Wikipedia‐ノート:ウィキペディアにふさわしいストーリー紹介の文体

最新のコメント:12 年前 | トピック:廃止提案 | 投稿者:Kojidoi

コメント 編集

仮にもストーリー記述の説明を行うなら、プロットにも言及しておいた方が良いと思います。--EULE 2009年10月14日 (水) 16:42 (UTC)返信

それはWikipedia:ストーリー紹介の在り方についての解説素案の領分です。--Kojidoi 2009年10月16日 (金) 16:01 (UTC)返信
失礼しました。ここで規定するのはあくまで文体ですね。--EULE 2009年10月17日 (土) 04:10 (UTC)返信

作中の出来事、登場人物の行動などを「過去形」で記すことについて 編集

フィクション項目のあらすじや登場人物紹介を見ていますと、作中の出来事や登場人物の行動などの記述で「過去形」が多用されているのが気になります。百科事典の性質上、現実世界で起こった出来事について過去形で記すのは当然であると思いますが、フィクション内の出来事というのは当該作品に触れていない人にとってはまだ起きていない出来事であり、これを過去形で記すのは既読・既視聴者視点に立った記述ではないかと考えます。実際いくつか紙の百科事典において古典作品のあらすじ紹介をあたってみましたが、大抵は過去形を使わず「 - する」「 - となる」といった書き方がされています(オンラインの『Yahoo!百科事典』で適当な古典文学作品などを検索していただければ、あらすじ部分で過去形が使われていないことがわかると思います)。

ストーリー等を紹介するにあたっては、記事の読み手がまだ作品に触れていないことを前提に原則として「物語開始時点」を基点とし、それより未来の出来事や行動については過去形を用いた説明は避けるべきではないでしょうか(例外としては、「Aは新たに開発され製品を持ち出す」など、物語中のある時点を基点として、それより過去のことについて述べる場合など)。--IDCM 2010年1月17日 (日) 12:18 (UTC)返信

実は英語版のWikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)en:Wikipedia:Manual of Style (writing about fiction)の「Contextual presentation」というセクションには「By convention, these synopses should be written in the present tense, as this is the way that the story is experienced as it is read or viewed. At any particular point in the story there is a 'past' and a 'future', but whether something is 'past' or 'future' changes as the story progresses. It is simplest and conventional to recount the entire description as continuous 'present'.」とまさにそのことに言及しています。私が導入した際には日本語において受け入れられるか分からなかったため、敢えてこの文言は訳さなかったのですが、もしこれに関して合意が得られるのであれば現在のWikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)における該当セクションである「文脈の提供」部分に同様の内容を追記してもよいのではないでしょうか。念のためWikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)においてもこの件について告知いたします。--Web comic 2010年1月17日 (日) 13:26 (UTC)返信
あらすじはともかく、登場人物の説明に関しては、その登場人物が登場(もしくはレギュラー化)した時点を、時制の基準とすることが多いので、「物語開始時点」を基点とすると弊害があるかなと思います。まあ、原則ということなので、大丈夫だとは思いますが、拡大解釈して草取りするような人もいるので、とりあえずはあらすじだけに限定して、ある程度に周知できたと見えたら、登場人物の説明にも拡大していくというのが良いかなと思います。
また、あらすじに関しても作品形式にもよるし、(あんまり言語系とか苦手なので上手く言えないのですが)プロットで書くと時制の基準点が簡単に移動するように思います。ただまあ、そういうのは、極少数の例でだとも思いますが。
だから、まあ、あえてルールとして記述するとすれば、時制の基準がどこにあるかを念頭に文章を構築する(させる)ことを主旨として、時制の基準の例として、多くは物語開始時点にある。みたいな感じが良いんでは無いかと考えます。--EULE 2010年1月18日 (月) 01:11 (UTC)返信

  コメントご意見ありがとうございます。確かに時制を機械的に置き換え、文意を損なう編集が行われる可能性は常にあります。よって基本原則については「Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)」に英語版の内容を導入した上で、具体的な基準についてはこちらで述べ、かつ機械的な草取り作業を行わないよう釘を刺すような文言も入れておくとよいかと思います。私も文法などは詳しくないのですが、一応基準の案について箇条書きで例示しておきます。

