選挙資金を集めるためのライブを行う事が決定。アンソニー・キーディスは、次のように語っている[16]

「バーニー・サンダースという人は正直で感じがよくて、人間味がある。思いやりのある人間というか。なので、この人のためにできることがあればしたいと言ったんだ。もし彼が望むなら、ショウをしてもいいと。驚いたことに9か月後に彼から本当に依頼があった。それが今回のショウに至った経緯だ」

また、フリーは、次のようにコメントしている[17]

「来週、バーニー・サンダースのためのコンサートで演奏できることに興奮しています。自分が信じている人を支援できるのは素晴らしいことだと感じています。レッド・ホット・チリ・ペッパーズとしては、このザ・シアターの公演で支払われる金はバーニー・サンダースにあげたいと提案しました。しかし、彼は受け取らなかった。彼は個人の少額の寄付しか受け取らない。他の政治家はみんなゲスなロビイストからの金を貪欲に掴もうとするでしょう。彼は誠実な人。もし喜んでもらえるなら、高価なチケットを買って、このキャンペーンを手伝って欲しい。本当にありがとう。バーニー・サンダースこそ大統領に」

メンバー 編集

アンソニー・キーディス(Anthony Kiedis)- ボーカリスト作詞家
1962年11月1日生まれ(1983年 - )ミシガン州グランド・ラピッズ出身。175cm。バンド結成時からのメンバーだが、『ジ・アップリフト・モフォ・パーティ・プラン』のレコーディングの頃に一度脱退、その後に復帰した。2006年に、自伝『スカー・ティッシュ』を発表。シーシェパードのスポンサーとしての側面も持つ。
フリー(Flea、本名マイケル・バルザリー (Michael Balzary))- ベーシストバッキング・ボーカリスト
1962年10月16日生まれ(1983年 - )オーストラリアメルボルン出身。身長168cm。同じく、バンド結成時からのメンバー。ベースの技量は高く、All Music Guideにおいて「one of rock's most talented bassists(史上最も才能豊かなロックベーシストの一人)」と評されている。これまでも様々なミュージシャンと共同活動を行ってきたが、2009年レディオヘッドトム・ヨークと新バンドを結成。2012年ブラーデーモン・アルバーントニー・アレンとRocket Juice & The Moonを結成。
チャド・スミス(Chad Smith)- ドラマー
1961年10月25日生まれ(1989年 - )ミネソタ州セント・ポール出身。身長191cm。脱退したジャック・アイアンズの後任ドラマーを決めるオーディションで実力を買われて加入。アルバム、「母乳」での一節より、当初はレザージャケットと頭にバンダナを巻いたロッカースタイルがメンバーの間で気に入られず、スキンヘッドにさせようという話があった模様。ソロ活動も精力的で、ドラム・セミナーなどで来日も果たしている。他のメンバーと同様、チリ・ペッパーズ以外にもサイド・プロジェクトを手掛ける。
ジョン・フルシアンテ (John Frusciante) - ギタリストバッキング・ボーカリスト
1970年3月5日生まれ (1989年 - 1992年、1999年 - 2009年、2019年 - )、ニューヨーク出身。元は、バンドの熱狂的なファンの一人だったが、亡くなったヒレルの代役として、当時18歳の若さでバンドに加わる。1992年の日本ツアー中に突如帰国、脱退する。一時は歯を全て失ってしまうほどの薬物依存に陥ったが、後に克服してバンドに復帰。2009年に自分の音楽的志向を突き詰めたいとして友好的に脱退。2019年12月、二度目の復帰が発表された。チリ・ペッパーズとしてだけでなく、ソロ・アルバムも数多く発表しており、2004年には6作ものソロ作品をリリースした。ジョシュ・クリングホッファーらとの別バンドなど、活動は多岐にわたる。

元メンバー 編集

ギタリスト 編集

アンソニーは、「ギタリストの座が安定しないのは、誰もヒレルの穴を埋められないから」とコメントしている。 ジョン・フルシアンテを含めて、ギタリストの座は数々のメンバーチェンジを経験した。また、ジョンを含むこの中の多くがストラトキャスターの使い手である。

