SBVフィテッセ

オランダのサッカークラブ

スティヒティング・ベトバールト・フトバル・フィテッセStichting Betbaald Voetbal Vitesse)は、オランダヘルダーラント州アーネムを本拠地とするサッカークラブチーム。

SBVフィテッセ
原語表記 Stichting Betaald Voetbal Vitesse
愛称 Vitesse Arnhem
Vites
Hollywood aan de Rijn
クラブカラー  
 
創設年 1892年
所属リーグ エールディヴィジ
所属ディビジョン 1部
ホームタウン アーネム
ホームスタジアム Airborne match Vitesse Arnhem.jpg
ヘルレドーム
収容人数 21,248人
運営法人 ロシアの旗 ヴァレリ・オイフ
監督 ドイツの旗 トーマス・レッシュ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

概要編集

現在のSBVフィテッセの母体となるクラブの起源は1887年にまで遡る。この年、クリケットサッカーを行うスポーツ団体として「フィテッセ」というクラブが誕生した。「フィテッセ」はフランス語からとられたもので、スピードを意味する。この「フィテッセ」が現在のクラブに繋がっている。SBVフィテッセは、破産寸前に陥ったり、長い2部落ちを経験した時期もあったものの、1989-90シーズンにエールディヴィジに復帰後はアヤックスPSVフェイエノールトら強豪チームに次ぐ成績をおさめていた。1998-90シーズンのKNVBカップでは決勝まで進出(PSVに0-1で敗退)。1997-98シーズンにはギリシャ代表FWニコス・マフラスを擁し、アヤックス、PSVに次ぐ3位となった。マフラスは32試合で34得点を挙げ得点王に輝くと共にゴールデンブーツ賞を受賞した。しかし2000年以降は2桁順位になることも多く、苦戦を強いられている。

同じヘルダーラント州に本拠地を置くNECナイメヘンとはライバル関係にある。

ホームスタジアムのヘルレドームは1998年に新設され、EURO2000の会場にもなった。

毎年、1万席のシーズンチケットを販売し、その都度完売している。サポーターの大半はヘルダーラント州に在住しているが、彼らの中には隣国ドイツから越境してくるものもいる。

2010年8月、グルジアの実業家メラブ・ジョルダニア英語版により買収された[1]。その後毎年繰り返されるゴタゴタ続きのクラブ運営で「ラインのFC ハリウッド(FC Hollywood aan de Rijn)」と呼ばれている。

2017年4月、クラブは125年の歴史の中で初のメジャータイトルを獲得、KNVBカップ決勝にてリッキー・ファン・ウォルフスウィンケルの2得点もあり2-0のスコアでAZアルクマールを破った。

2020-21シーズン、KNVBカップの準決勝でVVVフェンローを下し、AFCアヤックスとの決勝に進出したが1-2で敗れた[2]。また、このシーズンのエールディヴィジで4位という成績を残したため、翌シーズンのUEFAカンファレンスリーグ予選出場権を獲得した。その予選ではダンドークFCRSCアンデルレヒトを下して本戦への出場を決めた。

