STVカップ国際スキージャンプ競技大会

STVカップ国際スキージャンプ競技大会(エスティーブイカップこくさいスキージャンプきょうぎたいかい)は札幌市大倉山ジャンプ競技場で開催されるスキージャンプの大会である。

STVカップ国際スキージャンプ競技大会(2007年1月14日撮影、大倉山ジャンプ競技場)

概要

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1962年に「STV杯争奪ジャンプ大会」として創設された[1]。第7回(1968年)より「STV杯争奪全国ジャンプ大会」、第10回(1971年)は「STV杯争奪ジャンプ国際競技大会」、第11回(1972年)は「STV杯ジャンプ競技大会」と名称変更がなされた[1]

第12回(1973年)より第36回(1997年)まで「STV杯国際スキージャンプ競技大会」の名称で実施された。第12回および第13回は「札幌五輪記念」が兼ねられた。第19回(1980年)より少年の部は設定されなくなった。第30回(1991年)から第32回(1993年)まではコンチネンタルカップの前身である環太平洋カップが兼ねられた[1][2]。第33回(1994年)よりコンチネンタルカップを兼ねて行われている。

第37回(1998年)より現行の名称の「STVカップ国際スキージャンプ競技大会」となった。2007年から女子の部として「STVカップレディーススキージャンプ競技大会」が開催されたが、2011/12シーズンより始まった女子ワールドカップの蔵王大会が2013/14シーズンからは1月の開催となったことから、その日程の兼ね合いにより第7回(2013年)で終了した。

第60回(2021年)は、新型コロナウイルス感染症の影響により日本国内でのワールドカップおよびコンチネンタルカップが中止されたため、「STVカップスキージャンプ競技大会」の名称で国内戦となり女子組を追加し、女子ワールドカップ札幌大会が予定されていた1月10日に日程をずらして開催された[3]。なお、この試合は常設されたウインドファクターおよびゲートファクターが冬仕様の大倉山で初めて使用された試合となった。
第61回(2022年)も再び新型コロナウイルス感染症の影響でコンチネンタルカップが中止となり、国内戦となり男子組、女子組が開催された。

