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セックス・ピストルズ

イングランドのパンクバンド
Sex Pistolsから転送)

セックス・ピストルズ (Sex Pistols) は、イングランド出身のパンク・ロックバンド

セックス・ピストルズ
Sex Pistols
Sex Pistols in Paradiso.jpg
オリジナルメンバー - オランダ・アムステルダム公演(1977年1月)
基本情報
別名 ピストルズ
出身地 イングランドの旗 イングランドロンドン
ジャンル パンク・ロック
活動期間 1975年 - 1978年
1996年
2002年 - 2003年
2007年 - 2008年
レーベル EMI
A&Mレコード
ヴァージン・レコード
ワーナー・ブラザース・レコード
ユニバーサル・ミュージック
公式サイト Sex Pistols Official Site
メンバー ジョニー・ロットン (Vo)
スティーヴ・ジョーンズ (G)
ポール・クック (Ds)
グレン・マトロック (B)
旧メンバー シド・ヴィシャス (B)

1970年代後半にロンドンで勃興した、パンク/ニュー・ウェイヴ・ムーヴメントを代表する象徴的グループ。自国の王室・政府・大手企業などを攻撃した歌詞など、反体制派のスタイルが特徴[1]。また、活動期間は短命ながら、後世のミュージック・シーンやファッション界にも多大な影響を与えた。

2006年ロックの殿堂』入り。ローリング・ストーン誌選出「歴史上最も偉大な100組のアーティスト」第60位。

目次

来歴編集

結成編集

 
マネージャーを務めた晩年のマルコム・マクラーレン (2009年)

1970年代半ばのロック・シーンは、ハードロックプログレッシブ・ロックが二大主流で、超絶技巧のギターテクニックや、初期の高価なシンセサイザーやスタジオ録音技術を駆使する「スーパー・バンド」とロックファンの間には溝が生まれつつあった。

当時、ロンドンキングス・ロードで『SEX』というブティックを経営していたマルコム・マクラーレン[注 1]、店に出入りしていた不良少年のスティーヴ・ジョーンズポール・クックが結成したアマチュアバンドに目をつけた。それに積極的に介入し、当時『SEX』の店員だったグレン・マトロックと、オーディションで選んだジョニー・ロットンを加入させ、1975年11月にバンドの形を整えさせた。彼らは貸しスタジオで練習を重ね、セックス・ピストルズという名前でライブデビューした。

パンク・ロックの勃興編集

 
メンバーおよびパンク仲間

シンプルなロックンロール、反体制的な歌詞、斬新なファッション、メディアを意識したスキャンダルの濫発によりすぐに注目された。しかし保守層からは敵視され、演奏会場では中止運動が頻繁に起こった。

その後大手レーベルのEMIと契約し、シングル「アナーキー・イン・ザ・U.K./アイ・ワナ・ビー・ミー」をリリースするが、テレビで放送禁止用語を連発したことが問題となり契約を破棄された。結果としてバンドは巨額の違約金を手に入れた。

 
左・新加入のシド(B) 1977年

1977年にベーシストのグレン・マトロックが、ジョニー・ロットンとの不和などの理由で脱退。後継ベーシストとして、古くからロットンと親しかったシド・ヴィシャスが採用された[注 2]。このシドの加入で、ピストルズはよりスター性のあるバンドとなった。しかし、作曲面における功績が大きかったグレンの脱退はバンドの将来に暗い影を落とすことになった。

EMIとの契約破棄後はA&Mレコードと契約したが、シングル「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン/分かってたまるか」の発売直前に破棄された。またしてもバンドは巨額の違約金を手に入れた。

最終的にヴァージン・レコードと契約し、エリザベス女王在位25周年祝典の日にテムズ川のボートでゲリラライヴを行い、英国国歌と同名の曲「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」を演奏し逮捕された。このプロモーションの成果は上々で、全英シングルチャートで最高2位(NMEチャートでは最高1位)を記録した。ただし、ジョニー・ロットンとポール・クックが右翼に襲われて重傷を負う事件が発生し、バンド活動はしばらく停滞した。

ニュー・ウェイヴの旗手 - あっけない解散編集

 
ノルウェー公演 (1977年)

1977年10月唯一のオリジナル・ファースト・アルバム『勝手にしやがれ!!』を発売。このアルバムは「ロキシー・ミュージック」「ピンク・フロイド」「ポール・マッカートニー」などを手掛けた音楽プロデューサークリス・トーマスによってプロデュースされた[注 3]