タイトル編集

国内タイトル編集

2016-17
1976-77, 1988-99
1965-66

国際タイトル編集

なし

過去の成績編集

EredivisieEerste Divisie
シーズン ディビジョン KNVBカップ
リーグ 順位
1988-89 エールステ・ディヴィジ 36 23 8 5 61 20 54 1位 準々決勝敗退
1989-90 エールディヴィジ 34 15 11 8 49 31 41 4位 準優勝
1990-91 エールディヴィジ 34 11 15 8 39 32 37 5位 準々決勝敗退
1991-92 エールディヴィジ 34 15 10 9 47 33 40 4位 ベスト16
1992-93 エールディヴィジ 34 16 14 4 58 29 46 4位 ベスト16
1993-94 エールディヴィジ 34 17 6 11 63 37 40 4位 3回戦敗退
1994-95 エールディヴィジ 34 14 12 8 55 44 40 6位 1回戦敗退
1995-96 エールディヴィジ 34 15 8 11 48 44 53 5位 1回戦敗退
1996-97 エールディヴィジ 34 15 10 9 53 41 55 5位 準々決勝敗退
1997-98 エールディヴィジ 34 21 7 6 85 48 70 3位 準々決勝敗退
1998-99 エールディヴィジ 34 18 7 9 61 44 61 4位 準々決勝敗退
1999-00 エールディヴィジ 34 18 9 7 67 43 63 4位 準決勝敗退
2000-01 エールディヴィジ 34 16 11 7 56 43 59 6位 準決勝敗退
2001-02 エールディヴィジ 34 16 12 6 45 34 60 5位 1回戦敗退
2002-03 エールディヴィジ 34 8 9 17 37 51 33 14位 準々決勝敗退
2003-04 エールディヴィジ 34 4 16 14 39 56 28 16位 ベスト16
2004-05 エールディヴィジ 34 16 6 12 53 49 54 7位 3回戦敗退
2005-06 エールディヴィジ 34 13 5 16 52 54 44 11位 2回戦敗退
2006-07 エールディヴィジ 34 10 8 16 50 55 38 12位 3回戦敗退
2007-08 エールディヴィジ 34 12 7 15 46 55 43 12位 2回戦敗退
2008-09 エールディヴィジ 34 11 10 13 41 48 43 10位 3回戦敗退
2009-10 エールディヴィジ 34 8 8 18 38 62 32 14位 3回戦敗退
2010-11 エールディヴィジ 34 9 8 17 42 61 35 15位 4回戦敗退
2011-12 エールディヴィジ 34 15 8 11 48 43 53 7位 準々決勝敗退
2012-13 エールディヴィジ 34 19 7 8 68 42 64 4位 準々決勝敗退
2013-14 エールディヴィジ 34 15 10 9 65 49 55 6位 4回戦敗退
2014-15 エールディヴィジ 34 16 10 8 66 43 58 5位 準々決勝敗退
2015-16 エールディヴィジ 34 12 10 12 55 38 46 9位 2回戦敗退
2016-17 エールディヴィジ 34 15 6 13 51 40 51 5位 優勝
2017-18 エールディヴィジ 34 13 10 11 63 47 49 6位 1回戦敗退
2018-19 エールディヴィジ 34 14 11 9 70 51 53 5位 準々決勝敗退
2019-20 エールディヴィジ 26 12 5 9 45 35 41 7位 準々決勝敗退
2020-21 エールディヴィジ 34 18 7 9 52 38 61 4位 準優勝
2021-22 エールディヴィジ 34 15 6 13 42 51 51 6位 準々決勝敗退

欧州の成績編集

現所属メンバー編集

2022年1月13日現在[3]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK   マルクス・シューベルト
2 DF   エリ・ダサ
6 DF   ヤコブ・ラスムッセン
7 FW   ロイス・オペンダ ( )
8 MF   ソンドレ・トロンスタット
9 FW   アドリアン・グルビッチ
10 MF   リーシェドリー・バズール ( )
11 FW   ニコライ・ベードゥン・フレデリクセン
14 FW   ウサマ・タンナーヌ ( )
16 DF   アロイス・オロツ ( )
17 FW   ヒラリー・ゴング
18 DF   トマーシュ・ハーイェク
20 MF   ヤン・グボホ ( )
21 MF   マトゥーシュ・ベロ
No. Pos. 選手名
22 MF   トニ・ドムジョニ ( )( )( )
23 GK   エリック・フェルスタッペン
24 GK   イェルーン・フーヴェン
27 DF   ロマリック・ヤピ ( )
29 FW   トーマス・バイティンク
32 DF   マクシミリアン・ヴィッテク
33 GK   ダーン・ライツィハー
36 MF   パトリック・フルーフ
39 DF   エンツォ・コルネリッセ
40 MF   ダーン・ハイスマン
42 DF   ミリオン・マンフーフ ( )
44 FW   エンリコ・エルナンデス ( )( )( )
52 GK   ジャン・デ・レフト