歴代優勝者

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男子組

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回数 日付 会場 氏名 所属 得点 1本目(m) 2本目(m)
1 1962 2 13 大倉シャンツェ 菊地定夫 雪印乳業 225.0 77.0 83.0
2[4] 1963 2 22 大倉シャンツェ 菊地定夫 雪印乳業 238.2 102.0 96.0
3 1964 2 28 大倉シャンツェ 松井孝 羽幌炭鉱 258.1 101.0 88.0
4 1965 2 22 大倉シャンツェ 藤沢隆 早稲田大学 232.8 94.0 92.5
5 1966 3 7 大倉シャンツェ 板垣宏志 明治大学 215.6 83.0 93.5
6 1967 2 22 大倉シャンツェ 笠谷幸生 明治大学 180.6 74.5 82.0
7 1968 3 7 大倉シャンツェ 青地清二 雪印乳業 225.9 93.5 90.0
8 1969 3 4 大倉シャンツェ 笠谷幸生 ニッカウヰスキー 207.0 82.5 100.0
9 1970 1 25 宮の森シャンツェ 笠谷幸生 ニッカウヰスキー 215.9 73.0 77.5
10 1971 1 9 大倉山シャンツェ 笠谷幸生 ニッカウヰスキー 237.1 107.5 94.5
11 1972 1 10 大倉山シャンツェ 藤沢隆 国土計画 211.1 102.5 86.5
12 1973 2 11 大倉山シャンツェ タウノ・ケユヒケ フィンランド 241.1 108.0 101.0
13 1974 1 13 大倉山シャンツェ 笠谷幸生 ニッカウヰスキー 251.4 115.0 101.0
[5] 1975 1 13 大倉山シャンツェ 笠谷幸生 ニッカウヰスキー 210.7 98.0 95.0
14[6] 1975 1 15 大倉山シャンツェ E.ラウティオナオ フィンランド 252.5 109.0 111.0
15 1976 1 11 大倉山シャンツェ アロイス・リップブルガー オーストリア 240.7 106.0 104.5
16 1977 1 16 大倉山シャンツェ ヴァルター・シュタイナー スイス 274.7 112.5 115.5
17 1978 1 16 大倉山シャンツェ E.ラウティオナオ フィンランド 242.8 101.0 111.0
18 1979 1 15 大倉山シャンツェ 川端隆普美 たくぎん 211.9 95.0 101.0
19 1980 1 13 大倉山シャンツェ 秋元正博 地崎工業 255.1 114.0 105.0
20 1981 1 18 大倉山シャンツェ ヤリ・プイッコネン フィンランド 246.5 108.0 104.5
21 1982 1 16 大倉山シャンツェ フーベルト・ノイパー オーストリア 259.5 108.0 117.0
22 1983 1 16 大倉山シャンツェ 長岡勝 日本大学 238.9 107.5 106.0
23 1984 1 15 大倉山シャンツェ M.シュタイナー オーストリア 209.3 114.5 97.5
24 1985 1 13 大倉山シャンツェ 西方千春 雪印乳業 209.9 111.0 100.0
25 1986 1 19 大倉山シャンツェ 秋元正博 地崎工業 243.2 118.5 114.5
26 1987 1 18 大倉山シャンツェ 嶋宏大 地崎工業 231.1 114.0 120.0
27 1988 1 17 大倉山シャンツェ 清水貞雄 デサント 195.1 99.5 112.0
28 1989 1 15 大倉山シャンツェ 葛西紀明 東海第四高校 216.0 114.0 107.5
29 1990 1 14 大倉山シャンツェ アンシ・ニエミネンドイツ語版 フィンランド 228.5 111.5 123.5
30 1991 1 13 大倉山シャンツェ 東輝 ニッカウヰスキー 214.8 112.0 112.5
31 1992 1 12 大倉山シャンツェ 原田雅彦 雪印乳業 189.7 107.5 103.0
32 1993 1 17 大倉山シャンツェ 東輝 ニッカウヰスキー 212.5 110.0 107.5
33 1994 1 16 大倉山シャンツェ 岡部孝信 たくぎん 207.2 100.5 116.0
34 1995 1 15 大倉山シャンツェ 船木和喜 デサント 100.6 107.0
35 1996 1 14 大倉山シャンツェ フロデ・ホーレドイツ語版 ノルウェー 220.1 115.5 106.5
36 1997 1 12 大倉山シャンツェ 金子祐介 日本大学 244.5 124.5 123.0
37[7] 1998 1 18 大倉山シャンツェ 高橋竜二 水戸歯科スキークラブ 244.3 118.5 130.0
38 1999 1 17 大倉山シャンツェ 太田泰彦 明治大学 248.1 122.5 127.0
39 2000 1 16 大倉山シャンツェ 船木和喜 フィットスキー 272.2 124.0 135.0
40 2001 1 14 大倉山シャンツェ 原田雅彦 雪印乳業 253.9 119.0 131.5
41 2002 1 13 大倉山シャンツェ ヤンネ・ハッポネン フィンランド 273.8 129.5 134.0
42 2003 1 12 大倉山シャンツェ 宮平秀治 ミズノ 280.8 139.5 129.0
43 2004 1 11 大倉山シャンツェ 葛西紀明 土屋ホーム 150.4 138.0
44 2005 1 16 大倉山シャンツェ キンモ・ユリリエストドイツ語版 フィンランド 258.7 130.0 124.0
45 2006 1 13 大倉山シャンツェ 岡部孝信 雪印乳業 279.0 139.5 128.0
46 2007 1 14 大倉山シャンツェ 東輝 日本空調サービス 253.8 128.5 125.0
47 2008 1 13 大倉山シャンツェ バスティアン・カルテンベックドイツ語版 オーストリア 286.1 128.0 141.5
48 2009 1 11 大倉山シャンツェ 岡部孝信 雪印乳業 296.5 141.0 139.0
49 2010 1 10 大倉山シャンツェ 葛西紀明 土屋ホーム 295.5 134.5 143.0
50 2011 1 9 大倉山シャンツェ 葛西紀明 土屋ホーム 278.8 134.5 131.5
51 2012 1 22 大倉山シャンツェ 竹内択 北野建設 273.3 132.0 131.5
52 2013 1 13 大倉山シャンツェ 葛西紀明 土屋ホーム 283.5 139.5 133.0
53 2014 1 19 大倉山シャンツェ マルクス・アイゼンビヒラー ドイツ 287.8 136.5 137.0
54 2015 1 18 大倉山シャンツェ マヌエル・ポッピンガードイツ語版 オーストリア 141.0 135.0
55 2016 1 24 大倉山シャンツェ ヤカ・フバラドイツ語版 スロベニア 278.7 139.5 127.0
56 2017 1 22 大倉山シャンツェ アンドレアス・ヴァンク ドイツ 244.8 131.5 128.0
57 2018 1 28 大倉山シャンツェ ロベルト・クラニエッツ スロベニア 236.7 127.5 140.0
58 2019 1 20 大倉山シャンツェ クレメンス・アイグナードイツ語版 オーストリア 292.7 144.0 138.0
59 2020 1 26 大倉山シャンツェ クレメンス・ムランカドイツ語版 ポーランド 225.3 138.0 133.0
60 2021 1 10 大倉山シャンツェ 栃本翔平 雪印メグミルク 251.7 132.0 141.0
61 2022 1 16 大倉山シャンツェ 二階堂蓮 NSC札幌 272.2 140.0 136.5
62 2023 1 15 大倉山シャンツェ ヨアキム・エデゴド・ビョレンドイツ語版 ノルウェー 238.5 131.5 138.5
63 2024 1 21 大倉山シャンツェ ロビン・ペダーソン ノルウェー 276.3 137.5 138.5
  • 第18回までは成年の部として実施された。