  • 物語の内容についてはストーリー形式、プロット形式(登場人物、用語説明なども含む)を問わず、原則として過去時制を用いず書く。
    • 物語世界内の時系列順にストーリーが展開される一般的な作品については、原則として物語開始時点を基準点とし、それ以降の作中の出来事については過去時制を用いた説明を避ける。
    • ストーリーが「物語開始→過去編→開始時点の続き」などのように単純な時系列順でない作品については、段落分けや節分けを行ったうえで、それぞれの編の開始時点を基準点とする。
    • 登場人物・用語説明については、原則としてそれが登場した時点を基準点とする。
    • 物語完結後の出来事や、継続中の作品内における途上の出来事について「 - している」「 - しつつある」といった表現は避ける(「Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わない」。例 - ×「主人公は目的を果たした。現在は幸せに暮らしている。」「新たな力に目覚めつつある。」→○「主人公は目的を果たし、その後は幸せに暮らす。」「新たな力に目覚めはじめる。」)。
  • 過去時制を用いるべき、あるいは用いてもよいケース
    • 明らかに物語開始時点より過去のことについて述べる場合(例 - 「フリーライター。以前は大手新聞社に勤めていた。」など)。
    • 過去編などについて、編冒頭の状況説明などを行う場合(例 - 「時はさかのぼり○○年、主人公は××で暮らしていた。」など)。
    • 物語中の一連の出来事を一文でまとめる場合、文末に時制の基準点を置き、それより前の出来事については過去時制を用いる(例 - 「新たに開発された製品を持ち出す。」など)。
    • ある時点での出来事があり、後に真相などが明かされる場合(例 - 「刑事は被疑者宅に向かうが、被疑者はこの時点ですでに逃亡していた。」など。)。
  • 文脈・文意を考慮しない機械的な時制の置き換え作業の禁止
    • 検索機能などを用いて時制を機械的に変更するだけの作業は行わず、加筆等の際についでに行うことが望ましい。特に知らない作品記事への手出しは控える。

以上、時制等の解釈について誤りもあるかと思いますので、ご意見いただければ幸いです。--IDCM 2010年2月7日 (日) 10:43 (UTC)返信

そこにある「ある時点での出来事があり、後に真相などが明かされる場合」というのがネックだと思っていたので、それで良いと思います。もう1つ私が考えていたのは、「○○だったので××する。」というような原因を示す文章がある場合、これは、繋がっているのでいいですが「○○だった。なので××する。」みたいな文章を割った場合に、過去形になってしまうようなのはどうなんでしょうか?プロット云々言ってのはこれで、説明したい事柄(主旨)より過去を表す場合と言えば良いんでしょうかね。自分でも何を言っているのかよくわからないな。
特殊な例を考えるとキリがないので「文章の校正や修正を行うときに、もし過去形を正して文意がおかしくなると感じたら、手をつけないか、該当部分だけではなく文章全体を進行形で問題の無い物に編集し直すことを検討してください。」というような補足文章を加えるというのはどうでしょうか?
正直、英語が苦手なので英語版の記述の文意をちゃんと読み取れてるとは言い難いのですが、この草案とセットで良いと思います。最悪でも、機械的な編集等についての言及があれば、酷いことにはならないでしょう。--EULE 2010年2月8日 (月) 02:37 (UTC)返信
  コメント基本的には過去形は文末におかず、どうしても過去形を使いたい場合は「○○だったことが判明する」といったように文末に来ないよう工夫を促すとよいかと思います。もちろんケースバイケースの対応になると思いますので、EULEさんの挙げられたような補足文章で基本的な考え方を提示しておけば効率的でしょう。
ところで、このページの閲覧数自体が少なく、「Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)」への時制に関する文言の導入について「合意」を形成するのが難しい状況ですので、「Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト フィクション」で当議論の告知を行わせていただきました。--IDCM 2010年2月21日 (日) 11:27 (UTC)返信

  コメント相変わらず意見が集まらないので「Wikipedia:コメント依頼」でも告知させていただきました。引き続きコメントを募集いたします。--IDCM 2010年4月11日 (日) 12:02 (UTC)返信

  コメントコメント依頼を見ました。私の個人的な感想として書きますが、あまり過去形か現在形かに拘らない方が良いのではないかと思います。英語では時制が重要な概念ですが、それに比べて日本語では時制を重要視しておらず、むしろ小説などでは過去形で記述する方が普通です。まれに技巧的に現在形を多用するものもありますが、私はあらすじで現在形が多用されているのを読むとむしろ違和感を持つことがあります。なお、ご紹介されているYahoo!百科事典ですが、確かにあらすじで現在形が使われているものが多いものの、過去形が使われているものもそれなりにあるようです。例[1], [2] 特に後者では、物語の途中で発生した出来事について、その後で参照するときに過去形で表現しており(「予測しえなかった」の所です)IDCMさんが提示された条件には当てはまりませんが、過去形が順当だと思います。--アルビレオ 2010年4月18日 (日) 00:18 (UTC)返信