※括弧内の国旗はその他保有国籍、もしくは市民権、星印はEU圏外選手を示す。

監督

ローン移籍選手編集

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
6 DF   ヤコブ・ラスムッセン (フィオレンティーナ)
7 FW   ロイス・オペンダ (ブルッヘ)
No. Pos. 選手名
9 FW   アドリアン・グルビッチ (ロリアン)
20 MF   ヤン・グボホ (スタッド・レンヌ)
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- FW   ウサマ・ダルファル (PECズヴォレ)
No. Pos. 選手名

ユース・アカデミー編集

フィテッセはこれまでに多くのトッププレイヤーを輩出している。その例としてアレクサンデル・ビュットネルケヴィン・ダイクスマルコ・ファン・ヒンケルテオ・ヤンセンヨン・ファン・ビューケリングニッキー・ホフスダヴィ・プレパーピート・フェルトハイゼンスタイン・スハールスロイ・マカーイリッキー・ファン・ウォルフスウィンケルなどがいる。アカデミーは年齢別に振り分けられたAからDまでおり、トップチーム昇格前の最終カテゴリーとしてヨング・フィテッセが存在する。また、フィテッセはAGOVVアペルドールンを始めとする計9つのアマチュアクラブと業務提携を結んでいる。

クラブカルチャー編集

ユニフォームとクラブカラー編集

1984-85シーズンから1899-1900シーズンまでは青の斜めラインに白地を基調としたユニフォームだった。また、当時は、ユニフォームは各自持参だったため、ユニフォームを試合に持ってこなかった選手には50セントの罰金が科された。1900年8月27日、クラブ経営者による話し合いの結果、今後は黄色と黒をクラブカラーに採用することを決定した。これ以降、クラブカラーはその2色に固定され、現在も受け継がれている。また、クラブカラーを正式に変更したのは、オランダ国内でフィテッセが初めてである。

2007年より毎年の9月17日~25日にかけて、フィテッセは紫と水色のストライプという期間限定の特別なユニフォームをホームゲームで身に着ける。これは、1944年の第二次世界大戦中、アーネムで起こったマーケット・ガーデン作戦の空挺部隊を称えるために作成されたものである。また、この期間、ホームゲームでは当時その空挺部隊に所属していた退役軍人をスタジアムに招待し、試合前にセレモニーを行っている。

シンボル編集

クラブのシンボルはで、エンブレムには双頭の鷹が描かれている。2008-09シーズンからはヘルトフ(公爵)という名前の鷹をマスコットに任命し、試合前にグラウンド上空を飛ぶよう訓練されていたが、初飛行を終えた2009年10月、イースト菌感染症によって死亡した[4]

サポーター編集

 
サポーターハウス

フィテッセが公式に認めたサポーターズクラブには現在3,000人もの会員が所属しており、サポーターズクラブに従事するボランティアは100人を超える。サポーターズクラブは年に6回、公式ガイドブックを出版している。2015年にはクラブからサポーターハウス(モニケンハイゼ)が授与され、試合前後の集合や決起集会などはここで行われている。

ライバル編集

フィテッセ最大のライバルはNECナイメヘン。両者のダービーはヘルダーセ・ダービーと呼ばれ、優雅でエレガントなサッカーをするフィテッセと粗削りで闘争心あふれるサッカーをするNECナイメヘンの戦いである。フィテッセはヘルダーラント州の州都の本拠地を、NECナイメヘンはヘルダーラント州最大の都市であるため、どちらがより上の都市であるかを争う意味もある。しかし、近年ではNECナイメヘンは昇降格を繰り返すクラブに変化しつつあり、両者の実力差と経済力は開き続ける一方である。両者のクラブでプレーした選手は少ないが、ペーテル・ヴィスヘルホフヴィレム・コルステンらがいる。

また、デ・フラーフスハップともライバル関係があるが、デ・フラーフスハップサポーターがフィテッセサポーターよりもライバル意識を持っている。他にも、ゴー・アヘッド・イーグルスなどにライバルにあたる。