レディース

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回数 日付 会場 氏名 所属 得点 1本目(m) 2本目(m)
1 2007 1 14 大倉山シャンツェ 渡瀬あゆみ ロイズコンフェクト 216.0 119.0 116.0
2 2008 1 13 大倉山シャンツェ 山田いずみ 神戸クリニック 231.1 123.0 121.5
3 2009 1 9 宮の森シャンツェ 伊藤有希 下川町立下川中学校 244.0 94.5 93.5
4 2010 1 8 宮の森シャンツェ 高梨沙羅 上川町立上川中学校 232.5 91.0 94.5
5 2011 1 7 宮の森シャンツェ 渡瀬あゆみ 神戸クリニック 114.5 91.0  -
6 2012 1 20 宮の森シャンツェ 伊藤有希 下川商業高校 246.0 98.5 90.0
7 2013 1 11 宮の森シャンツェ 山口瑞貴 札幌大学 222.0 86.5 95.0
(60) 2021 1 10 大倉山シャンツェ 丸山希 明治大学 242.2 131.5 136.0
(61) 2022 1 16 大倉山シャンツェ 小林諭果 CHINTAI スキークラブ 195.7 120.0 119.0
  • 2009年の第3回大会から第7回大会までは札幌五輪記念後に開催。ノーマルヒルで実施。