  コメントご意見ありがとうございます。アルビレオさんにご提示いただいた例の後者ですと、少し違いますが私が挙げた「ある時点での出来事があり、後に真相などが明かされる場合」の例に近いのではないでしょうか。執筆者ごとに癖や好みがあるのだと思いますが、個人的には百科事典である以上、「Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)」が掲げるようにフィクションの事柄については「(作品世界内の登場人物、事件などが)こうなった」と、実際に出来事が発生したかのように見えかねない表現よりは「(この物語は)こうなる」というスタンスでの記述が望ましいのではないかと思います。英語と日本語で事情が異なるというのはありますので、そのまま導入するよりは「Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)」の主題に沿い、現実世界からの観点に重点を置いた記述がなされるべきかもしれません。--IDCM 2010年4月18日 (日) 12:26 (UTC)返信

ストーリー紹介文の小分類 編集

ストーリー紹介文として書く場合、所謂、あらすじと登場人物の紹介等で表記されている人物列伝があります。 「あらすじという表記の場合、時制の基準点は、物語開始時点に置き、以後、時系列に沿って紹介し、 登場人物の紹介等の表記の場合、人物登場時点を基準点に、以後、時系列に沿って紹介する。」といったガイドラインがあるといいと思います。 「あらすじ」との表記内に、ストーリー全体の時系列を無視した人物列伝的な記述も稀に存在するのです。 これをノートで指摘すると、「あらすじ」の定義はなどという不毛の論争に発展し、経済的でありません。 ガイドラインとして、小分類されていると、明確で良いと思うのですが、如何でしょうか。--Innergroove 2010年1月30日 (土) 12:17 (UTC)返信