歴代監督編集

氏名 国籍 期間
ジョン・ウィリアム・サトクリフ   イングランド 1914-1915
ジェームズ・マクファーソン   スコットランド 1919-1920
チャールズ・グリフス   イングランド 1920-1922
ヤン・ファン・ドルト   オランダ 1922-1924
ロバート・ウィリアム・ジェファーソン   イングランド 1924-1927
ヘンリッヒ・シュワルツ   ドイツ 1928-1936
ヘリット・ファン・ワイヘ   オランダ 1936-1938
ヘリット・ホルステン   オランダ 1938-1946
ジョージ・ローパー   イングランド 1946-1947
ヘリット・ホルステン   オランダ 1937-1948
アレント・ファン・デル・ヴェル   オランダ 1948-1949
ヘリット・ホルステン   オランダ 1949
ヤン・ゾネンベルフ   オランダ 1949-1954
ヨゼフ・グラバー   オーストリア 1954-1957
ルイス・パストールス   オランダ 1957-1960
ブランコ・ヴィドヴィッチ   ユーゴスラビア 1960-1962
ヤン・ゾネンベルフ   オランダ 1962-1964
ヨゼフ・グラバー   オーストリア 1964-1966
フランス・デ・マンク   オランダ 1966-1969
コル・ブロム   オランダ 1969-1972
フランス・デ・マンク   オランダ 1972-1974
ネド・ブラトヴィッチ   ユーゴスラビア 1974-1975
ヤン・デ・ブーテル   オランダ 1975-1976
クレマンス・ヴェスターホフ (暫定)   オランダ 1976
ヘンク・ヴレムス   オランダ 1976-1982
レーン・ローイェン   オランダ 1982-1984
クレマンス・ヴェスターホフ   オランダ 1984-1985
ヤヌシュ・コヴァーリク   ポーランド 1985-1986
ハンス・ドリェー   オランダ 1986-1987
ニールス・オフェルヴェグ   オランダ 1987
ベルト・ヤコブス   オランダ 1987-1992
ハーバート・ニューマン   ドイツ 1992-1995
ロナルト・スペルボス   オランダ 1995
フランス・タイセン (暫定)
ヤン・ヨングブルート (暫定)
  オランダ 1995-1996
レオ・ベーンハッカー   オランダ 1996-1997
ヘンク・テン・カテ   オランダ 1997-1998
アルトゥール・ジョルジェ   ポルトガル 1998
ハーバート・ニューマン   ドイツ 1998-1999
エドワード・スターリング (暫定)
ヤン・ヨングフルート (暫定)
  オランダ 1999
ロナルド・クーマン   オランダ 2000-2001
エドワード・スターリング   オランダ 2001-2002
ミケ・スヌーイ   オランダ 2002-2003
エドワード・スターリング   オランダ 2003-2006
アート・デ・モス   オランダ 2006-2008
ハンス・ヴェステルホフ   オランダ 2008
エドワード・スターリング (暫定)   オランダ 2008-2009
テオ・ボス   オランダ 2009-2010
ハンス・ファン・アルム (暫定)
ライモント・ファン・デル・フーヴ (暫定)
  オランダ 2010
アルベルト・フェレール   スペイン 2010-2011
ヨン・ファン・デン・ブロム   オランダ 2011-2012
フレット・ルッテン   オランダ 2012-2013
ピーター・ボス   オランダ 2013-2016
ロブ・マース   オランダ 2016
ヘンク・フレイザー   オランダ 2016-2018
エドワード・スターリング (暫定)   オランダ 2018
レオニード・スルツキー   ロシア 2018-2019
ヨセフ・オースティング (暫定)   オランダ 2019
エドワード・スターリング (暫定)   オランダ 2019
トーマス・レッシュ   ドイツ 2020-

歴代所属選手編集

GK編集

DF編集

MF編集

FW編集

脚注編集

  1. ^ オランダのプロクラブが外国人によって買収されたのは初めてのケースである。
  2. ^ Neres’ stoppage-time goal seals Dutch Cup win”. AFCアヤックス. 2021年4月18日閲覧。
  3. ^ [1]
  4. ^ uefa.com (2009年10月16日). “マスコットの死”. 2009年10月18日閲覧。

外部リンク編集