少年の部

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回数 日付 会場 氏名 所属 得点 1本目(m) 2本目(m)
1 1962 2 13 大倉シャンツェ (資料がありません)      
2 1963 2 22 大倉シャンツェ 田口民夫 札幌商業高校 239.1 93.0 94.5
3 1964 2 28 大倉シャンツェ 沢田久喜 羽幌高校 189.6 88.5 84.0
4 1965 2 22 大倉シャンツェ 杉本政徳 早稲田大学 218.8 91.5 89.0
5 1966 3 7 大倉シャンツェ 多田藤憲 札幌商業高校 188.2 83.0 82.5
6 1967 2 22 大倉シャンツェ 斉藤幸三 小樽潮陵高校 152.4 66.5 74.0
7 1968 3 7 大倉シャンツェ 斎藤公男 小樽潮陵高校定 174.9 77.5 78.5
8 1969 3 4 大倉シャンツェ 斎藤幸三 芝浦工業大学 181.5 82.5 84.5
9 1970 1 25 宮の森シャンツェ 古川裕治 札幌商業高校 184.2 63.0 75.5
10 1971 1 9 大倉山シャンツェ 秋元俊一 東奥義塾高校 167.0 87.0 81.0
11 1972 1 10 大倉山シャンツェ 相内富久 小樽北照高校 121.9 71.0 72.5
12 1973 2 11 大倉山シャンツェ 小田切秀烈 専修大学 119.1 73.5 70.5
13 1974 1 13 大倉山シャンツェ 秋元正博 岩見沢商業高校 165.1 90.0 84.0
1975 1 13 大倉山シャンツェ 秋元正博 岩見沢商業高校 137.7 89.5 71.0
14 1975 1 15 大倉山シャンツェ T.ラングレン スウェーデン 209.1 106.5 98.0
15 1976 1 11 大倉山シャンツェ 川村有司 余市高校 195.6 93.5 100.5
16 1977 1 16 大倉山シャンツェ 川村有司 余市高校 173.0 95.5 82.0
17 1978 1 16 大倉山シャンツェ G.アベラー オーストリア 205.5 93.5 99.0
18 1979 1 15 大倉山シャンツェ 会沢仁康 駒大岩見沢高校 182.1 93.0 88.5
  • 第13回大会は、第2回札幌オリンピック記念と併催された。
  • ※ 国際ジャンプ記録会。FIS公認競技会として行われた。(北海道新聞1975年1月14日11面参照)

TV放送について

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  • 2014年までは、協賛社のSTVを制作局として、日本テレビ系列全国ネットで開催当日に録画放送されていた。全国ネット時代の放送時間は2009年まで15:00~16:25、2010年はプロ野球オールスタースポーツフェスティバルの関係から15:25~16:55に放送された。また、2010年まではネットワークセールスだったが、2011年~2014年はローカルセールスに降格することになり、放送時間も15:00~15:55に短縮された。なお、全国ネット時代であった時も、秋田放送北日本放送福井放送山梨放送四国放送高知放送テレビ大分テレビ宮崎、日本テレビ系列のない沖縄県では放送されなかった。
  • 2011年の日本テレビでは、『もうひとつの箱根駅伝』放送の関係から深夜に放送された。
  • 2021年を除く2015年以降は、放送時間は2011年~2014年と同様に15:00~15:55だが制作局であるSTVのみの北海道ローカルでの放送となった。
  • 2021年は、新型コロナウイルス感染症の感染拡大の影響で中止となった『FISジャンプワールドカップ札幌大会』[8]の代替として、『FISジャンプワールドカップ札幌大会 特別編』の名称で本大会をSTVが制作し、日本テレビ系列28局ネット(テレビ大分・テレビ宮崎を除く)にて開催当日の14:55~15:55に録画放送された。

備考

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脚注

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  1. ^ a b c SKI JUMP DATA BANK、2007年10月7日のアーカイブ
  2. ^ List of all FIS international ski jumpings cups and tournament
  3. ^ 2021年ジャンプ競技日程”. 2021年1月12日閲覧。
  4. ^ 第2回大会では菊地定夫が1本目に102.0mを飛び日本人で初の100mジャンパーとなった。直後に笠谷幸生も101.5mを記録。
  5. ^ 国際ジャンプ記録会。FIS公認競技会として行われ、ノルウェーのアニタ・ウォルドが特別参加で97.5mの女子世界最長(当時)を記録した。笠谷は公式戦4連勝。(北海道新聞1975年1月14日11面参照)
  6. ^ アニタ・ウォルドは男子より長い助走で特別参加し、97.0m95.0mの196.1ポイントで少年組2位相当だった。
  7. ^ 第37回大会では難聴のジャンパー高橋竜二が、数週間後に長野五輪を控えた船木和喜岡部孝信らを抑えて優勝し、話題をさらった。
  8. ^ 本大会と同様にSTVが協賛社であり、なおかつ日本テレビ系列全国ネットにて当該大会の録画中継を2020年現在も行っている。

外部リンク

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