マルコムはアルバムの販売権をヴァージン・レコードに独占させず、フランスの会社に1曲多い盤の製作を許可するなどの揺さぶりをかけた。米国では大手のワーナー・ブラザース・レコード、日本では当時ヴァージンと提携していた日本コロムビアから発売された[注 4]

1978年ワーナーの企画により、初のアメリカツアーを決行。保守的なアメリカ南部からツアーを始めたが、そのツアー中に崩壊へと向かう。同1月14日アメリカツアーの最中(サンフランシスコウインターランド公演後)に、もはや嫌気がさしていたジョニー・ロットンはバンドを脱退。急遽アメリカツアーは中止され、実質上バンドの終焉となった。

解散後編集

脱退後のジョニー・ロットンは本名のジョン・ライドンに戻し、自ら率いるポストパンクバンドパブリック・イメージ・リミテッド」結成に向かった。

スティーヴ・ジョーンズとポール・クックは、イギリスの大列車強盗犯人ロナルド・ビッグズや偽物の元ナチスのマルチン・ボルマンとコラボレーションを行い[注 5]、おふざけ半分でピストルズを延命させられたのち、活動は消滅した。

マルコムは、嫌がるシド・ヴィシャスにフランク・シナトラの「マイ・ウェイ」の替え歌をレコーディングさせ、レコード発売も行っている。その後シドはアメリカツアーを行い、宿泊していたホテルで恋人であったナンシー・スパンゲンを刺殺した容疑をかけられたまま、麻薬の大量摂取が原因で他界。結果的に「マイ・ウェイ」はシドの代表曲となった[2]

これらの時期収録の音源が、マルコム・マクラーレン主導で製作したピストルズドキュメンタリー映画『ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル (映画)』のサウンドトラック盤(『ザ・グレイト・ロックン・ロール・スウィンドル』)に使用された。

再結成編集

1996年、「俺達には共通の目的ができた、それは金だ!」とうそぶき、オリジナル・メンバーにより再結成。6月よりワールド・ツアーを決行し、翌7月にはライヴ・アルバム『勝手に来やがれ』を発売。来日公演は、洋楽アーティストとしては異例の1か月間18公演を行っている。

2001年、かつてマルコム・マクラーレン主導で製作したドキュメンタリー映画『ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル』は、真実の内容とは掛け離れているとして、旧メンバー側が製作したピストルズドキュメンタリー映画『ノー・フューチャー』を公開した。

2002年 - 2003年、夏に2回目の再結成。イギリスとアメリカで2公演を行い、翌年にもアメリカ・ツアーを実施。

 
再結成 UKブリクストン公演 (2007年11月)

2006年ロックの殿堂入りを果たす。しかし2月24日の朝、以前からロックの殿堂を皮肉っていたジョニー・ロットンを筆頭に彼らは、自身の公式サイトに直筆メッセージを掲載。その内容は、「セックス・ピストルズを除けば、ロックンロールもその殿堂入りも小便のシミだ。お前らの美術館、ワインの中の小便。俺達は行かねえ。お前らの猿じゃねえ。だから、どうした」と冒頭から罵倒、また1人あたり2万5,000ドル(約250万円)もの参加費用に関しても論い、最後には「俺たちは行かねえよ。お前らも別に構わんだろ。このクソみてえな系図に組み込まれないのが、本当のセックス・ピストルズってもんだからさ」と締めくくった。これに対して主宰者は、怒るどころか、「彼らは非凡なパンク・スター。これこそがロックンロール」とさえコメントしている[3][4]。ロックの殿堂入りを蹴ったアーティストは史上初である。

2007年11月に4回目の再結成を行い、ワールド・ツアーを展開[5]

2008年、日本のロックフェス『サマーソニック』に出演。以降、年内で再び活動停止した。

特徴編集

当時としては斬新且つシンプルなギターコード、イギリス政府・イギリス王室・EMIのような体制や権威をこき下ろす歌詞、短い髪をツンツンに立てたり破れた服を安全ピンで留めるといった斬新なファッション、メディアでのインタビューで「shit」「fuck」「cunt」を連発するというスキャンダルにより注目された