  • ヒレル・スロヴァク (Hillel Slovak) (1983年以前、1985年 - 1988年) - 結成メンバー。ユダヤ系アメリカン。1988年6月、ヘロイン摂取過多により死亡。当初は、他の親友とのバンド(チリ・ペッパーズよりも古い)とのかけもちであり、そちらの契約の際に一時的に脱退、セカンド・アルバムで復帰し、サード・アルバム作成にも参加した。アンソニー、フリーの無二の親友であり、フリーにロックラジオのチャンネルを紹介しベースを1から教え、ロックミュージックに引き込んだ人物。彼のギタープレイは、初期バンドサウンドに彩りを与えた。少年期のジョン・フルシアンテの憧れのギターヒーローの一人であり、ヒレルもジョンと同じく絵画が得意だった(4thアルバム「母乳」のアートワークの裸婦画は、生前にヒレルが描いたもの)。生前に、アンソニーと共作した未発表の曲があることが知られているが、アンソニーは「ヒレルが弾かなければそれは違う曲」と、それを音源にする気はない事を明言している。チリ・ペッパーズのギタリストと言えば、フルシアンテという印象が強いが、バンド無名時代からのファンのヒレルへの人気は根強いものがある。本国では、いくつかファンブックも発売されており、実弟のジェイムズ・スロヴァクの著書が最も有名。
  • ジャック・シャーマン (Jack Sherman) (1983年 - 1985年) - ヒレルが他のレコード会社へ移籍した際に、臨時オーディションで加入、ファースト・アルバム作成に参加した。アンソニー曰く、「テクはあるがオタクなギタリスト」で、弦で指を切ってピックアップを血に染めてまで破天荒なプレイをするようなヒレルに対し、ネックに潤滑スプレーをつけるほどの几帳面なジャックは、アンソニーとフリーの気性には合わず喧嘩が絶えなかった、とアンソニーの自伝で言及されている。脱退後も、「母乳」の「ハイヤー・グラウンド」のコーラスなどで参加しており親交はあったようだが、後にアンソニーを精神的苦痛で訴えた。そのような間柄ではあったが、「初期のバンドを支えてくれた存在であることは間違いない。」として、アンソニーは自伝で敬意を表している。2020年8月、死去したことがバンドのSNS上で発表された。死因は公表されていない。
  • ザンダー・シュロス (Zander Schloss) (1992年) - 日本でフルシアンテが突如脱退した直後、急遽残っていたオーストラリア公演のために声をかけられるが、フリーに「チリペッパーズ向きのプレイではない」と難色を示され、わずか4日で解雇。現在はベーシスト、映画俳優として活動。
  • アリク・マーシャル (Arik Marshall) (1992年 - 1993年) - Lonnie Marshallと共に、兄弟バンド「Marshall Law?」を組んでいたギタリスト。92年のベルギー公演から93年のロサンゼルス公演まで参加。インディーで活動していたアリクにとっていきなりの重労働のスタジアムツアーは、心身共にきついものだったようで、ツアーバス内で強迫的に睡眠をとることで、その難を和らげようと苦心していたという。
  • デイヴ・ナヴァロ (Dave Navarro) (1993年 - 1999年) - ジェーンズ・アディクションから加入。 チャド・スミスとはとても仲が良く、メタルとヘヴィロック志向の重厚なサウンドを得意とする彼のプレイも評価が高かったが、アルバム1枚とツアー参加のみで、音楽性の違いから脱退した。
  • ジョシュ・クリングホッファー (Josh Klinghoffer) (2009年 - 2019年) - 2007年ステイディアム・アーケイディアム・ツアーの合間からサポートミュージシャンとして参加。2010年2月、チャド・スミスより、2009年12月に脱退したジョン・フルシアンテに代わって、新ギタリストとなることが発表された。2019年12月、チリ・ペッパーズの公式インスタグラムにより、脱退が発表された。チリ・ペッパーズとの親交は1998年からあり、2000年には当時在籍したバンドであるバイシクル・シーフがチリ・ペッパーズの前座を務めた。特にジョン・フルシアンテとの関係が深く、2004年にアルバムA Sphere In The Heart Of Silenceを共作し、ジョンのソロアルバムShadows Collide With PeopleThe Will to Deathにも参加、さらにFugaziのジョー・ラリーと共に3人でAtaxiaというバンドを組みアルバムを2枚出した。