  反対 Innergrooveさんの編集履歴を拝見しましたが、提案は「ノート:不毛地帯」での議論を踏まえたものであると察します。確かにガイドラインで統一されていればこのような議論を解決できる、という考えは分かるのですが、それは難しいように思えます。どのような記述順序が分かりやすいかは内容によって異なり、主人公が物語に介入する以前の段階からの時系列でまとめた方が分かりやすい場合もあれば、プロットとして記述した方が分かりやすい場合もあるでしょう。また登場人物の説明で必要なのは、作中でどのような行動をしたのかという履歴だけではなく、人物の行動指針となっている性格や主義主張、他の登場人物との関係性といった情報や、作者が登場人物に背負わせたテーマ(ただし要出典)なども重要に思え、そうした中で記述順序に指針を設けることはかえって混乱を招くのではないか、とも感じます。この場合、何が適切かがケースバイケースだからこそ形式も統一されていないし、議論も生じるのではないでしょうか。個人的にはあまりよい提案には思えず、賛同できません。--Kanohara 2010年1月31日 (日) 17:20 (UTC)返信
Kanoharaさん、ご意見、ありがとうございます。記述順序が様々でケースバイケースであることはわかるんですが、一般ルールとして、あらすじ、ストーリー紹介では、こういう書き方、登場人物の紹介は、こういう書き方を検討して下さい程度のことはあってもいいのではないかと思います。そして、ケースバイケースというのは、その記事ごとの特別ルールとして、各々の記事内で採用していけば良いのではないでしょうか。(特別法優先という意味です。)ストーリー紹介は日本では狭義ではあらすじのことであるという前提ですが、筋書きを説明するということに尽きるんではないでしょうか。そうであるならば、少なくともあらすじという項目では、そこまでに留めておいた方が、私は親切なのではないかと思います。この部分は読んで面白いという要素はいらないと思いますし、人物の行動指針となっている性格や主義主張、他の登場人物との関係性といったものは、まさに読んで面白い部分で、ストーリーを説明するということにはならないと思います。フィクションの記述のスタイルマニュアルでは、「ストーリーは出来事を再構成せず、時系列順に記述するため…」という部分があります。また、「一般的にプロットと比べ」としてプロットとストーリーを別のものとして書かれています。また、キャラクターの記述に対するガイドラインにおいても、「キャラクターの詳細は一覧記事で」という項目もあり、これらのガイドラインを勘案すると、ストーリー紹介というのは、狭義に解釈した方が、私はいいと思います。その上で、充実した記事にしたいのならば、キャラクターの解説なり、作品のプロットとして別にまとめる方が、作品の未読者には親切ではないでしょうか。プロットやキャラクター解説というのは、既読者の方が恩恵を受けるものであると思います。キャラクターの記述に対するガイドラインの「詳細な登場人物の解説を作品記事内の登場人物節でするのは止めて下さい。」というのは考慮すべきだと思いますし、プロット、ストーリー紹介、キャラクターの解説は、分けて考えた方が良いと思います。その上で、あくまで一般ルールであるので、禁止されているわけではないということを書いてあれば、それに縛られずにケースバイケースに対応できると思います。ガイドラインとケースバイケースは、様々な場面で問題になるはずなので、ガイドライン側が、あまりに広義解釈していると、ガイドラインが役に立たないことにもなりかねません。緩やかであっても、明らかに性格の違う、プロット、ストーリー紹介、キャラクターの解説を分けて考えた方が、私は良いと思うのですが、如何でしょう。--Innergroove 2010年1月31日 (日) 21:27 (UTC)返信
まず、第一には日本語版における傾向も考えるべきだと思うんですよ。日本語版はストーリー(プロット)を全て記述することを嫌い、登場人物説明でそれを補完しようとする、あるいは、することを暗黙のうちに認めている。それがInnergroove氏の言う「人物列伝的な記述」なのかまではわからないけど、傾向として存在する以上、これを力で抑えようとするのは、あまり良い方法じゃないと思います。基本的にウィキペディアって慣習法の世界であって、成文法の世界じゃ無いです。広義解釈したら意味が無いとおっしゃるけど、逆に厳格化しても、それはウィキペディア的では無いです。
第二に、上で述べたように、ケースバイケースで対処できるようにと言っても、拡大解釈して草取りするような人は絶対に現れると思います。まして、単純に「-タ」を「-ル」に変えるだけですので、これを簡単な作業だと勘違いして、やらかす人はいるでしょう。
第三に、「フィクションの記述のスタイルマニュアル」は、英語版を引き写した物ですが、英語版では一般に「プロット」です。日本語版はプロットとストーリーが混同している点を念頭に置いて「フィクションの記述のスタイルマニュアル」の文面が構築されています。なので、日本語版では「ストーリー」と言う名前の節であっても、本来の意味の「ストーリー」とは限らないので、この辺りを持ち出すのはやや的外れでしょう。--EULE 2010年2月1日 (月) 07:17 (UTC)返信
ちょっと説明が足らなくて誤解されてしまいましたが、成文法であるとか、厳格にというイメージは私の中にもありません。特別法優先と言ったのは、具体的場面での記述に委ねることを言いたかっただけです。ストーリー紹介記事中に登場人物説明で補完するのもわかります。それを力で押え付けようと言う意識もないです。私が、言っているのは、説明の補完としてある登場人物説明というものではなく、登場人物説明が、複数人に渡り、相対的にその分量が多い場合、それは未読・未視聴の読者にとっては、不親切であるということです。各々の登場人物で段落を分けた場合、時制の基準点が、段落ごとにリセットされて、その登場人物に合わされてしまいます。これが、一つの項目の中に、単に、段落分けで書かれてしまったとき、未読・未視聴の読者にとっては不親切であるというのが、私の考え方です。そういったことに対する緩やかなガイドラインくらいはあっても良いのではないかというのが趣旨です。--以上の署名のないコメントは、Innergroove会話投稿記録)さんが 2010年2月1日 (月) 16:30 (UTC) に投稿したものです。返信
ルールの強さについては理解しました。
段落で分けたら不親切だとのことですが、私は逆に段落で分けているなら肯定します。どちらかといえば私が問題だと考えているのは、時制の基準点がメチャクチャで、一連の文章内で時系列が酷く入り混じっているような物を念頭に考えています。が、段落で分けられているというなら、それは文章スタイルとしては何ら問題が無いと思います。
未読・未視聴の読者にとって不親切だと言われてますが、私が想定する限り段落ごとに区切られているなら、少なくともここで争点になっている点で大きな問題は起こらないと思います。それが問題だというなら既読者にとってもそうであるはずなので。それで何か問題があるというなら、他に理由がありそうな気がします。具体例を挙げて頂きたいと思います。--EULE 2010年2月1日 (月) 17:13 (UTC)返信
(追記)相対的にその分量が多い場合というのも、何に対して分量が多いのか、よくわかりません。登場人物説明にあらすじがあることではなく、あらすじに登場人物の説明があることを問題視しているようには読み取れますが。--EULE 2010年2月1日 (月) 17:24 (UTC)返信

修正 編集

勝手ながら、いくつか散見されるフランクな表現をガイドライン(草案)らしい、語調に修正させていただきました。問題があれば戻してください。他には少しWikifyなどをしました。--Shigeru23 2011年8月24日 (水) 09:32 (UTC)返信

廃止提案 編集

本草案のカテゴリを「却下された草案」に変更する提案がなされています。異議のある方は「Wikipedia‐ノート:あらすじの書き方#既存の二草案について」にて意見表明をお願いします。--Kojidoi会話2012年3月23日 (金) 15:54 (UTC)返信

プロジェクトページ「ウィキペディアにふさわしいストーリー紹介の文体」に戻る。