歌詞編集

ボーカルのジョニー・ロットンは「アナーキー・イン・ザ・U.K.」で、「俺は反キリスト者でアナーキスト」と叫び、破壊思想を流布するとして当局から監視された[注 6]。元MI5(英国機密情報局)部員が後に証言したところによると、MI5のテロリストやスパイの監視を行う部署に『1977年コンテンポラリーミュージック破壊活動分子』というタイトルの付いたファイル群があり、その膨大な書類はすべてピストルズに関するものだったという。しかし、ピストルズは左翼のみに支持されたわけではなく、「ボディーズ」はイギリスの保守ソングのランキング10位内にランクインしている。

ファッション編集

安全ピンや、髪をツンツンに立てるといったファッションは、元々リチャード・ヘルテレヴィジョンハートブレイカーズの創設メンバー)が行っていたものをマルコム・マクラーレンが採り入れたと言われているが、ジョン・ライドンの自伝ではピストルズ加入以前から短髪を緑色に染めたり、父親に買ってもらったスーツをカットして安全ピンでつなぐなどしていたと記述されている[注 7]

レコード契約編集

契約トラブル劇は、レーベルに所属するプログレッシブ・ロックのミュージシャンたちの強硬な反対も大きく影響していたといわれる。最終的に契約したヴァージンでも、所属していたマイク・オールドフィールドが最後まで契約に反対していたという。

メンバー編集

  • 再結成後 (1996-2008)

ディスコグラフィ編集

スタジオ・アルバム編集

ライブ・アルバム編集

  • 『衝撃!!オリジナル・ピストルズ・ライヴ』 - Anarchy in the UK: Live at the 76 Club (1985年)
  • 勝手に来やがれ』 - Filthy Lucre Live (1996年)
  • Raw and Live (2004年)

コンピレーション・アルバム編集

  • 『スパンク』 - Spunk (1977年) ※グレン・マトロック参加デモ音源。旧邦題『SPUNK - オリジナル・ブートレグ・フォーマット』
  • ザ・グレイト・ロックン・ロール・スウィンドル』 - The Great Rock'n'roll Swindle (1979年)
  • 『サム・プロダクト』 - Some Product: Carri on Sex Pistols (1979年)
  • 『フロッギング・ア・デッド・ホース』 - Flogging a Dead Horse (1980年) ※旧邦題『ザ・ベスト・オブ・セックス・ピストルズ』
  • 『KISS THIS - ベスト・オブ・セックス・ピストルズ』 - Kiss This (1992年)
  • 『ベスト』 - Jubilee (2002年)
  • Sex Pistols Boxed Set (2002年)
  • Agents of Anarchy (2008年)

シングル編集

映像作品編集

  • 『ノー・フューチャー』 (2000年) ※バンドのドキュメント
  • 『クラシック・アルバムズ:勝手にしやがれ』 (2002年) ※レコーディングのドキュメント
  • ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル』 (2003年) ※1980年公開の映画
  • 『勝手にやったぜ!!』 (2008年) ※ライブDVD

来日公演編集

1996年編集

ツアー公演

2008年編集

サマーソニック
単独公演

脚注編集

注釈編集

  1. ^ マルコムはアメリカで2週間ほどニューヨーク・ドールズのマネージャーを務めたことがあり、ニューヨーク・パンク・ムーヴメントをイギリスでも流行らせたいと思っていた
  2. ^ 彼はピストルズの熱心な「追っかけ」であり、ルックスも良く、ポゴダンスを生み出し、ライヴ会場では様々な武勇伝で有名だった
  3. ^ クリスは1996年2007年の再結成のライヴ盤のプロデュースも行っている
  4. ^ 日本盤はヴァージン提携先の変遷に伴いめまぐるしく販売元が変更された。後の2012年にはバンドがユニバーサルミュージックと世界契約したため、各国のユニバーサルミュージックからの発売となった
  5. ^ ナチスの戦犯で絞首刑の判決を受け処刑前に自殺したが、1972年まで死体が見つからなかったため南米逃亡説があった。本人かどうかは不明だが、映画『ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル』でもナチスの制服を着用した男が登場している
  6. ^ ちなみに、それまでアナーキーという言葉は左翼インテリの間でしか使われていなかった言葉で、事実上ピストルズがこの言葉を一般に広めたといえる
  7. ^ ピストルズ加入以前のジョニー・ロットンは、プログレッシブ・ロックバンドの権威的存在ピンク・フロイドの公認Tシャツに自分で「I hate」と書いて街を歩くような、独自のセンスと批判精神を兼ね備えた有名な不良だった

出典編集

参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集