ドラマー 編集

  • ジャック・アイアンズ (Jack Irons) (1983年、1985年 - 1988年) - 結成メンバー。ヒレルと共に、古くから参加していた親友のバンドの契約のため一時的に脱退したが、サードアルバムで復帰。アンソニー、ヒレル、フリーという無法漢が揃うバンドの中で、他メンバーを抑え(フリーいわく「ジャックが最も家庭的にまともだった」)気遣った存在。ヒレルの死後、親友の死とバンドの存続との狭間で苦悩し、結局はチリ・ペッパーズを脱退。後に、精神病院に入院していたところを、元ザ・クラッシュジョー・ストラマーにソロアルバムのバックバンドとして拾われ、音楽界に復帰した。最終的にはパール・ジャムへ移籍し、チリ・ペッパーズでのキャリアよりも長くバンドに在籍したが、引きずった精神病の悪化で脱退。巡り合わせか、奇遇にもサポート・ドラマーとして働いていた時に、同じくサポートギタリストをしていたデイヴ・ナヴァロと同じ仕事をしていたことがある。後にソロ・アルバムを出し、フリーやエディ・ヴェダーに感謝の言葉を送った。07年、ロサンゼルスにて、この3人でパール・ジャムの曲を演奏した。ちなみに、エディ・ヴェダーを当時パール・ジャムのメンバーに推したり、チリ・ペッパーズとの共同ツアーの橋渡し役になったのもアイアンズであり、彼がいなければ間違いなくパール・ジャムは現在の形で存在し得なかった、と言える。
  • クリフ・マルティネス (Cliff Martinez) (1983年 - 1989年) - 元キャプテン・ビーフハートのドラマーで、ジャック・アイアンズが、他のレコード会社へ移籍した際、オーディションで加入し、ファースト・アルバム作成に参加した。その後、セカンド・アルバム制作にも参加。アンソニー曰く、「ジャケットや帽子のセンスが俺たち以上に尋常じゃなかった」らしく、実際、当時のPVやライブ映像では、様々なバリエーションの巨大な帽子を被って演奏していることが多い。フリーは「凄腕のドラマーでロック精神はピカイチだった。」とファーストアルバムのリマスター時のインタビューで答えている。

ディスコグラフィ 編集

スタジオ・アルバム 編集

タイトル/アルバム詳細 チャート最高位 認定
US
[18]
AUS
[19]
AUT
[20]
CAN
[21]
FRA
[22]
GER
[23]
NLD
[24]
NZ
[25]
SWI
[26]
UK
[27]
1984 The Red Hot Chili Peppers 201[29]
1985 Freaky Styley
  • 発売日: 1985年8月16日[28]
  • レーベル: EMI
  • フォーマット: CD, LP, cassette
1987 The Uplift Mofo Party Plan
  • 発売日: 1987年9月29日[28]
  • レーベル: EMI
  • フォーマット: CD, LP, cassette
148
1989 Mother's Milk
  • 発売日: 1989年8月16日[28]
  • レーベル: EMI
  • フォーマット: CD, LP, cassette
52 33 69 47
  • US: プラチナ[31]
  • CAN: ゴールド[32]
  • UK: シルバー[30]
1991 Blood Sugar Sex Magik
  • 発売日: 1991年9月24日[28]
  • レーベル: Warner Bros.
  • フォーマット: CD, LP, cassette
  • 全米売上: 700万枚[33]
3 1 17 1 33 12 2 1 10 25
1995 One Hot Minute
  • 発売日: 1995年9月12日[36]
  • レーベル: Warner Bros.
  • フォーマット: CD, LP, cassette
  • 全米売上: 170万枚[37]
4 1 4 6 3 4 5 1 2 2
  • US: 2× プラチナ[31]
  • CAN: プラチナ[32]
  • UK: ゴールド[30]
1999 Californication
  • 発売日: 1999年6月8日[38]
  • レーベル: Warner Bros.
  • フォーマット: CD, LP, cassette
  • 全米売上: 534.9万枚[39]
3 1 2 2 2 2 2 1 3 5
  • US: 5× プラチナ[31]
  • AUS: 8× プラチナ[34]
  • AUT: 2× プラチナ[40]
  • CAN: 3× プラチナ[32]
  • FRA: 2× ゴールド[41]
  • GER: 3× ゴールド[35]
  • NZ: 8× プラチナ[42]
  • SWI: 2× プラチナ[43]
  • UK: 4× プラチナ[30]
2002 By the Way
  • 発売日: 2002年7月9日[44]
  • レーベル: Warner Bros.
  • フォーマット: CD, LP
  • 全米売上: 200万枚[45]
2 1 1 1 2 1 1 1 1 1
  • US: 2× プラチナ[31]
  • AUS: 5× プラチナ[46]
  • AUT: プラチナ[47]
  • CAN: 2× プラチナ[32]
  • FRA: プラチナ[48]
  • GER: 3× ゴールド[35]
  • NZ: 2× プラチナ[49]
  • SWI: 2× プラチナ
  • UK: 6× プラチナ[30]
2006 Stadium Arcadium
  • 発売日: 2006年5月9日[50]
  • レーベル: Warner Bros.
  • フォーマット: CD, LP, digital download
  • 全米売上: 400万枚[51]
1 1 1 1 1 1 1 1 1 1
  • US: 4× プラチナ[31]
  • AUS: 3× プラチナ[34]
  • AUT: プラチナ[52]
  • CAN: 4× プラチナ[32]
  • FRA: プラチナ[53]
  • GER: 5× ゴールド[35]
  • NZ: 3× プラチナ[54]
  • SWI: 2× プラチナ[43]
  • UK: 2× プラチナ[30]
2011 I'm with You
  • 発売日: 2011年8月29日[55]
  • レーベル: Warner Bros.
  • フォーマット: CD, LP, digital download
  • 全米売上: 55.4万枚[56]
2 2 2 2 2 1 1 1 1 1
  • US: ゴールド[31]
  • AUS: プラチナ[57]
  • CAN: プラチナ[32]
  • FRA: プラチナ[58]
  • GER: プラチナ[35]
  • NZ: ゴールド[59]
  • SWI: プラチナ[43]
  • UK: ゴールド[30]
2016 The Getaway
  • 発売日: 2016年6月17日
  • レーベル: Warner Bros.
  • フォーマット: CD, LP, digital download
  • 全米売上:
2 1 1 2 3 2 1 1 1 2
  • US: ゴールド[31]
  • AUS: ゴールド
  • CAN: ゴールド[32]
  • FRA: ゴールド
  • GER: ゴールド[35]
  • NZ: ゴールド
  • SWI: ゴールド[43]
  • UK: ゴールド[30]
2022 Unlimited Love
  • 発売日: 2022年4月1日
  • レーベル: Warner Bros.
  • フォーマット: CD, LP, cassette, digital download
  • 全米売上:
1 1 1 1 1 1 1 1 1 1
Return of the Dream Canteen
  • 発売日: 2022年10月14日
  • レーベル: Warner Bros.
  • フォーマット: CD, LP, casette, digital download
  • 全米売上:
3 2 1 3 1 1 1 1 1 2
"—"は未発売またはチャート圏外を意味する。

ライブ・アルバム 編集

コンピレーション・アルバム 編集

  • 『レッド・ホット・チリ・ペッパーズ・スーパー・ベスト!!(ホワット・ヒッツ!?)』 - What Hits!? (1992年)
  • 『アウト・イン・LA』 - Out In L.A. (1994年)
  • グレイテスト・ヒッツ』 - Greatest Hits (2003年)

EPs 編集

シングル 編集


ビデオ 編集

  • Psychedelic Sexfunk Live from Heaven (1990年) - ライブ盤
  • Positive Mental Octopus (1990年)
  • Funky Monks (1991年) - ブラッド・シュガー・セックス・マジックのメイキング盤
  • What Hits!? (1992年)
  • Off the Map (2001年) - ライブ盤
  • By the Way (2002年) - ビデオ・シングル
  • Greatest Hits and Videos (2003年)
  • Live at Slane Castle (2003年) - ライブ盤
  • Stadium Parisian (2009年) - ライブ盤

来日公演 編集

脚注 編集

出典 編集

  1. ^ a b Prato, Greg. “Red Hot Chili Peppers Biography, Songs, & Albums”. AllMusic. All Media Network. 2020年12月6日閲覧。
  2. ^ Kallen, Stuart A. (2012). The History of Alternative Rock (Illustrated ed.). Lucent Books. p. 76. ISBN 978-1-420-50738-6 
  3. ^ Petridis, Alexis (2012年4月9日). “The top pop picks for spring”. The Guardian. Guardian News & Media. 2023年3月6日閲覧。
  4. ^ Shuker, Roy (2012). Understanding Popular Music Culture. Routledge. p. 103. ISBN 978-0-415-41906-2 
  5. ^ Meyhem, Malcolm (1992年3月11日). “Hit Parade”. Chicago Tribune. 2023年3月6日閲覧。
  6. ^ a b Rosen, Jody (2006年6月2日). “The improbable rise of the Red Hot Chili Peppers.”. Slate. The Slate Group. 2023年3月6日閲覧。
  7. ^ a b Moskowitz, David V. (2015). The 100 Greatest Bands of All Time: A Guide to the Legends Who Rocked the World. Santa Barbara, California: ABC-CLIO. p. 530. ISBN 978-1-440-80340-6 
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    Dalley, Helen (August 2002). “Red Hot Chili Peppers”. Total Guitar. "I did have a few guitarists who I was intent of emulating and who were big influences on my sound on By The Way, [...] I wanted to listen to these people who weren’t just about technique but more about textures. People like Johnny Marr, John McGeoch [Siouxsie and the Banshees] and Andy Partridge [XTC]. People who used good chords." 
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関連項目 編集

外部リンク 編集